EP 2
重武装限界集落ポポロ村と、ウサギ村長の心音面接
石造りの村長公邸の扉をくぐると、外の物々しい重機関銃の気配とは裏腹に、そこは完全に「年度末の繁忙期に書類爆弾が直撃した総務部」の様相を呈していた。
天井まで届く木製キャビネットの引き出しは半開きで、床一面には羊皮紙と魔導感熱紙の請求書、出金伝票、未払いの督促状が足の踏み場もないほど散乱している。
奥の大きなマホガニーの執務机には、三人の人物が陣取っていた。
中央に座るのは、雪のように白い髪に、ピコピコと落ち着きなく揺れる長いウサギ耳を生やした可憐な少女――第43代ポポロ村長、キャルル。年齢は二十歳前後だろうか。フリル付きの豪奢な執務服を着崩し、眉根を寄せて頭を抱えている。
その左脇に控えるのは、漆黒の燕尾服を寸分の狂いもなく着こなした、長身痩躯の人狼執事リバロン。手入れの行き届いた銀時計のチェーンを指先で弄びながら、冷徹な琥珀色の瞳で書類を睨みつけている。
そして右側で、金色の算盤を猛烈な速度で弾きながら「あかん、計算合わへん! どこ削っても大赤字や!」と悲鳴を上げているのは、三毛猫の耳と尻尾を生やした小柄な女性、ゴルドスマイル銀行支店長兼村の最高財務責任者(CFO)、ニャングルだった。
「……失礼します。求人を見て参りました、佐伯健太と申します」
俺がビジネスマンの基本である三十度の会釈を繰り出すと、部屋の空気が一瞬で凍りついた。
ピタッと算盤の音が止まる。
ウサギ耳のキャルル村長がパッと顔を上げ、琥珀色の瞳を丸くして俺をまじまじと見つめた。
「……え? ほんとに……人間族のおじさん……?」
「はい。前世――失礼、以前はビルの管理主任と企業の総務部で危機管理を担当しておりました。書類整理、共用部の営繕清掃、クレーム対応など、現場の雑務全般は一通りこなせます」
すらすらと前世の職務経歴を述べる俺に対し、執事のリバロンが一歩前に出た。
スッと鼻腔を鳴らし、野獣のような鋭敏さで空気を嗅ぎ分ける。リバロン固有のフェロモン解析だ。
「ほう……。体格は貧弱、魔力も闘気も皆無。戦闘力は……驚いたことに、たったの1馬力ですか。しかし奇妙ですね。我が主の前で恐怖による冷汗ひとつかいていない。身に纏うのは長年の激務によって染み付いた、哀愁と胃薬の匂いのみ……。お前、三大国のどこから送り込まれた間諜だ? 何の目的でこの火薬庫に潜り込もうとしている?」
低い威圧混じりの声が鼓膜を震わせる。
普通なら失禁もののプレッシャーだろうが、前世で「今日中に手形を決済しなければ会社が潰れる」と泣き叫ぶ下請けの社長や、怒り狂って灰皿を投げつけてくる専務の相手をしてきた身からすれば、挨拶代わりの定型句のようなものだ。
「間諜だなんてとんでもない。目的は求人票に書いてあった通りですよ。家賃と光熱費が無料で、サウナ付きの大浴場があって、定時で上がれる。それ以上の動機がどこにありますか」
「……なっ」
リバロンが眉をひそめたその時、執務机のキャルルが両手を机にバンッと叩きつけて立ち上がった。
そのウサギ耳が、ピクピクと超高速で微動している。
「リバロン、待って!」
「キャルル様? 不用意に近づいては危険です」
「ううん、違うの……! 私の耳にはね、聞こえるの。この人の心臓の音が……!」
キャルルは月兎族特有の神話級超聴覚を持っている。心音のわずかな乱れ、血流の速度から、相手の嘘や欺瞞を百分の一ミリ秒単位で見抜く天性の嘘発見器だ。
その少女が、目を潤ませて俺の胸元を見つめていた。
「ドックン……ドックン……って、ものすごく一定で……静かな波みたい……。普通なら、私やリバロンの前に立てば心拍数が跳ね上がるはずなのに。この人の心音からは『早くサウナ入って冷たい酒が呑みてぇな』『床の書類をファイリングしたくてウズウズする』っていう、邪心ゼロの波形しか聞こえてこない……! 嘘をついてないよ、この人!」
「なんやてキャルルちゃん!?」
ニャングルが金算盤を放り出して身を乗り出した。
「嘘やろ!? このポポロ村の惨状を知ってて、純粋にサウナと仕事目当てで来たっちゅうんか!? おっちゃん、うちの村が今どんな状況か知らんわけやないやろ! 前村長のロップのクソ爺がな、村の防衛積立金――三大国への上納サブスク『暴行しない券』の資金、金貨五百枚を全額持って、魔族の若い未亡人と魔導飛行船で駆け落ちしよったんやぞ!」
「ええ、街道のタローソンで伺いました。大変でしたね」
「大変どころの騒ぎやないわ! 金庫はスッカラカン、来月の上納金が払えんかったら、帝国か魔皇国のどっちかが『不払い規約違反』を口実に村を更地に攻め込んでくるんや! そんな泥舟の管理人に、なんで自分から志願するんや!?」
ニャングルの切実な叫びに、俺は軽く肩を竦めた。
「前任のトップが横領して蒸発し、現場に焦げ付いた負債と混乱した帳簿が丸投げされる……。サラリーマンを二十年もやっていれば、二度や三度は通る道です。逃げた人間を追いかけても金は戻りません。まずは現状の資産と負債を棚卸しし、優先順位をつけて債権者とのリスケジュール交渉を行う。それが現場管理の鉄則でしょう」
