第六話 時を告げない時計
とある日の午前。簡単に本日の家事を終え、紅茶の入ったカップを片手にベランダに出ると、目の前の公園に目をやる。住宅地にしては少し大きな公園に広がる林からは、そこを飛び交う鳥のさえずりが聞こえてくる。今しか聴けない鳥達の会話を微笑ましく思いながらカップを傾けた。
(少し暑くなってきたなぁ。今日の昼は冷たい麺類が良いかもしれない。)
またすぐに食べ物のことを考えてることに気づいて苦笑する。これでは甘いものに目がない使い魔のことを言えないかもしれないなぁと、カラスのことを思い浮かべた。
今日も平和に良い天気のようだ。
「あるじぃ〜?あ、いた!」
声がかかった部屋の中。覗くと人の姿のユエがいた。
「カトラリー磨き、できました!」
今朝はのんびりと、少しくすんできたカトラリーを磨こうかなどと思っていたところ、ユエがその作業に立候補した。扱いやすいステンレス製のものを磨くつもりだったため、物は試しと任せてみたのだ。いつもの様子だとその辺が重曹まみれになったりするかと思いきや、彼は意外にも器用にこなしてみせた。
「ありがとう。全部、終わったのかい?」
「ハイ!あるじ、見てくださいっ!」
テーブルの上に載せたタオルの上には、磨かれたカトラリーが綺麗に並べられていた。それらは陽の光を浴びてぴかぴかと輝いている。
その中から一本のナイフを持ち上げ、掲げるように見る。
「随分と綺麗になってる。上手にできたね、ユエ。ありがとう。」
「えへー!どういたしまして!褒められちゃったな!」
褒められて嬉しそうに頭を掻くが、顔は自慢げである。
「でも、ユエがこんなことを出来るなんて意外だったな。」
「えへへ、実は、秘密があります!前にジョージに教えてもらいました!……あっ言っちゃった!」
なるほど。あの使い魔は後輩にそんなことも教えこんでいたのか。いつ教えたものかは知らなかったが、きっと初回はなかなかに苦労しただろう。性格的に細かいことは向いていないだろうに一生懸命に取り組むユエと、根気よくそれに付き合うジョージを想像して笑いがこぼれた。
「でも、良くやったね。これだけ磨いてくれたら次に使う時は気持ちがいいよ。」
ふわふわした頭を思わず撫でると、ユエが破顔した。
「じゃあこれを片付けてお昼にしようか。今日は素麺の気分なんだけど、どうする?」
「冷たい素麺!おれ、好きです!あの、トマトとか入れたやつ美味しいですっ!去年あるじがよく作ってくれたやつ!」
「じゃあ、今日はそれにしようか。」
わーい!と両手をあげて喜ぶ使い魔に、思わずこちらも笑顔になる。磨いてくれたらカトラリーをもともと入れてあったケースにしまっていくが、フォークが一本足りないような気がする。
(他のシルバーカトラリーと一緒に入れてしまったかな?)
