第四話 春の魔女の喫茶店
昼間の名残を感じさせる、じんわりと湿度をはらんだ空気。上弦の月が浮かぶ空は少しずつその青を暗く染め替えているが、まだ夜というには辺りは明るい。
人通りの多い大きな通りから一本外れた通り。場所を知っているはずなのに、何故かなかなか辿り着けない喫茶店がある。アンティークな煉瓦造りの外観のそれは、その時その場所に行くことが必然とされるものの前にだけ現れる。今日もそこは歩いていると突然目の前に現れた。
年季の入ったオーク材にステンドグラスを嵌め込んだドア。アイアンのドアハンドルを引くと、軽やかに鳴ったドアベルが客の来訪を知らせた。
「あら、いらっしゃい。」
「こんばんは、いい夜だね。」
店内に足を踏み入れると、店主の鈴のような声で迎え入れられる。シャンデリアが煌々と照らす店内は、カウンター席の他はパーテーションで軽く仕切られている4人がけの席が六つ。そして店奥にはカーテンで仕切ることできる半個室がひとつ。至る所に使われているよく磨かれた木材の飴色は、この店の長い歴史を物語っている。
「今日は皆様お揃いなのね。」
カウンターから出てきた店主は、どこか少女めいた雰囲気を持った女性。慈愛に満ちた目元には微笑むとシワが浮かぶが、老いた印象は抱かせない。常に穏やかな陽射しのように微笑んでいる。着物に白いエプロン姿が喫茶店の店主というよりは、小料理屋の女将という方がしっくりくる。
「そうなんだ。今日は全員金太郎の見立てだよ。」
「あらキンタロちゃんが?それは素敵ね。」
「こんばんは、春の魔女様。お褒めいただき光栄です。」
店主に向かい、金太郎がゆったりとカーテシーをする。
「本当に可愛いわぁ。お人形さんのよう。」
「こんばんは、マダム。お邪魔いたします。」
「こんばんは!」
「はい、こんばんは。ジョージさんも、お月ちゃんも素敵ね。うちは女の子しかいないから、こんなふうにお揃いにするの、少し憧れるわ。」
4人がけの席に案内され、それぞれ席に着く。
「今個室は準備しているからもう少し待っていてね。先に何か飲む?今日の依頼人は、おそらくすぐはいらっしゃらない気がするのよ。」
カウンターに戻った店主が中から声をかけた。湯を沸かそうと手元のガスのスイッチを入れる。
「そうか。それまでゆっくりさせてもらうよ。皆、何が飲みたい?」
「私はブレンドをお願いします。」
「僕はウィンナ・コーヒーがいいな。」
「ユエはどうする?」
「う〜ん」
すぐにオーダーの決まる2人とは違い、ユエは珍しくメニューを凝視していた。
「今日はコールドブリューもあるわよ。ちょっとスッキリ目の飲み口がいい人もいる気がしたから。」
「いいね。では私はそれにしよう。ミルク有りで頼むよ。」
主人のオーダーも決まったが、まだユエが決まった様子はない。悩む様子に横から金太郎がメニューを覗き込んだ。
「何をそんなに悩んでんの?」
「この、メロンソーダフロートとゼリーポンチがどっちも気になっちゃってぇ……」
「あぁ〜、確かにそれはわかるかも。」
メニュー表に載る鮮やかな写真を指さし、眉尻を下げる。確かにそれらはどちらも美しく、甲乙つけ難い。
「ふふ、写真は載せていないけれど、ゼリーポンチフロートっていういいとこ取りのメニューもあるのよ?」
「それ!それにしますおれ!!」
店主の言葉に目を輝かせ、立ち上がりそうな勢いでオーダーを決める。
「ユエ、お店の中では静かにね。店主、それでオーダーを頼むよ。」
「はい、かしこまりました。」
