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四兄妹で異世界に来ました ~傷だらけの家族に、新しい家族ができるまで~  作者: 桜塚あお華


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第08話 変な女の人

久しぶりの更新になります。

 陽太たちが部屋を出てから、部屋の中は急に静かになった。

 三人とも、最初は「ねえちゃんのそばにいる」と言い張って聞かなかったけれど、小さなお腹がぺこぺこに空いていたのだろう。最後はメイドさんに優しく手を取られ、それぞれ嬉しそうに食事へと出かけていった。

 もちろん、私は見送りながらも何度も確認した。

 幼い不安からくる質問のすべてに、エレオノーラさんは一度も嫌な顔ひとつせず、穏やかな笑みを崩さずに答えてくれたのだった。


「……あの」

「はい?」

「本当に、すぐ戻ってきますよね?」

「ええ。もちろんです、約束しますよ」


 何度目かになる同じ質問を、私はまた繰り返してしまった。

 それでも、彼女は怒らなかった。


「ヒヨリ様」

「……はい」

「少しだけ、お身体を綺麗にいたしましょうか」


 その言葉に、びくりと私の肩が小さく揺れた。

 強張った私の異変に気づいたのか、エレオノーラさんはすぐに柔らかなトーンで付け加える。


「長く眠っていたせいで汗もかいておりますし、少し血も残っております。ですが――」


 そこで一度、彼女は言葉を切った。

 まるで何かを感じたかのように言葉を切った後、静かに息を吸って、答えた。


「触ってもよろしいですか?」

「……え?」


 私は思わず、間の抜けた声で聞き返した。


「お身体を拭くために、わたくしが触れてもよろしいでしょうか?」


 その問いの意味が、最初はすぐに理解できなかった。

 身体を拭くんでしょう?

 そんなの、大人が決めて、勝手に動く事じゃないの?

 だったら、どうしてわざわざ私にそんなことを聞くんだろう。


「……しないと、駄目なんですよね?」

「いいえ、そんなことはありませんよ」

「え?」

「ヒヨリ様が嫌でしたら、行いませんので」


 その言葉を聞いていよいよ、頭の中がこんがらがって分からなくなった。


「でも、その……汚いです」

「そうかもしれないですね……ですが、今日でなければならない急な理由などありません」

「……」

「どうしましょうか?」


 選択権は、彼女ではなく、私にある——そんなの、今まで一度もなかったことだ。

 どうしてこの人は、私に意見を求めてくるのだろう。

 こういう身の回りのことなんて、全部大人が決めるものじゃないの?


「……お、お願いします」

「分かりました」


 エレオノーラさんは、ふんわりと花が咲くように微笑んだ。


「では、もし痛いところや辛いところがあったら、いつでも遠慮なく教えてくださいね」

「はい……」


 温かなお湯に浸した柔らかい布で、彼女は私の腕をゆっくりと、まるで壊れ物に触れるように優しく拭いてくれた。

 その手つきは、驚くほど優しかった。


「痛くありませんか?」

「その……大丈夫です」

「そうですか」


 絵レオノーラさんはそれ以上、余計な事は何も言わなかった。

 拭かれるたびに、固まっていた緊張が少しずつほぐれ、身体のあちこちが綺麗になっていく。

 けれど、生々しい傷の周りを拭く時だけは、彼女の手の動きが一段と慎重になった。


「……どうして?」


 気づけば、胸のつかえがそのまま言葉になってこぼれ落ちていた。


「はい?」

「どうして、いちいちそんなこと聞くんですか?」


 私の問いに、エレオノーラさんの手がぴたりと止まる。


「あの……触っていいかって、許可を……」

「ああ」


 彼女は少しだけ目を伏せ、思案するように思考を巡らせてから、静かに答えた。


「それは、ヒヨリ様のお身体だからです」

「……私の?」

「ええ、そうですとも」


 まるで、世界の真理でも口にするかのような当たり前の事として、彼女は言ってきたのだ。


「ヒヨリ様のお身体に触れるのですから、きちんとヒヨリ様ご本人に許可を求めるのは当然のことでしょう?」


 当然——そうなのかな?

