EP 3
怪文書同人誌のベストセラーと、金髪リーゼントのタイムカード
パラリラパラリラパラリラッッッ!!!!
ブロロロロロロロロロッッッッ!!!!
木造モルタル三階建て『ポポロ・コーポ』の駐輪場に、鼓膜を力任せに殴打するようなコール音が鳴り響いていた。
二階の二〇二号室で胃潰瘍寸前になっていた聖獣ガオンの部屋を後にした俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、小脇にピンク色の怪文書同人誌を抱えたまま、外階段をダッシュで駆け下りた。
「おいおいおい、朝の八時前からコール切って駐輪場へ突っ込んでくる不審者がどこにいるんだ! 共同住宅の敷地内徐行義務違反だぞ!」
俺が砂利を蹴立ててアパートの裏手へ回り込むと、そこには朝日に燦然と輝くド派手な二輪車が、アイドリングの排気音をドッドッドッと唸らせて停まっていた。
ロケットカウルを装着し、三段シートを反り上がらせた、完全に昭和の暴走族仕様の魔導旧車『爆音天聖号』。
マフラーからは、紫煙の代わりにバチバチと黄金の雷光放電がパチパチと飛び散っている。
そのシートから、パタパタと便所サンダルを鳴らして降り立ってきたのは、身長二メートル近い威風堂々たる巨漢だった。
上下ともピッカピカの純金箔押しジャージ。
胸元をはだけさせ、筋骨隆々の胸板には龍と虎が握手しているような謎のタトゥー。
そして何より――天を衝くように前方へ三十センチ突き出された、カチカチにポマードで固められた黄金の巨大リーゼント!
口元に細巻きの煙草をくわえ、鋭い三白眼で周囲を睥睨するその男の背後には、神話の霊獣特有の圧倒的な神気が、陽炎のようにゆらゆらと立ち上っていた。
A棟一〇三号室の住人、五聖獣の枠組みすら超越した第6の聖獣・麒麟こと――『リキ兄貴(陸奥騎麟)』である。
「ふぅ……。今日もいい吸気圧だぜ、爆音天聖号ちゃんよぉ」
リキ兄貴は愛車のカウルをポンと叩くと、ジャージのポケットから何やら分厚い紙の束をガサリと取り出した。
俺は愛用の『厚底ゴム底・来客用便所スリッパ(抗菌・茶色)』を右手に構え、眉根を寄せてずかずかと歩み寄った。
「おい、アンタ! 住民票を見たらA棟一〇三号室の陸奥さんだな! アパートの敷地内でコール切るんじゃない! 夜勤明けで寝てるデュークさんやエミリアさんが飛び起きるだろうが!」
「……あぁん?」
リキ兄貴がギロリと首を傾げ、鋭い視線を俺に向けて落としてきた。
その瞳の奥で、数万ボルトの神聖紫電がパチッと爆ぜる。
常人なら視線だけで失禁して卒倒するレベルの威圧感。
だが、前世の商社時代に総会屋やヤクザまがいの地上げ屋と渡り合ってきた俺にとっては、「ちょっと目つきの悪い大型トラックの運転手さん」程度にしか見えなかった。
「なんだテメェ、くたびれた作業着着やがって……。見ねぇツラだな。あの高飛びしたロップのクソ爺の代わりに潜り込んできた、新入りの管理人坊主か?」
「坊主って歳じゃない、四十二歳の佐伯健太だ。……で、陸奥さん。愛車のメンテナンスは結構だが、駐輪場の白線の内側にちゃんと収めなさい。はみ出して停めると他の住人のチャリが出せなくなる」
「ケッ、小言の多いオッサンだな……。だが、白線はみ出しは確かにダセぇな。男たるもの、車庫入れは一発で枠に収めるのがスジってもんだ」
意外なほど素直に『爆音天聖号』をバックさせ、タイヤをきっちり枠内に収めるリキ兄貴。
そして彼は、手にした紙の束をペラペラとめくりながら、アパートの共用掲示板の脇に設置された『村営・勤怠タイムカード打刻機』の前へとツカツカと歩み寄った。
「……よし、まずは一〇二号室の駄犬フェンリル。あいつは昨日パチンコで負けて朝起きれねぇはずだからな、ガチャンと……。次、二〇一号室のヒエン、あいつは朝から鍛冶場で仕込み中だから代理でガチャン……。二〇三号室の朱雀の姐御、今朝も朝寝坊確定だからガチャン……」
ガチャン、ガチャン、とリズミカルにタイムカードが押し込まれていく。
手際が良すぎる。
俺は思わず額を押さえて天を仰いだ。
「……おい、陸奥さん」
