EP 2
暗黒合体はお断り!? 胃痛リーダーの出社拒否と頑丈すぎる引きこもり結界
木造モルタル三階建てアパート『ポポロ・コーポ』一階、管理人室の六畳間。
普段なら穏やかな秋風が吹き抜け、青箱のハード煙草の紫煙がのんびりと漂っているはずの空間が、いまや針の筵どころではない重圧に押し潰されようとしていた。
「……さて。集まったな、痴話喧嘩カルテット」
俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、ちゃぶ台の正面にあぐらをかき、愛用の『厚底ゴム底・来客用便所スリッパ(抗菌・茶色)』を机の端にトンと置いた。
向かい側には、正座をさせられた四神が小さくなって並んでいる。
チャイナドレス調ネグリジェの胸元を手で押さえ、あざとく上目遣いで涙目を浮かべる南天の朱雀。
知性派気取りの金縁眼鏡を指先で押し上げつつ、視線を泳がせている東天の青龍。
タンクトップ姿で腕組みをし、気まずそうに筋肉をピクつかせる西天の白虎。
そして、前髪の隙間から床の畳の目を血走った眼で睨みつけ、爪をギリギリと噛んでいる北天の玄武。
どいつもこいつも、単体で小国を一つ更地にできるだけの神話級パワーを秘めた聖獣たちだ。だが、今の彼らは完全に、深夜のファミレスで痴情のもつれからグラスを叩き割り、警察の代わりに乗り込んできた頑固オヤジの店長に正座させられた悪ガキサークルの風情だった。
「あのねぇ、健太さん……わたくし、ただお気に入りのシーツを干していただけですのよぉ?♡」
朱雀が猫なで声を出し、豊満な胸元を寄せて擦り寄ろうとしてくる。
パシッ。
俺は手元のルナミス新聞ハリセンで、朱雀の額を容赦なく叩いた。
「痛ぁっ!? な、なぜですの!? このわたくしが、新聞紙ごときで痛覚を……!」
「パーソナルスペースは一・五メートルだ、近づくな。だいたいな、朝の七時から物干し竿の周辺で重力異常を起こして、他人のシーツを衛星軌道に打ち上げかける奴があるか。エミリアさんの干した作務衣が泥まみれになったんだぞ。クリーニング代を敷金から天引きされたいのか」
「ぐっ……! だ、だが佐伯殿、論理的に考えて欲しい!」
青龍が眼鏡を光らせて身を乗り出す。
「男が美しい女性の香りに惹かれ、己の存在感をアピールするのは、自然界における至極真っ当な求愛行動だ! それを横から筋肉ダルマの白虎や、ストーカー気質の玄武が妨害するからポートフォリオが崩壊したのだ!」
「あぁん!? 誰が筋肉ダルマだインテリトカゲ! 朱雀のあの熱い視線は、明らかに俺の上腕二頭筋に向けられてたんだよ! オメェみたいなもやし野郎が割り込んできたのが原因だろうが!」
「違う……違うよぉ……朱雀ちゃんは僕の重力の中にいたいんだ……僕のブラックホールの中で一緒に永遠の愛を誓うはずだったんだぁぁ……」
ギャーギャーと再び始まりかける不毛な責任の擦り付け合い。
俺は深く、深いため息を吐き出すと、作業着のポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと噛み砕いた。
前世の総合商社時代、社内不倫がバレた営業課長と、それに激怒した係長が総務の応接室で取っ組み合いを始め、女子社員が泣き叫んでいたあの地獄の光景と完全に一致している。
「……で、だ。お前ら四人の痴話喧嘩の処分は後回しにするとして……一番肝心な男はどうした?」
俺が視線を巡らせると、四神が揃ってピタリと口を噤み、気まずそうに目線を泳がせた。
そう、この場には五聖獣のリーダーであるべき男――A棟二〇二号室の住人、聖獣ガオンの姿がなかった。
「……ガオンなら、部屋から出てきませんわ」
朱雀が唇を尖らせる。
「さっきベランダで怒鳴り散らした後、内側から鍵をかけて閉じこもってしまいましたの。『俺はもう誰も信じない』『辞表は天界ポストに投函した』とか叫んで……神経質すぎて困りますわぁ」
「困るのはこっちだバカ野郎」
まさにその時、管理人室の引き戸がガララッ!と音を立てて開いた。
