第01話 私は、おねえちゃんだから
新作です。傷だらけの四兄弟が異世界で幸せになるお話。
ひよりが主人公です。
ランドセルを下ろすより先に、私は冷蔵庫を開けた。
「……卵、二個か」
あとは昨日の味噌汁が少し。炊飯器の中にも、ご飯は茶碗三杯分くらいしか残っていない。
小学六年生、十二歳せある私は本当なら学校から帰ったら宿題をして、友達と遊んで、夕飯ができるのを待っている年齢なのかもしれない。
でも、うちは違うんだ。
「ねえちゃん、おかえり!」
「ひよりねえちゃん!」
ぱたぱたと足音を立てて、五歳の陽太と奏太が台所へやってきた。
その後ろから、二歳の美羽が短い足で一生懸命追いかけてくる。
「ねえねー!」
「みんな、ただいま」
抱きついてきた美羽を受け止める。
「いい子にしてた?」
「してた!」
「ぼくも!」
「ぼくもしたよ」
「はいはい。みんな偉いね」
三人の頭を順番に撫でると、自然と笑えた。
「……ねえちゃん、おなかすいた」
「ぼくもー」
「まんま!」
「分かった。すぐ作るね」
私はランドセルは玄関に置いたまま、袖を捲って、夕飯を作り始めた。
卵を焼いて三つに分けて、味噌汁を温め直して、残っていたご飯を三つの茶碗によそう。
だけど、私の茶碗は出さなかった。
テーブルに用意すると、既に待ち構えていた弟たちと妹に出す。
「いただきます!」
三人の声が重なり、私は美羽の卵を小さく崩し、スプーンですくう。
「美羽、口開けて……あーん」
「あー」
「うん、おいしい?」
「おいち!」
美羽が嬉しそうに笑った。
それだけで、お腹が空いていることなんてどうでもよくなる。
「……ねえちゃん」
「ん?」
ふと、奏太が私の前を見ていた。
「ねえちゃんの、ごはんは?」
「あとで食べるよ」
「でも、ごはん、もうないよ?」
鋭いな、五歳なのによく見ている。
私は、いつものように笑った。
「お母さんが帰ってきたら何か買ってきてもらうから大丈夫だよ」
「ほんとう?」
「うん」
嘘だ、多分お母さんは買ってきてくれない。
でも、それでいい——三人がお腹いっぱいなら、それでいい。
「ねえちゃん、これあげる」
陽太が自分の卵を箸でつまんだ。
「いいよ。陽太が食べな」
「でも――」
「お姉ちゃん、お腹空いてないから」
笑って返す、そう、これくらいなんでもない。
私がお姉ちゃんなんだから我慢しなきゃいけないんだ。
笑いながらご飯を食べさせていたその時だった。
ガチャリ、と玄関の扉が開いた。
箸を持っていた陽太の手が止まり、奏太の顔から笑顔が消える。
私も息を止める。時間を見るとまだお母さんが帰ってくる時間じゃない。
義父も今日は遅いと言っていた。
だったら――どす、どす、と廊下を踏む重たい足音がして、私の身体が勝手に震えた。
「……陽太、奏太……美羽を連れて、部屋に行って」
「……おじちゃん?」
私の言葉に奏太の声が震えていた。
「——大丈夫」
笑わなくちゃいけない。
怖い顔をしたら、三人まで怖くなる。
「大丈夫だから、お姉ちゃんがいるから、ね?」
「ねえちゃんもいこう!」
陽太が私の服を掴んだけど、私は笑顔で言った。
「あとで行くよ」
「やだ」
「陽太」
「また、ねえちゃん――」
「大丈夫だから」
しゃがんで陽太の手を握る。
「奏太と美羽をお願い。陽太、お兄ちゃんでしょ?」
「……うん」
「ありがとう」
陽太が頷いた後、美羽の頬にも触れる。
「いい子にしててね」
「ねえね?」
「すぐ行くから」
そのまま三人を部屋へ向かわせ、扉が閉まったことを確認して、私は一人で廊下へ出た。
息を静かに吐いて、真っ直ぐ見る。
待ち構えていたのは、義父の兄である男――あの男だった。
「——おい、ガキ。親父はいつ帰る」
酒とタバコの臭いが鼻をつく。
不機嫌そうに歪んだ顔が、私を睨みつけてきていた。
血の繋がりなどない、この家にとっての害悪でしかない男。
「……今日、お父さんは遅いです」
「なんだと? 使えねえガキだな。おい、金を出せ。すぐにだ」
「ありません。今、家には……」
言いかけた言葉を遮るように、男の太い腕が振り下ろされた。
鈍い音が響き、私の身体は廊下の壁に激しく叩きつけられる。
「ふざけんな、隠してんだろ! ガキが生意気な口きんじゃねえ!」
「っ……!」
腹部を蹴り飛ばされ、激痛に息が詰まる。
視界が一瞬で真っ暗になり、立っていられなくなり、床に崩れ落ちる私に構わず、男は足蹴にし続けた。
