EP 6
有害図書の強制シュレッダーと、男たちの泥臭い再教育
共同談話室での「四神個別コンプラ面談」を終えた午後三時過ぎ。
木造モルタル三階建て『ポポロ・コーポ』の中庭には、先ほどまでのドロドロとした時空の歪みも重力異常も綺麗さっぱり消え失せ、からりとした秋晴れの青空が広がっていた。
だが、現場の総務課長にとって、「面談で反省文を書かせた」などというのは業務全体の三割に過ぎない。問題の根っこにある火種――すなわち、諸悪の根源である物理的証拠を完全に処分し、二度と再発しないよう現場を隔離・定着させるまでが危機管理というものだ。
「リキ兄貴、台車は回せたか?」
「おうよ健太のオッサン! 役場の地下倉庫とタローソンのバックヤードから、残りのブツを根こそぎかき集めてきたぜ!」
ガタゴトと重たい車輪の音を響かせ、黄金ジャージ姿の巨大リーゼント聖獣・リキ兄貴が押してきたのは、ドンガン重工製の頑丈な鋼鉄製台車だった。
その荷台には、ド派手なショッキングピンクの装丁が施されたダンボール箱が、実に十五箱もうず高く積まれていた。
箱の側面には、あの忌々しいタイトル――『神界激震スクープ同人誌:聖獣機神ガオガオンの社内恋愛事情は辛いよ。〜南天の紅き鳥に狂わされた男たち〜(著:るちあにゃん/サークル名:芋ジャージ本舗)』の文字が、嫌味なほどキラキラした金箔押しで踊っている。
「うへぇ……近くで見ると、さらに毒々しい装丁っすねぇ」
防毒マスクを首にかけ、作業用ゴム手袋をはめた竜人族のイグニスが、荷台のダンボールを恐る恐る指先で突いた。
その隣では、作務衣の裾をからげたエミリアが、竹箒を抱えたまま深々と溜息を吐き出している。
「私、東京にいた頃も、社内報で特定の同僚を茶化すようなゴシップを書いた契約社員が一発で懲戒解雇になったのを見たことがあります……。これ、神話の五聖獣の実名とプライベートを全部晒してるんですから、名誉毀損どころの騒ぎじゃないですよ……」
「全くだ。表現の自由と、社内秩序の破壊を履き違えちゃいかん」
俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、作業着の袖をまくり上げ、胸ポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出して二粒ポリポリと噛み砕いた。
口いっぱいに広がる生薬の苦味を舌で転がしながら、愛用のインク内蔵式三文判(佐伯)を取り出す。
「ポポロ・コーポ管理規約第5条、ならびにポポロ村環境美化条例第12条に基づき、本物件を『風紀紊乱特定有害図書』に指定。……全弾、即時物理破砕処分とする」
俺は十五箱のダンボールの天面に、リズミカルに三文判を押し込んでいった。
ポンッ! ポンッ! ポンッ!