飛び込んできたのは、漆黒の燕尾服を乱した人狼執事リバロンと、純金算盤を脇に抱えて血相を変えたCFOニャングルだった。
「佐伯殿ッ! ご無事ですか!?」
「健太のおっちゃん、大変なことになっとるでぇぇぇッ!!」
ニャングルが三毛猫の耳をペタリと伏せ、手にした魔導通信板をバンッとちゃぶ台に叩きつけた。
「天界と三大国の法廷システムが、さっきから全面ストップしとるんや! あらゆる行政契約の登記ログがフリーズして、うちの銀行の為替決済サーバーまでエラー吐き散らかしとる! 原因は……五大聖獣の旗艦フレーム『聖獣機神ガオガオン』のメインOSが、パイロットの出社拒否によって完全沈黙したことやッ!!」
「ほう……なるほどな」
俺はぬるい陽薬茶を一口啜り、淡々と頷いた。
「リーダーがストライキを起こしてタイムカードを押さず、基幹システムへのログインパスワードを抱え込んだまま引きこもったわけか」
「呑気に分析しとる場合かぁッ! ガオガオンが動かんかったら、このポポロ村の免税特権も、三大国の不戦条約も、全部OSのエラーで失効してまうんやぞ! 村が更地になる大ピンチや!!」
「ガオン殿は、本来ならば生真面目すぎるほど責任感の強い武人でした……」
リバロンが苦渋に満ちた声で琥珀色の瞳を曇らせる。
「ですが、この数ヶ月、朱雀殿の奔放な色香に狂った青龍殿、白虎殿、玄武殿の暴走を一人で抑え込み続け、精神の限界を超えていたのです。……数日前から、自室で『胃が……俺の胃壁が溶けていく……』と呻いておられました……」
胃壁が溶ける。
その単語を聞いた瞬間、俺の胸の奥がきゅっと疼いた。
痛いほど分かる。
上からは「納期を守れ、コンプラを遵守しろ」と理不尽なノルマを課され、下からは「あいつがムカつく、色恋沙汰でモチベーションが上がらない」と下らない内輪揉めを持ち込まれ、板挟みになって深夜のオフィスで一人胃薬を流し込んでいた中間管理職のあの絶望。
ガオンが引きこもりたくなる気持ちは、痛烈なまでに理解できた。
「……よし、お前ら四人はここで反省文を書いていろ。原稿用紙三枚、テーマは『共用部における公私混同の愚かさについて』だ。一文字でも誤字があったら書き直しだからな」
「「「「ええええええええッ!?」」」」
絶叫する四神を管理人室に残し、俺は立ち上がった。
作業着のポケットに『ストマック・オメガ錠』の予備をねじ込み、腰のマスターキー束をチャリと鳴らして、A棟の二階へと向かった。
*
男子棟(A棟)二階、二〇二号室の前。
普段なら何の変哲もない木製ドアのはずだが、いまやその周囲は異様な光景と化していた。
ドアの隙間という隙間から、何重もの黄金色の神聖結界が幾何学模様を描いて展開され、分厚い魔力のバリケードが廊下を完全に塞いでいる。
表面には、クレヨンで殴り書きされた段ボール紙がベタベタと貼り付けられていた。
『出社拒否』
『有給休暇(無期限取得中)』
『合体要請はすべて破棄する』
『ノックした奴は天罰光線でミンチ』
ドアの向こうからは、グスッ……グスッ……という巨漢のすすり泣く声と、カリカリと爪で柱を引っ掻く不穏な音が漏れ聞こえてくる。
後ろからついてきたリバロンが、息を呑んで後退りした。
「……すさまじい防護結界です。聖獣機神の主幹装甲と同等の絶対障壁……三大国の軍隊が総がかりで攻城兵器を叩き込んでも、傷一つつけられませんぞ」
「障壁の強度はどうでもいいんだよ。問題は、ドアにガムテープで段ボールを貼ると、剥がす時にモルタルの塗装が剥げて原状回復費用がかさむってことだ」
俺はため息をつくと、ドアの前に歩み寄り、コンコンと控えめにノックした。
「ガオンさん。管理人の佐伯だ。ちょっといいか」
『だ、誰だぁッ!?』
部屋の中から、裏返った野太い怒声が返ってきた。
『管理人か……! すまんが帰ってくれ! 俺はもう誰も信じん! 神界も、三大国も、あのふざけた四神どもも、全員勝手に滅びればいいんだ! 俺はもう絶対に部屋から出んぞ! 誰が……誰があんなドロドロの昼ドラ野郎どもと魂を一つにして、合体なんぞするものかぁぁぁッ!!』
絶叫とともに、内側からドンッ!と壁を殴る音。
