第12話 あなたは俺の運命です
深い森からこのお屋敷に連れてこられて、一週間が経った。
身体を動かせば、塞がりかけた脇腹の傷がまだ少し痛んでる。
けれど、熱にうなされてずっと寝たきりだった最初の数日と比べれば、見違えるほど良くなっていた。
昨日からは、誰の手を借りなくても一人で起き上がれるようになっし、ゆっくりなら部屋の中を歩いてもいいと、主治医のロイドさんからも許可をもらっている。
ただし――。
「無理は絶対にいけませんよ」
「はい」
「痛くなったら、我慢せずにすぐ仰ってくださいね」
「大丈夫です」
「ヒヨリ様?」
「……痛くなったら言いますので大丈夫です」
「よろしいです」
隣に並んで歩くエレオノーラさんが、ひどく満足そうに微笑む。
最近、私が癖で『大丈夫』と言い訳をするのをやめると、決まってこういう顔をされる。
どうしてだろうと不思議に思いながら、私は彼女のゆっくりとした歩幅に合わせて長い廊下を進んだ。
「あの……今日はどこへ行くんですか?」
「本日は皆様に、きちんとご紹介をしようと思いまして」
「紹介?」
「ええ。この屋敷には、あなたがまだ会っていない家族もおりますから」
それを聞いて、ただ廊下を歩いているだけなのに、少し息が上がってきた。
情けない——前なら、ぐずる美羽を抱っこしたまま、陽太や奏太を連れて遠くまで買い出しに行くことだってできたのに。
「……少し休みますか?」
「……まだ、歩けます」
「では、ゆっくり参りましょう」
無理に急かされない。こちらの歩調にどこまでも合わせてくれる。
それが、まだ少し不思議に感じてしまった。
しばらくして、ひときわ大きく重厚な両開きの扉の前へ着いた。
「こちらです」
エレオノーラさんが静かに扉を開ける。
「わ……」
中へ足を踏み入れた途端、思わず感嘆の声が漏れた。
広い、広すぎる。
私たちがついこの間まで住んでいたボロボロの小屋が、そのまま何個もすっぽり入りそうなくらい広大な部屋だ。
壁には大きな窓が並び、明るい陽光が差し込んでいるし、床にはふかふかの絨毯が敷かれ、優雅な装飾が施された長いソファと立派なテーブルが置かれていた
「ねえちゃん!」
「おねえちゃん!」
「ねえね!」
「陽太、奏太、美羽っ!」
部屋の真ん中には、三人がいた。
入り口に立つ私を見つけた途端、パタパタと足音を立てて満面の笑みで駆けてくる。
「三人とも、走ったら危ないよ」
注意しながらも、私は自然と少しだけ笑っていたみたい。
三人の奥には森で傷だらけだった私たちを助け上げてくれた、熊のように大きくて厳格な顔つきの男の人。――アルベルトさんがどっしりとソファに腰掛けている。
未だに少し怖いけど、あの日ほど張り詰めた恐怖は感じなくなっていた。
助けてもらった後から、彼は私が怯えているのを察してなのか一度も無理に近づいてこなかったからだ。
「……ヒヨリ」
「あ、は、はい!」
「傷の具合はどうだ?」
「もう、その、大丈夫です」
「……」
アルベルトさんがスッと目を細めて黙った。
隣のエレオノーラさんもピタリと動きを止めて黙る。
「……え、えっと……まだ、ちょっと痛いです」
「――そうか」
正直に言い直すと、なぜかそれだけで二人ともホッとしたような、安心した顔をした。
「無理はするな……よし、座れ。まだ立ったままでは疲れるだろう」
「は、はい、ありがとうございます」
エレオノーラさんに背中を支えてもらい、ふかふかのソファへ慎重に座る。
そこでようやく、部屋の中に私の知らない男の子が二人立っている事に気づいた。
二人とも、私よりずっと年上に見える。
十五歳くらいだろうなのか、背格好や顔の造作はよく似ているので、おそらく双子なのだと思う。
陽太と奏太の二人を見ていたからなのか、そのように感じてしまった。
一人はアルベルトさんに似ていた。
背が高くて、少し癖のある黒っぽい髪、口元は引き結ばれながら彫刻のように表情がほとんど動かない――ちょっと怖そうな人だ。
もう一人はエレオノーラさんに似ている。柔らかく明るそうな雰囲気で、私と目が合うと、すぐに人の良さそうな笑みを浮かべてくれた。
「そういえば、まだ紹介していなかったな……俺の息子たちは双子でな」
アルベルトさんが咳払いをして口を開いた。
あ、よかった。やっぱりそうなんだ。
「兄のルーカス。弟のノエルだ」
「初めまして、ヒヨリ」
先に口を開いたのは、ノエルさんの方だった。
「ノエルです。よろしくね」
「初めまして。相沢ひよりです」
「知ってるよ」
「え?」
「あ、いや。母上たちから色々聞いてるから」
「そうなんですね」
それから、私はもう一人の方へおそるおそる視線を向けた。
「……」
「……」
目が合う、名前は、ルーカスさん。
瞬き一つせず、じっと私を見下ろしている。
怖い、と言うより――なんなのだろうか?
怒っているわけではなく、ものすごく真剣で、切羽詰まったような目をしている。
「あの……」
「ルーカス」
アルベルトさんが、地を這うような低い声で呼んだ。
「分かっているな?」
「はい」
「本当だな?」
「はい」
ん、何の話だろう?