――ユニークスキル『管理人権限(職権没収・廃棄執行)』発動。
――対象物:芋ジャージ本舗謹製・同人誌初版全三千部。
――事象:著作権法・プライバシー侵害・公序良俗違反に伴う【絶対破棄処分】を確定。
白銀の幾何学光がダンボール全体を覆い、ガオガオン基幹法廷OS『LEX-LUCIANA』の朱色の破棄認可シールがバチバチと焼き付けられた。
これで、いかに神界の創造神が駄々をこねようと、この世のいかなる魔法でもこの本を復元・再販することは不可能だ。
「よし、イグニス! 中庭のドラム缶焼却炉へ放り込め! 煙は消臭フィルターを通せよ!」
「へいっ! 佐伯の旦那、俺様の突貫火炎で灰一つ残さず焼き尽くしてやるっす!」
イグニスが嬉々としてドラム缶へダンボールを放り込み、マスクの隙間から細く絞った青白い火炎を吹き込む。
ゴオォォォッ!と心地よい燃焼音とともに、五大聖獣の絆をズタズタに引き裂きかけた怪文書の山が、黒い灰となってドラム缶の底へ沈んでいった。
「あばよ、悪夢の同人誌」
リキ兄貴が細巻きの煙草をくわえ、紫煙を燻らせながらニヤリと笑った。
「これでガオンの野郎の胃壁も、少しは息を吹き返すだろ」
*
だが、有害図書を処分しただけで現場が終わるわけではない。
次は、脳みそをこの怪文書に冒され、中庭で痴話喧嘩を繰り広げた「男連中の再教育」だ。
「おい、そこ! 腰が高いぞ! 雑草の根っこから根こそぎ掘り起こしなさい!」
俺が中庭の物干し場の脇で腕組みをして声を飛ばすと、土埃にまみれた二つの巨躯がビクッと跳ね上がった。
先ほどまで知性派を気取ってベランダからクサいポエムを飛ばしていた東天の青龍と、自慢の上腕二頭筋を見せびらかして手すりをへし折った西天の白虎である。
青龍は金縁眼鏡を汗でズリ落ちさせながら、前世の総務部でも見たことのないような『村役場公文書・過年度未決伝票五千件』の束を、木箱の上で猛烈な速度で仕分けしていた。
「ひ、一筆書きの関数で分類しているが……終わらん! なぜ三大国の関税相殺伝票が、こんな適当な羊皮紙の裏に殴り書きされているのだ……!? 佐伯殿、この『ロップ前村長の愛人への手切れ金』という領収書はどの勘定科目に――」
「使途不明金で跳ねてニャングルさんの査察ボックスへ放り込め。手を止めるな青龍さん。あんたが深夜に飛ばした電撃通信のせいで役場のサーバーが落ちたんだ、今日中に今年度分のインデックスを全部貼り終えるまで晩飯はお預けだぞ」
「くっ……! わ、私の明晰な頭脳が、泥臭い伝票整理の泥沼に……! だが……妙に数字の辻褄が合っていくこの快感は何だ……!?」
インテリ特有の事務処理ハイに入りかける青龍。
一方、その横の未舗装道路では、白虎がタンクトップを真っ黒に汚し、巨大な鉄製レーキを握りしめて地面を均していた。
背中には、折れたベランダの手すりの代わりに、自警団の詰め所から運んできた「純ミスリル製の補強アングル材(重量二百キロ)」が括り付けられている。
「オラァッ! 砂利均し完了だぁッ! どうだオッサン、俺のこの完璧なロードローラーっぷりはよぉ!」
「威勢がいいのは結構だが白虎さん、端っこの側溝の落ち葉がまだ残ってるぞ。トングを持ってきなさい。筋肉ってのはな、他人に誇示して異性の気を引くためにあるんじゃない。共同生活のインフラを維持し、重たい荷物を率先して運ぶために神様から預かった資本だ。二股をかけられてベランダで雄叫びを上げる暇があったら、村の側溝のヘドロをその腕力ですくい上げろ」
「う……っ! ぐうの音も出ねぇ……! ちくしょう、オッサンの言う通りだ! 俺の筋肉は、朱雀の機嫌を取るためのマスコットじゃねぇ! 生活を守るための力だぁぁぁッ!!」
白虎が雄叫びを上げ、時速六十キロのスピードで側溝の泥掃除へ突進していった。
体育会系の若手社員は、理屈で責めるよりも「お前の力が必要なんだ」と現場の重労働を任せるに限る。汗を流せば、余計な性欲や色恋のモヤモヤなど綺麗さっぱり代謝されていくのだ。
そして――一番の難関と思われた北天の玄武はといえば。