そう考え、後で別のカトラリーケースを見てみようと思い、手に持ったケースを棚に戻した。
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「いただきます!……んー!美味しい〜!らんら〜らら〜トマト〜おーいしいぃ〜」
「ユエ、ご飯の時は歌はやめようね。」
この家では夏の定番になっているメニューの一つ。茹でたあとしっかり冷たい水で洗った素麺の上に、細かく刻んだトマトとバジルを乗せ、麺つゆとオリーブオイルをかけたもの。好みによってはここに千切りのきゅうりを入れたり、レモンを絞ることもある。
一口啜ると、トマトの酸味とバジルの香りが抜けていった。
「バジルは夏っぽい味がします!」
「どうしてそう思うの?」
「なんか、緑が濃い!ってかんじの味なので!」
「緑が濃い……ちょっとわかる気がするよ。」
冷たい麺の喉越しと、爽やかな香りを味わいながら食べ進める。目にも涼しいガラスの器が、さらにひんやりと感じさせる。
「このトマトは土の匂いがして、甘くて美味しいです!」
「ほぅ、洗って刻んでも、土の匂いはわかるものかい?」
「ハイ!おれ、鼻がいいので!」
確かにそのトマトは味の濃いものを探し求めた結果、近くのスーパーのオーガニックコーナーで見つけたものだった。完熟に近い状態で枝付きのまま収穫されることにより、旨みと栄養価が高いのだとか。
「なるほどね。じゃあ何か落とし物をしたら、今度はユエに探して貰おうかな。」
「まかせてくださいっ!探し物は得意ですよ!」
「それは頼もしいね。その時はよろしく。」
「ハイ!……ごちそうさまでした!あーおいしかったぁ!!」
口の端にバジルを貼り付けたまま、元気よく声を出して箸を置く様子を微笑ましく見つめる。そばにあったティッシュを引き出して渡してやると、言わずとも口の周りを拭い、「綺麗になりました!」とばかりに笑ってみせた。そして食べたばかりだというのに
「今日のおやつも楽しみです〜!」
などと言い始めた。1日に何度もパンケーキを焼いて食べるようなカラスといい、流石朝から夕飯のことを考えるような自分の使い魔と感心する。ユエの皿には先ほど自分の倍量をよそったが、その程度では満たされないのだろう。
「明日の朝はパンが食べたい気分。あとで散歩ついでに買いに行こうかな。」
「お供します!」
「じゃあ寄り道してジェラートなんてどうだい?」
「ジェラート!?」
今日の気温なら、歩いていたらすぐに汗ばむだろう。きっと冷たいジェラートはとても美味しく感じるはず。
「良いですねぇ〜、ぜったい今日みたいな日は外で食べたら美味しいですっ!」
「私もそう思ったところだよ。私たちは気が合うね。」
「そうですねっ!」
食いしん坊な主従は笑い合い、午後の予定を決めた。
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遠くから、ピーという電子音が聞こえる。乾燥機の仕事終わりを待つ間、揺り椅子の上でラジオを聴いていたらいつの間にか眠っていたらしい。膝の上がずいぶん暖かいと思えば、そこには黒猫が丸くなっていた。
「金太郎、乾燥が終わったから行かなくちゃ。」
艶々した柔らかい毛を撫でて声をかけると、ぴくりと耳を動かした。ゆっくりと目をあけ、二、三度瞬きをする。
「僕まだ眠いのに〜」
「皺のついた服は嫌だろう?片付けたら戻ってくるから。」
「もう、しょうがないなぁ。ちゃんと戻ってきてね。」
その温もりを名残惜しく感じながらも立ち上がり、先ほど座っていた揺り椅子の上に乗せてやる。また一層丸くなるので撫でたくなるが、いつまでも終わらないので我慢してランドリーへ向かった。
乾燥機から取り出した服やタオルたちを片手に、クローゼットルームへ。先日金太郎によるコーディネート大会が開かれていたそこは、帰宅後に皆で片付けたので、いつもの状態に戻っている。乾いた洋服たちを、色や丈で分けて洋服がかけられたラックに戻していく。綺麗にグラデーションになるよう服がかけられたラックを腕組みして眺め、満足する。魔女の家というと、「たくさんのものが本人しかわからない状態で雑多に置かれている」というイメージがあるが現代魔女は効率および機能重視タイプも多く存在する。そんな機能重視派の1人である為、少し配置が変わると気になってしまう方だ。
(おや、閉まっていたはずなんだけど……)
装飾品を閉まっている引き出しが少し開いているのを見つけた。この引き出しはジュエリー類ではなく、蚤の市で買ったようなアンティークやアジア雑貨屋に売っているような民芸品など、人によって見出す価値が大きく分かれそうなものが仕舞われていた。
真鍮製の取手に手をかけて引っ張る。
(……並びが違う?)
引き出しの中にはいくつものお気に入りが並んでいた。赤いガラスで作られた蝶。天使モチーフのカメオ。貝殻や反貴石を繋げたブレスレット。錫製のトカゲ。七宝焼の百合の花。
何でも物を並べる時はグラデーションにしたい主の意向を汲んで、使い魔たちもこの家ではその暗黙のルールに沿って片付けをする。しかし今見た引き出しの中は、いつものルールに沿っていない配置になっている。順番が違うだけではなく、ひとつ、ある筈のものがない。
(あれ?)
