EP 9
五大宝物の闇質屋伝票と、月の女神のコンプラ始末書
白大理石が敷き詰められたムーンキャピタルの中央広場。
長年滞留していた茶色いヘドロと汚水は、百台の超音速魔導バキュームカーによって根こそぎ吸い上げられ、スアイの氷魔工学とドンガン重工の手によって埋設された超近代下水道本管へと完全に切り替えられていた。
街中を覆っていた地獄のスメルハザードが霧散し、高原都市本来の清涼な秋風が吹き抜けていく。
だが、白大理石の石畳の上には、ピカピカに磨き上げられた地面とはあまりに対照的な、無残に崩れ落ちた存在がひとつ。
「うぅ……ぐすっ……。わらわの……わらわの聖なる神殿の前に、泥臭いマンホールを埋められただけでも屈辱なのに……! なんで、なんで裏垢のプライベートな取引履歴が全部割れてるのよぉぉぉッ……!!」
豪奢極まりない純白の十二単の裾を泥水で汚し、大理石の地面に額を擦り付けて震えているのは、自称・天界一の美貌神、月の女神カグヤだった。
その目の前には、三毛猫耳のCFOニャングルが、純金とミスリルの魔導金算盤をギラリと構えて仁王立ちしている。
ニャングルの手元には、分厚い羊皮紙の束――ゴルド商会オロチ会長が経営する闇質屋から極秘裏に入手した、『受領神宝・即日換金明細書』がズラリと並んでいた。
「往生際が悪いで、カグヤ様ぁ。……ほな、監査役の健太のおっちゃん、読み上げたってぇな」
「ああ」
俺は作業着の胸ポケットから老眼鏡を取り出して鼻先にかけ、咳払いをひとつした。
前世の総合商社時代、役員の交際費の不正流用を暴くために深夜の経理室で領収書の束と格闘していた、あの血で血を洗う内部監査の記憶が鮮やかに蘇る。
「それでは、ムーンキャピタル特別会計および宗教法人月光宮殿の監査報告を読み上げます。……まず先月十二日、東方諸国の敬虔な信徒より『街の治水と美化のための祈祷料』として奉納された国宝級神宝『蓬莱の玉の枝』。受領記録が帳簿に記載されたわずか零点五秒後、ゴルド商会の闇質屋へ持ち込まれ、即日金貨三百枚で換金。使い道は、帝都の高級ブティックでのオートクチュール・ドレス二着と、赤い靴底のハイヒール五足」
『ヒッ……!?』
「続いて先月二十五日、魔導大公爵より『都市衛生の維持基金』として献上された『火鼠の皮衣』。これまた受領から三分後に質入れされ、金貨四百枚に換金。使い道は、天界の高級発泡神酒『ドン・ペリニョン・セレスティア』十ダースと、全宇宙イケメン配信者への投げ銭二百万ポイント」
『ぎゃあああっ!? す、スパチャの額までバレてるぅぅぅッ!?』
「さらに極めつけは今月三日、孤児院の建設資金として集められた寄付金で購入されたはずの『仏の御石の鉢』。質屋の預かり証の裏に、カグヤ様ご自身の署名で『今月エステ代が足りないから満額で頼むわ♡』と直筆メッセージが添えられております。……カグヤ様、前世の地球なら特別背任罪、業務上横領罪、詐欺罪の満貫で、懲役十年以上の実刑確定コースですよ」
「うわああああんッ! やめてぇぇぇッ!! 朗読しないで! 拡声魔導具で読み上げないでぇぇぇッ!!」
カグヤは両耳を手で塞ぎ、床を転がりながら涙と鼻水を撒き散らした。
広場を取り囲んでいたムーンキャピタルの市民たちから、冷え切った軽蔑の視線が一斉に突き刺さる。
「うわ……俺たちの納めた美化基金、全部あの女のエステ代と酒代に消えてたのかよ……」
「信じられない! 下水が溢れて病気になりそうだったのに、自分は神殿で高級神酒を飲んでイケメンに投げ銭してただなんて……!」
信仰心の完全崩壊。
カグヤの額から、滝のような冷や汗が吹き出していた。
神格の存亡そのものが危機に瀕している。
そこへ、俺は作業着のポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと噛み砕きながら、一枚の分厚い羊皮紙をカグヤの鼻先へスッと突きつけた。
「カグヤ様。ポポロ村役場総務補佐官として、今回の事案に対する『包括的是正示談合意書』を作成しました。この場で正式にサインと血判捺印をいただきます」
「じ、示談……合意書……? 天界の法廷に……突き出さないで、くれるの……?」
カグヤが恐る恐る涙目で顔を上げた。
俺はため息をつき、合意書の箇条書きを指先でトントンと叩いた。
「天界法廷に訴え出ても、裁判に何年もかかって現場の泥が片付かんからな。大人の解決といこう。条件は三つだ。
第一条! 今回のムーンキャピタル全域・下水道インフラ大改修工事代金、ならびに超音速バキュームカー百台の出動緊急費用として、金貨千枚(約一億円)をポポロ村役場へ即時一括納入すること!
