第02話 知らない森
最初に感じたのは、激しい痛みだった。
「……っ」
呼吸をするだけでも、身体の奥がずきりと痛む。
――痛い、身体中がズキズキしている。
どこが一番痛いのか分からないくらい、全身が悲鳴を上げていた。
それでも必死に瞼を開けてみると、ぼんやりと滲んだ視界の向こうに広がっていたのは、見慣れぬ緑色だった。
「……え……?」
木がある——それも、見たことがないほど巨大な木だった。
何本もの太い幹が空へそびえ立ち、その上を濃い緑色の葉が覆っている。
葉の隙間から差し込む光が、地面にまだらな模様を作っていた。
湿った土と草の匂いが、鼻腔をくすぐる。
「ここ……どこ……?」
家じゃない、さっきまで、私は家にいた。
陽太たちと一緒にいて、突然床が光って、それで……。
「……っ!」
私は一気に意識が覚醒した。
すぐに周りに目を向ける。
「陽太……奏太……美羽……?」
三人は、どこにいるの?
「陽太!」
慌てて身体を起こそうとした瞬間、先ほど男に蹴られた脇腹に鋭い激痛が走った。
「っ、あ……!」
腕から力が抜け、倒れそうになるのを必死に堪えて地面へ手をつく。
痛い、痛い痛いっ……。
「いたい……なんて、いってられない……がんばれ、ひより……わたしは、お、おねえちゃんなんだから……っ」
そう、私はお姉ちゃん。
陽太、奏太、美羽のお姉ちゃんなんだ。
私は脂汗が額を拭くが、でも、そんなことどうでもよかった。
「奏太! 美羽!どこ……っ!」
いない、そんなの、嫌だ。
私がちゃんと抱いていたのに。
絶対離さないって、誓ったのに――。
「……ねえ、ちゃん……?」
「っ!」
微かな声がした。
慌てて振り向くと、少し離れた木の根元に、小さな身体が三つ転がっていた。
這うようにして近づくと、陽太がゆっくりと上体を起こした。
「ねえちゃん……」
「陽太!大丈夫!? 痛いところない!?」
「う、うん……」
震える手で顔や頭、腕、足を触って確かめる、血は出ていない。
「奏太!」
「……ひより、ねえちゃん……」
奏太も目を覚ました。
陽太と同じように体を触る。
「どこか痛い?」
「だいじょうぶ……」
「本当に?」
「うん……」
よかった。
あとは美羽だけだ。
「美羽!」
一番小さな身体をそっと抱き起こす。
「美羽、起きて!美羽!」
「……んぅ……」
「美羽?」
小さな瞼がゆっくりと開いた。
そして、小さな目が私を見て笑う。
「……ねえね?」
「……っ!」
喉の奥から、熱いものがこみ上げる。
「よかった……」
美羽を胸に引き寄せ、強く抱き締めた。
「よかったぁ……っ」
よかった、三人ともいる。
三人とも生きているし、怪我もない。
それが分かった途端、緊張の糸が切れて身体から力が抜けそうになった。
だが、まだ気を抜いては駄目だ。
「ねえちゃん」
「ん?」
陽太が私を見上げていた。その顔が、みるみるうちに強張っていく。
「……ち、でてる」
「え?」
「そんなに、いっぱい出てたの……?」
陽太の視線を追って、自分の服を見て息を呑む。
家にいた時は暗かったから、よく見えていなかったのかもしれない、陽太は青ざめている。
服のあちこちが赤黒く汚れ、特に脇腹の辺りは乾きかけていたはずの血が傷口から再び滲み出して広がっていた。
「ねえちゃん、いたい?」
奏太まで泣きそうな顔になる。
「……大丈夫」
いつものように、作り笑いを浮かべる。
「これくらい平気だよ」
「でも……っ」
「それより二人とも、本当に怪我してない?」
「ねえちゃんのほうがけがしてるじゃん!」
「私はいいの」
「よくない!」
「……陽太」
「よくないもん……!」
ぽろっと、陽太の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ねえちゃん、いっぱい血でてるもん……っ。痛いのに、隠さないでよ……」
「…………」
泣かせたいわけじゃないのに。
震える手で陽太の頬を拭ってやる。
「ごめん、だけど本当に、大丈夫だから」
そう言って笑ったつもりだったが、自分の顔がどれほど酷く歪んでいるか分からなかった。
▽
ポケットからキッズスマホを取り出す。
これは、お母さんが持たせてくれたものだ。
画面には痛々しいひびが入っていたが、どうにか電源はついた。
「あ……圏外……」
当然のように電話は繋がらない。
周りには道路も、電柱も、建物もないし、どこを見渡しても果てしない木々と森が続いているだけだった。
こんな場所、近所にあるはずがない。
「ねえちゃん、ここどこ?」
「……分かんない」
「おうち、かえれる?」
奏太に聞かれて、返す言葉が見つからなかった。
帰り方なんて分からない。そもそも、ここが日本のどこなかすら分からない。
怖い、どうしよう?
