第一章 魔境ポポロ村の雇われ管理人〜ぬるいお茶とスリッパで神話の住人を躾けます〜
戦力1馬力のおっさん、100円ショップ近代化世界で求人票を拾う
人間、四十二年も生きていると、だいたいの修羅場には動じなくなる。
総合商社の総務部危機管理対策課長として、役員の派閥抗争の仲裁から、労働基準監督署の抜き打ち調査への対応、果ては深夜に怒鳴り込んでくる悪質クレーマーとの泥沼示談まで。胃に無数の穴を開けながら現場を回し続けた。
四十を前にして脱サラし、ビルメンテナンスと不動産管理会社の現場主任に落ち着いた後も、築四十年超のボロアパートで起きる漏水、ゴミ屋敷の清掃、夜逃げした住人の残置物処理、滞納家賃の回収と、俺の人生は常に「誰かが散らかした泥の始末」で埋め尽くされていた。
だから、三日三晩の徹夜作業を終えた朝、心臓がきゅっと縮んで意識を失ったとき、俺が抱いた最後の感想は実にシンプルなものだった。
(ああ……やっと、定時で帰れる……)
だが、現実はそう甘くなかった。
気がつけば、俺は見知らぬ真っ白な空間に突っ立っていた。
目の前には、コタツに入って小豆色の芋ジャージを着込み、煎餅をポリポリ齧りながら『エンジェルすまーとふぉん』を親指一本でスクロールしている金髪の女が一人。
「あー、佐伯健太さんねー? 過労死お疲れっしたー。えーっと、マンルシア大陸の転生枠、今月分のノルマがまだ一本足りてなくてさ。ちゃちゃっと行っちゃってくれる? はい、魂の初期化同意規約、一番下までスクロールして『同意する』に魔力タップしてねー」
「……あの、どちら様で?」
「あたし? この世界の創造神、世界神ルチアナちゃんだよ。あ、質問は受け付けてないから。今ね、地球の男性アイドル・朝倉月人君の限定ライブ配信が始まるところで秒刻みなの! はいポチッとな!」
「おい待て、せめて説明を――」
抗議する間もなく、芋ジャージの女神が適当に画面をスワイプした瞬間、足元に巨大な魔法陣が展開された。
全身を包む浮遊感の中、ルチアナの焦ったような声が微かに鼓膜を掠めた。
「げっ、やべっ! 初期ボーナスパラメータの桁、二つ打ち間違えた!? まあいいか、戦闘力なんて飾りだし! スキルも適当に前世の経歴から自動生成しといたから! 元気でねー!」
飾りじゃねえよバカ野郎。
そう叫ぼうとした瞬間、俺の視界は真っ青な青空へと切り替わっていた。
*
「……で、ここがどこだって?」
草むらに作業着姿のまま転がされていた俺は、深いため息をつきながら立ち上がった。
周囲を見渡せば、どこまでも広がる壮大な山脈と緑の平原――かと思いきや、少し歩いた先にはアスファルトのような硬質な舗装道路が走り、青と白の看板を掲げた見覚えのありすぎる建物が鎮座していた。
看板には大きくこう書かれている。
『街のオアシス・コンビニエンスストア タローソン』
「……タローソン?」
異世界転生といえば、中世ヨーロッパ風の石造りの街並みや、馬車が砂煙を上げて行き交う世界ではないのか。
呆気にとられながら自動ドアをくぐると、「チロリロリ〜ン」と軽快な入店音が鳴り響いた。
陳列棚には、おにぎりやサンドイッチ、棚一面のポテトチップスが綺麗に並んでいる。雑誌コーナーには新聞や週刊誌、さらには『ワンタッチ認印・三文判コーナー』まで完備されていた。
レジでぼんやりと雑誌を立ち読みしていた店員――犬の耳が生えた二十歳前後の青年――が、くたびれた作業着姿の俺を見て愛想笑いを浮かべた。
「いらっしゃいませー。おや、お客さん、見かけない顔っすね? 旅の人?」
「あ、ああ……ちょっと遠くからな。なぁ店員さん、ここは一体どういう世界なんだ? この店構えはどう見ても……」
「あはは! さてはお客さん、辺境から帝都に出てきたばかりっすね? ここはルナミス帝国の外縁街道ですよ。百数十年前に地球から召喚された初代皇帝・佐藤太郎様が、百円ショップとコンビニの流通革命を起こして以来、マンルシア大陸はどこもこんな感じっすよ。買い物なら現金か『ルナPay』が使えますんで!」
初代皇帝、佐藤太郎。
何者だその偉大すぎる先人は。異世界をまるごと日本のデフレ近代化経済に染め上げていきやがったのか。
とはいえ、文明が日本に近いのはありがたい。野宿で魔獣の餌になる心配はとりあえず免れそうだ。
問題は、俺自身の現在のスペックだった。
店の片隅に「無料簡易ステータス測定水晶」なるものが置かれていたので、恐る恐る手をかざしてみた。
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【氏名】佐伯 健太
