EP 5
密室のコンプラ指導! 昭和の総務課長と四神の個別面談
ガチャリ、と重々しい金属音が響き、ポポロ・コーポ一階の共同談話室の木製引き戸に頑丈なカンヌキが下ろされた。
長机の真ん中に置かれたパイプ椅子には、腕組みをして仁王立ちする金髪リーゼントの巨漢――第6の聖獣・麒麟ことリキ兄貴が、仁王像のような三白眼で睨みを利かせている。
その対面には、正座用の座布団の上に小さく並んで正座させられた四柱の聖獣たち。
先ほどまでルナキンの特大バーガーの残骸を片付けていた談話室の空気は、昼下がりの穏やかな日差しとは完全に切り離され、前世の総合商社でいうところの「査問委員会」、あるいは「労働基準監督署の抜き打ち事情聴取室」のそれへと変貌していた。
「……さて。全員、胃の中に余計な言い訳は残ってないな?」
俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、パイプ椅子に深く腰掛け、愛用の『厚底ゴム底・来客用便所スリッパ(抗菌・茶色)』を机の上にコトッと置いた。
そして、胸ポケットから取り出した天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を二粒、ポリポリと奥歯で噛み砕き、備え付けの魔法水筒から「ぬるい陽薬茶」を一口啜る。
目の前に広げられているのは、村役場総務課の公式書類――『ポポロ村役場・集合住宅共用部秩序紊乱に関する個別面談記録簿』。
俺は赤ペンを構え、まずは一番右端――チャイナドレス調ネグリジェの胸元をこれ見よがしに手で隠し、上目遣いでウルウルと瞳を潤ませている南天の朱雀へ視線を向けた。
「一番手、A棟二〇三号室、朱雀さん」
「は、はいぃん……♡ 健太さん、わたくし、先ほどから胸がドキドキして……息が苦しいんですのぉ。ほら、触ってみます? わたくしの鼓動、すっごく早鐘を打って――」
「触るわけないだろセクハラだ。即刻座り直しなさい」
パシッ。
机の上のスリッパの先端で、身を乗り出してきた朱雀の額をミリ単位の精度で押し戻す。
朱雀は「ふみゅっ!?」と情けない声を上げて後退り、両手でおでこを押さえた。
「朱雀さん、あんたの罪状は三つだ。
一つ、共用中庭物干し場における露出狂まがいの挑発行為。
二つ、同僚聖獣に対する無差別な色目による職場風紀の著しい紊乱。
三つ、感情の高ぶりによる共用部での火気濫用および時空歪曲の誘発。
……だいたいな、朝の七時から中庭で香水をバケツ一杯振り撒いたシルクのシーツを翻し、同僚に『取り込んでくださる?♡』などと甘ったるい声をかける奴があるか。前世のオフィスなら、女子社員全員から総スカンを食らって給湯室に立ち入り禁止令が出されるレベルのサークルクラッシャー行為だぞ」
「だ、だってぇ……! わたくし、ただみんなと仲良くお洗濯の時間をシェアしたかっただけですのにぃ……!」
「シェアするなら柔軟剤のボトルにしなさい、自分の色気と業火をシェアするな。あんたのあの思わせぶりな態度のせいで、真面目なリーダーのガオンさんが胃潰瘍になって部屋に引きこもり、天界の基幹法廷システムが半日も麻痺したんだぞ。業務妨害の損害賠償請求書を見せてやろうか?」
俺がニャングルから預かってきた『システム障害に伴う機会損失試算表(金貨三千枚)』を机にチラつかせると、朱雀の顔面からサーッと血の気が引いた。
「き、金貨三千枚……ッ!? わ、わたくし、そんな大金持ってませんわ……!」
「だろうな。というわけで朱雀さん、あんたには『中庭物干し場・曜日別利用制限』を課す。あんたの洗濯日は毎週火曜と金曜の午前中のみ。その間、男連中の立ち入りは一切禁止とする。さらに、共用廊下を歩く際はタローマンで買った割烹着を着用すること。……反論はあるか?」
「か、割烹着ぃぃぃ……!? 天界の美貌を誇るわたくしに、そんな家庭的な布切れを着ろと……!?」
「お前のその布面積の少なさが火種になってんだろうが姐御ぉッ!!」
リキ兄貴が背後からドスの利いた怒声を叩きつけると、朱雀は「ヒィッ!」と悲鳴を上げて座布団の上で縮こまった。
「う、うぅ……従いますわぁ……」
「よし、次。B棟二〇一号室、青龍さん」
