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『戦力1馬力のおっさん管理人、魔境の村で静かに暮らしたい〜ぬるい茶と三文判で神や竜王を手懐けていたら世界の黒幕に〜』   作者: 月神世一


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EP 2

電卓ダコの熱き連帯と、深夜のサケスキー陽薬茶割り

 木造モルタル三階建てアパート『ポポロ・コーポ』一階、管理人室の六畳間。

 普段なら青箱のハード煙草の紫煙がゆるゆると漂い、庭先の秋風に揺れる長閑な空間のはずだが、いまやそこは修羅場を極めた深夜の経理部特設監査室と化していた。

 カチカチカチカチッ! タターンッ!!

 パチパチパチッ! ガガガガッ、ターンッッ!!

 六畳間に響き渡るのは、耳を劈くような凄まじい打鍵音。

 ちゃぶ台の片側には、アバロン魔皇国の四天王筆頭にして総務経理統括部長、炎魔将軍グレン(推定一万馬力)が、畳に正座して巨躯を丸めていた。

 二本の猛々しい黒角の間に「納期厳守」と朱書きされたハチマキを巻き、両腕にはタローマンのロゴ入り黒腕カバー。

 その赤黒く盛り上がった太い人差し指と親指の腹には、長年電卓を狂ったように叩き続けてきた者だけに宿る、岩のように分厚い「電卓ダコ」が痛々しく隆起している。

 グレンは右手に持ったミスリル削り出しの特注スタイラスペンで、膝の上に広げた『表計算魔導ボード』のセルを光速で連打していた。

「クソッ……! 『地球・福岡ドーム公演プレミアム最前列VIP席』の購入代行手数料が、為替レートの変動で三割増しになっておる……! しかも領収書の宛名が『永遠の十七歳・漆黒の堕天使ラスティアたん様』だと……!? こんなふざけた宛名の私的領収書、国家予算のどこの勘定科目に振り替えればいいのだぁぁぁッ!!」

 ボリボリボリッ! ガリボリッ!!

 グレンは叫びながら、机の上の業務用特大ボトルから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を三粒鷲掴みにし、噛み砕いては飲み下した。

 胃壁の悲鳴が聞こえてきそうな壮絶な光景。

 その対面で、俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)もまた、老眼鏡を鼻先にかけ、自前の表計算魔導ボードを流れるような指さばきで叩いていた。

「グレンさん、焦るな。エンターキーを親の仇みたいに殴るんじゃない。魔導ボードの感圧センサーがイカれたら、原状回復費用が嵩むぞ」

「だ、だが佐伯殿! 今月末の三大国合同決済期日まで、あと三日しかないのだぞ! この穴埋め処理が通らねば、魔皇国の国債金利が跳ね上がり、来期の道路補修どころか兵舎のトイレットペーパー代すら枯渇するのだ!」

「だからこそ、科目の仕分けを冷静にやるんだよ」

 俺は赤ペンを回し、手元の羊皮紙の伝票を指先で弾いた。

「そのVIP席のチケット代金貨一万枚はな、そのまま落とそうとするから監査で跳ねられるんだ。名目を『異世界情勢把握および高度空間転移技術の実地観測研修費』に書き換えなさい。アクリルスタンドと限定ペンライト代金貨五千枚は『異文化交流におけるプロパガンダ資材のサンプル調達費』。……そして、問題の赤スパチャ三万五千枚だ」

「そ、それはどう言い繕っても、ただの投げ銭ではないか! 地球の若手男性アイドルに、国家予算を湯水のように注ぎ込んだ紛れもない横領だぞ!」

「名目など、帳簿の上ではいくらでも作れる。『多次元通信網における魔導情報トラフィックの負荷耐性ストレステスト実施費用』で通すんだよ」

「な……ッ!?」

 グレンが目を剥き、表計算魔導ボードを落としかけた。

「多次元通信網の……ストレステスト……!? ば、馬鹿な、あんな私利私欲のスパチャ乱射が、通信インフラの負荷実験として通るのか……!?」

「通すんだよ。実際に異世界間通信で莫大なマナ情報が送受信された事実には違いないだろう。現場の総務ってのはな、上がやらかした大赤字を、いかに合法的な名目へロンダリングして監査の目を潜り抜けさせるかのパズルゲームなんだよ。……前世の俺も、専務が銀座のクラブで一晩百万円溶かした領収書を『東南アジア市場進出に向けた深夜帯マーケティング調査費』として通したことが三回はある」

