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『戦力1馬力のおっさん管理人、魔境の村で静かに暮らしたい〜ぬるい茶と三文判で神や竜王を手懐けていたら世界の黒幕に〜』   作者: 月神世一


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第二章 華美なる悪臭都市ムーンキャピタル〜ストーカー公爵とバキュームカー無双〜

交易キャラバンの朝と、街道を爆走するボロ雑巾令嬢

 満月の夜の「熱血全回復カチコミ大暴走」から三日。

 未曾有の天災に見舞われたはずのポポロ村は、驚くほど健全で清々しい朝の空気に包まれていた。

 午前六時整。

 俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、愛用の手拭いと石鹸箱を抱え、ポポロ・コーポ一階の大浴場から出てきたところだった。

 朝一番の薪ボイラーの火加減を調整し、フィンランド式サウナ小屋でじっくりと熱気とアロマを浴び、地下水掛け流しの水風呂でキュッと肌を引き締める。

 ネギオの『ロイヤル皇帝カンチョウ液』によって前世からの慢性腰痛と胃痛が根こそぎ消え去って以来、俺の肉体年齢は驚くほど軽やかだった。四十男のくたびれた肌が、朝風呂上がりにはツヤツヤと光を弾くほどだ。

「ふぅ……。極楽、極楽」

 管理人室に戻り、小さな丸ちゃぶ台で朝飯の支度を整える。

 今朝の献立は、三大国の要塞守備隊から「感謝の貢物」として山ほど届いた特上軍用牛肉の残りと、泥沼夫妻から仕入れた肉椎茸の網焼き。そこへネギオの聖葱剣『ネギカリバー』をたっぷり刻んで散らし、村特産の醤油草から引いた天然醤油をたらりと回しかける。

 炊きたての米麦草の白飯にのせて口へ運べば、暴力的なまでのキノコの肉汁と牛肉の旨味が舌の上で爆発し、ネギの鮮烈なキレが後味を爽やかに引き締めてくれた。

 仕上げに、人肌に温めた「ぬるい陽薬茶」をズズッと啜る。

 胃袋の底からじんわりと温もりが広がり、完璧な一日のスタートが切れるはずだった。

 ――ただ一つ、左胸のポケットを除いては。

(……チリチリするな、今朝も)

 作業着の左胸ポケット。

 そこには、三日前の満月明けに、涙目でぐしゃぐしゃになったウサギ耳の村長キャルルが「私の手縫いなの……健太さん、ずっと一緒だよ♡」と自らの手でねじ込んできた、純白の『人参柄刺繍ハンカチ』が収まっていた。

 ただのハンカチではない。

 月兎族の神聖闘気と体臭フェロモンが極限まで編み込まれた、神話級の追跡呪物――全自動体臭GPS&生体マーキング魔導具。

 心臓の真上から、まるで「健太さんの心拍数、今日も正常だね……ふふ、どこにも行かせないよ……♡」とテレパシーでも受信しているかのような、甘く重たい微振動が絶え間なく伝わってくるのだ。

 四十過ぎの独身男が若い娘から受ける好意としては、あまりにも質量が銀河系を突き破っていた。

「やれやれ……。胃薬はいらなくなったが、別の意味で心臓が縮むな」

 俺は青箱のハード煙草に火をつけ、紫煙を中庭へ吐き出しながら、出勤鞄を手に立ち上がった。

      *

 午前八時、村役場の一階フロア。

 石造りの執務室のドアを開けた瞬間、パチパチパチッ!と凄まじい勢いで火花を散らす算盤の音が鼓膜を直撃した。

「健太のおっちゃん! 待っとったでぇぇぇッ!!」

 三毛猫の耳と尻尾を嬉しそうにピンと立て、純金とミスリルの魔導金算盤を抱きしめたCFOニャングルが、執務机から身を乗り出して飛びついてきた。

 その隣には、漆黒の燕尾服を寸分の狂いもなく着こなした人狼執事リバロンが控え、奥の村長席では純白のウサギ耳をパタパタと揺らすキャルルが、花が咲くような笑みを浮かべて手を振っている。