(何か……時計のブローチが無い)
それは懐中時計を模した、小さなブローチだった。若い頃にふらりと訪れた何処かの蚤の市で、気に入って購入したものだ。時計を模しているだけで、実際にはその機構は無いので正しく時間を指し示すことは無い。ただデザインとして気に入っているので、今でも手元に置いているものの一つだ。
状況に首を傾げつつ、引き出しを元に戻す。
(最後につけたのはいつだったか……)
出かける時にジャケットにでもつけてそのままにしていたかもしれない、そう考えてラックに掛かっている上着たちを確認したが、襟にも胸元にも、それは見当たらない。
(見当たらないのもそうだけど、並びが違うのが嫌だな。)
自分以外の誰かがここを触ることは、ほぼ無い。そもそも魔女の家なのだ。簡単に侵入を許すような場所では無い。現代セキュリティだけではなく、要所要所に施された陣が招かれざる物を阻むようになっていた。そうなると、可能性は出入りを許されている誰かに絞られる。
(とりあえず、もどって金太郎に聞いてみるか……)
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リビングに戻ると、つけっぱなしのラジオから流行りの男性アイドルグループの軽快な曲が流れていた。金太郎は揺り椅子の上で変わらず丸くなっている。
「金太郎?」
「おかえり〜」
「ちょっと聞きたいんだけれど良いかな?」
「うん?」
揺り椅子から顔を上げたところを抱き上げ、先ほどのように椅子に座って膝の上に乗せる。主人の問いかけに黒猫が首を傾げた。
「さっき片付けていた時に、ブローチなんかを入れている引き出しが空いていたんだけれど、触った覚えはあるかい?」
「ブローチの引き出し?時計とか、蝶のやつが入ってるとこ?」
「そう。ちょっと引き出しが開いていてね。」
「えー、僕、今日はクローゼットルームには行ってないよ。」
「そうか……」
猫の背を撫でながら、もう片方の手を顎にあてて考え込む。
「引き出しが開いてただけ?それなら何かの拍子に引っかかって開いちゃったとか?」
「いや、それが中の物の並びがいつもと違っていてね。」
「え、この間お出かけの後、お片付けちゃんと出来てなかった?」
「うーん……金太郎が間違えるとも思えないんだけど。やっぱりあの時なのかなぁ。」
4人で片付けたのであれば、いつも自分でじっくり行うのとは違い、手違いがあったのかもしれない。後ほど改めて並べ直そうと考えていると、金太郎がしょんぼりとした様子で耳を伏せた。
「主、ごめんなさい。きっと僕のせいだね。僕が荒らしたんだから、ちゃんと自分でお片付けしなきゃいけなかったんだ。」
その様子を何だかとても不憫に感じ、手のひらの温度を移すようにその背を撫でた。
「あの日は楽しかったね。みんなで片付けたんだし、金太郎のせいでは無いよ。」
「ううん、僕がいろいろ引っ張り出したんだから……今度からちゃんとすぐ戻すように、気をつける。」
「金太郎……そうだね。物はすぐに元の場所へ戻したほうがいいね。」
撫でている手に頭を擦り付け、弱々しく一声鳴く。会話とは不似合いな、ラジオDJの軽快なトークが流れていく。
「ねぇ、ちゃんと元の場所に戻ってなかっただけ?無くなってるものとか無い?」
「あぁそういえば、時計のブローチが見当たらないんだ。」
「時計の?!」
立ち上がり、驚きのあまり大きな目が溢れ落ちてしまうのでは無いかというほど、大きく見開く。
「時計のって、たまにジャケットの襟とかにつけてた銀色の?」
「そう、それ。どうも引き出しの中で見当たらなくてね。」
「僕も探したい!クローゼット入ってもいい?」
「勿論。きっと部屋の中にあるとは思うんだよね。私が見つけられないだけで。金太郎も見てくれるかい?」
「うん!」
返事をすると膝の上から飛び降り、クローゼットへと走っていった。