 私には、どうしてもそれがよく分からなかった。

 身体を拭き終えると、今度は新しくて真っ白な服を用意してくれた。

 それは、触るだけで肌が喜ぶような、驚くほど柔らかくて綺麗な布地だった。


「お着替えもお手伝いいたしましょうか?」

「……お、お願いします」

「分かりました」


 やっぱり彼女は尋ねてくる、一つ一つ、丁寧に。

 私が小さく頷くのを確認してから、エレオノーラさんはそっと手を伸ばしてきた。

 無事に着替えが終わると、私の乱れたままの髪を見て、彼女はまた優しく微笑んだ。


「よろしければ、髪も少し整えましょうか」

「はい……」


 今度もすぐに櫛を取るのかと思った。

 でも――。


「髪に触れてもよろしいですか?」

「……」


 まただ。どこまでいっても、この人は確認をとってくる。


「……はい」

「ありがとうございます」


 どうして、髪を整えてもらうだけの事で、この人はお礼まで言うんだろう。

 細かな歯のついた櫛が、私の黒髪をゆっくりと通っていく。

 不思議と、髪が引っ張られて痛むことは一度もなかった。少しでも絡まっているところがあると、そこでピタリと手を止め、優しく少しずつほどいてくれる。

 私は、その心地よさに身を委ねながら、ずっと頭の中で同じ疑問を転がしていた。


 この人は、私の答えを聞くまで絶対に動かない。

 

「……あの」

「はい?」


 こんなことを聞いていいのかな。

 急にわがままを言ったら、さっきまでの優しさが嘘のように消えて、怒鳴られるんじゃないかな?

 そんな恐怖が喉まで出かかったけれど、それでも、私は勇気を振り絞った。


「……嫌だって、言ってもいいんですか?」


 その瞬間、髪を梳いていた櫛の動きが完全に止まった。

 心臓がドクリと大きく跳ね、私は思わず身を縮こまらせた。


「あ、違います! その、嫌っていうわけじゃなくてですね……!」

「もちろんですよ」

「……え?」

「嫌だと言っても、まったく構いませんから、嫌なら言ってくださいね?」

「え、あの……」


 エレオノーラさんは、どこまでも穏やかな声で答えた。


「私にでも、あるいは他の誰にであってもね」

「……でも」


 そんなことをしたら、すぐにお父さんに怒られる。

 お前はわがままだと罵られ、大人の言うことには黙って従えと、冷たく突き放される。


「嫌って言ったら……怒りませんか?」

「怒りませんよ」

「……本当に?」

「ええ、誓います」

「でも、大人の言う事を聞かないと……」


 そこまで口にして、私は慌てて自分の口を両手で塞いだ。

 何を言っているんだろう、私っ!

 ここであんな家のルールを持ち出したら、きっと呆れられてしまう。

 しかし、エレオノーラさんは少しの間、静かに黙り込んだ。

 少し考えるようにした後、エレオノーラさんは笑顔で答えた。


「ヒヨリ様」

「はい……」

「嫌なことを『嫌だ』と表現するのは、決して悪いことではありませんよ」

「……」

「怖ければ怖いと言っていい。痛ければ痛いと言っていい。嫌なら、嫌だと拒んでいいのです……自分の気持ちを口にしても、いいのですよ」」


 胸の奥に染み入るような、あまりにも優しい声だった。

 分からない、そんな事——生まれてこのかた、一度だって誰も教えてくれなかった。


「……もし、私が『嫌』って言ったら……」

「はい」

「本当に、もうやめてくれるんですか?」

「もちろんです。あなたが嫌がる事は二度いたしませんから」


 そして、私は激しく迷った。

 頭の中で、恐怖と小さな期待がぐるぐると渦を巻く。


「じゃあ……」


 胸の鼓動がうるさいほど激しく波打つ。

 こんなわがままを口にして、本当に許されるのだろうか?


「今日は……もう、髪は、その……だ、大丈夫です……」


 ついに、言ってしまった。

 あぁ、怒られる。きっと面倒くさい子どもだと思われる。

 そう身構えて、私はカチカチに身体を硬くこわばらせたのだけれど。


「――分かりました」


 エレオノーラさんは、ただそれだけを言うと、躊躇う事なくスッと櫛をテーブルの上に置いた。


「……え?」

「どうかいたしましたか?」

「……もう、終わり……ですか?」

「はい」

「……怒らないんですか?」

「どうして怒る必要があるのですか? そんな事で私は怒りませんよ?」


 彼女は、何も隠し事のない純粋な笑顔で、にっこりと微笑んでみせた。

 それだけだった。


 本当に、あんな言葉を口にしたというのに、部屋には何も恐ろしいことが起きなかった。

 大きな声で怒鳴られなかった。あの叔父のように。

 呆れたような、嫌な顔さえひとつもされない。


「……変なの」

「あら」

「……ご、ごめんなさい……!」

「ふふ、謝る必要はありませんよ……構いませんからね」


 私は目の前にあるふわふわの布団の端を、両手でぎゅっと強く握りしめた。

 やっぱり、まだ私には何もかもが分からなかった。

 自分が「嫌だ」と自分の意志で拒んでもいいという、その信じられない現実があるなんて思わなくて、何一つ頭の中に理解できていなかった。

 でも、ただそれだけなのに。

 不思議な事にさっきまで冷たく怯えていたはずのこの部屋が、なぜだかほんの少しだけ怖くなくなっている自分に気づいたのだった。

読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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