村外れの農道、先日の豪雨で崩落していた巨大な岩石地帯にいた。
額にスリッパの四角いアザをくっきりと残し、ボサボサの前髪をヘアバンドで上げた痩身の青年が、両の手のひらを泥だらけの巨岩へと向けている。
「……局所重力、反転……浮けぇ……」
フワリッ。
十トントラックほどもある巨大な落石が、まるで風船のように重力を失い、ふわりと宙へ浮かび上がった。
それを、待ち構えていたマンミア率いるケンタウロス自警団と農民たちが、荷車でスイスイと安全地帯へ運び出していく。
「すごいぞ玄武君! 重機で三日かかる難工事が、たった十分で片付いていく!」
「さすがは北天の守護神様だ! 助かるよぉ!」
農民のおじさんたちから次々と感謝の拍手を浴びせられ、玄武の青白い頬がボッと赤く染まった。
「あ……あぅ……。僕の重力……人を呪うためじゃなくて……こんな風に、喜んでもらえるんだ……」
「当たり前だバカ野郎」
後ろから歩み寄ってきた俺が、タローソンで買ってきた冷たいスポーツ果実水を玄武の首筋にピトッと当てると、玄武は「ひゃんっ!?」と肩をすくめた。
「ほら、水分補給だ。部屋の隅で爪を噛みながらブラックホールを練り上げてる暇があったら、そうやって外に出て他人の役に立ちなさい。誰かに『ありがとう』って言われりゃ、自分の存在価値をわざわざ他人のシーツの匂いに依存しなくて済むようになる」
「佐伯……さん……」
玄武は受け取ったボトルを両手でぎゅっと握りしめ、ボロボロと大粒の涙を零した。
メンヘラ気質の引きこもりには、小難しい精神論よりも「確固たる居場所」と「他者からの真っ当な承認」が一番の特効薬なのだ。
*
夕暮れ時、午後五時半。
ポポロ村の空が、茜色から深い群青へと美しく染まり始める頃。
俺はA棟二階の廊下を歩き、二〇二号室の前に立っていた。
先ほどまでドアにベタベタと貼られていた『出社拒否』『ノックした奴はミンチ』の段ボール紙は、俺がシール剥がしスプレーを使って跡形もなく綺麗に剥がしてある。
コンコン。
控えめにノックすると、中からビクッとした気配がした。
「ガオンさん、佐伯だ。……夕飯を持ってきたぞ」
「……佐伯、さん……?」
ガチャリ、と内側から鍵が開く。
顔を出したのは、昼間よりは幾分か顔色の戻った、黄金の獅子の鬣を持つ巨漢ガオンだった。
だが、その手にはまだ胃薬の小瓶が握りしめられ、眉間には深い苦悩の皺が刻まれたままだ。
「佐伯さん……すまない。俺のような不甲斐ないリーダーのせいで、アパート中に迷惑を……。あいつらは……朱雀や青龍たちは、まだ下で揉めているのか……?」
「揉める元気なんて残ってないよ。ほら、窓から下を見てみなさい」
俺が促すと、ガオンは恐る恐るベランダへ出て、中庭を見下ろした。
そこにあったのは――
ピカピカに掃き清められた石畳の上で、泥だらけの作業服のまま車座になり、タローソンの大鍋からよそった具沢山豚汁を仲良くハフハフと啜り合っている、青龍、白虎、玄武の姿だった。
「うめぇ……! 働いた後の豚汁、五臓六腑に染み渡るぜ……!」
「白虎、その七味唐辛子を取ってくれ。……ふぅ、今日だけで村役場の未決書類を八百件片付けたぞ。知性とは、現場の事務処理速度にこそ宿るものだな」
「僕……明日も、崩落現場の土砂をどかす手伝いに行くよ……。村の子供たちが、僕の重力で宙に浮いた岩を見て、拍手してくれたんだ……」
そこには、朝方まで中庭を時空崩壊の危機に陥れていた、あのドロドロの痴話喧嘩カルテットの姿はどこにもなかった。
あるのは、泥にまみれて働き、同じ釜の飯を食う、健やかで真っ当な男たちの連帯感だけだった。
「な……」
ガオンの琥珀色の瞳が、信じられないものを見るように見開かれた。
「あいつらが……あんなに穏やかな顔で、肩を並べて飯を食っている……!? 朱雀の取り合いはどうなったんだ……!?」
「朱雀さんには、火曜と金曜以外の物干し場立ち入りを禁止した。ついでに、共用廊下では割烹着の着用を義務付けたから、もう露出狂まがいの挑発で男を狂わせることはできんよ」
