第06話 私は、傍にいます【エレオノーラ視点】
その知らせが届いたのは、夕暮れ前のことでした。
「奥様!」
珍しく慌てた様子のセバスが部屋へ入ってきたとき、わたくしは窓辺で刺繍をしておりました。
今日はアルベルトが騎士団を率いて森へ向かっています。
異常な魔力反応が観測されたため、調査に向かったのです。
危険な魔物が出たとしてもあの人なら問題ないでしょう、そう思いながら帰りを待っていたのですが。
「旦那様から先触れが参りました」
「あら。もうお帰りですか?」
「それが……」
セバスが僅かに言葉を詰まらせます。
「子どもを四人、保護したとのことです」
「……子ども?」
思わず聞き返しました。
「はい……一番上と思われる少女は重傷。ロイド様が応急処置を施しているものの、予断を許さない状態とのことです」
手にしていた刺繍の針を置きました。
「年齢は?」
「詳しくは。ただ、全員幼い子どもだと」
「分かりました。すぐに治療室を使えるようにしてください」
「すでに準備を始めております」
「では、お湯と清潔な布を多めに。それから四人分のお部屋と食事も」
「旦那様からも同じ指示がございました」
「まあ」
思わず小さく笑ってしまいました。
あの人らしい、ですが今は笑っている場合ではありません。
「ルーカスとノエルは?」
「訓練場にいらっしゃいます」
「呼んでください。手伝ってもらいましょう」
「承知いたしました」
ほどなくして、二人の息子がやって来ました。
「母上、父上が子どもを拾ったというのは本当ですか?」
開口一番、ノエルが尋ねます。
「拾ったわけではありません。保護したそうです」
「四人も?」
「ええ」
隣にいるルーカスも僅かに眉を寄せました。
「怪我人がいると聞きました」
「一番上のお姉様が重傷だそうです」
それを聞いて、二人の表情が引き締まります。
「ルーカスはセバスと一緒に治療室の準備を確認してください。ノエルはリリアと子どもたちのお部屋を」
「分かりました」
「任せてください」
息子二人がすぐに動き出します。
本当によい息子たちに育ってよかったと思いました。
それからしばらくして、正門の方から騒がしい足音が響きました。
アルベルトたちが帰ってきたのです。
玄関へ向かったわたくしが最初に目にしたのは、担架に横たわる小さな少女でした。
そして、その背後にぴったりと寄り添う三人の幼い子どもたち。
――小さい。
聞いていた以上でした。
しかも三人とも、酷く怯えている。
ですから、わたくしは不用意に近づかないことに決めました。
アルベルトから聞いていた名前を呼び、自分から名乗り、少し離れたところから静かに話しかける。
すると、ヨウタという少年が尋ねました。
「……ねえちゃんと、いっしょにいていい?」
「もちろんですよ」
そう答えた時、ほんの少しだけ、少年の強張った表情が緩みました。
けれど、どうやら安心するには、まだ早かったのです。
▽
「——奥様」
治療室へ入ると、ロイドが振り返りました。
「ヒヨリさんの処置を始めます」
「ええ、お願いします」
ベッドには、先ほどの少女――ヒヨリが横たわっており、三人の弟妹は隣の部屋で休ませていました。
とはいえ完全に離す事はせず、部屋の扉は開けたままにしてあります。
少しでも姉の姿が見えなくなると、特にヨウタが酷く不安がったためでした。
「……この子、おいくつなのですか?」
私は尋ねました。
だって、あまりにも小さい。
ロイドは処置の手を止めずに答えます。
「正確にはまだ分かりません。ただ……十歳程度かと」
「十歳……」
思わず息を呑みました。
十歳の子ども、それが、どうしてこんな状態になるまで……。
「……服を外します」
血に濡れた衣服が、慎重に取り除かれていきます。
そして、言葉を失いました。
「……っ」
細い——まず目についたのは、その身体の異常なまでの細さでした。
腕も足も、年頃の子どもとは思えないほど細く折れそうです。
「栄養状態も良くありません……おそらく、十分な食事を長期間取れていなかったのでしょう」
「……そう」
ですが、もっと目を背けたくなったのは、その少女の身体に残された傷でした。
一つや二つではありません。
新しい傷や治りかけのものもあれば、薄く変色して残った古い傷痕もありました。
いくつもの痛ましい痕が、小さな身体に何重にも重なっていたのです。
「これは……今日、森で?」
「いいえ」
ロイドはゆっくりと首を振りました。
「今日負った傷ではないものが大半です」
「では……」
それ以上、言葉を紡ぐことができませんでした。
胸の奥が、冷たい水に浸されたように冷えていく。
こんな小さな子が、一体どれだけの絶望を耐え抜いてきたというのでしょうか?
