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『戦力1馬力のおっさん管理人、魔境の村で静かに暮らしたい〜ぬるい茶と三文判で神や竜王を手懐けていたら世界の黒幕に〜』   作者: 月神世一


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EP 9

神樹盆栽『心平』の朝露と、後光ハゲ主神の特級決済認可

 どれほど胃が痛む夜を過ごそうと、どれほど神界の理不尽に打ちのめされようと、太陽は東の山並みから昇り、朝露は平等に草木を濡らす。

 午前六時整。

 木造モルタル三階建て『ポポロ・コーポ』一階、管理人室の庭先に面した縁側。

 爽やかな秋風が、黄色く色づき始めたポポロ山の木々を優しく揺らしていた。

 俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、作業着の袖をまくり、縁側に置かれた小さな木製作業台の前に腰を下ろしていた。

 その隣で、正座のまま身を強張らせ、固唾を呑んで作業台を見つめているのは、昨夜管理人室で号泣しながら胃薬を貪り食っていた天界の主神――星区統括リーダーのオリンその人である。

 手入れのされていない安物の量産型スーツは皺だらけのままだが、昨夜俺が淹れた「ぬるい陽薬茶」と肉椎茸のバター醤油焼きのおかげで、土気色だった顔色には幾分か血色が戻っていた。

 そして、二人の視線の先――作業台の中央に鎮座していたのは、一鉢の極めて珍妙な盆栽だった。

 手のひらに収まるほどの素焼きの小鉢。

 そこに根を張っているのは、天界にそびえる樹齢三千年の神霊樹から株分けされたという極小のミニチュア神樹――オリンの唯一の心の友にして癒やしである、盆栽『心平(しんぺい)』だ。

 ……なのだが、日頃のオリンの極限ストレスとネガティブな神気を浴び続けたせいか、葉先は茶色く縮れ、幹の肌はカサカサに乾き、全体から「もう定時で帰りたい……」とでも言いたげな悲壮感が漂っていた。

「うぅ……心平……すまない、私の不徳の致すところだ……。私の心の淀みが、お前の葉脈まで枯らしてしまっていたのだな……。ルチアナ様やカグヤ様からの理不尽なハラスメントに耐えかね、夜中に暗い部屋で一人、お前を前にブツブツと愚痴をこぼしていた私のせいだ……」

 オリンがスキンヘッドの後光をチカチカと点滅させながら、ボロボロと大粒の涙をこぼしそうになる。

 俺は作業着の胸ポケットから、天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと噛み砕いてから、オリンの頭を丸めたルナミス新聞で軽く小突いた。

 パシッ。

「朝っぱらから縁側で通夜みたいな顔をするな、オリンさん。植物ってのはな、言葉を理解しなくても育ててる人間のメンタルをそのまま吸い上げるんだ。あんたがそんな顔をしてたら、治るもんも治らんぞ」

「さ、佐伯君……っ。だが、神霊樹の極小株だぞ? 天界の最高級神聖肥料でも葉の色が戻らなかったのだ、下界の泥土でどうにかなるものか……」

「なるんだよ、現場の知恵を舐めるな。……今朝の五時半、村外れの廃工房へ行って、奇樹のネギオ先生から特製の活力液を分けてもらってきたんだ」

 俺が工具箱から取り出したのは、ガラスのアンプルに入った、鮮やかなエメラルドグリーンに輝く謎の液体だった。

 インテリ奇樹ネギオが、聖葱剣『ネギカリバー』の成長点を特殊抽出して調合したという、植物専用の超高濃度バイオ活力液『ネギオ・アミノ・チャージャー』である。

「オリンさん、よく見なさい。この心平が弱っている原因は、肥料不足じゃない。『過干渉』と『根詰まり』だ」

「か、過干渉……!?」

「そうだ。あんた、深夜に仕事のストレスが限界に達するたびに、この鉢に水をやり、毎日のように小バサミで枝をいじくり回していただろ」

 オリンが「ギクッ!」と背筋を凍らせた。図星だったらしい。

「植物の根っこにも、人間と同じで『息をつく隙間』が必要なんだよ。常に土が水浸しで、夜な夜なハサミで突っつかれてちゃ、根腐れを起こして酸欠になるのは当たり前だ。……前世の会社にもいたよ。部下の仕事が心配でたまらないあまり、五分おきにデスクの横に立って『進捗はどうだ?』『そのフォントは違うだろ』と口を出して、結果的に若手を潰してしまう過干渉な係長がな」