俺は部屋のちゃぶ台の上に、持参してきたお盆をコトッと置いた。
蓋を開けると、ふわりと湯気とともに立ち上ったのは、出汁と生姜の優しい香り。
「リーダー、あんたの夕飯だ。胃潰瘍一歩手前の胃袋には、脂っこいものは毒だからな」
器に盛られていたのは、米麦草の白米を、肉椎茸の戻し汁と昆布出汁でコトコトと煮込んだ特製の『肉椎茸とすりおろし大根の月見雑炊』だった。
上には、ネギオから届いた『ネギカリバー』の白い部分を極細の白髪ネギにして散らし、中央には半熟に蒸された新鮮な平飼い卵が、琥珀色に出汁をまとって鎮座している。
脇には、タローマートの塩分控えめな白菜漬けと、人肌温度(三十七度五分)に温めた「ぬるい陽薬茶」。
「ほら、冷めないうちに腹に入れなさい。胃壁を温めて修復するのが先決だ」
「佐伯、さん……っ」
ガオンは震える手で木匙を握り、恐る恐る雑炊をすくって口へ運んだ。
はふっ……もぐっ……。
「………………っ!」
その瞬間、大柄な武人の身体が、ガクガクと小さく震え出した。
口いっぱいに広がる、暴力的なまでに優しい出汁の旨味。
肉椎茸のエキスが、すりおろした大根のジアスターゼとともに、荒れ果ててキリキリと引き攣れていた胃壁を、まるで温かい毛布のように優しく包み込んでいく。
白髪ネギの清涼な香りと、とろりと崩れた卵の黄身のまろやかさ。
喉を通るたびに、張り詰めていた神経の結び目が、プツリ、プツリとほどけていくのが分かった。
「う……美味い……。胃が……痛くない……。全身に、力が戻ってくるようだ……っ」
「生真面目なのはあんたの美徳だがな、部下の痴話喧嘩の責任まで全部一人で背負い込むことはないんだよ。組織の風紀が乱れたら、まずルールを作り、現場の環境を物理的に隔離する。それが上に立つ者の仕事だ。胃に穴を開けて引きこもってちゃ、守れるものも守れんぞ」
「うっ……ぐすっ……! 佐伯さん……っ! 俺……俺……っ!!」
百戦錬磨の聖獣の長が、雑炊の椀を抱きしめたまま、子供のようにボロボロと涙をこぼした。
神界からも三大国からも「動いて当然の絶対兵器」として扱われ、部下たちからは好き勝手に振り回され、誰一人として自分の胃痛を心配してくれなかった男。
その孤独な魂が、戦力1馬力の中間管理職が出した一杯の雑炊によって、完全に救い上げられた瞬間だった。
「よしよし、泣く暇があったら全部食いなさい。明日からは、またガオガオンのリーダーとして現場に立ってもらうんだからな」
「……はいっ! 全部食べます! 一粒も残さず食べますッ!!」
ガオンは涙を拭い、一心不乱に木匙を動かし始めた。
その背中を見届け、俺は静かに部屋を後にした。
*
廊下へ出ると、階段の踊り場で腕組みをしていたリキ兄貴が、白い歯を見せて笑いかけてきた。
「いい仕事したじゃねぇか、健太のオッサン。これで一件落着だな」
「いや、まだだ」
俺は青箱のハード煙草を取り出し、ジッポライターでカチリと火をつけた。
紫煙を燻らせながら、中庭の物干し場の方向――A棟二〇三号室のベランダを見上げる。
「男連中は汗を流して胃袋を掴めば大人しくなるが……問題は、火種を撒き散らした元凶の女だ。朱雀さんが、このまま大人しく割烹着を着て引き下がるとは思えんからな」
「ケッ、違ぇねぇ。あの姐御、プライドの塊だからなぁ。自分の美貌が通じねぇと分かったら、今度はどんな暴挙に出るか分かったもんじゃねぇぜ」
リキ兄貴が金髪リーゼントをクイッと撫で付け、拳をボキリと鳴らした。
俺の作業着の胸ポケットの中では、キャルルから託された『人参柄刺繍ハンカチ』が、ピピピピピ……!と、かすかな警戒信号のような微振動を刻み続けていた。
ポポロ・コーポの平穏を取り戻すための戦いは、まだその折り返し地点に過ぎなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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