「あぁん? なんだよ健太のオッサン、今いいリズムなんだよ」
「タイムカードの代理打刻は、就業規則第24条『勤怠不正行為』に該当する重大な違反だぞ。善意のつもりかもしれんが、労務管理上は懲戒処分の対象だ」
「知るかそんな四角四面の理屈! 同じ屋根の下で暮らすダチが、遅刻一発で村役場から減給されたら飯が食えなくなるだろうが! 困った時はお互い様、情けは人のためならず! これが俺たち『下町ヤンキー聖獣連合』の仁義ってもんよォッ!」
親指をグッと立てて、満面の笑顔で白い歯を光らせるリキ兄貴。
悪意がゼロ。
ただ純粋に、昭和の下町のガキ大将がそのまま大人になって神格化したような、暑苦しいまでの義理人情の塊だった。
前世の工場勤務時代にもいたのだ。
二日酔いで遅刻しそうな後輩のタイムカードを平然と代わりに押し、「おう課長! あいつ今トイレっすから!」と堂々と嘘をついては始末書を書かされていた、面倒見の良すぎるベテランのライン長が。
「はぁ……。情けをかける方向が間違ってるんだよ。本人のためにならん」
「かたいこと言うなよオッサン。……ほら、これ食って血圧下げろや」
リキ兄貴がバイクの荷台から引っ張り出してきたのは、コンビニ『タローソン』の湯気立つ紙袋だった。
中から取り出されたのは、大人の手のひらほどもある、ふかふかの特大『極上ジューシー肉まん』。
割ると、中から角切りのオーク豚肉とタケノコ、そしてネギカリバーの香ばしい餡が、熱々の肉汁とともにドッと溢れ出してきた。
「朝飯まだだろ? タローソンのレジ横で、蒸したての一番デケぇやつを仕入れてきたんだ。半分やるよ」
「……いただきます」
差し出された半分を受け取り、口へ運ぶ。
ハフハフと息を吹きかけながら頬張ると、もっちりとした甘い生地の中から、生姜と醤油の効いた濃厚な豚肉の旨味が口いっぱいに広がった。
うん、美味い。現場上がりの身体に、炭水化物と脂分がダイレクトに染み渡る。
俺が肉まんを平らげ、作業着のポケットから青箱のハード煙草を取り出すと、リキ兄貴が「おっ」と目を丸くした。
「へぇ……オッサン、いいタバコ吸ってんじゃねぇか。タローソンでも売り切れ続出の青箱のハードじゃねぇか」
「一本吸うか?」
「おう、ありがたくいただくぜ!」
俺が軍用マッチで火をつけてやると、リキ兄貴は深々と紫煙を吸い込み、天に向かって細く長く吐き出した。
駐輪場の片隅で、紫煙を燻らせながら並んで立つ四十男と巨大リーゼント聖獣。
これだけで、言葉を交わさずとも通じ合う「昭和の現場の空気」が、二人の間にカチリと出来上がっていた。
「……で、オッサン。その小脇に抱えてる派手なピンクの本、何なんだ?」
リキ兄貴が煙草を指先で弾きながら、俺の腕の下を指差した。
俺の表情が、スッと中間管理職の冷徹モードへと戻る。
「これか。……さっき二〇二号室のガオンさんの部屋から回収してきた、怪文書同人誌だよ」
「あぁ!? ガオンの部屋からぁ!?」
リキ兄貴が金髪リーゼントをガリガリと掻きむしり、忌々しそうに顔を歪めた。
「テメェ……それ、あの小豆色芋ジャージの尼公が描いた、例の『社内恋愛アンソロジー』じゃねぇか!」
「知ってたのか、陸奥さん」
「知ってたも何も、被害者はガオンだけじゃねぇんだよ! いま、村役場も自警団も、この薄汚ねぇ本のおかげで大パニックになってんだぞ!」
リキ兄貴の口から語られたのは、俺の想像を遥かに絶する「怪文書パンデミック」の実態だった。
「先週な、ルチアナの奴が『推しの朝倉月人君の限定生配信チケット代が足りない』とかほざいて、五聖獣の実名を使ったドロドロの昼ドラ小説を勝手に印刷して、村役場の売店にゲリラ納品しやがったんだ」
「村役場の売店に……!?」
「ああ! そしたら、あのウサギ耳のキャルル村長がだな……何を血迷ったか『これ、大人の男女の恋愛の教科書だわ……! 健太さんとの将来のために熟読しなきゃ……♡』とか言って、金庫の予備費から全巻大人買いしやがったんだよッ!」
「ブッッッッッ!?!?!?」
俺は吸いかけの煙草の煙を思いっきり気管に詰まらせ、激しく咳き込んだ。
ゲホッ! ゴホッ!
