EP 2
エミリアの事情聴取と、顔面距離2cmのストーカー被害届
「止まれッ! そこから一歩でも馬首を進めれば、ポポロ村自治防衛条例第5条に基づき、即刻パイルバンカーで馬ごとミンチにしますッ!!」
街道の大気を震わせる鋭い怒声。
キャラバンの先頭で、鹿毛の馬胴を踏ん張らせたケンタウロス団長マンミアが、刺突盾『アグニ』のシリンダーからシューッと高圧蒸気を噴き出させていた。
隣では、今朝のコイントスで奇跡の「表」を引いてステータス二倍の全能感に満ちたA級冒険者フェイトが、大剣の切っ先を地面に突き刺し、凶悪な蒼白の闘気を立ち上らせている。
「おいおい、どこの貴族様か知らねぇが、俺たちの荷物に手ぇ出そうってんなら容赦しねぇぞ! 今日の俺はドラゴンだろうが軍隊だろうが両断できるんだからな!」
百八十馬力の武人と、闘気全開のA級剣士。
その凄まじい威圧を前に、街道を突進してきた白銀の重装騎兵団は、カツカツと蹄を滑らせて五十メートル手前で急停止を余儀なくされていた。
騎兵たちの先頭で、漆黒の軍馬に跨る氷血公爵ヴァルターが、氷のように冷徹な青い瞳を細める。
「ほう……辺境の荷駄隊風情が、北部方面軍の精鋭に刃を向けるか。だが、我が目的は貴様らではない。……そこにいる、私から逃げ出した『我が愛しき小鳥』を返してもらおう」
低く、甘く、無駄に響き渡るバリトンボイス。
だが、その声を聞いた瞬間、俺の作業着の裾を握りしめていたボロ雑巾ドレスの令嬢エミリアが、「ヒィッ……! きた、きちゃったぁぁぁ……ッ!!」と白目を剥いて過呼吸を起こしかけた。
「フェイト、マンミアさん、そのまま前線を維持してくれ。……お嬢さん、こっちだ。馬車の中へ入れ」
「は、はいぃぃ……っ!」
俺はエミリアの華奢な背中を支え、キャラバンの二両目――幌で覆われた大型輸送馬車の荷台へと引き上げた。
*
幌馬車の中には、塩対応メロロンの木箱や乾燥肉椎茸の麻袋が整然と積まれていた。
外の殺伐とした冷気と、漂ってくる「香水混じりの汚水臭」が遮断され、乾燥キノコの素朴で香ばしい香りが空間を満たしている。
エミリアは麻袋の隙間にペタンとへたり込み、ボロボロのレースの裾を抱えてガタガタと震えていた。
腕の中に抱きしめられていた純白の幼獣――神獣の仔らしきモフモフの狐のような生き物が、ピョコンと顔を出し、前足でエミリアの涙を拭うような仕草を見せる。
……が、その目つきをよく見ると、妙に世慣れたオッサンくさい諦観の光が宿っていた。
「きゅぅ〜ん……(ったく、だからあのクソ公爵の屋敷から逃げる時は裏山ルートを通れって言ったのによぉ……)」
(……ん? いま、狐の鳴き声の裏から中年オヤジの溜息が聞こえた気がしたが……気のせいか)
俺は首を傾げつつ、作業着のポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと噛み砕いた。
そして、備え付けの魔法水筒から、人肌温度(三十七度五分)に保たれた「ぬるい陽薬茶」を木製のカップに並々と注ぎ、エミリアの前へ差し出した。
「ほら、まずはこれを飲め。胃の腑を温めないと、呼吸が乱れてパニックになるぞ」
「あ……あ、りがとう……ございます……っ」
震える両手でカップを受け取り、エミリアは恐る恐る口をつけた。
ズズッ……ズズズッ……。
「…………っ!」
一口飲んだ瞬間、エミリアの強張っていた肩から、ふっと力が抜けた。
熱すぎず、冷たすぎず、口内にじんわりと広がる薬草の素朴な甘み。
それは前世で徹夜残業の明け方、オフィスの給湯室で啜ったほうじ茶のように、極限まで張り詰めていた自律神経を優しく解きほぐしていく。