「おはようございます健太さん♡ 今朝も心音がトクン……トクン……ってすっごく澄んでて素敵……! 私のハンカチ、胸ポケットに入れててくれたんだね♡」

「おはようございますキャルル村長。……で、ニャングルさん、朝から算盤をオーバーヒートさせてどうしたんです?」

「どうしたもこうしたもあるかいな! 外貨獲得の大チャンスや!!」

 ニャングルが机の上に広げたのは、マンルシア大陸全土の交易マップと、分厚い羊皮紙の棚卸し伝票だった。

「ええかおっちゃん。三大国への納税義務が永久免除になって、要塞と病院からの賠償示談で莫大な高級物資が手に入ったやろ? 村の金庫は潤ったけどな、このポポロ村の経済を恒久的に自立させるには、村の外へ特産品を売り捌いて、三大国の富裕層からゴールド(PG)をガッポガッポ毟り取らなアカンのや!」

「毟り取るって言い方は品がないですね。要するに、特産品の輸出販路の開拓ですね」

「その通りです、佐伯殿」

 リバロンが冷徹な琥珀色の瞳を細め、銀時計の蓋をパチンと閉じた。

「先日の泥沼夫妻の事件で収穫された、余分な水分が抜けて糖度が限界凝縮した『塩対応メロロン』。それに森で自生する滋養強壮の極み『肉椎茸』。さらには村の葉タバコを熟成させた最高級の薫り高き『ポポロシガー』。これらを積んだ大規模な交易キャラバンを、近隣の大都市および商業圏へ派遣することが決定いたしました」

「なるほど。それは結構な話ですが……俺に何か用でも?」

「当たり前やろ! おっちゃんにもキャラバンに同行してもらうんや!」

 ニャングルが俺の作業着の袖をぐいぐいと引っ張る。

「相手は海千山千の都市商人どもや! 前世で数々の修羅場をくぐり抜けてきた元総務課長のおっちゃんの『帳簿監査眼』と、どんな悪徳契約も一撃で無効化するあの三文判の決裁力がないと、うち、騙されて身ぐるみ剥がされそうで怖くて夜も眠れへんのや!」

「あんなに悪徳査察官を脅し倒しておいて、よく言うよ……」

 呆れつつも、俺は前世の総合商社時代に担当していた「地方工場の在庫処分と下請け企業への監査巡回」を思い出していた。

 現場の在庫を正確に把握し、適正価格で契約を結び、回収サイトをきっちり確定させる。確かに、数字の勘どころが分かる実務責任者が一人ついていくのは合理的だ。

「わかりました。ポポロ・コーポの管理人業務の合間なら、伝票管理と契約監査を引き受けましょう」

「やったぁ! さすが健太のおっちゃん、話が早いわ!」

 ニャングルが飛び跳ねて喜ぶ中、村長席のキャルルがスッと立ち上がった。

 その琥珀色の瞳の奥に、ほんのりと昏い熱が宿る。

「健太さん、外の街へ行くの……? 遠くへ行っちゃうの……? だ、ダメだよ……外には健太さんを誘惑する悪い女がいっぱいいるんだから……! 私も一緒に行く! 村長の職務を一時停止して、健太さんの護衛として――」