「……っ!」
三人が息を呑んだ。
特にCFOのニャングルは、まるで砂漠でオアシスを見つけたような顔で目を輝かせている。
「佐伯さん……あなた、書類の整理や帳簿の締め直しができるのですか?」
「ええ。前世では表計算魔導ボード――エクセルという魔法のような道具を使い倒していましたからね。手書きの帳簿でも問題ありません。とりあえず、足元に散らばっている書類を片付けてもよろしいですか?」
「あ、どうぞ……!」
許可を得た俺は、腕まくりをして足元の書類の山へ手を伸ばした。
その瞬間――俺の体の奥底で、女神ルチアナが適当に付与したハズレスキル『管理人権限』がカチリと音を立てて起動した。
(……ん? 頭が妙に冴えるな)
視界に映る羊皮紙の文字が、まるで整然としたデータシートのように頭の中へ流れ込んでくる。
日付順、取引先別、緊急度別。
俺の両手は無意識のうちに超人的な無駄のなさで動き始めていた。
カサカサカサッ!と小気味よい紙の擦れる音が執務室に響き渡る。
赤字の督促状は赤バインダーへ、村の自警団の武器弾薬費は青バインダーへ、農作業の補助金申請は緑バインダーへ。
さらに、ポケットから取り出した百円ショップ由来の「インク内蔵式三文判(佐伯)」を取り出し、確認を終えた書類の決裁欄へリズミカルに押し込んでいく。
ポンッ、ポンッ、ポンッ、ポンッ!
「な、なんやその手際の良さは……!?」
「一週間放置されていた行政文書が、わずか五分で分類されていく……!」
驚愕するニャングルとキャルル。
だが、ただ一人、執事のリバロンだけは全く別の異変に気づいて戦慄していた。
リバロンの研ぎ澄まされた魔力知覚が、健太が三文判を押し込んだ瞬間に放たれた「超高密度の因果律波動」を捉えたのだ。
(ば、馬鹿な……!? あの安っぽい赤インクの印影から、天上の絶対調停機構……『聖獣機神ガオガオン』の基幹法廷OS『LEX-LUCIANA』の最上位承認シグナルが微かに漏れ出している……!? 書類に判を押しただけで、契約そのものを宇宙の絶対理として確定させただと……!? この男、本当にただの1馬力なのか……!?)
リバロンが内心で冷や汗をダラダラと流していることなど露知らず、俺はきれいにまとまった三つのバインダーを机の上にトンと揃えて置いた。
「キャルル村長、ニャングルさん、整理がつきました。結論から申し上げますと、村の財政は確かに火の車ですが、直ちに破綻する状態ではありません。前村長が持ち逃げしたのは『次年度の予備費』であり、当月の自警団運営費と食糧備蓄には手をつけていませんでした。さらに、三大国への上納金についても、契約書の第14条第3項に『不可抗力の天災および幹部職員の背任行為が発生した場合、三十日間の猶予期間を設ける』という条項が明記されています。この三文判で正式な事故報告書を提出すれば、来月末までの支払猶予は法的に100%勝ち取れますよ」
「……ほんまに!?」
ニャングルが目をひん剥いて契約書に食らいつき、「ほんまや……! 米粒みたいな注釈のところに書いてある……!」と叫んで飛び上がった。
「キャルル様! このおっちゃん、神様や! うちが三日三晩徹夜しても解けへんかった行政の結び目が、一瞬で解けてもうた!」
「健太さん……!」
キャルルが机から身を乗り出し、俺の手を両手でギュッと握りしめてきた。
ふわっと、甘い野イチゴのような香りが鼻先をくすぐる。
ウサギの耳が嬉しそうにパタパタと前後に揺れていた。
「採用です! 即採用! 今日からポポロ村役場の総務補佐官兼、ポポロ・コーポの専属管理人に任命します! お給料も求人票通り、銀貨三十枚出すよ! 絶対にどこにも行かせないからね!」
「ありがとうございます。助かります」
俺が胸を撫で下ろすと、キャルルはジッと俺の胸元を見つめ、うっとりとした笑みを浮かべた。
「ふふ……やっぱり、全然乱れない。私の前でこんなに穏やかな心音を響かせる人、初めて……。健太さん、ずっと私のそばで書類を見ててね……? ずっと、ずっとだよ……♡」
「……? ええ、契約期間中はしっかり勤め上げますよ」
妙に熱のこもった視線に若干の背筋の寒さを覚えつつも、俺はビジネスライクな笑顔で応じた。
隣ではリバロンが「……とんでもない怪物を引き入れてしまったかもしれん」と頭痛を堪えるようにこめかみを押さえている。
「では健太殿、早速ですがあなたの住居となる『ポポロ・コーポ』へ案内させましょう。自警団長のマンミアを呼びますので、鍵の引き渡しと建物の内見を行ってください」
「分かりました。大浴場のボイラー室とサウナの点検も兼ねて、さっそく見に行きます」
こうして、俺の異世界での職探しは無事に完了した。
念願の「家賃タダ、サウナ付き管理人室」の鍵を手に入れたのだ。
だが、俺はまだ知らなかった。
これから向かう木造三階建てアパート『ポポロ・コーポ』が、三大国の軍隊すら裸足で逃げ出すような、神話級の厄介者たちの巣窟であるという事実を――。
読んでいただきありがとうございます。
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