「エレオノーラ」
背後から低い声がしました。
振り返ると、アルベルトが立っていました。
「アルベルト……」
「容体は?」
「ロイドが診てくださっています」
アルベルトはベッドへ目を向けました。
その顔が、みるみるうちに険しく歪みます。
「……アルベルト、この子たちを見つけた時、どんな様子だったのですか?」
尋ねると、アルベルトはしばらく黙っていました。
やがて、森で起きた出来事を淡々と語り出してくれました。
巨大な魔物に襲われており、ヒヨリが三人の弟妹を背後へ必死に隠していた事。
折れた木の枝一本を頼りに、恐ろしい魔物へ立ち向かおうとしていたらしい。
最後に、助けに入ったアルベルトたちに対しても、ヒヨリは弟妹を守るように身を挺して立ちはだかったとの事。
「最後まで、自分の怪我のことはほとんど口にしなかった」
「……」
「血を吐いて倒れる寸前まで『大丈夫』と言っていた」
「大丈夫……」
「それどころか、意識を失う直前まで弟たちを助けてくれと言っていた」
わたくしは何も言うことができませんでした。
視線を再びベッドの上の少女へ戻します。
隣の部屋で眠る三人には、ほとんど怪我がありません、それは偶然なのでしょうか。
いいえ、きっと、違う。
「……この子は」
自然と、その言葉が零れました。
「ずっと、弟妹の盾になっていたのですね」
「——ああ」
アルベルトが苦渋に満ちた声で答えます。
「俺もそう思う」
とても、胸が痛みました。
十歳程度の少女が、三人の弟妹を守るために、自分だけが傷つきながら身代わりになり続けてきた。
それを当然の義務だと思い込むほど、長い間。
「……どうして」
思わず、ヒヨリの冷たそうな頬へ手を伸ばしかけました。
けれど、途中でその指先を止めます。
この子は、まだ見知らぬ大人を深く恐れている。
目を覚ました時に見ず知らずの女に勝手に触れられていたら、どれほど怖い思いをするでしょうか?
だから、そっと手を引きました。
「エレオノーラ?」
「色々と聞くのは、この子が目を覚まして、落ち着いてからにします」
「……そうか」
アルベルトは何も言わず、ただ小さく頷きました。
今、この子に必要なのは治療です。
そして、その治療が終わったあとに必要なのは――まずは温かな食事と清潔な衣服、温かいベッド
そして何より、怖い事などもう何も起こらない、と知るための長い時間だと感じました。
けれど、それだけでは足りないでしょう。
それでも、一つずつ、丁寧に積み重ねていくしかない。
私はベッドの傍らに椅子を引き寄せ、静かに腰掛けました。
「目を覚ますまで、ここにいます」
「長くなるかもしれんぞ?」
「構いません」
静かに眠り続ける少女を見つめます。
「目を覚ました時に知らない場所に一人きりでは怖いでしょう?」
ただし、この子が目を覚ましても、すぐには触れないようにしないといけないですね。
近づいていいかと、優しく尋ねてみましょう。
小さな手を握ってもいいかと、おそるおそる伺いましょう、嫌なら、嫌だと泣いて叫んでいいのだと教えてあげましょう。
あなたはもう、弟や妹を守るために、たった一人で傷つかなくてもいいのだと。
いつか、この子自身がその温もりを心から信じられるようになるまで、何度だって言葉にして伝えればいい。
私は静かに祈るようにして、ヒヨリが目を覚ますのを待ち続ける事にしました。
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