第三話 蜘蛛の巣の首飾り
食器を洗い終え、キッチンの拭き掃除を終えて一息つく。先程までたっぷりと陽の光を浴び、水を与えられた植物達は元気を取り戻したようだった。
(冷え始める前にそろそろ室内に戻しますか。)
そう思いながら窓辺に近づくと、外の観葉植物のそばで小さな黒い影が揺れた。
「お帰りなさい、金太郎。」
よく見るとその影は、真っ黒な猫だ。
「ジョージ、ただいま。今日はいい天気だったね。」
優雅に窓に近づくと、黒猫は男へ向かって前足を持ち上げた。
「そうですね。先ほどは見事な虹がかかっていましたが、ご覧になりましたか?」
エプロンに引っ掛けたタオルでその前足を拭いてやりながら抱き上げ、穏やかに話しかける。
「見た見た!鮮やかで綺麗だったね。」
前足を拭き終わると、当然とばかりに後ろ足も差し出す。
「さっきその辺を散歩していたんだけど、蜘蛛の巣に雨粒がついててさ、それに光が当たったとこが凄くきれいだったんだよね。」
「ほう、蜘蛛の巣ですか。」
「そう。前に主が夜会の時につけてたおっきなクリスタルが沢山ついたネックレス覚えてる?あれは凄く似合ってて、素敵だったよね。蜘蛛の巣なのに、あんな風に周りもきらきら輝いてるみたいだったよ。」
声を弾ませながら、拭き終わったと見ると腕から勢いよく飛び降り、華麗な着地を決める。そのままトコトコとリビングを歩いてから部屋の中心に腰を下ろして辺りを見渡した。
「あれ?ずいぶん静かだけど主とバカ犬は?」
パタパタと尻尾を上下させながら、振り返る。
「あぁ、お二人は…寝室ですよ。」
ほんの一瞬、自分から視線を外して何か考えた様子だった男を下から疑い深く見上げた。
「は?なんで寝室なの?もうすぐ夕方だよ?」
「そうですねぇ……何故かは、行ってみるとお分かりになるかと。」
瞳孔を開いた猫は、首を稼げながらカラスの言う通りに寝室へと歩いて行った。
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開けっぱなしになっていた扉から優雅な足取りで寝室へ。
「主ぃ〜?ただいま帰ったよー……はぁ?!」
足を踏み入れたその場所には大きなベッドの上で銀色の大きな獣と、それの腹を枕にするように自らの主人がスヤスヤと寝息を立てていた。
しかも、
「…こんなにたくさん…たべきれなぁい……」
ずいぶんと楽しそうな寝言まで。
「…平和がすぎるでしょ。」
呆れたとばかりに吐いたため息は宙に消えた。
気を取り直し、1人と一頭の眠るベッドに飛び乗る。そしてそこからサイドテーブル、戸棚の上と軽やかに飛び乗っていく。着地の音も軽く、見事な身のこなしである。部屋の最も高い位置まで行くと勢いをつけ、狼めがけて飛び降りた。
「っとに!この!バカ犬はっ!!!」
「ぎゃんっ!!!!」
見事に主人の眠る位置からずれて、狼の上に着地。衝撃のあまり、悲鳴を上げながら狼は跳ね起き、勢いのままベッドから落ちた。
「なになに?!なんで?どうして?おれのケーキは?!!」
平和な夢と現の区別もまだ着いていない様子で何度も瞬きを繰り返す。
「知るか!!」
毛を逆立て、激しく威嚇しながら一言。
「…あら金太郎、おはよう。」
怒れる猫を見つけた主人は焦りもせずベッドの上で身を起こした。すかさずその膝に飛び乗って、黒猫は撫でろとばかりに身を丸める。指先で喉元を撫でてから、耳の付け根を撫でてやるとご機嫌に耳を伏せる。
「おはようじゃないよ。もうすぐ日暮なのに!」
「いつの間に。ユエが気持ちよさそうに寝ていたものだから、ついついそのまま一緒に寝てしまったみたいだね。」
「なんでよー!主とお昼寝とか、バカ犬のくせに!」
ゴロゴロと喉を鳴らしながら、長い尻尾をバシバシとベッドに打ちつける。不満ともっと撫でろと言う要求を同時に体現している。
「ごめんね。ついつい干した布団が気持ちよかったんだよ。ユエも洗い立てで。」
「は?まさかこいつまた水溜りで遊んで帰ってきたの?最悪なんだけど!」
「まぁ、ちょっとジョージが大変そうだったかな?」
「うわぁ。」
言外に「ご愁傷様」とでも言いたげな雰囲気を残し、ベッド下でまだ混乱中の狼を見やる。
「ヤダ〜!ケーキ〜!!」
黒猫の言葉に泣き出しそうな勢いでさめざめと、その大きな体を床に伏せる。姿は悲壮感が漂っているが、内容が内容だけに滑稽なのは否めない。
「ケーキではなく、パンケーキなら。」
タイミングよく部屋の入り口から渋い声がかかる。さきほど口にした厚みのあるパンケーキの乗った皿を片手に持って。
「ジョージ、また焼いたのかい?」
「この皿の分は私のものではありませんから、また、ではありませんよ。」
「ケーキ!パンケーキ!!」