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「お待たせしました、まずブレンドです。こちらはジョージさんですか?」
しばらくすると銀トレイにオーダー品を載せた女の子が席へやってくる。店主と同じく着物に白いエプロン姿だが、こちらは10代前半といったところか。少し赤く染まった丸い頬と肩まで下がったおさげ髪が揺れて可愛らしい。
「ありがとうございます、雪さん。」
にこりと笑うと、ジョージの前に小さな手でゆっくりとソーサーを置いた。その隣にコースターを置いて、氷とコーヒーの入ったグラス、ミルクピッチャーをセットする。
「こちらがコールドブリューです。ウィンナ・コーヒーとゼリーポンチフロートはもう少しお待ちくださいね。」
「「はーい」」
「ありがとう。いただくよ。」
この店のコールドブリューは一晩かけて氷を溶かしながら淹れられている。ストローでひと混ぜしてからまずは一口。焙煎した豆のほろ苦さと、雑味のないスッキリした味が抜けていく。ミルクを足して、もう一口。乳脂肪の甘さが加わり、今夜の気温にはとても合う。
「お待たせしました。ウィンナ・コーヒーとゼリーポンチフロートです。」
生クリームがたっぷりと載ったカップは金太郎の元へ。メロンソーダのなかにカットされた様々な色のゼリーが沈み、上にはバニラアイスとチェリーが乗せられた美しいそれは勿論ユエの元へ。
「わぁ!きれーい!おいしそーう!いただきます!」
店内の照明を受けてステンドグラスのように輝くゼリーを一つ掬い、口に含む。メロンソーダの炭酸と、硬めのゼリーの食感のギャップがいい。
「おいしい〜!はぁ…おれ、しあわせですっ」
目を閉じ、頬に手を当てて一口を噛み締める。
その隣の金太郎はカップの上のクリームをスプーンで混ぜながら、コーヒーに溶かす。溶けたそれを少し掬って口をつけたが、その瞬間に目を大きく開き体を震わせた。
「もう少し冷めないと飲みにくいんじゃないのかい?」
「ウン。まだ、ちょっと早かった。」
舌を火傷したのか、氷水のグラスを口元から離せない様子だ。空になったグラスをテーブルに置くと、すぐにステンレスのピッチャーを持ったおさげ髪がテーブルに寄ってきた。重たそうなそれを慎重に傾ける。
「金太郎さんにはまだ少し熱かったですね。氷ももう少し足しておきます?」
「いや、大丈夫だよ。ありがとね、雪。」
「どういたしまして。他にお水が必要な方はいますか?」
「今は大丈夫。ありがとう。」
「はい。では、ごゆっくりお過ごしください。」
ぺこりとお辞儀をして離れると、他の席にも水の追加を確認しに行く。ちょこちょこと動くその後ろ姿をみて、思わずこぼした。
「いいなぁ女の子の使い魔も。」
「おや、我らだけではご不満ですか?」
隣に座るジョージがわざと拗ねた様子で言う。
もちろん、主人にそんなつもりがないことは承知の上だ。
「いやいや。うちには体の小さな子はいないからね。」
「むしろうちには馬鹿なでかい犬とか、ゴリラみたいなカラスとか。」
「お望みなら小さくすることも可能ですよ?」
「主の横に座るなら最初からもう少し縮んでおきなよ。君の方が幅取りすぎでしょ。主、狭くない?」
苦笑いする主人とその隣のジョージを見比べる。彼は長い脚を通路側にはみ出させ、2人がけの椅子に体を納めているが、体格が良いせいで隣に座る主人をパーテーション側に追いやっているように見える。
「大体なんでデカいってわかってるのに、そこ座るかなぁ?せめてユエか、大きさ順なら絶対僕でしょ。」
「そこはまぁ、……私もたまには主の近くに居たいので?」
((これは絶対なにも考えてなかったやつだな…!))