「ふぅぅ……っ。あ、温かい……。身体の奥の震えが、すーっと消えていく……」
「腹も減ってるだろ。これも食いなさい」
俺が腰のランチボックスから取り出したのは、今朝タローソンで調達した米麦草の白飯に、刻んだ肉椎茸とネギカリバーを混ぜ込み、村特産の天然醤油を塗って表面を香ばしく炙った「特製焼きおにぎり」だった。
竹の皮を開いた瞬間、醤油の焦げる香ばしいアロマと、肉椎茸のジューシーな旨味の湯気が立ち上る。
「お、おにぎり……!? この世界におにぎりがあるんですか……!?」
「初代皇帝が日本米の製法を残していったからな。手づかみでいい、冷めないうちに腹に入れろ」
エミリアは両手でおにぎりを鷲掴みにすると、迷わず大きな口でガブリと齧り付いた。
「あふっ……もぐっ……もぐもぐ……ッ!」
カリッとした表面の香ばしい醤油の風味。
その中から、ふっくらと炊かれた温かい白米と、肉厚な肉椎茸の弾力ある歯ごたえが押し寄せてくる。噛み締めるたびに溢れ出す濃厚な出汁エキスと、ネギカリバーの清涼なアクセント。
「………………ッッッ!! お、おいしい……! 嘘でしょ、これ……日本の焼きおにぎりより美味しい……! キノコがまるでお肉みたいにジューシーで、お醤油の味が胸に染みて……うっ、うう……ッ!!」
エミリアはボロボロと大粒の涙をこぼしながら、貪るようにおにぎりを頬張った。
一口、また一口と喉へ流し込み、あっという間に二個の大きなおにぎりを完食する。
仕上げにぬるい陽薬茶を飲み干すと、喉から「ぷはぁーっ!」と、およそ公爵令嬢とは思えない完全に居酒屋のオヤジのような吐息が漏れた。
「生き返ったぁぁぁ……。私、三日間ずっと木の皮と雑草しか口にしてなかったから……」
「そいつは災難だったな。……さて」
俺は出勤鞄から、村役場総務課の公式書類――『ポポロ村役場・住民苦情相談および被害届出書』と、愛用の赤ペンを取り出した。
木箱の上に羊皮紙を広げ、背筋を伸ばす。
「落ち着いたところで、事情を聞かせてもらおうか。私はポポロ村役場総務補佐官兼、集合住宅ポポロ・コーポ専属管理人の佐伯健太だ。あんたの名前と、身元、そしてあの追手について話してくれ」
エミリアは深く息を吸い込み、正座をし直した。
その背筋の伸ばし方、名刺を受け取る時のような手つき――どれをとっても、前世でオフィス街を駆け回っていた日本の若手OLそのものだった。
「……はい。私の名前は、エミリア・フォン・グランツ(二十二歳)。一応、帝国の名門グランツ伯爵家の長女ということになっていますが……中身は、地球の東京都品川区のIT企業で営業事務をやっていた、元・社畜OLです」
「やっぱりそうか。同郷だな。俺も元は総合商社の総務課長だ」
「やっぱりぃぃぃ! この手際とお茶の温度、絶対に日本の総務部のおじさんだと思いましたぁぁ!」
エミリアが感激のあまり身を乗り出しかけたが、俺が「はい、パーソナルスペース」と手をかざして制止すると、ハッとして行儀よく一歩下がった。
この「適切な距離感」が保たれていること自体が、彼女にとっては奇跡のような安らぎらしい。
「それで、エミリアさん。先ほど外で叫んでいた『うんこと香水で臭い』『顎クイが怖い』というのは、具体的にどういう被害なんだ?」
俺が赤ペンを構えると、エミリアの表情が怒りと絶望で歪んだ。
「聞いてください佐伯さん! 私、転生した時に神様から『絶対愛憐』なんていう狂ったユニークスキルを押し付けられたんです! 効果は『関わった男性が全員、強制的にIQを低下させて無条件で私を溺愛してくる』っていう、女性向け恋愛小説のテンプレみたいな呪いで……!」