名前を呼ばれた瞬間、知性派気取りの長身美男子――東天の青龍が、ビクッと肩を跳ね上げた。
金縁眼鏡を指先でクイと押し上げ、必死に平静を装いながら口を開く。
「佐伯殿、私に関しては何ら法的な過失はないはずだ。私はただ、隣接するベランダから紳士的に隣人と挨拶を交わし、我が知性に基づく経済的アドバイスを提示したに過ぎん。資本主義における正当なコミュニケーションの自由を阻害する権利は――」
「はい、言い訳却下」
俺は手元のルナミス新聞ハリセンを机にパァンッ!と叩きつけた。
「青龍さん、あんたの端末から今朝送られた通信ログ、全部ニャングルのサーバーに魚拓が残ってるぞ」
「なっ……!? 通信の秘密の侵害だ!」
「ポポロ・コーポ管理規約第4条『共用通信回線の私的独占および電波公害の禁止』だ。……読み上げるぞ。『今朝の君の香水は、日経平均株価の上昇トレンドのように私の胸を高鳴らせる……我が知性のポートフォリオの筆頭銘柄として、今夜君の部屋へエントリー注文を出してもいいかい?』……青龍さん、これ、自分で読み返して死にたくならないか?」
「ぶふぉっっっっ!?」
隣で聞いていた白虎が、吹き出した唾を撒き散らして腹を抱えて大爆笑した。
青龍の顔面は、白銀から林檎、そして茹で上がったタコのように赤黒く変色し、金縁眼鏡がガタガタと震えている。
「や、やめろぉぉぉッ! 公衆の面前で朗読するなァァァッ!!」
「恥ずかしい文章を電波に乗せるなバカ野郎。あんたがそのクサイポエムを電撃魔力に乗せて飛ばしたせいで、村役場のWi-Fiルーターがショートして確定申告の受付が二時間止まったんだぞ。インテリを気取るなら、現場のインフラに迷惑をかけるな。……あんたには向こう一ヶ月間、深夜の魔導電波送信の禁止、ならびに村役場の書類整理ボランティアを命じる。エクセル……じゃなくて、表計算魔導ボードの関数組みなら得意だろう?」
「ぐ……ぐぬぬ……! わ、分かった……謹んで受諾しよう……」
プライドを木っ端微塵に粉砕された青龍が、両手をついて項垂れた。
「次、B棟二〇二号室、白虎さん」
「お、おう……! だがオッサン、俺は朱雀を口説こうとしただけだぜ! 男が筋肉を見せびらかして何が悪いってんだ!」
タンクトップ姿のヤンキー聖獣・白虎が、胸板を叩いて虚勢を張る。
俺は冷ややかに目を細め、机の上の書類を指差した。
「筋肉を見せるのは勝手だがな、興奮してベランダの手すりをへし折ったのはどこのどいつだ」
「うっ……! そ、それは握力のコントロールがだな……」
「手すりの補修見積もり、ミスリル合金溶接で銀貨四十枚だ。しかも、向かいのベランダに向かって『俺の筋肉を愛でろ!』と叫んだ声の音圧、八十五デシベル。深夜の地下鉄構内と同等の騒音公害だぞ。女子棟の住人たちから『朝っぱらからゴリラが脱走したのかと思った』と苦情が殺到している。……白虎さん、あんたには破損した手すりの全額弁償、ならびにポポロ村自警団の朝のゴミ拾い当番一ヶ月間を命じる。その余った筋肉は、街の美化活動で消費しなさい」
「ゴ、ゴミ拾い……!? この武神白虎様が、トング持って空き缶拾いだと……!?」
「文句があるなら俺の『爆音天聖号』の後ろにロープで括り付けて、時速百キロで引きずり回しながらゴミ拾いさせてやろうかオラァッ!?」
リキ兄貴が首の骨をボキボキ鳴らしながら睨みつけると、白虎は「ヒィッ! やります! 分別も完璧にやりますぅぅ!」と直角お辞儀で降伏した。
「……さて、最後だ。B棟二〇三号室、玄武さん」
部屋の空気が、一瞬でドロリと重くなった。
前髪で顔を隠し、体育座りで爪を噛んでいた北天の玄武が、ギョロリと血走った瞳を俺に向けた。
その全身から、怨念混じりの黒い重力オーラが陽炎のように立ち上る。
「ふ、ふふ……僕に説教する気かい……? 無駄だよ……僕の愛は宇宙の深淵……朱雀ちゃんのシーツを汚した奴らは、全員僕のブラックホールに落ちて素粒子に分解されるべきなんだ……! 邪魔をするなら、この部屋ごと重力崩壊させて――」
ゴゴゴゴ……と談話室の床が軋み、湯呑みの茶が宙へ浮き上がりかけた、その瞬間――。
パッコーーーーーーーーーンッッッッ!!!!