主従の気持ちが一致していると、今度は元気よく栗色の髪の少女がやってきた。
「魔女さま!個室の準備ができました!お待たせしてしまい、申し訳ありませんっ!」
先ほどの少女より少し年上に見える。高い位置でひとつに結んだ髪には大きな赤いリボン。長いまつ毛が大きな目を縁取って、印象的だ。しかしながらひとつひとつの所作から元気の良さが見て取れる。
「あぁ千代、ありがとう。」
「お飲み物は向こうへ運びますか?」
「飲んでから向こうへ行くから大丈夫だよ。」
「かしこまりました!何かありましたらお呼びくださいっ!」
ぺこりと一礼し、キビキビとカウンターへ向かう。店主に個室の準備を終えたことを報告したようだ。「千代ちゃん、お掃除ありがとう。」と声をかけられると、満面の笑みを浮かべた。
「私も今度からなんでも報告してみましょうかね。」
「結構だよ。君にはやってもらっていることが多すぎて、毎回聞くのは面倒だ。」
「えーそれなら僕もしようかな。」
「お、おれもっ!主に報告したいです!でも今は食べるのが先なので!」
「うんうん、そうだよ。君はまず食べる方に専念する。金太郎はいつも言わずとも撫でられにくるんだから、たいして変わらないだろう?」
呆れた様子で笑い、コールドブリューを飲み干してグラスを置いた。
「さて、そろそろ今夜の仕事をするよ。君たちはここで大人しく待っているんだよ。」
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「もう、こんな会社辞めちゃって、遠くに行きたいっていつも思うんですけど、なかなか、踏み出せなくて……」
ハンカチを握り締め、俯きながら話す若い女性。長い髪に隠れて顔ははっきりとは見えないが、声からは涙が滲んでいる様が想像できる。
「遠くというのは物理的に?それとも会社から離れるという気持ちの部分でしょうか。」
「…全部忘れて、誰も知らない場所に行きたいって思います。」
「そう。では、少し見てみましょう。」
手元でシャッフルしたカードを、テーブルに乗せた深い紺色のビロードクロスの上に並べ、十字に展開していく。大アルカナと呼ばれる、繊細な絵柄のカード達。現在、過去、未来を表したそれらから、伝えられるメッセージを代弁していく。
「今の場所からは、間も無く自然と離れることになりそうです。あまり遠くないうちに。自ら離れる決断をするというより、自然とそうなると言えば良いのでしょうか。」
「…状況は変わるんですか?」
「変化は訪れます。その良し悪しについては今は何とも。ただ、あなたにとって前向きな未来であることは確かです。」
依頼人の目線はまだ少し下を向いたままだが、前向きな未来、と呟く。もう一枚カードを引き、クロスの上に置いた。それは"復活"を意味するカード。
「前に諦めたことについて、もう一度向き合う機会が来ます。」
「それってどんなことですか?仕事とか、そうじゃなかったら恋愛とかですか?」
「そうですね…どちらかと言うと、仕事なのかな。でも多分今のお仕事の延長ではなさそうです。好きなことと言った方がいいのかもしれない。」
「諦めた事のある好きなものということですか?」
そう問いかけ、少し考え込む。そして、ゆっくりと思い出したように話し出した。
「子供の頃、デザイナーになりたかったんです。」
今度ははっきりと、目の前の魔女の目を見て。
「最初はシンデレラみたいなドレスが着たいと思って描き始めて、いつか自分でも可愛いドレスみたいな服を着たいて思ってました。」
「お姫様になりたいわけではなく、ドレスが着たかった?」
「そうですね…でも、どちらかというと、作りたかったって感じです。」
目を閉じ、思い出を掘り起こしながら言葉を紡いでいく。静かに店内を流れる三拍子のクラシック音楽が、舞踏会のシーンを思い起こさせた。
「シンデレラって、魔法使いが出てくる前に一度自分でお母さんのドレスをリメイクするんですよ。確かに魔法使いのドレスも素敵なんですけど、自分の手で何とかしてみようって作るのがすごいなって思って。」
「へぇ、そんなシーンがあったんですね。」
「それは意地悪な姉達に見つかって、ボロボロにされちゃうんですけどね。あのシーンは子供心に凄くショックでしたね。」
そこで今まで一度も口をつけていなかったアイスティーを一口飲んで、息を吐いた。グラスの周りで結露した水分が、そこに置いてあった時間の長さを語る。
「なんでデザイン描くのやめちゃったんだろう。止められてたわけでもないのに。何だか突然、今思い出しました。」