お母さんはいないし、大人は誰もいない。
弟たちが頼れるのは、私一人だけだ。
――しっかりしなくちゃ。お姉ちゃんなんだから。
「とりあえず、人がいるところを探そう」
スマホをしまい、気力を振り絞って立ち上がろうとした。
「……っ!」
立ち眩みとともに、目の前が真っ暗になる。
ふらついてしまい、そのまま尻もちをついてしまう。
そして、足の裏の感覚すらなかった。
「ねえちゃん!」
必死にしがみついてくれた陽太の声に、どうにか意識を繋ぎ止める。
「だいじょうぶ……?」
「っ、……大丈夫」
揺らぐ視界の中、すぐそばにあった太い木の幹に手をつく。
気持ち悪い、吐き気がするし、頭が激しくくらくらして、身体は鉛のように重い。
それでも、ここにじっと座っているわけにはいかない。
このまま夜を迎えたら、それこそどうなるか分からなかった。
食べ物も、水もない。美羽はまだ二歳なのだ。
「み……美羽、おいで」
「ねえね」
震える足でどうにかしゃがみ込み、美羽を抱き上げる。
ずしりと重さが脇腹の傷口に直撃し、視界が白くチカチカした。
「……っ」
「ねえね?」
「なんでもないよ……」
「ぼく、て、つなぐ」
陽太が私の左手を小さな両手でしっかりと握りしめる。反対側からは、奏太がそっと服の裾を掴んだ。
「……うん、歩こう」
とにかく、人を探そう。
きっとどこかに道路があって、民家があるはずだ。
警察に行けば、なんとかしてくれる。
三人を絶対に連れて帰る。
一歩、また一歩。
足を前に踏み出すたび、全身の傷口が引き裂かれるように痛んだ。
美羽を抱く腕の力も抜けかけていくけど、それでも私は歩いた。止まるわけにはいかなかった。
その時、陽太が声をかけてきた。
「ねえちゃん」
「なに?」
「ぼく、美羽だっこしようか?」
陽太が心配そうに見上げてくる。その健気さに、胸が締め付けられる。
「ううん、陽太にはまだ重いよ」
「でも、ねえちゃんいたいでしょ?」
「大丈夫」
「……またそれ」
陽太がぷっと頬を膨らませる。
「ごめんね」
顔を膨らませている陽太の顔がかわいいけど、そんな事も言ってられない。
頑張らないと、お姉ちゃんなんだから。
その時だった。
――ガサッ。
乾いた音がして、私の足がぴたりと止まる。
「……?」
すぐ近くの茂みが揺れた。
多分、風ではない。明らかに何かの生き物の気配だった。
「ねえちゃん?」
「……しっ」
反射的に三人を自分の背中側へ庇うように引き寄せる。
次の瞬間、森のざわめきが嘘のように静まり返り、鳥のさえずりさえも消え失せる。
ぞくり、と背筋を冷たいものが駆け抜けた。
――ガサ。
今度は、さっきよりもはるかに近い。
美羽を抱く腕に、残されたすべての力を込める。
「陽太、奏太」
恐怖を押し殺し、できるだけ落ち着いた声で告げる。
「お姉ちゃんから絶対に離れないで」
「……うん」
二人が私の服をぎゅっと掴み直す。
そんなやり取りをしていた時、聞き慣れない低い唸り声が響いた。
――グルルルル……。
「……なに、これ」
奏太の小さな体が小刻みに震え始める。
犬の鳴き声じゃない、もっと低く、もっと巨大な、聞いたこともない野獣の気配。
――グルルルルル……!
バキリと、踏み折られた木の枝の音がする。何かが、確実にこちらへ狙いを定めて近づいてきている。
――いけない、逃げなくちゃ。
頭では分かっているのに、失血と痛みのせいで足がまるで動かない。
それでも私は、美羽をしっかりと抱きしめたまま陽太と奏太を背後へ押し隠した。
「ねえちゃん……怖いよ……」
「大丈夫、大丈夫だからっ……」
震える声を必死にねじ曲げ、私は前を睨み据えた。
「お姉ちゃんが、ついているから、ね?」
かさかさと動く木々の向こうで、二つの『赤い光』が闇の中でゆっくりと動いていたのに、私は気づいたのだった。
読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!
ぜひよろしくお願いします!