「キャルル様、落ち着いてください」

 リバロンがすかさず割って入り、キャルルの肩を優しく押し留めた。

「村長が不在となれば、村の防衛結界の維持に支障が出ます。ご安心を。今回のキャラバンの護衛総指揮には、我が村最強の武人が任命されております」

 カツン、カツン、と中庭から力強く引き締まった蹄の音が響いてきた。

「お待たせいたしました! 交易キャラバン隊、防衛配備完了でありますッ!!」

 執務室のドアから敬礼を決めて入ってきたのは、ケンタウロス族の自警団長マンミア(二十五歳・恋人いない歴二十五年と三ヶ月)だった。

 鹿毛のしなやかな四本脚に、ドンガン製のミスリル編み込み防弾チョッキ。背中には巨大なヘビークロスボウと、必殺のパイルバンカー式刺突盾『アグニ』を背負っている。

 単体推定百八十馬力。

 その凛々しい女騎士は、俺の姿を視界に捉えた瞬間――ボフンッ!と音を立てて顔面を真っ赤に染め上げた。

「さ、佐伯さんっ! ご、ご安心ください! このマンミア、命に代えても佐伯さんと村の荷物をお守りいたします! あの……もし移動中にお疲れでしたら、私のこの頑丈な背中……いつでも佐伯さんをお乗せする準備はできておりますのでっ! 大人の男性を一度も乗せたことのない、処女の背中ですがっ……荷物と一緒に、どうぞご遠慮なくぅぅッ!!」

「いや、馬車があるから大丈夫ですよ」

 早口で自爆告白をかます自警団長を秒で受け流し、俺は作業着の襟を正して公邸を出た。

      *

 村の中央広場には、重装甲の魔導牽引車二台と、幌をかけた大型輸送馬車三台が連なっていた。

 荷台には、ドンガン岩塩で塩対応化させた最高級メロロン、乾燥させた肉椎茸、そして木箱に詰められたポポロシガーが満載されている。

 護衛には、マンミア率いる自警団から、くしゃみ火炎を封じる特製マスクを着けた竜人イグニスと、今朝のコイントスで奇跡的に「表」を出してやる気満々のA級冒険者フェイトが配備されていた。

「佐伯の旦那! 荷積みチェック完了っす! いつでも出られるっすよ!」

「おう、おっさん! 今日の俺はステータス二倍だ! ドラゴンでも野盗でもかかってこいってんだ!」

「フェイト君、調子に乗って単独突撃するなよ。業務マニュアル第一条、隊列の維持厳守だ」

 俺が胸ポケットからインク内蔵式の三文判をチラつかせると、フェイトは「うっ……へ、へーい、分かってますよ……」と縮こまった。

 俺は魔導牽引車の助手席に乗り込み、膝の上に表計算魔導ボードを広げた。

 馬車組の先頭で「うう……佐伯さん、助手席に乗っちゃった……背中に乗ってくださらなかった……」と耳を伏せて落ち込むマンミアに苦笑しつつ、隊列はポポロ村の重厚な防衛ゲートをくぐり抜けた。

 目指すは、ポポロ村から北東へ五十キロ。

 三大国のちょうど境界近くに位置し、天界の月の女神カグヤが直轄する、大陸屈指の美と芸術の都――『ムーンキャピタル』の交易外縁市場だった。

      *

 街道を進むこと約三時間。

 周囲の景色は、ポポロ村ののどかな田園と重火器トーチカの混ざり合った風景から、次第に白大理石の道標が並ぶ小綺麗な街道へと移り変わっていた。

 だが、目的地のムーンキャピタルが近づくにつれて、風向きが変わった瞬間――俺の鼻腔を、得体の知れない「不協和音のような異臭」が直撃した。

「……ん?」

 思わず窓から外を覗き込む。

 鼻を突くのは、高級ブティックで嗅ぐような甘ったるい薔薇と白檀の香水香。

 ……の、真後ろから力任せに殴りつけてくる、ドブ川と生ゴミと肥溜めが限界まで濃縮発酵したような、強烈極まりない汚水の腐敗臭。

 香水と下水が、ちょうど一対一の黄金比で殴り合っているような、脳の処理能力を狂わせる悪臭だった。

「うげぇぇぇぇッ!? な、なんやこの臭いはぁぁぁッ!!」

 隣でハンドルを握っていたニャングルが、三毛猫の鼻を両手でギュッと押さえて絶叫した。

 嗅覚の鋭い獣人にとっては、致死量に近い刺激臭だろう。

「前方のマンミアさんも鼻を押さえてるぞ。……ニャングルさん、この悪臭は何だ? 近くに下水処理場でもあるのか?」

「処理場やったらええけどな! あれが噂の『ムーンキャピタル』のスメルハザードや! あの街、月の女神カグヤ様が『中世ヨーロッパ風の美しい乙女の都♡』とか言うて見た目優先で設計したもんやから、上下水道のインフラが完全に破綻しとるんや! 側溝から溢れた汚水の臭いをごまかすために、貴族たちが毎日バケツで高級香水をぶちまけとるせいで、街全体が『薔薇の香りの公衆便所』になっとるんやで!!」