【年齢】42歳
【種族】人間族(元・地球人)
【総合戦闘力】約1馬力(※大陸一般市民平均:20馬力)
【保有魔力】測定不能(皆無)
【保有闘気】測定不能(皆無)
【ユニークスキル】『管理人権限』
(※効果:建造物および敷地の清掃・原状回復が少し得意になり、書類の整理が捗る)
====================
「……おいおいおい」
思わず額を押さえて天を仰いだ。
戦闘力、たったの1馬力。一般市民平均が20馬力ということは、俺はその辺を歩いている町娘に小指で小突かれただけで肋骨が折れる計算になる。
しかもスキルは『管理人権限』。掃除と書類整理が少し得意になるだけの、完全無欠なハズレスキルだ。
あの芋ジャージ女神め、桁を二つ打ち間違えたとかほざいていたが、まさか100馬力にするはずの数値を「1」にして放り出しやがったのか。
チート能力で無双する冒険者ライフなど、最初から夢のまた夢だった。
「はぁ……胃が痛ぇな。転生初日からこれかよ」
習慣で胸ポケットに手を入れると、奇跡的に前世で愛用していた青箱のハード煙草とライター、それに会社の引き出しに入れていた胃薬の小瓶が入っていた。神の気まぐれか、あるいは魂の残置物か。
だが、金がなければ明日の飯にもありつけない。
俺は雑誌ラックから、無料配布されていた求人情報誌『タウンルナ』を引っ張り出し、レジ脇のイートインスペースでページをめくり始めた。
『帝都近衛騎士団・第4歩兵小隊:月給銀貨40枚! ※要・戦闘力150馬力以上、即死耐性持ち優遇』
――無理だ。即死耐性どころか、訓練初日の準備運動で心臓麻痺を起こす。
『魔導ファミレス「ルナキン」厨房スタッフ:時給銅貨8枚。深夜のドラゴンステーキ炎上処理あり』
――火傷で死ぬ。
どれもこれも、20馬力以上の屈強な異世界人を前提としたブラックな肉体労働ばかりだ。
ため息を吐きながら末尾の「地方・辺境特集」のページを眺めていたとき、ある求人広告が俺の視線に飛び込んできた。
『【急募! 村役場総務補佐 兼 集合住宅「ポポロ・コーポ」専属管理人】
・勤務地:三大国緩衝地帯・ポポロ村
・給与:月給銀貨30枚(約30万円相当)+歩合手当
・待遇:家賃・光熱費・魔導Wi-Fi完全無料(1階管理人室住み込み)!
敷地内大浴場&本格フィンランド式ロウリュサウナ使い放題!
・業務内容:村役場の書類整理、来客へのお茶出し、アパートの共用部清掃、家賃回収、電球交換等の雑務全般。
・アピール:前村長の急な退職に伴う緊急募集! 緑豊かなアットホームな職場で、のんびりスローライフを始めませんか?(地下核シェルター完備♡)』
「……ん?」
俺は思わず求人票を二度見した。
家賃、光熱費、魔導Wi-Fiがタダ。
住み込みの管理人室付きで、本格ロウリュサウナ付きの大浴場が使い放題。
仕事内容は書類整理とお茶出しとアパートの掃除。まさに俺の前世のキャリアそのものじゃないか。
最後の「地下核シェルター完備」という不穏極まりない一文と、ハートマークが猛烈に引っかかったが、まあ異世界だ。有事の際の防空壕くらいどこの村にもあるのだろう。
「なぁ店員さん、この『ポポロ村』ってのは、ここから近いのか?」
「へ? ポポロ村っすか?」
俺が求人票を指差すと、犬耳の店員はピタッと手を止め、まるで幽霊でも見るような目で俺を凝視した。
「お、お客さん……本気で言ってます? ポポロ村って、ルナミス帝国とレオンハート獣人王国とアバロン魔皇国のちょうどド真ん中にある、あの緩衝地帯のポポロ村っすよね?」
「ああ、そう書いてあるな。何か不味いところでもあるのか? 『アットホームな農村』って書いてあるが」
「アットホームって……いや、確かに住人の結束は異常に固いっすけど! あそこ、つい先週、前村長のロップの爺さんが、村の強盗サブスク『暴行しない券』の積立金を全額着服して、魔族の未亡人と魔導飛行船で高飛びしたばっかりなんすよ!?」
「……は? 強盗サブスク?」
「三大国から定期的にやってくる野盗や徴税官に『うちの村を襲わないでください』って毎月納める上納金のことっすよ! それを前村長が持ち逃げしたせいで、村の金庫はスッカラカン! しかも今は三大国の間でいつ全面戦争が起きてもおかしくない超火薬庫なんすから!」
店員は身振手振りを交えて必死に説明してくれたが、前世の中間管理職として修羅場をくぐり抜けてきた俺の脳内では、まったく別のフィルターを通して言語が変換されていた。