「う……ぐぅぅぅっ……! 耳が痛い……胃が破裂しそうだぁぁぁっ……!」

 オリンが胸を押さえて悶絶する。

 俺は苦笑しつつ、竹べらを手にして素焼き鉢の縁をトントンと軽く叩いた。

 鉢からするりと抜け出た心平の根は、予想通り、黒く変色した古い土にガチガチに締め付けられていた。

「ほら、古い土を三分の一ほど落としなさい。黒くなった腐れ根をハサミで切り落とし、新しい空気を吸わせてやるんだ。……大丈夫、芯の主根は生きてる。あんたが愛情を注いでいたこと自体は、この木にもちゃんと伝わってるさ」

「佐伯君……っ」

 オリンは震える手で小さな剪定バサミを握り直した。

 俺が横から手取り足取り角度を教えながら、痛んだ根をパチン、パチンと切り落としていく。

 そして、ドンガン地下帝国の通気性抜群の多孔質軽石を鉢底に敷き、ポポロ村の腐葉土とネギオの土壌菌をブレンドした新しい用土で優しく根を包み込んだ。

 仕上げに、竹串で土の隙間をつつき、根の間に土を行き渡らせる。

「よし、植え替え完了だ。……で、ここからが決め手だぞ」

 俺はアンプルの先端を折り、ジョウロの水に『ネギオ・アミノ・チャージャー』を三滴垂らした。

 ふわりと立ち上る、爽やかな高原の朝露のような薬草の香り。

 細口のジョウロから、鉢底から澄んだ水が溢れ出るまで、たっぷりと、静かに注ぎ込む。

 ジュワワワワ……ッ……。

 その瞬間だった。

 ピキッ……ピキピキッ……!

 素焼きの小鉢の中から、目に見えるほどの生命の脈動が立ち上がった。

 茶色く縮れていた神樹の葉先が、まるで乾いた喉を潤すようにピンと張り詰め、みるみるうちに鮮烈な若草色へと蘇っていく。

 カサついていた樹皮には瑞々しい樹液が巡り、朝日に照らされた葉の表面から、キラキラと眩い純白の神聖マナの粒子が、朝霧のように立ち上り始めたのだ。

「あ……あぁ……っ!?」

 オリンが目を見開き、両手で口元を覆った。

「し、心平が……笑っている……!? 三千年樹の神気が……こんなにも澄み渡って……! あぁ、葉が……葉が喜んで朝の光を浴びているよぉぉぉっ!!」

「よし、大成功だな。……オリンさん、手入れのコツは『信じて放っておく勇気』だ。風通しのいい半日陰に置いて、土の表面が乾くまで余計な水を与えない。たまに葉水をシュッと吹きかけてやるくらいで十分だ。手を出したくなる衝動をグッと堪えて見守るのが、いい管理者の仕事だよ」

「信じて……放っておく……勇気……っ!」

 その言葉が、オリンの張り詰めていた魂の深奥を撃ち抜いた。

 盆栽のことだけではない。

 ルチアナの放漫、カグヤの我儘、五聖獣の暴走、上層部からのノルマ……すべてを自分の責任だと抱え込み、胃に穴を開けながらコントロールしようとして自滅していた、中間管理職としての己の愚かさと孤独が、朝の光の中に綺麗さっぱり洗い流されていく。

「佐伯君……ぅぅ……! 君は……君という男は、どうしてそこまで他人の心の痛みが分かるんだ……っ!!」

 オリンは縁側に額を激突させ、嗚咽を漏らして泣き崩れた。

 神界の主神が、1馬力のくたびれた四十男の足元で、完全に魂を救済されて平伏している。

「大袈裟だな、ただの園芸指導ですよ。……ほら、泣いてないで朝飯にしましょう。腹が減ってちゃ、天界へ戻る気力も湧かんでしょう」

 俺は作業着の膝を払い、台所から湯気を立てるお盆を運んできた。

      *

 縁側のちゃぶ台の上に並べられた、素朴極まりない朝食の膳。

 炊きたての米麦草の白飯に、泥沼農園の肉椎茸の軸で出汁を取り、薄切りにした豆腐と油揚げ、そしてネギオの『ネギカリバー』を贅沢に散らした熱々の味噌汁。

 皿には、タローマートの塩漬け白菜と、七輪の残り火でサッと炙った肉椎茸の網焼きステーキ。表面にパラリとドンガン岩塩を振り、醤油草の天然醤油を数滴垂らしただけの、香ばしい一皿だ。