「さ……佐伯殿ォォォォォッッ!!」

 グレンは机の上に両の手のひらを叩きつけ、燃え盛る溶岩のような涙をボロボロと畳の上に零した。

「神だ……! 貴殿は現場の神だ……ッ! 我が国の監査室の小役人どもは『規定にありません』『前例がありません』と突き返すばかりで、現場で泥をかぶる私の苦衷など一ミリも理解してくれなかった! それを……こんなにも美しいロジックで、完璧な帳尻を合わせてくれるとは……ッ!!」

 その横の万年床の上では、アバロン魔皇国筆頭宰相ルーベンスが、安物の煎餅布団にくるまりながら「うぅ……三日ぶりの横臥……畳の匂いがする……死後の世界はこんなにも静かなのか……」と、完全に生き返った死人のような顔で微かな寝息を立てていた。

 極限の四徹から解放された美形宰相は、もはや起き上がる気力すら残っていないらしい。

「よし、伝票の再仕分けはこれで九割完了だ。……グレンさん、表計算魔導ボードを一旦閉じなさい。もう深夜一時を回った」

「え……? し、しかし、まだ集計のクロスチェックが――」

「深夜の残業中に疲れた頭で数字を弄ると、桁を一つ間違えて余計な大惨事を生むのがオチだ。現場の鉄則だぞ。……飯にしよう」

 俺がそう言って立ち上がると、グレンの腹が「グゥゥゥゥゥッ」と地鳴りのような凄まじい音を立てて鳴り響いた。

 魔王軍四天王筆頭の巨漢が、気まずそうに赤黒い頬を染める。

「す、すまん……。ここ三日間、胃薬と冷め切った泥水のような代用茶しか口にしていなかったものでな……」

「だろうな。……ちょっと待ってろ、今すぐ作ってやる」

      *

 管理人室の小さな流し台に立ち、俺は手早く段取りを組んだ。

 深夜の胃腸に負担をかけず、それでいて徹夜の疲労とストレスで擦り切れた神経を内側から力強く癒す夜食。

 戸棚から取り出したのは、泥沼農園から届いた新鮮な肉椎茸の特大サイズと、奇樹ネギオから届いたばかりの聖葱剣『ネギカリバー』。

 トントントンッ、と心地よい包丁の音が狭い台所に響く。

 肉椎茸の肉厚な傘を一口大の角切りにし、石づきの部分は繊維に沿って細かく手で裂いて出汁用に回す。ネギカリバーの極太の白い茎は、斜めに厚めにスライスした。

 卓上七輪の炭火を熾し、小さな鉄鍋を乗せる。

 タローマートで仕入れてきた上質なオーク豚の脂身を少量放り込むと、ジュウゥゥッ!と香ばしい脂の焼ける音が立ち上った。

 そこへ、ネギカリバーと肉椎茸を一気に投入。

 強火の炭火で表面にうっすらと焦げ目がつくまでサッと炒め、香ばしさを引き出す。

 仕上げに、村特産の醤油草から引いた天然醤油、料理酒代わりのイモッカ、そして少量の粗糖を合わせた特製甘辛タレを回し入れた。

 ジュワワワワワワワッッッ!!