黄金の獅子の鬣を持つ誇り高き聖獣の長が、完全に心をへし折られ、部屋の隅で体育座りをして震えているのが、ドア越しにもありありと伝わってきた。
リバロンが絶望的な表情を浮かべる。
「ダメです……完全に心を閉ざしておられる。力づくで破れば、ガオン様の精神が完全に崩壊してガオガオンが永久休眠に入ってしまいます……!」
「力づくなんて野蛮な真似、総務の人間がやるわけないだろ」
俺は首を振り、作業着の袖から一本の鍵を取り出した。
ポポロ・コーポ全室共通のマスターキー。
そして、胸ポケットからインク内蔵式の三文判を取り出し、鍵の根元にペタッと軽く押し当てた。
――ユニークスキル『管理人権限(入居者安否確認および緊急立ち入りプロトコル)』発動。
――対象区画:ポポロ・コーポA棟二〇二号室。
――事象:入居者の極度衰弱および精神的危機に伴う、保護者介入。
――【敷地内絶対開錠】を執行します。
カチリッ。
三大国の軍勢すら跳ね返すはずの黄金の絶対障壁が、まるで自動ドアが開くかのように、スルスルと左右へ割れて消え去った。
鍵穴にマスターキーを差し込み、静かに回す。
ガチャリ、と拍子抜けするほどあっさりと、頑丈極まりないはずの木製ドアが開かれた。
「ば、馬鹿な……!? 聖獣の絶対障壁を、ただの合鍵一本で……!?」
リバロンが顎が外れそうなほど口を開けて硬直する。
俺は構わず、ドアを押し開けて室内へと足を踏み入れた。
「失礼するぞ、ガオンさん」
部屋の中は、カーテンが締め切られ、昼間だというのに薄暗かった。
床には散乱する羊皮紙の報告書と、空になった胃薬の瓶。
部屋の真ん中で、毛布を頭からすっぽりと被り、膝を抱えてカタカタと震えていたのは、身長二メートルを超える筋骨隆々の巨漢――聖獣ガオンだった。
黄金の長髪はボサボサに乱れ、その屈強な顔面は土気色に淀み、目の下にはどす黒い隈が三重に張り付いている。
「ひ、ヒィッ……!? な、なぜ入ってこられる……!? 俺の結界が……破られたのか……!?」
「破ったんじゃない、開けたんだよ。賃貸アパートで倒れられたら事故物件になるからな。管理人の当然の権利だ」
俺はずかずかと部屋の中へ歩み寄ると、窓の遮光カーテンを一気に引き開けた。
サァッ……と柔らかな朝の光が差し込み、陰鬱だった六畳間を照らし出す。
ガオンが「うぎゃあっ、光が……まともな世界が痛い……!」と毛布に潜り込もうとしたが、俺はその手首をスッと掴んで制止した。
「ガオンさん。……胃、痛むんだろ」
「……え?」
ガオンが毛布の隙間から、充血した瞳を覗かせた。
俺は作業着のポケットから、天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』の小瓶を取り出し、ちゃぶ台の上にコトッと置いた。
さらに、持参してきた魔法水筒から、人肌温度(三十七度五分)に保たれた「ぬるい陽薬茶」を湯呑みに並々と注ぎ、ガオンの前へ差し出した。
「空きっ腹に薬を飲むな。まずはこのお茶を飲んで、胃壁を温めなさい。……苦労したな、リーダー」
「…………っ!!」
その一言だった。
責め立てる言葉でも、出社を強要する命令でもない。
ただ同じ、現場で泥をかぶり、理不尽な板挟みに耐え続けてきた男だけが放つことのできる、心底からの労いと理解の言葉。
ガオンの唇がワナワナと震えた。
震える逞しい両手で湯呑みを受け取り、恐る恐る口をつける。
ズズッ……ズズズッ……。
「………………っ。ぬるい……が、キリキリと引き攣れていた胃の腑が……ふんわりと、解けていく……」
「緊張性胃炎の初期症状だ。前世の俺も、中間管理職時代に毎日その味を噛み締めていたよ。……話してみろ。何があったんだ?」
俺が正面にあぐらをかいて促すと、大柄な聖獣の目から、ボロボロと大粒の涙が零れ落ちた。
ダムが決壊したように、溜まりに溜まっていた怨嗟と悲哀が吐き出される。
「佐伯さん……っ! 俺……もう限界なんだよぉぉぉッ!!」
ガオンは毛布を投げ捨て、頭を抱えて畳に突っ伏した。