「役立たず……親の教育がなってねえんだよっ!」
吐き捨てるように悪態をつくと、男はそのまま機嫌を損ねたまま、ドタドタと乱暴に玄関から出て行った。
遠ざかる足音を聞きながら、私は床に這いつくばったまま動けなかった。
――痛い、痛いよ。
全身が焼け付くように痛くて、息をするたびに内臓が引き裂かれそうだ。
骨が何本かいっているかもしれない。血の味がして、意識が何度も遠のく。
――わたしは、おねえちゃんなんだから
動かなくちゃいけない、早くあの子たちのところへ行かなくちゃ。
そう思っても、指一本すらまともに動かす事ができなかった。
「ねえちゃん!」
どれくらい時間が経ったのだろう。
静まり返った廊下に、びくびくと扉を開ける音がした。
「ねえちゃん!」
部屋から飛び出してきた陽太が血を拭うこともできず床に倒れ込んでいる私の前で、わっと泣き崩れた。
「よ……陽太」
立たなくちゃ、いつもみたいに笑わなくちゃ、そう思うのに、身体は鉛のように重く、声も掠れて出ない。
「ねえちゃん、ち……!」
奏太の顔がくしゃりと歪み、美羽も不安そうに駆け寄ってくる。
「だ、だいじょうぶ……」
いつものように笑ってごまかそうとした。
けど、ひどくかすれた声しか出なかった。
「へいきじゃない!」
陽太が叫んだ。
大粒の涙が、私の顔にぽたぽたと落ちてくる。
「ねえちゃん、いつもそうやって……! いたいのに、いたくないっていう! だいじょうぶじゃないのに、だいじょうぶっていう!」
陽太の小さな震える手が、私の血まみれの服をぎゅっと掴む。
「まもれなくて、ご、ごめん……ぜったい、ぼくがおっきくなったら、ねえちゃんをまもるから……!」
「……うん」
「いっぱいごはんたべて、おっきくなって、つよくなって……ねえちゃんをいじめるやつ、ぼくがぜんぶやっつけるから……っ!」
胸の奥が、激痛とは別の意味で引き裂かれそうに痛くなった。
まだ五歳なのに、こんなボロボロの私なんかより、この子たちを温めてあげなきゃいけないのに。
「ありがとう……陽太」
震える手をどうにか持ち上げ、陽太の頭を撫でるのがやっとだった。
「ねえねぇ……ねえね、いたいいたい?」
「……うん。ちょっと、痛いかな」
美羽も泣きながら私の膝へしがみつく。
今日はもう、嘘をつく気力すら残っていなかった。
「いたいの、とんでけ……とんでけ……っ」
美羽が小さな手で、私の傷ついた腕を一生懸命撫でてくれる。
奏太も私の隣へくっつき、ぽろぽろと涙をこぼした。
私は動かない身体をどうにか動かし、震える三人を精一杯抱き寄せた。
――身体中が痛い。
怖かった、本当は叫び出したいほど痛くて、誰かに助けてほしかった。
でも、私にはこの子たちがいる、私がお姉ちゃんでいなくちゃいけないんだ。
「……大丈夫だよ……四人でいれば、大丈夫だから」
私は掠れてしまった声で、もう一度三人に声をかけた。
陽太が私の服を強く握りしめ、奏太が私の肩へ顔を埋める。美羽を膝の上へしっかりと抱き締める、その時だった。
私たちの足元が、突如として眩い白光に包まれた。
「……え?」
床に光の線が出てくる。
それは私たち四人を囲むように複雑な円を描き、見たこともない文字のような美しい模様が次々と浮かび上がった。
「ねえちゃん……これ、なに?」
「動かないで……!」
痛む身体に鞭打ち、三人をさらに強く抱き締める。
光が一気に強さを増していく。
「こわいよお!」
「ねえちゃん!」
「ひよりねえちゃん!」
「ねえねぇ!」
何が起きているのか分からない。
頭がボーッとする。でも、この子たちだけは絶対に離しちゃ駄目だ。
「私から、離れないで……!」
「ねえちゃん!ねえちゃんも、いっしょだよ!」
「……うん、一緒」
私は重傷を負った身体の限界を超えて三人を抱く腕に最後の一滴の力を込めた次の瞬間、重力から解放されたように、私たちの身体がふわりと宙に浮いた。
「ねえちゃん!」
「大丈夫、一緒だから……!」
真っ白な光が視界のすべてを埋め尽くす。
怖くて、痛くて、それでも私は目を閉じなかった。
どこへ連れていかれようとも、この子たちだけは、絶対に守り抜く。
だって私は――三人の、たった一人のお姉ちゃんだから。
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