第二条! エミリア・フォン・グランツさんに対する一切の追跡、身柄引き渡し要求、および不当な『絶対愛憐』の動画配信利用を永久に放棄し、彼女のポポロ村への正式移住と住民票転入を承認すること!
そして第三条! 今後、ポポロ村が生産する特産品――塩対応メロロン、肉椎茸、ポポロシガー、ならびに有機バイオ肥料『月光ブレンド』を、ムーンキャピタルの中央市場および全商業ギルドにおいて『最優先関税免除品目』として永久独占販売させること!
……以上だ。異存はあるか?」
「き、金貨千枚……ッ!? そ、そんな大金、今の一文無しのわらわに払えるわけが――」
「払えますわよ、カグヤ様ぁ♡」
ニャングルがニチャァと三毛猫の牙を剥き出し、一枚の書類をカグヤの目の前に叩きつけた。
「ゴルドスマイル銀行からの『神格担保特約付き緊急救済ローン』の契約書や! アンタの神殿の不動産と、GodTubeの今後の広告収入受取口座を全額うちの銀行に差し押さえ設定させてもらうで! 金利は法定上限ギリギリの年十四パーセント! 文句があるなら、今すぐあのルチアナ様に連絡して、全宇宙に横領伝票をばら撒いてもらってもええんやで?」
「ヒエッッッッッ!! サ、サインします! サインしますからぁぁぁッ!!」
カグヤは悲鳴を上げながら羽ペンをひったくり、ガタガタと震える手で合意書と借用書に署名を叩き込んだ。
さらに親指を噛み切り、真っ赤な血判をベチャリと捺印する。
俺はその決裁欄へ、胸ポケットから取り出した愛用のワンタッチ認印(インク内蔵式三文判)を、迷いなく力強く押し込んだ。
ポンッ。
――ユニークスキル『最上位稟議決裁』執行。
――基本法OS『LEX-LUCIANA』へ直結登記。
――【示談条項および独占交易特権を、全宇宙の不可逆確定真理として登録完了】。
キィィィィィン……ッッッ!!!!
合意書全体が眩い白銀の光を放ち、カグヤの魂の奥底に「永久遵守のコンプライアンス規約」がガチリと嵌め込まれた。
これで、エミリアの身の安全も、ポポロ村の莫大な外貨獲得ルートも、法的に完全確定したのだ。
「よし、契約成立だな。……ニャングルさん、金貨千枚の債権回収と送金処理を進めてくれ」
「任しときぃ! ガッポガッポやでぇぇぇッ!!」
ニャングルが金算盤を狂ったように弾きながら小躍りする。
地面にへたり込んだまま魂が抜けたように真っ白になっているカグヤを見下ろし、俺はもう一枚、黄色い用紙をペラリと差し出した。
「……それとカグヤ様、もう一つ大事な仕事が残ってますよ」
「ふぇ……? ま、まだ何か毟り取る気……?」
「始末書ですよ、始末書。総務の基本でしょうが」
突きつけられたのは、ポポロ村役場特製の『業務上過失および風紀紊乱に関する反省始末書』だった。
「タイトルは『公衆衛生の軽視と虚飾による都市インフラ破綻についての猛省と今後の改善計画』。四百字詰め原稿用紙で最低五枚、手書きでびっしり反省の弁を書き連ねなさい。明日朝イチで私の机に提出すること。誤字脱字があったら書き直しですからね」
「め、女神に……始末書を書かせるなぁぁぁぁぁッッ!!」
カグヤの絶望の悲鳴が、澄み切ったムーンキャピタルの青空へ吸い込まれていった。
*
その日の夕暮れ時。
ムーンキャピタルの領主公邸、中庭テラス。
白大理石のアーチの向こうには、かつての悪臭が嘘のように消え去り、夕陽を浴びてキラキラと輝く美しい街並みが広がっていた。
テラスの長テーブルには、突貫工事を成し遂げたポポロ村の作業部隊――スアイ、イグニス、マンミア、フェイト、そしてドンガン重工のドワーフたちが勢揃いし、豪快な打ち上げの宴が開かれていた。
「佐伯殿! 本当に……本当にありがとうございましたッ!!」
平服姿の氷血公爵ヴァルターが、テーブルの向かい側から深々と頭を下げていた。
その額と鼻にはまだ湿布が貼られているが、俺との間には、きっかり一・五メートルのパーソナルスペースが完璧に維持されている。
礼儀正しく、節度ある距離感。昨日のストーカー怪異と同じ人物とは到底思えないほど、見事な更生ぶりだった。
「街の悪臭が消え、市民たちに笑顔が戻りました。……そして、エミリアの件も。彼女を危険な私の手から救い出し、人間らしい生活を与えてくださったこと、心より感謝いたします」
「礼には及びませんよ。仕事をした対価はキッチリ回収しましたからね。……公爵さん、あんたもこれからは、見た目の華やかさばかり追わずに、下水や道路のような現場のインフラにしっかり予算を回しなさい。足元が泥水に浸かってちゃ、どんな名君もただの道化ですから」