「……典型的な、外見だけ取り繕ってバックヤードが崩壊してる手抜きビルだな」

 前世のビルメン時代、オーナーの意向で大理石のエントランスばかり豪華にし、配管の勾配計算をケチったせいで開業三ヶ月で地下テナントが汚水まみれになった悪夢の雑居ビルを思い出し、俺の眉間がキリキリと痛んだ。

 胸ポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出しそうになった――その時だった。

 ズザザザザザザザッッッッ!!!!

 街道の前方、立ち並ぶポプラの並木の奥から、猛烈な砂煙を巻き上げて何かがこちらへ向かって走ってきた。

「止まれッ! 敵襲か!?」

 先頭のマンミアがパイルバンカー式刺突盾『アグニ』を構え、馬脚を踏みしめる。

 だが、砂煙の中から転がり出てきたのは、魔獣でも山賊でもなかった。

「た、たすけてぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 悲痛極まりない絶叫とともに飛び込んできたのは、一人の若い人間の女性だった。

 年齢は二十二、三といったところか。

 本来ならば、三大国の最高級ブティックでしか誂えられないような、繊細なレースと宝石をあしらった豪奢なペールブルーのシルクドレスを身に纏っている。

 ……のだが、そのドレスは泥水と木の枝でズタズタに引き裂かれ、裾は千切れ、完全に『高級なボロ雑巾』の様相を呈していた。

 見事なプラチナブロンドの長髪はボサボサに乱れ、化粧は涙と汗でドロドロに溶け崩れている。

 そしてその腕の中には、真っ白なモフモフの毛並みを持った小さな幼獣――神獣の仔らしき狐のような生き物が、ガタガタと震えながらしがみついていた。

「ひ、人が倒れてくるっす!」

 イグニスが叫んだ瞬間、ボロ雑巾ドレスの令嬢は、キャラバンの先頭車両――俺が乗っていた魔導牽引車のボンネットへ向かって、見事なヘッドスライディングで突っ込んできた。

 ドサァッッッ!!

「ぶふぇっ!?」

 地面に顔面から激突し、砂利まみれになって転がる令嬢。

 俺は咄嗟にドアを開け、牽引車のステップから飛び降りた。

「おい、大丈夫か!? 怪我はないか!」

 俺が駆け寄って肩に手をかけた、その瞬間――。

 泥だらけの顔を上げた少女の全身から、眩いばかりの淡い桃色の魔力光が、ボワッと周囲に放射された。

――生体スキャン感知。

――対象:エミリア・フォン・グランツ(22歳/元・日本の限界社畜OL)。

――常時発動型パッシブスキル:『絶対愛憐(男が全員無条件で過剰溺愛し、顔面距離2cmまで迫ってくる呪いのバグ体質)』。

 刹那、周囲の空気が甘く痺れるように歪んだ。

 護衛のフェイトやイグニスが、ポカンと口を開けて頬を赤らめかける。

 普通の大陸の男であれば、この光を浴びた瞬間に理性を吹き飛ばされ、「ああ……なんて可憐で守ってあげたい乙女なんだ! 俺の命のすべてを君に捧げる!」と叫んで突進していくところだろう。

 だが――。

 その桃色の愛憐フェロモンを真正面から浴びた四十男・佐伯健太の脳裏に浮かんだ感想は、ただ一つだった。

(……うわぁ。前世の繁忙期に、終電を逃して五日連続徹夜した挙げ句、朝の給湯室でストッキング電線させて倒れてた入社三年目の新卒女子社員そっくりだな)