すると、ルーカスさんが静かにこちらへ歩いてきて、近づいてくるとやはり大きいと感じた。
アルベルトさんほどではないけれど、立派な体格の男の人が真っ直ぐに向かってくる圧に、どうしても少し身体が強張ってしまう。
それに気づいたのか、ルーカスさんの足が、ピタリと止まった。
「……怖いのか?」
「え?」
「俺が」
え、えっと……正直に言っていいのかな。
エレオノーラさんは『嫌な時は嫌と言っていいのですよ』と言ってくれていたし。
「……少し、怖いです」
「そうか」
ルーカスさんは、それ以上一歩も私に近づかなかった。
「では、ここから話しをする」
「……はい」
あれ、ちょっと意外だった。
初対面でいきなり怖いと言ってしまったのに、怒らない。
それどころか、私が安心できる距離をちゃんと保ってくれている。
「俺はルーカス・ヴァレンシュタインです」
「はい」
「あなたに会いたかった」
「……私に?」
「はい」
え、な、なんでだろう?
思わず私はアルベルトさんを見てしまったが、アルベルトさんは呆れた顔をしている。
「ルーカス……さっきも言ったが、余計な事は言うなよ」
「分かっています」
「お前の『分かっている』は一番信用できん」
「失礼ですよ、父上」
親子なのに、なんだか変な会話だ。
一方、ノエルさんはすでに口元を押さえ、肩を震わせて笑いを堪えているようだった。
しばらくして、私の強張りが少し解けたのを確認したのか、ルーカスさんが静かに尋ねた。
「あの……近づいてもいいですか」
「……はい」
一歩。また一歩、慎重に私の前まで来ると、彼は膝をつき、私と目線の高さを合わせた。
そして、何故か突然言われた。
「手に触れても?」
「え?」
エレオノーラさんと同じだ。
自分の行動の前に、ちゃんと私の意志を聞いてくれる。
でも、なんで手に?
「……は、はい」
思わず、おずおずと手を差し出してみた。
すると、差し出した私の小さな手をルーカスさんがそっと両手で包み込むように握った。
ゴツゴツとした大きな手。でも、握る力は羽に触れるように優しく、まったく痛くない。
その瞬間――ルーカスさんが、先ほどよりもさらに真剣な、まるで世界の真理でも見つけたかのような顔で言った。
「ヒヨリ」
「はい」
「あなたは俺の『運命』だ」
「……」
うん?
「……うんめい?」
「はい」
「うんめいって……なんですか?」
「俺にもよく分からない」
「分からないんですか?」
「はい」
「ぶっ!」
たまらず、といった様子でノエルさんが吹き出した。
「兄上……っ、駄目……! やっぱり面白すぎる……!」
「何がおかしい?」
「全部だよ!」
陽太と奏太を見る。
二人とも、「?」と首を傾げた顔をしていた。
「ねえちゃん、うんめいってなに?」
「……私もよく分からない」
「おいしい?」
「食べ物じゃないと思うよ」
美羽が無邪気に聞いた。
楽しそうに笑っている姿を見て、思わず私も少し笑ってしまった。
「ヒヨリ」
「はい」
周りがどれだけ騒がしくても、目の前のルーカスさんだけは真剣そのものだった。
「俺はあなたを――」
「ルーカス!」
アルベルトさんが立ち上がった。
私も驚いてしまった。つい。
「はい、父上」
「俺は昨晩、言ったな?」
「何をですか」
「妙なことをするなと!」
「妙なことではありません」
「初めましての十歳の女の子の手を握って『運命だ』と言うのを、世間では妙な事と言うんだ!」
「許可は取りました」
「そういう問題じゃない!」
ゴンッ!
「あっ」
鈍い音とともに、背後から無慈悲に振り下ろされたアルベルトさんの大きな拳が、ルーカスさんの頭に落ちた。
「痛いです、父上」
「当たり前だ!」
「か弱き者への暴力はいけません」
「誰のせいだ!」
「兄上……っ、ははははっ! 腹痛い……っ」
ノエルさんがとうとうお腹を抱えてソファに突っ伏した。
「笑うな、ノエル」
「無理だよ!」
「……?」
私は、目の前で何が起きているのかさっぱり分からない。
陽太も。奏太も。美羽も、四人で顔を見合わせて目をぱちくりしていて——すると。
「あらあら」
隣で立っていたエレオノーラさんが、花が綻ぶように楽しそうに笑った。
アルベルトさんがひどく嫌そうな、バツの悪そうな顔をする。
「……エレオノーラ」
「なんだ、その顔は」
「いえ、フフ……」
エレオノーラさんは、アルベルトさんと頭をさすっているルーカスさんを交互に見た。
そして何かに深く納得したように、ふふっと頷いた。
「不器用で一直線なところだけ、見事にアルベルトに似てしまったのですね、本当に……」
「何がだ!」
「さあ?」
「エレオノーラ!」
そのやり取りを見て、またノエルさんが吹き出す。
ルーカスさんはまだ少し痛むのか頭を押さえながら、なぜ自分が怒られたのか本気で理解できないという不思議そうな顔をしている。
私は、やっぱり大人の言っている意味はよく分からなかったし、ルーカスさんの言葉もわからない。
けど、面白かった。
ずっと張り詰めていた心の奥の氷が、ふっと溶けていくのを感じてしまい、大騒ぎしている彼らのやり取りが、なんだか少しだけおかしくて。温かくて。
「……ふふ」
気づけば、自然と小さく笑い声がこぼれていた。
その瞬間、なぜか目の前のルーカスさんが雷に打たれたようにピタリと固まった。
「……」
「ルーカスさん?」
「……なんでも、ない」
ぷいっとそっぽを向いてしまった。
でも、そう言った彼の耳の先が、ほんの少しだけ林檎のように赤く染まっていたのを私は見逃さなかった。
読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
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