「……胸に刻みます。佐伯殿、貴殿こそ真の指導者だ……ッ!」
ヴァルターが感銘を受けたように目を潤ませる。
そこへ、中庭のキッチンから、作務衣の袖をまくったエミリアが、湯気を立てる大きなお盆を抱えて笑顔で歩み寄ってきた。
足元では白狐のコン太が「きゅぅ〜ん(待ってましたのメシの時間や!)」と尻尾を振っている。
「佐伯さん! 公爵邸の厨房をお借りして、現場のみんなのために打ち上げの晩酌セットを作ってきました! どうぞ召し上がってください!」
テーブルに並べられたのは、公爵邸に納入されていた最高級の食材と、ポポロ村の特産品を融合させた、贅沢極まりない料理の数々だった。
まずは大皿に盛られた、香ばしい焼き目をつけた『特選霜降り牛肉と肉椎茸のサイコロステーキ』。
公爵領特産の最高級霜降り牛と、ポポロ村の分厚い肉椎茸を一口大に切り分け、強火でサッと炒めたものだ。
上からは、ネギオから届いた『ネギカリバー』を刻んで醤油草の天然醤油とイモッカで煮詰めた、特製の和風ガーリックオニオンソースがたっぷりとかけ回されている。
さらに、ドンガン岩塩を振って素揚げにした甘い小芋と、タローソンの新鮮なキャベツの浅漬け。
「うおおおおおっ! 美味そうっす佐伯の旦那ぁッ!」
「エミリアちゃん、最高やで! これ絶対ビールとイモッカが進むやつや!」
イグニスとニャングルが歓声を上げる。
俺の手元には、エミリアが氷をたっぷり入れて作ってくれた、黄金色に輝く『イモッカの強炭酸割り』がトンと置かれた。
シュワシュワと心地よい泡が弾け、熟成された芋の甘い香りが立ち上る。
「……よし、全員今日はお疲れさん! 乾杯だ!」
「「「「かんぱーーーーいっッッ!!!!」」」」
ジョッキとグラスがぶつかり合い、テラスに心地よい金属音が響き渡る。
俺はまず、冷えたイモッカ・ソーダを一気に喉へと流し込んだ。
ゴクリ、ゴクリ……ぷはぁぁぁっ!
炭酸の刺激と、五臓六腑を駆け抜けるアルコールの爽快感。泥と汗にまみれた突貫工事の疲労が、一瞬で綺麗さっぱり洗い流されていく。
すかさず、箸を伸ばして肉椎茸と牛肉を一緒に挟み、口へ放り込んだ。
「………………っ!」
噛み締めた瞬間、口の中で奇跡のハーモニーが炸裂した。
極上の牛肉から溢れ出すジューシーな脂の甘み。
それを、肉厚な肉椎茸がスポンジのように余すところなく吸い込み、噛むほどに芳醇なキノコの出汁エキスとなって口いっぱいに押し寄せてくる。
ネギカリバーの鮮烈な薬味と甘辛い醤油ソースが脂っぽさを完全に消し去り、後味は驚くほど爽やかだ。
たまらずイモッカ・ソーダで追いかける。
「……美味い。最高だな、エミリアさん」
「えへへ、よかったです! 佐伯さんに教えてもらった通り、油をこまめに拭き取ってソースを焦がし気味に絡めてみたんです!」
エミリアは作務衣の胸元に手を当て、嬉しそうに目を細めた。
その笑顔には、昨日までのあの怯えや絶望の色は微塵も残っていない。
横では、ツナギ姿のスアイが肉椎茸をモシャモシャと頬張りながら、ジョッキのエールを豪快に飲み干している。
「ふぅ……美味いな。大土木工事の後の肉と酒、これに勝る贅沢はこの世にない。……健太、ポポロ村へ戻ったら、私の開拓村のテントサウナにも顔を出せよ。極冷水風呂の配管も、お前の設計図通りに直してやるからな」
「そいつは楽しみだ。休日に寄らせてもらうよ」
笑い声がテラスを満たしていく。
俺は青箱のハード煙草に火をつけ、紫煙を夕暮れの空へ燻らせながら、ゆっくりと深く息を吐き出した。
夜逃げ令嬢の保護、ストーカー公爵の更生、そして悪臭都市の完全浄化と巨額賠償金の獲得。
とんでもない大立ち回りだったが――総務の現場仕事としては、満点以上の仕上がりだ。
明日はいよいよポポロ村へ凱旋し、エミリアの正式な入居手続きと、コーポの平穏な日常へ戻るだけだ。
そう確信して煙草の灰を落とした俺の作業着の胸ポケットで――
留守番をしていたはずのウサギ村長キャルルの『人参柄刺繍ハンカチ』が、ピピピピピ……!と、これまでで最も激しい嫉妬と執着の高周波を帯びて熱く震え上がっていたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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