(なるほど……前任の支店長が横領してトンズラし、焦げ付いた負債と混乱した帳簿が丸投げされている状態か)
よくある話だ。
前世の総合商社時代にも、子会社の社長が愛人を囲って裏金をプールした挙句に蒸発し、俺が一人で現地に乗り込んで税務署と下請け企業への土下座行脚をしたことが二度ほどあった。
それに比べれば、やるべきことは極めて明確だ。
散らかった書類を片付け、帳簿を締め直し、住人のクレームを整理する。
何より――「家賃光熱費無料、サウナ使い放題、住み込み管理人室」の魅力には抗えない。
戦力1馬力の俺が、この広大な異世界で雨風をしのぎ、定時退勤ののんびりスローライフを手に入れるには、この条件以上の物件など二度と現れないだろう。
「店員さん、そこへ行く乗合馬車の停留所はどこだ?」
「……マジっすか。死んでも知らないっすよ……? 街道を東に三キロ行ったところに、定期便の魔導バス停がありますけど……」
「ありがとう。あ、ついでにこれ一本くれ」
俺はポケットに残っていた小銭――なぜか日本円の百円玉が通用した――をレジに置き、文房具コーナーに並んでいた「インク内蔵式の三文判(佐伯)」を一本買い求めた。
これさえあれば、どんな書類の検印も一瞬で済む。サラリーマンの魂のようなものだ。
*
ガタゴトと揺れる魔導バスに揺られること二時間。
鬱蒼とした森林地帯を抜け、視界が開けた瞬間、俺は車窓から見える光景に思わず目を疑った。
「……おいおい、あれのどこが『のどかな農村』なんだ?」
ポポロ村の境界線にそびえ立っていたのは、素朴な木の柵などではなかった。
泥と鉄板で分厚く補強された対戦車トーチカ群。張り巡らされた高圧魔導鉄条網。
畑仕事をしている農民たちをよく見れば、鍬や鋤の代わりに、全員が肩から『九九式魔導ボルトアクションライフル』を担ぎ、トラクターの代わりに装甲魔導牽引車で畑を耕している。
村の入り口の検問所には、土嚢が積み上げられ、巨大な重機関銃座が街道を睨みつけていた。
まさに、映画でしか見たことのない超重武装の限界集落。
バスの運転手が怯えきった声でアナウンスを入れた。
「ポ、ポポロ村前です! お客さん、降りるなら早くしてください! 長居すると自警団に蜂の巣にされますから!」
「はいはい、お世話様」
バスから降り立ち、砂埃舞う村のゲートへと歩み寄る。
すると、銃座の陰から屈強な獣人の門番たちが一斉に銃口を向けてきた。
「止まれッ! 何者だ! 帝国の回し者か、それとも魔皇国の工作員か!? 怪しい動きをしたら即座に眉間を撃ち抜くぞ!」
普通の人間なら失禁して逃げ出すところだろう。
だが、前世で暴力団紛いの地上げ屋や、包丁を振り回す狂乱クレーマーと対峙してきた俺にとっては、ただの「話の通じそうな警備員」にしか見えなかった。
俺は両手を軽く挙げ、胸ポケットから折りたたんだ求人票をスッと取り出して見せた。
「怪しい者じゃないですよ。タウンルナの求人を見て面接に来ました、佐伯健太、四十二歳です。ポポロ・コーポの管理人と、村役場の総務の募集はこちらで合ってますかね?」
門番たちは呆気にとられ、銃口を下げて顔を見合わせた。
「……は? 求人……? おい、本当に応募してきた奴がいるぞ……!」
「正気か!? この魔境にわざわざ自分から飛び込んでくるなんて……ただの人間族に見えるが、とんでもねぇ手練れなんじゃないか!?」
手練れも何も、戦闘力はたったの1馬力である。
門番の一人が慌てて魔導通信機に怒鳴り込み、やがて門が開かれた。
「案内する! 村長公邸へ行け! 新村長のキャルル様がお待ちだ!」
機関銃の間を通り抜け、村の中心部へと足を踏み入れる。
道すがら目に入ったのは、ペンキの剥げかけたレトロな木造三階建てアパート――『ポポロ・コーポ』の看板だった。
一階の管理人室の窓ガラスは少し曇り、庭の手入れも行き届いていないが、建物自体はしっかりとした造りだ。屋根の奥には、確かに大浴場らしき煙突と、サウナ小屋の屋根が見える。
(悪くないな。掃除のしがいがある)
DIY魂が静かに疼くのを感じながら、俺は案内されるがまま、村役場を兼ねた村長公邸の重い扉を押し開けた。
ここから、俺の異世界でのセカンドライフが始まる。
目指すは定時退勤と、サウナ上がりの冷たい晩酌。
そのためなら、どんな厄介な書類も、どんな狂暴な住人も、きっちり昭和の管理規約で躾けてやるまでだ。
読んでいただきありがとうございます。
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