 途端に立ち込める、焦がし醤油とネギの芳醇なアロマ、そして椎茸の分厚い肉汁の香り。

 六畳間に充満したその暴力的な匂いに、万年床で仮死状態だったルーベンスが「ハッ!?」と鼻をピクつかせ、グレンの喉仏がゴクリと大きく上下した。

「お待たせ。今夜の夜食は、『肉椎茸とネギカリバーの焦がし醤油七輪焼き』だ。……それと、グレンさん。これを行こう」

 俺がちゃぶ台の上へコトッと置いたのは、二つの厚手のガラスロックグラスと、茶色の陶器ボトル。

 ポポロ村の地下貯蔵庫で熟成された、度数四十度の濃厚な麦トウモロコシ蒸留酒――地酒『サケスキー』である。

 だが、冷たい水で割るのではない。

 俺は保温魔法水筒から、人肌温度(三十七度五分)に保たれた「ぬるい陽薬茶」をトクトクトクとグラスへ注ぎ、サケスキーと一対一の黄金比で割った。

 立ち上る、薬草の素朴な香気と、オーク樽熟成の甘やかなアルコールの湯気。

「サケスキーの、陽薬茶割り……? 酒を……ぬるいお茶で割るのか……?」

「胃が荒れてる時に冷たい炭酸水や強い原酒を流し込んだら、胃壁がただれるぞ。人肌に温めた陽薬茶で割ることで、アルコールの角が取れて、胃袋を優しく温めながら神経を鎮めてくれるんだ。……さあ、乾杯しましょう。お疲れ様でした、グレンさん」

 カツン、と厚手のグラスがぶつかり合う。

 グレンはゴツゴツとした巨大な手でグラスを包み込み、恐る恐る口をつけた。

 ズズッ……ズズズッ……。

「………………ッッッ!!」

 一口含んだ瞬間、炎魔将軍の強張っていた肩の筋肉が、ふっと音を立てて脱力した。

 熱すぎず、冷たすぎない、絶妙な人肌のぬるさ。

 薬草の穏やかな苦味と甘みが、サケスキーの重厚なコクを柔らかく包み込み、喉を通るたびに、キリキリと鉄の鉤爪で引っ掻かれていたような胃壁の痛みが、じんわりと解けていく。

「あ……温かい……。身体の芯の、あの凍りつくような焦燥感が……すーっと引いていく……」

「ほら、冷めないうちに椎茸を口に入れなさい」

 促されたグレンは、割り箸を割り、熱々の鉄鍋から角切りの肉椎茸を一切れ挟んで口へ放り込んだ。

 ハフッ……もぐっ……。

「………………ッッッッッ!!!!」

 噛み締めた瞬間、グレンの真っ赤な巨躯がビクンと跳ね上がった。

 ジュワッ!と弾け飛ぶ、キノコとは思えない濃厚な肉汁エキス。

 肉厚な弾力はまるで上質な牛ハラミ肉のようで、そこに焦がし醤油の香ばしさとオーク豚の甘い脂が絡みつき、口内を暴力的なまでの旨味で満たしていく。

 すかさず、厚切りのネギカリバーを放り込む。

 シャキッ!とした歯ごたえとともに、加熱されて極限まで甘みを増したネギのエキスが溢れ出し、タレの濃厚さを完璧に引き締める。

「う……美味い……! なんだこれは……!? キノコとネギが、肉よりも力強く五臓六腑を叩いてくるぞ……! タレの甘辛さが、サケスキーの陽薬茶割りと完璧に噛み合って……止まらんッ!!」

 グレンは夢中で箸を動かした。

 一切れ、また一切れと口へ運び、サケスキーの陽薬茶割りをゴクリと喉へ流し込む。

 万年床から這い出してきたルーベンスも、震える手で小皿を受け取り、「う、美味い……出汁が……醤油の焦げた匂いが、脳の死んだ細胞を呼び覚ますようだ……」と涙を流しながら貪り食っている。