キャルル村長が……あの純白のウサギ耳を揺らして「健太さんの心音、大好き♡」と甘えてくる二十歳の少女が、このドロドロの愛憎劇小説を大人買い……!?
「それだけじゃねぇぞ! 村長が『みんなもこれを読んで恋愛IQを高めましょう!』とか言って、自警団の詰め所やタローソンの雑誌ラック、果てはエミリアの女子棟にまで無料配布しちまったんだ! おかげで、朱雀の姐御は完全に感化されて『男を狂わせる魔性の女プレイ』を始めちまうし、青龍や白虎も『小説通りのアプローチが男の美学だ』とか勘違いしてベランダでポエムを詠み始める始末よォッ!!」
地獄か。
ポポロ村全体が、芋ジャージ世界神の小遣い稼ぎ同人誌によって、集団ヒステリーに感染させられていたのだ。
中庭の重力異常も、物干し竿のねじれも、ガオンの出社拒否も、すべてはあの駄女神の小遣い稼ぎが引き起こした二次災害だった。
「……リキ兄貴」
「お、おう? 急に呼び方が変わったなオッサン」
俺は青箱の煙草の吸い殻を携帯灰皿へねじ込むと、作業着の袖を肘までまくり上げた。
瞳の奥に宿るのは、前世でコンプライアンス違反の社内サークルを強制解散に追い込んだ、総務課長の冷徹な光。
「この怪文書の在庫、現在どこにある?」
「村役場の倉庫と、タローソンの倉庫に、まだダンボール十箱分くらい積まれてるはずだぜ。明日の朝、隣町の商業ギルドへ卸す予定だったらしい」
「よし。……全弾、即時差し押さえだ」
俺は胸ポケットから、愛用のワンタッチ認印(インク内蔵式三文判)を取り出し、手のひらでカチリと鳴らした。
「ポポロ・コーポ管理規約第5条『敷地内および周辺地域における有害図書の無許可頒布の禁止』。……リキ兄貴、その『爆音天聖号』の荷台を貸してくれ。村役場へ乗り込むぞ」
「ガハハハハ! いいねぇオッサン! そういう話なら大好物だぜ!」
リキ兄貴が豪快に笑い、金髪リーゼントをクイッと持ち上げた。
「乗れよ健太のオッサン! 俺の『爆音天聖号』の三段シート、特別にケツを乗せてやる! あの芋ジャージの尼公と浮かれた連中に、昭和の鉄拳制裁をお見舞いしてやろうじゃねぇかァッ!!」
キュルルルッ! ドォォォォォンッ!
魔導旧車の排気管から黄金の雷光が吹き上がり、俺とリキ兄貴を乗せたマシンは、砂煙を上げてポポロ村の中央通りへと飛び出していった。
だが――村役場の村長公邸の二階では。
机の上に山積みにされた同人誌の最新巻を抱きしめ、頬を真っ赤に染めたキャルル村長が、俺の胸ポケットのハンカチから送られてくるGPS座標を見つめながら、うっとりと呟いていた。
「ふふ……健太さん、すごいスピードで私に向かって走ってくる……♡ やっぱり、この同人誌の『第3章:夜這いしてきた男の心音を抱きしめるヒロイン』の通りだわ……! 待ってるね、健太さん……♡♡」
勘違いの連鎖が、ポポロ村をさらなる大混乱の渦へと巻き込もうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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