 枯れ果てた中年管理職の眼差し。

 恋愛感情どころか、性的な下心すらゼロ。

 ただ純粋に、「若手が過労で倒れかけていて可哀想に」という、現場監督特有の痛々しい同情と庇護欲だけがそこにあった。

 俺は作業着のポケットから清潔なティッシュを取り出すと、泥だらけのエミリアの鼻先を優しく拭ってやった。

「ほら、鼻の下に泥がついてるぞ。息を整えなさい。何があったんだ?」

「……え?」

 エミリアは涙で濡れた大きな蒼い瞳を丸くし、呆然と俺を見上げた。

 いつもなら、自分の顔を見た男たちは例外なく血走った眼で飛びかかってくるか、狂気じみた笑顔で壁際に追い詰めてくるはずだった。

 それなのに――目の前のくたびれた作業着のおっさんは、至極まともな、人間らしい適正な距離感(パーソナルスペース・約一メートル)を保ったまま、ぬるい陽薬茶の入った水筒を差し出してくれているのだ。

「あ……あ……っ」

 エミリアの喉から、掠れた嗚咽が漏れた。

 そして、胸の奥底に溜まりに溜まっていた、この世のすべての理不尽に対する怨嗟の叫びが、爆発するように解き放たれた。

「た、助けてくださいおじさんッ!! もう嫌なんです! 街中がうんこと香水で息ができないくらい臭いのも嫌だし……! 何よりあの男……! ムーンキャピタルの領主、氷血公爵ヴァルターがぁぁぁッ!!」

 エミリアは俺の作業着の裾にすがりつき、涙と鼻水をボロボロと溢れさせながら絶叫した。

「挨拶しただけで『おもしれー女』認定されて……! 朝起きたら部屋の窓の外に立ってるし、街を歩けば軍勢で包囲されるし……! 何より、会話するたびに顔面距離二センチまで間合いを詰めてきて、無言のまま十五分間ずっと顎クイしてくるんですぅぅぅッ!! 怖い! ただの不審者! 公爵とか美形とかスパダリとかどうでもいいから、普通にバキュームカーを呼んで、人間らしい適切な距離感を保ってくださいぃぃぃぃッッ!!」

 魂を削り取られた、元社畜OLの血を吐くような訴え。

 俺は胸ポケットから『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと噛み砕いた。

「……なるほど。下水インフラの崩壊と、重度のストーカー事案の併発か」

 前世の管理職時代、セクハラとストーカー被害に怯えていた女性部下の保護と、ビル配管の破裂処理を同時にワンオペ対応した記憶が蘇る。

 俺はエミリアの頭にポンと手を置き、優しく頷いてやった。

「被害届は受理した。とりあえず馬車に乗りなさい。温かいお茶と、肉椎茸の握り飯がある」

「うわああああんッ! おじさぁぁぁんッ!!」

 エミリアが号泣しながら俺の腰にしがみついた、その瞬間――。

 街道の彼方から、大気を凍りつかせるような凄まじい冷気と、地響きのような重装騎兵の蹄の音が迫ってきた。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!

 白銀のプレートアーマーで身を固めた百騎以上の精鋭騎士団。

 その先頭で、漆黒の軍馬に跨り、氷のように冷徹な美貌を歪ませて街道を睨みつけている男の姿が見えた。

 北部方面軍総司令官、氷血公爵ヴァルター・フォン・レプシウス(二十八歳)。

 その瞳は、逃げ出した獲物をロックオンした猛禽のように、妖しくギラついていた。

「逃げられると思ったのか……? 私の、可愛い小鳥……」

 ゾッとするようなキザな声が風に乗って届く。

 俺は深くため息を吐き出すと、作業着のポケットから愛用の便所スリッパをサッと抜き放った。

 どうやら、ポポロ村の交易キャラバン初日から、昭和の管理人による「パーソナルスペース指導」が必要な現場にぶち当たったらしい。

読んでいただきありがとうございます。

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