 仕上げに、人肌温度(三十七度五分)に温められた「ぬるい陽薬茶」が湯呑みに注がれている。

「ほら、食いなさい。胃を労る朝飯だ」

「い、いただきます……っ」

 オリンは震える手で箸を割ると、まずは熱い味噌汁を一口啜った。

 ズズッ……ズズズッ……。

「………………っ!」

 ネギカリバーの鮮烈な甘みと、肉椎茸の暴力的なまでの滋味深い出汁エキスが、喉を通り、荒れ果てていた胃壁を優しく撫で下ろしていく。

 続いて、炙り肉椎茸を口へ運ぶ。

 ジュワッ!と弾けるキノコのジューシーな旨味と、焦がし醤油の香ばしさ。

 白飯をかき込み、最後にぬるい陽薬茶を喉へ流し込むと、オリンの頭頂部から――パァァァァァァッッッ!!と、もはや蛍光灯どころではない、神々しいまでの黄金の神光が吹き上がった。

「美味い……! 五臓六腑が……全身の細胞が、歓喜の産声を上げている……! 胃が……胃の痛みが、完全に消えた……!?」

 一粒も残さず平らげ、湯呑みを置いたオリンは、背筋をピンと伸ばした。

 目の下に張り付いていたどす黒い三重の隈は綺麗さっぱり消滅し、肌は生まれたての赤ん坊のようにツヤツヤと光を弾いている。

 中間管理職の亡霊から、真の威厳を取り戻した最高神への完全復活だった。

「佐伯健太殿」

 オリンの声から、情けない震えが完全に消え去っていた。

 重厚で、澄み渡るような、星区統括リーダーとしての本来の神威に満ちた声。

「君が私にしてくれたこと……五聖獣の不祥事の現場処理、同人誌の証拠隠滅、ガオガオンの機能回復。そして何より、この私の傷ついた心と胃壁を救い、心平に再び命を吹き込んでくれた恩義……言葉では到底言い尽くせん」

「いや、俺はただの管理人として、アパートと周囲の環境を整えただけですよ」

「その『当たり前の管理』こそが、神界のいかなる奇跡よりも尊いのだ! ……受け取ってくれたまえ、佐伯殿」

 オリンが右手を胸元にかざすと、その手のひらから、眩い白銀と黄金が混ざり合った神聖な光の結晶が現れた。

 光が収まると、そこにあったのは――純銀とミスリルで鍛え上げられた、ポポロ・コーポの鍵を模した重厚なメダルだった。

 中央には、神界の最高司法紋章と、佐伯健太の名が古代神聖文字で刻み込まれている。

「これは……?」

「大宇宙管理局・星区統括リーダー権限に基づく、『神界公認・最上位特級決済認可章』だ。……君の持つユニークスキル『管理人権限』に、神界直轄の正規行政コードを正式に付与・統合した」

 キィィィィィン……ッッッ!!!!

 メダルが淡い光の粒子となって、俺の作業着の胸ポケット――愛用のインク内蔵式三文判(佐伯)の中へとスルスルと吸い込まれていった。

――ユニークスキル『管理人権限(最上位稟議決裁)』システムアップデート。

――神界統括OS『SELESTIA-CORE』および基幹法廷OS『LEX-LUCIANA』の【恒久的特級決裁権限】を直結認証。

――事象:佐伯健太が捺印した全文書に対し、神界・三大国・魔界を問わず『最高神令と同等の絶対拘束力』を正式付与します。

「おいおい……とんでもない権限を押し付けてくれたな」

 俺が思わず苦笑いすると、オリンは満足そうに破顔した。

「君になら、全幅の信頼を置いて預けられる。……これがあれば、ルチアナ様やカグヤ様がどれほど下界で無茶な契約を結ぼうと、君の三文判一つで『却下・差し戻し』が可能だ。神々の暴走を止めるストッパーとして、存分に使ってくれたまえ」