「……男が全員、無条件で溺愛?」
「そうです! 挨拶しただけで『フッ、面白い女だ』とか言い出して、頼んでもないのに高級ジュエリーを山ほど送りつけてきたり、ちょっと転んだだけで『大丈夫かいマイ・ハニー、この私が世界を滅ぼしてでも君を守る』とかポエムを朗読し始めるんです! 気味悪い! 普通に『あ、大丈夫ですか?』って声かけて絆創膏くれるだけでいいのに、なんで全員が全員、中二病のホストみたいになっちゃうんですかぁぁッ!!」
膝をバンバンと叩いて憤慨するエミリア。
腕の中の白狐コン太も、「きゅぅ〜(全くだぜ、おかげで飯の調達も一苦労だったんだからよ)」と前足を振っている。
「しかも一番最悪なのが、あの外にいる男……ムーンキャピタルの領主にして北部方面軍総司令官、氷血公爵ヴァルターです!」
「あの、外でキザなセリフを吐いている美形公爵だな。二十八歳だったか」
「あいつ、完全にストーカーなんですよッ!!」
エミリアは身震いしながら、指を折って被害状況を並べ立てた。
「私が街のカフェでお茶を飲んでたら、突然現れてテーブルに両手をついて『見つけたぞ、私の運命』って囁いてくるんです! そこまでは百歩譲って我慢するとしても、会話する時の距離感が完全にバグってるんです! 顔面距離、常に二センチ! 鼻息がまつ毛にかかるくらいの至近距離までヌルッと間合いを詰めてきて、私の顎を人差し指と親指でクイッと持ち上げて……その状態で、無言のまま十五分間、ずーーーっと見つめてくるんですッッ!!」
「……十五分間、無言で顎クイ?」
「そうです! 一言も喋らないんですよ!? ただフッ……フッ……って意味深に微笑みながら、至近距離で目を見つめてくるだけ! 顎は痛いし、首は疲れるし、何より目のやり場に困るし、シンプルに怖い! ホラー映画の怪異かお前はぁぁぁッ!!」
激しい身振り手振りを交えたエミリアの叫びに、俺は思わず額を押さえた。
なるほど。
前世の女性向け少女漫画や乙女ゲームでよく見かける「冷徹公爵の無口な溺愛」というやつを、現実の三次元で忠実に再現した結果、ただの「パーソナルスペースを弁えない重度の不審者」が爆誕してしまったわけか。
現実のオフィスでやられたら、一発で懲戒解雇および警察への被害届提出案件である。
「さらに、朝起きて部屋のカーテンを開けたら、二階の窓の外に馬に乗ったまま立ってるんですよ!? どうやって馬を二階の高さまで浮かせたのか知りませんけど、『おはよう、私の小鳥』とか言って薔薇の花束を投げ込んでくるんです! 不法侵入! 完全なストーカー事案です!」
「うむ、住居侵入罪および迷惑防止条例違反だな。……で、もう一つの『街の臭い』というのは?」
俺がペンを走らせながら尋ねると、エミリアはさらに顔を歪めた。
「あれは街全体の設計ミスです! ムーンキャピタルは月の女神カグヤ様が『絵画のように美しい中世の都』を目指して作ったらしいんですけど、見た目の白大理石や彫刻ばかりに予算を注ぎ込んで、下水道の勾配計算を完全に間違えてるんです! 排水管の傾斜が逆になってて、街中の汚水が全部路地の側溝に逆流して溢れ返ってるんですよ!」
「……ビルメンとして一番聞きたくないトラブルだな」
「しかも、カグヤ様が『私の美しい都に汚水なんて下品なものは存在しないことにして!』とか言い出して、下水道の改修工事を禁止したんです! 代わりに『市民は全員、毎日バケツ一杯の最高級香水を側溝に撒きなさい』っていう無茶苦茶な勅令を出したせいで……街中が、発酵した汚水と濃厚な薔薇の香水が混ざり合った、地獄のスメルハザードになっちゃったんです! 息をするだけで吐き気がするし、洗濯物はドブと香水の匂いが染み付くし……もう限界でした!」
