第05話 屋敷に連れて帰る【アルベルト視点】
侯爵邸へ到着した頃には、すでに日が傾き始めていた。
「旦那様!」
馬車が正門を抜けるなり、知らせを受けていた使用人たちが玄関前へ集まってくる。
「お帰りなさいませ!」
「ああ」
馬車を降りた俺は、すぐに後方を振り返った。
ロイドが乗っている馬車が止まり、その中の先には未だ意識を取り戻さないヒヨリと、三人の弟妹が乗っていた。
「ロイド、容体は?」
「大きな変化はありません。ただ、予断を許さない状態です」
「分かった……すぐに運べ」
「はい」
急いで担架が用意される。
騎士たちがヒヨリを運び出そうとした、その時だった。
「やめろ! さわるな!!」
弟であるヨウタの必死な声が響き渡り、使用人たちの動きがぴたりと止まった。
馬車の中で、ヨウタがヒヨリへ覆い被さるようにして庇い続けている。
その隣ではソウタが震えながら姉の手を握りしめ、ミウもそこから離れようと必死にしがみついていた。
「ねえちゃんは、ぼくがはこぶから……っ」
「む、むりだよ、ヨウタ……」
「だけど、ソウタ……っ!」
「――ヨウタ」
俺は少し離れた場所から、落ち着いた声で呼びかける。
少年の肩がびくりと大きく揺れた。
「覚えているか。俺が森で約束した事を」
「……」
「四人一緒だ、一人にしない」
「……本当に、ひとりにしない?」
「ああ」
俺はしっかりと頷いた。
「ヒヨリは怪我を治すために部屋へ運ぶ。お前たちも一緒に来ていい、いいな?」
俺の言葉に対し、ヨウタはしばらくの間、じっと俺を見つめていた。
やがて、ほんの僅かに警戒を解くように身体を退ける。
「ほんとうに……ねえちゃんに、痛いことしない?」
「しない」
「ぜったい?」
「ああ、誓う」
その言葉を聞いて、ようやく騎士たちは慎重にヒヨリを担架へ移す事ができた。
だが、三人はぴったりと担架に寄り添うようにして歩き始める。
離れろと言うつもりなど最初からなかった——むしろ今の彼らにとっては、それが当然の権利だった。
「——旦那様」
セバスが静かに近づいてくる。
「奥様がお待ちです」
「……ああ」
前方に視線を上げながら静かに息を吐いた。
玄関の扉の前に、エレオノーラが佇んでいた。
長い淡金色の髪を背へ流し、いつもの変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべており、その後ろには、必要最小限の使用人たちだけが控えられていた。
「……っ」
三人の足がぴたりと止まる。
ヨウタがソウタとミウを背後へ庇うように前へ出た。警戒心からか、その視線が忙しなく周囲へと動く。
きっと、彼らには全て見知らぬ『大人たち』の脅威に見えているのだろう。
無理もない事だ。
俺自身、幼い頃にこの屋敷を初めて訪れた者がその大きさと厳かさに圧倒される姿を幾度となく見てきた。まして、この子たちはつい先ほどまで、魔物が蠢く深奥の森にいたのだ。
「セバス」
「はい」
「皆を下がらせろ、必要な者だけ残せ」
「承知いたしました」
セバスが手ずから使用人たちへ無言の合図を送る。
事情を詳しく知らない者たちは不思議そうな顔を浮かべたが、誰一人として逆らう事なく、音もなくその場を離れていった。
エレオノーラだけは、その場から一歩も動かなかった。
妻と俺の目が合うと、彼女は僅かに視線を担架の上のヒヨリへ向け、それから三人の子どもたちへと移した。
たったそれだけで、おおよその事情を察したらしい、流石は我が妻だ。
エレオノーラはゆっくりと、穏やかな足取りで歩いてくる。
「……っ!」
ヨウタが身構え、ソウタも同じように小さな体を強張らせた。
すると妻は彼らが警戒する距離の少し手前で、ピタリと足を止め、それ以上無暗に近づこうとはしない。
「——初めまして」
静かで、温かみのある声だった。
だが、それでも子どもたちからの返事はない。
「わたくしは、エレオノーラ・ヴァレンシュタインと申します……こちらのお屋敷で暮らしております」
そう名乗ると、エレオノーラはその場でゆっくりと優雅に膝を折った。
三人の子どもたちと、視線の高さを合わせるためだ。
そして静かに笑いながら俺に視線を向けて答えた。
「そちらの怖い顔をした方の、妻です」
「……おい」
思わず低く突っ込みを入れる。
ソウタがびくりとしながら、俺とエレオノーラの顔を交互に見比べた。
「……おくさん?」
「はい、そうです」
「アルベルト……おじさんの?」
「そうですよ」
エレオノーラは柔らかく微笑んで頷く。