澄み渡るゴムの破裂音が、談話室に木霊した。
俺の持っていた来客用便所スリッパが、玄武の重力障壁を紙のように貫通し、そのボサボサの前髪のど真ん中を、真正面からフルスイングで捉えたのだ。
「ぎゃべっ!?」
重力オーラが一瞬で霧散し、玄武は白目を剥いて畳の上にひっくり返った。
額にクッキリと刻み込まれる、抗菌スリッパの四角いゴム底痕。
俺はスリッパをパチンと鳴らし、倒れた玄武を見下ろして冷徹に言い放った。
「共用部でメンヘラポエムを唱えながらブラックホールを発生させるなバカ野郎。アパートの水道管がねじれて水が出なくなったら、他の住人が朝の洗顔もできないだろうが。自分の失恋の腹いせにインフラを巻き込むな」
「う……うぅ……痛い……。頭蓋骨が軋む……」
額を押さえて涙目で震える玄武。
俺はため息をつき、作業着のポケットから『ストマック・オメガ錠』を取り出して玄武の胸元へ放り投げてやった。
「ほら、胃薬だ。部屋に引きこもって爪ばかり噛んでるから、被害妄想が暴走するんだ。……玄武さん、あんたのその重力魔力、使い道さえ間違えなきゃ現場で一番役に立つんだぞ」
「……え?」
「村外れの農道で、崖崩れの土砂を撤去する作業が難航してるんだ。あんたの局所重力反転を使えば、巨大な岩石も風船みたいに軽々と運べる。明日から一週間、イグニスと一緒に土木作業の現場へ出なさい。太陽の光を浴びて、汗を流して、美味い飯を食えば、つまらんメンヘラ妄想なんざ一発で吹き飛ぶ」
「ぼ、僕が……現場の土木作業……?」
「そうだ。日当は銀貨一枚、きっちり出してやる。……反論はあるか?」
「……な、ないです……従います……」
完全鎮圧だった。
神話の四神が、揃って正座のまま深々と平伏している。
背後で見ていたリキ兄貴が、感嘆のため息を漏らしながら金髪リーゼントを撫で付けた。
「すげぇなオッサン……。神話の聖獣四匹を、スリッパ一本と正論だけで完全に飼い慣らしやがった……。昭和の総務課長、マジで半端ねぇわ」
「現場のトラブル処理なんて、筋を通せばこんなもんだよ」
俺は胸ポケットから、愛用のワンタッチ認印(インク内蔵式三文判)を取り出した。
机の上に並べられた四通の『誓約書兼業務改善命令書』の決裁欄へ、迷いなく力強く押し込む。
ポンッ! ポンッ! ポンッ! ポンッ!
――ユニークスキル『最上位稟議決裁』執行。
――基本法OS『LEX-LUCIANA』へ直結登記。
――【四神に対する行動制限および労務命令を不可逆確定】。
キィィィン……と白銀の法廷光が走り、四神の魂にコンプライアンスの規約がガチリと刻み込まれた。
これで、中庭の平和は法的に完全保障されたのだ。
「よし、面談終了だ。全員、自室に戻って反省文の清書をしなさい。……あ、それとガオンさんの部屋の前に謝罪の菓子折りを置いておくのを忘れるなよ」
「「「「は、はいぃぃぃッ!!」」」」
四神が脱兎のごとく談話室から逃げ出していく。
ようやく静けさを取り戻した談話室で、俺は長いため息を吐き出し、パイプ椅子の背もたれに体重を預けた。
「ふぅ……。午前中から骨が折れるな」
「ガハハ! お疲れさん健太のオッサン! ……だがよ、これでガオンの野郎も少しは救われるんじゃねぇか?」
「だといいがな。あいつの胃壁が完全に修復されるまでは、まだ油断はできんよ」
俺は青箱のハード煙草に火をつけ、紫煙を天井へと燻らせた。
時計を見れば、午後二時半。
厄介な個別面談は片付いた。
だが――俺の左胸のポケットの中で、キャルルから託された『人参柄刺繍ハンカチ』が、ピピピピピ……!と再び不穏な高周波を帯びて熱く震え始めていた。
さらに天界の上空では、星区統括リーダーのオリンが、五聖獣の合体停止アラートに頭を抱え、胃薬の瓶を握りしめてポポロ村への緊急降下準備を始めていたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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