 あっという間に鉄鍋は空になり、二人は満ち足りた長い長い吐息を漏らした。

「……ふぅぅぅぅぅっ」

 グレンが空になったグラスを置き、自分の右手をじっと見つめた。

 人差し指の、カチカチに固まった電卓ダコ。

 魔王軍最強の破壊神と恐れられながら、裏では毎日電卓と伝票の山に埋もれ、誰からも感謝されることなく胃薬を噛み砕き続けていた男の目が、赤く潤んでいた。

「……佐伯殿」

「何です、グレンさん」

「わかるのだな……貴殿には。上の者が思いつきで放漫な命令を下し、現場の実務者が血反吐を吐いて帳尻を合わせる、この理不尽な苦しみが……」

「わかるも何も、俺の前世の二十年間そのものですよ」

 俺は青箱のハード煙草に火をつけ、紫煙を天井へと細く吐き出した。

「上の人間ってのはな、夢を語るのが仕事だと思ってる節がある。『我が国の威信を示せ』だの『推しを宇宙一にする』だの、耳触りのいいスローガンを掲げて予算をパーッと溶かす。だがな、その夢の足元にある泥をさらい、下請けに頭を下げて金を工面し、現場のインフラを維持しているのは、いつだって俺たちみたいな中間管理職の胃壁なんだよ」

「う……うむ……! 全くその通りだ……ッ!」

 グレンが膝を叩き、激しく首を縦に振った。

「ラスティア様は『余の国勢調査では、民も月人君を応援しておる!』などと宣うが、実際に道路が陥没して泥まみれになっているのは農村の物流なのだ! それを指摘すれば『グレンは心が狭いぞ、もっと大局を見よ』とゴスロリのスカートを翻して逃げ出す始末……! 私は……私は魔王軍四天王を辞めて、ポポロ山でスアイのように木こりになりたいと何度思ったことか……ッ!」

「逃げ出したい夜もあるさ。だが、グレンさんが踏みとどまって電卓を叩いているから、魔皇国の何万人もの国民が今日も飯を食えてるんだ。あんたのその電卓ダコはな、どんな英雄の勲章よりも誇らしい現場の証だよ」

「佐伯……殿ぉぉぉぉぉぉぉッッ!!」

 グレンはちゃぶ台に額を擦り付け、子供のように号泣した。

 二メートルを超える屈強な魔族の巨漢が、四十男の言葉に魂を救われ、涙と鼻水を撒き散らして震えている。

 種族も世界も関係ない。

 現場で泥をかぶり、胃を痛め抜いた男同士にしか通じ合えない、絶対の連帯感がそこにあった。

「よしよし、泣くなグレンさん。明日の朝、帳簿の最終調整を終わらせたら、女子棟一〇三号室へ突撃するぞ。……魔王陛下に、きっちり現場のケジメをつけてもらう」

「うむっ! 貴殿と共になら、私は魔王陛下相手でも一歩も引かんぞ!」

 グレンが力強く拳を握りしめ、顔を上げた。

 その目には、徹夜の疲労を吹き飛ばす、中間管理職の不屈の闘志が宿っていた。

      *

 深夜二時過ぎ。

 管理人室の灯りを落とし、万年床で泥のように眠るグレンとルーベンスの寝息を聞きながら、俺は縁側で冷たい夜風を浴びていた。

 胸ポケットの中で、ウサギ村長キャルルの『人参柄刺繍ハンカチ』が、俺の平穏な心音を確かめるように、トクン……トクン……と微弱な温もりを伝えてきている。

 空を見上げれば、満天の星空の下、ポポロ村の静寂が広がっていた。

 魔皇国の予算流用問題は、これで解決への道筋がついた。

 だが――俺の長年の勘が、微かな胸騒ぎを告げていた。

 魔皇国がこれほどの大混乱に陥っているということは、国境を接する残りの二大国――ルナミス帝国とレオンハート獣人王国が無風で済んでいるはずがないのだ。

 案の定、その頃――

 ポポロ村へ続く街道の闇夜の中を、それぞれ別の馬車に乗った二人の「極限まで胃を痛め抜いた中年内務官たち」が、血相を変えて激走していたのだった。

読んでいただきありがとうございます。

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