「こんなに怖い顔をしていますが、決して悪い人ではありませんから、安心してくださいね」
「おい、エレオノーラ」
何の援護射撃にもなっていない台詞に、俺は小さく頭を押さえたくなった。
だが。
「……」
ヨウタの肩から、ほんの僅かに強張っていた力が抜けたのが分かった。
妻はそれ以上、無駄に距離を詰めたりはしない。
「ヨウタ様、ソウタ様、ミウ様ですね?」
名前を呼ばれ、三人の表情が小さく変わる。
「……なんで、なまえ……」
「アルベルトから、あらかじめ教えていただきましたので」
「……」
「そして、こちらがお姉様のヒヨリ様ですね」
ヨウタが再び不安そうに担架を見下ろす。
「……ねえちゃん、ずっと起きないんだ」
「そうですね……」
「し……死なないよね?」
その切実な問いに、エレオノーラの表情がほんの僅かに曇った。
だが、すぐにいつもの穏やかな笑顔を取り戻す。
「ロイドさんと一緒に、出来る限りの治療を尽くします」
「……」
「ヒヨリお姉様は、私たちがきちんと診させていただきますからね」
そこで妻は一度言葉を切り、優しい眼差しを子どもたちに向けた。
「あなたたちも、ずっと一緒にいて構いませんよ」
「……いっしょに?」
「はい」
「ねえちゃんのところに、いれるの?」
「もちろんです」
ヨウタの瞳が、僅かに見開かれた。
「はなれなくて、いいの……?」
「ええ、無理に離れなくても大丈夫ですよ」
その言葉を聞いた瞬間、ヨウタとソウタが握りしめていた小さな拳が、ゆっくりと、力なくほどけていった。
完全に警戒が解けたわけではない――彼らの瞳の奥には、まだ深い恐怖と怯えの名残が焼き付いていた。
それでいい、今すぐ俺たちを信用しろと言う方が、どう考えても無理な話なのだから。
「奥様」
ロイドが緊張感のある声で声をかける。
「申し訳ありません。一刻も早くヒヨリさんを治療室へ」
「そうですね、お願いします」
そのように言った後、エレオノーラが道をスッと空けると、担架が再び持ち上げられ、屋敷の中へと運び込まれていった。
「ねえちゃんっ!」
慌てたように、ヨウタたちもその後を追おうとする。
だが、開かれた重厚な玄関の前に立った瞬間、三人の足がぴたりと止まった。
「……」
ヨウタが首を大きく曲げ、目の前にそびえる屋敷の中を見上げている。
高く吹き抜けた天井や手入れの行き届いた磨き上げられた床、優雅な大階段に壁に飾られた、見た事もない重厚な絵画の数々。
三人にとっては、何もかもが初めて見る未知の世界なのだろう。
「ヨウタ」
名前を呼ぶと、少年はびくりと震えてこちらを振り返った。
「行こう」
「……」
「ヒヨリのところへ」
俺は無理に歩み寄ったり、子どもたちの小さな手を引いたりしなかった。
ただ、背を向けて先に歩き出す。
僅かな間を置いて、背後から、カタカタと小さな足音がついてきた。
振り返らなくとも、彼らがしっかりついてきているのが分かる。
いつの間にか、エレオノーラが俺の隣に並んで歩いていた。
「あなた」
「なんだ」
「随分と、可愛らしいお客様たちを連れて帰ってきたのですね」
「……客、か」
「どうしたのですか、少し疲れたような顔をして」
「いや……」
俺にとって、まだわからない事ばかりだ。
そもそもあの子たちが、一体どこから来たのかすらわからない。だが多分、召喚陣があるからもしかしたら別の世界に来たのではないだろうかと言う事は理解出来る。
だが、一番許せないのはあんな痛ましい傷を、一体誰がヒヨリにつけたのか。
この先、彼らに帰るべき場所が見つかるのかどうかもわからない。
「エレオノーラ」
「はい」
「しばらくは、この屋敷も騒がしくなるぞ」
妻は少しだけ驚いたような顔をしたあと、ふっと柔らかく微笑んだ。
「ふふ、それはとても楽しみですね」
俺はそれに対して何も答えなかった。
ただ、少し前を歩く三人の後ろ姿に視線を送る。
ヨウタがしっかりとお兄ちゃんらしくソウタの手を握りしめ、そのソウタが一番小さなミウの手をしっかりと掴んでいる。
三人は手を取り合いながら、姉が運び込まれていった方向へと必死に歩いていた。
――四人一緒だ。
あの深い森の中で交わした約束の言葉が、脳裏によみがえる。
俺は、一度口にした誓いを違えるつもりはない。
少なくともこの子ども達が怯える事なく、心から安心して眠れる居場所を見つけるまでは、俺達が、この子たちを守る。
それだけは屋敷の門をくぐった瞬間からすでに心に決めていた事だった。
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