「また、描いてみたら良いのでは?…何を描こうとあなたの自由ですよ。」
「確かに…今すごく描きたい気持ちになりました。描いていたら会社とかどうでも良くなりそう。もしかして、描くことに集中することで、会社と気持ち的に距離が取れるとか?」
「さぁ…どうでしょう?もしかしたら大きなメゾンになって、物理的にも離れるかもしれませんよ?」
魔女の言葉に依頼人は、その日喫茶店に足を踏み入れてから初めて笑い声を上げた。
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「ありがとうございました。またお待ちしております。」
店主の鈴が転がるような声に送り出され、本日最初の依頼人は店を後にした。占いを終えると「創作意欲が湧いてきた」と、早々に帰ってデザイン画を描きあげたくなったらしい。余談だが、やっと冷めたウィンナ・コーヒーを少しずつ飲み始めていた金太郎に目を止めて、「こんな可愛い人にお洋服を着てもらえたら嬉しい!」と声をかけ、それに返事をした金太郎の声に「男の子?!こんなに可愛いのに!」と目を丸くしていた。
「まずはお疲れ様でした。最初の方、随分とやる気になって帰られたわね。」
先ほどの占いの後始末をしていると、銀盆片手に店主が席へとやってきた。
「本人も忘れていたことを思い出したようだよ。眠っていた願いが目を覚ましたんだろうね。」
休憩にサーブされたブレンドコーヒーの香りを嗅ぐ。嗜好品の中でも何故かコーヒーだけは上手く淹れられない為、ここに来るとコーヒーばかり口にしている。
「あの方お店にいらした時は、死んじゃうんじゃないかっていうくらい落ち込んでいらしたのに。流石ねぇ。」
「私は少し先を指し示しただけさ。どうやって何に辿り着くかの答えは本人次第だよ。」
「またそんなこと言って!謙遜も過ぎるのは良くないわ。」
先ほどより少し人の減った店内に店主の声が響く。
「もう、やっぱりもう少し回数増やしましょうよ?最近あなたのいない時に、占い求めて来店される方もいるのよ。」
「前も言ったけど、今以上に増やすつもりはないよ。私は今くらいの隠居具合が気に入ってるんだ。」
「またそんな事言って!前はもっと外に出____」
「 チハル 」
言い募る店主の目をはっきりと見据え、その魔女の名を口にする。表情もなく見つめ、ただ静かに、名前だけを。一瞬辺りの音が消え、時が止まったように感じた。名を呼ばれた店主は、興奮し始めていた様子をぴたりと納め、着物の袖で口元を隠すように覆った。
「あらやだ、ごめんなさい。」
「…面倒見がいいのは君の美点だと思うけれど、時に引いてくれると有り難いよ。」
店主の一言に、先ほどの無表情は嘘だったかのように口元に笑みを浮かべる。
「つい調子に乗ったわ。ごめんなさいね。」
「いいさ。いつも世話になっているのに、悪いね。」
カップを手にし、まだ湯気の立つコーヒーを一口。一客ごとに店主がこだわって選ぶカップ。本日は黒地に角度によってオーロラが浮かぶ天目。コーヒーのほろ苦い、しかし香ばしく少しフルーティーな香りが立ち昇る。
「あるじっ、お話終わりましたかー?」
「お前は本当に待てができない奴だな。主、いま大丈夫?」
何とも言えない空気になりそうなところ、ユエと金太郎が個室へやってくる。
「いいよ、2人揃ってどうしたんだい?」
入れ替わりに「ゆっくりしてね」と声をかけ、店主はカウンターへ戻っていった。2人は主人と向き合う形で、先ほど依頼人の座っていた席に腰掛ける。
「えっと、ゼリーポンチフロートはとっても美味しかったです!シュワってして、とろってして、でも冷たくって甘かったです!」
「と、いう報告がしたかったみたい。」
「そう……そうだったの。」
先ほどの「自分も主人に報告したい」をしっかりと遂行しにやってきたユエに思わず脱力する。
そしてそれに付き合ってやる金太郎の人(猫?)の良さにも。
思わず肩を振るわせて笑う主人にユエは不思議そうな顔で金太郎を見た。
「お前がどうでもいい話するから主が呆れてるんだろ?」
「え、おれ変なこと言った?あるじ、ダメだった?」
「いや、良いんだよ…くくっ、良いよ。良いんだよ。ユエはそのまんま育ちなさいね。」
まだ笑いが止まらず、思わずお腹を抱える主人にユエは不思議そうな顔をしたままだった。
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