エミリアは俺の前に両手をつき、深々と頭を下げた。
「お願いします佐伯さん! 私、どんな雑用でも、泥掃除でもやります! ポポロ村に匿ってください! あんなストーカー公爵と、うんこ香水都市にはもう二度と戻りたくありませんッ!!」
切実極まりない魂の叫び。
俺は赤ペンを置き、仕上がった『ストーカー被害および公衆衛生危機に関する緊急保護申請書』に目を通した。
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【申告者】エミリア・フォン・グランツ(22歳/元IT企業OL)
【加害者】氷血公爵ヴァルター・フォン・レプシウス(28歳)
【被害内容】
・会話時の顔面距離2cm接近および15分間の無言顎クイ(身体的・精神的威迫)
・二階窓外への滞空出没および不法侵入未遂(ストーカー規制法違反)
・管理都市における上下水道崩壊の隠蔽および香水強制散布(重大な公衆衛生法違反)
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「よし、書類に不備はない。……ポポロ村役場総務補佐官として、この被害届を正式に受理する」
俺は作業着の胸ポケットから、愛用のインク内蔵式三文判(佐伯)を取り出した。
決裁欄へ、迷いなく力強く押し込む。
ポンッ。
鮮烈な赤インクが羊皮紙の上に「佐伯」の二文字を刻みつけた瞬間――
キィィィィィン……ッッッ!!!!
幌馬車の内部全体が、淡い白銀の神聖幾何学光に包まれた。
――ユニークスキル『管理人権限(最上位稟議決裁)』直結執行。
――事象:被害者エミリア・フォン・グランツの緊急一時保護を確定。
――対象建造物:ポポロ村交易キャラバン全車両を『ポポロ村暫定行政特区』として指定。
――【敷地内ストーカー行為および接近禁止命令(パーソナルスペース絶対防護壁)】を展開します。
「ふぇ……!? な、なんですかこの光……!?」
「ただの事務手続きだ。これで君は、ポポロ村の保護下に入った。誰であろうと、不当に連れ去ることはできん」
俺は三文判をポケットに収めると、足元に置いてあった「来客用便所スリッパ」を右手に引っ提げて立ち上がった。
ちょうどその時、幌の隙間から、ヴァルター公爵の冷徹な怒声が響いてきた。
「そこを退けと言っているのだ、田舎騎士! 我が軍の忍耐にも限界がある! エミリアを渡さねば、貴様ら全員を氷漬けにして――」
俺は幌馬車のカーテンをスッと跳ね上げ、外のステップへと降り立った。
作業着の袖を肘までまくり上げ、青空の下でスリッパをパチンと一度鳴らす。
「おい、そこの公爵さん」
くたびれた四十男の平坦な声が、凍りついていた街道の空気を静かに切り裂いた。
「他人のパーソナルスペースに無許可で踏み込むのは、マナー違反どころか立派な犯罪だぞ。……大人の距離感の勉強、今すぐここで叩き込んでやるから、その馬から降りてきなさい」
冷徹な氷血公爵と、戦力1馬力の昭和の中間管理職。
白大理石の街道の真ん中で、前代未聞の「コンプライアンス指導」の幕が切って落とされようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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