「……まぁ、アパートの平穏を守るためなら、遠慮なく使わせてもらいますよ」

 俺が胸ポケットの三文判を軽く叩くと、オリンは作業台の上の盆栽『心平』を愛おしそうに両手で抱え上げた。

 その背中から、眩い純白の翼がふわりと広がる。

「さて、私も天界の執務室へ戻るとしよう。……ふふ、今日からは、どれほど理不尽な書類が舞い込もうと、この心平と君のぬるいお茶の味を思い出せば乗り越えられそうだ。佐伯殿、またサウナに入りに来てもよいかね?」

「ええ、いつでもどうぞ。日帰り入浴料は銀貨一枚ですがね」

「ははは! 喜んで払おう! それではな、名管理人殿!」

 シュウウゥゥンッ!と柔らかな光の柱とともに、オリンは天界へと帰還していった。

 庭先に残されたのは、澄み切った秋の朝風と、静かな縁側だけだった。

      *

「ふぅ……。嵐のような上司だったな」

 俺が青箱のハード煙草に火をつけ、紫煙を青空へと燻らせた、その時だった。

「佐伯さぁぁぁぁぁんッッ!!」

 中庭の敷石をドタバタと力強く踏み鳴らし、血相を変えて走ってきたのは、黄金の獅子の鬣を持つ巨漢――A棟二〇二号室の住人、聖獣ガオンだった!

 昨晩までのあのボロボロの引きこもり姿が嘘のように、全身をピカピカの白銀と黄金の装甲で固め、その表情には歴戦のリーダーとしての凛々しい覇気が満ち溢れている。

 手には、分厚い羊皮紙のファイルが握りしめられていた。

「ガオンさん、おはようございます。胃の具合はどうです?」

「佐伯さん! 昨夜の雑炊のおかげで、胃壁は完全に超回復しました! ……それより、見てください!」

 ガオンが指差した中庭の物干し場。

 そこには、昨日の地獄のコンプラ面談と俺の説教を経て、見違えるように規律正しくなった四柱の聖獣たちの姿があった。

 タローマン製の白い割烹着を身に纏い、神聖火炎を極限まで絞って物干し竿の除菌スチームがけに励む南天の朱雀。

 金縁眼鏡を光らせ、完璧な表計算関数で村役場の過年度伝票を秒速で電子化していく東天の青龍。

 背中に二〇〇キロの補強アングル材を背負い、鼻歌交じりで側溝のヘドロをすくい上げる西天の白虎。

 そして、ヘアバンドで前髪を上げ、爽やかな笑顔で崖崩れの巨岩を風船のように軽々と浮かべて村人たちとハイタッチを交わす北天の玄武。

「あいつらが……朝の点呼に全員定時で整列し、私に向かって『リーダー、昨日はご迷惑をおかけしました!』と直立不動で頭を下げてきたのです……!」

 ガオンが感極まったように声を震わせる。

「朱雀のサークルクラッシャーも、青龍たちの痴話喧嘩も、完全に消え去りました! 先ほど行った生体シンクロ率テスト……驚異の九九・八パーセントを記録したのです! これなら……これなら今夜、絶対調停機構『聖獣機神ガオガオン』の完全合体再起動シークエンスが実行できますッ!!」

「そうか。良かったな、ガオンさん。あんたの胃痛が報われたよ」

 俺が微笑むと、ガオンの背後から、パタパタと便所サンダルを鳴らしてリキ兄貴(陸奥騎麟)が歩み寄ってきた。

 朝日に眩く輝く巨大な金髪リーゼントをクイッと撫で付け、白い歯をニッと光らせる。

「ガハハ! 聞いたぜガオン! 今夜、久々にデケぇ花火を打ち上げるそうじゃねぇか! おい健太のオッサン、合体テストが無事に成功したらよぉ……今夜は男連中総出で、コーポのサウナと美味ぇ酒で盛大に打ち上げと行こうぜ!」

「いいねぇ、賛成だ。デュークさんの特製チャーシューと、スアイの開拓村から届いた『マイ茄子』の水風呂を用意しておこう」

 秋晴れの澄んだ青空の下、男たちの力強い笑い声が中庭に響き渡る。

 五大聖獣の絆の再生、そして『聖獣機神ガオガオン』の完全復活の時が、すぐそこまで迫っていた。

読んでいただきありがとうございます。

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