「あいつら……朱雀のやつ、元々はあんなに露骨なサークルクラッシャーじゃなかったんだ! 青龍も白虎も玄武も、昔は誇り高い戦友として、合体シークエンスの時は寸分の狂いもなく呼吸を合わせてくれていたんだ! それなのに……ここ一ヶ月、急にあいつらの様子がおかしくなったんだよ! 朱雀は毎朝これ見よがしにランジェリーを干して男たちを煽り、青龍は株価とポエムで口説き、白虎はベランダで筋肉を見せびらかし、玄武は部屋で呪いの藁人形を編み始める始末だ!」
「ふむ……。急に様子がおかしくなった、か」
俺は青箱のハード煙草に火をつけ、紫煙を燻らせながら眉根を寄せた。
「自然発生的な痴話喧嘩にしちゃ、タイミングが揃いすぎているな。何かきっかけがあったんじゃないのか?」
「きっかけ……? そ、そういえば……」
ガオンがハッとしたように顔を上げ、散乱していた万年床の枕元を指差した。
「先月の中頃、朱雀の部屋のポストに……差出人不明の『怪しげな冊子』が投函されていたんだ。あいつ、それを読んでから急に『天界の男なんてチョロいわぁん♡』とか言い出して、奇行がエスカレートしていったんだ……!」
「怪しげな冊子……?」
俺は立ち上がり、万年床のシーツの隙間に挟まっていた、ド派手なピンク色の冊子を拾い上げた。
表紙には、やたらとキラキラした少女漫画風のタッチで、涙を流すガオンと、妖艶に微笑む朱雀、そして筋肉を誇示する白虎たちのイラストがデカデカと描かれていた。
そして、金箔押しで印刷されたそのタイトルを目にした瞬間――俺の視界が、強烈な脱力感でクラリと揺らいだ。
『神界激震スクープ同人誌:聖獣機神ガオガオンの社内恋愛事情は辛いよ。〜南天の紅き鳥に狂わされた男たち〜(著:るちあにゃん/サークル名:芋ジャージ本舗)』
「………………」
俺は無言のまま、手にした冊子をパラパラとめくった。
中身は完全に、五聖獣の実名をそのまま使った、救いようのないドロドロの昼ドラ愛憎劇小説だった。
しかも巻末のあとがきには、こう書かれている。
『みんなぁ〜! ガオガオンの社内恋愛アンソロジー第1巻、読んでくれてありがとー! 今月の月人君の限定生配信スパチャ枠をカンストさせるために、身近なネタで一攫千金狙ってみたよん☆ 次巻は「玄武の重力愛憎ストーカー編」をお届け! 売上金で新しい芋ジャージ買うぞー!』
静寂が部屋を支配した。
俺の背後で表紙を覗き込んだリバロンが、「……ル、ルチアナ様ぁぁぁッ……!!」と頭を抱えて床に膝をついた。
全ての元凶。
五聖獣の絆をズタズタに引き裂き、中庭に重力異常を起こし、リーダーを胃潰瘍寸前まで追い詰めた最大の火種は――
あの小豆色芋ジャージの世界神が、オタ活の軍資金稼ぎのために書き散らかした、下劣極まりない怪文書同人小説だったのだ。
「……なるほどな」
俺は青箱のタバコをもみ消すと、愛用の便所スリッパをパチンと一度鳴らした。
冷徹で、静かな怒りが、四十男の胸の奥底でカチリと音を立てて点火する。
「ガオンさん。胃薬を飲んで、ゆっくり休んでいなさい。……原因は完全に特定した。アパートの風紀を乱し、真面目なリーダーのメンタルを粉砕した不逞の輩には……昭和の管理人の鉄槌を叩き込んでやる」
俺が同人誌を小脇に抱え、部屋を出ようとした――その時だった。
ブロロロロロロロロロッッッッ!!!!
パラリラパラリラパラリラッッッ!!!!
コーポの前の未舗装街道を揺るがす、耳をつんざくようなけたたましい爆音コール。
ロケットカウルを装着した魔導旧車の爆音が、朝の静けさを暴力的に引き裂きながら、アパートの駐輪場へと突っ込んできたのだ。
「おいおいおい……今度は暴走族かよ」
俺は作業着の袖をまくり直し、廊下の窓から駐輪場を見下ろした。
そこには、朝日に眩く輝く巨大な金髪リーゼントと、金色のジャージを羽織った、規格外の男が仁王立ちしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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