声にも画像のエフェクトがかかるのであれば、狼の声にはきっと光り輝く星が飛んでいたことだろう。先ほどまで絶望する勢いで嘆いていたはずが、今は希望に満ち溢れている。
「帰ってきたときに良い匂いがすると言っていましたね?」
「おれね、大好きなのはあるじなんだけど、ジョージのことはとっても尊敬しているんですよ!」
「それはそれは、光栄です。」
「ちょっとジョージ、ずいぶん甘いんじゃ無いの?」
「いえいえ。もちろんあなたの分もありますよ?」
(さっき食べる直前でお預けになって冷めてしまったのが悔しかったんだろうなぁ。)
賑やかな使い魔達の会話に思うところはあったが、口には出さず、黒猫を撫でつつ微笑んでおいた。
「でも、もうすぐ夕方になるって言うのに今から食べるの?夕飯は?お出かけ間に合わなくなっちゃわない??」
涎を垂らす勢いで皿を見つめる狼を横目に、黒猫が疑問を口にする。
「口にするなら今のうちでしょう。その分夕飯は軽めにしようかと。」
「そうだね。でも私は軽い夕飯だけで結構だよ。金太郎も一緒にいただいておいで。」
「主がそう言うなら、ぼくもパンケーキ貰おうかな。」
「一緒にたべよう!ジョージの美味しいパンケーキ!」
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使い魔達が仲良くパンケーキを頬張っている間、主人はクローゼットルームへ。ひと足先にこの後出かける為の準備をはじめるために。
ジュエリーケースを開きながら、思案していたところ。
「主、僕のこと呼んでた?」
そこにお腹を満たした使い魔がひょっこりとドアから顔を覗かせた。先ほどとは打って変わって、黒髪が肩のあたりで揺れる可愛らしい人の姿だ。
「あぁ、出かける服を選んでくれるかい?今夜はお洒落な金太郎に私の装いをお任せしたいのだけど。」
「いいの?!嬉しい!任せて!!」
大きな瞳をさらに大きく開き、今日一番の笑顔を見せた黒猫の頭を思わず撫でる。艶々した癖のない髪の手触りが気持ち良い。
「あのね主、どうせならみんなの分も合わせて選びたいんだけど、いいかな?」
撫でる手に頭を擦り付けるも、目線はクローゼットに釘付けだ。黒猫の中ではすでに何かが決まり始めているかもしれない。
「いいよ。好きにしてごらん。今はこのケースの中のものをみていたところだよ。」
「これは……綺麗だね…」
ジュエリーケースを覗き込むと、その目が宝石の如く輝きを増す。ケースの中身は全てブルーサファイアを使ったアクセサリーばかり。それぞれ青の濃淡があり、カットも様々に輝く様は壮観。黒猫は思わず息を呑んだ。
「じゃあ…今日はここから一つ選んで、それを中心に組み立てようかな。」
いくつか並べられた指輪から、深く鮮やかな青の石がバゲットカットされ、周りを小粒のダイヤが取り囲んだものを慎重に手に取った。徐に主人の手を取り、左手の中指にその指輪を通す。
「これなんかどう?」
「うん、いいね。」
左手を掲げ、何度か角度を変えながらその煌めきに目を細める。
「良かった!じゃあお洋服を選ぶね。夜はまたそこまで暑くないから、重ね着できるよね。レースのブラウスの中にサテンのインナーにする?それともシンプルなシャツに大きめのタキシードジャケットとかも捨て難いね。今日はスカートかな?脚が長いから、パンツも似合っちゃうよね。あぁ!主のお洋服は選び甲斐があって迷っちゃうなぁ。」
完成した姿をイメージしているのか、うっとりと頬を染めながら早口で捲し立てる。いくつもハンガーにかけた服を取り出し、合わせてみては喜び、すぐまた違う服を取り出していくことを繰り返す。
「本当に、君はおしゃれが好きだねぇ。」
ハンガーをいくつも手にして夢中になっている様が微笑ましく、可愛らしい。みていて思わず笑みが浮かぶ。
「楽しそうなのは良いけれど、他の2人分もある事を忘れないでね。」
「はーい。主が決まれば、他はみんな合わせていくから大丈夫!僕に任せて!!」
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鏡の前で髪が顔にかかるのが気になるのか、ふわふわとした少しクセのある銀色のそれに不安そうに触れる。
「コラ!触らずにじっとする!」
「だってぇ、いつもと違うのが気になっちゃって。」
目ざとく見つけた黒猫にピシャリと怒られ、人形のように繊細な容姿から出ているとは思えないほど情けない声が出る。
「黙ってればサマになるんだから、大人しくしなさい。全く、黙ってれば素材は一級品なのに、素材殺しにも程がある。無駄に見た目だけいいってどういう事!」
人型をとった狼はどこに居ても目を惹く美少年だった。長い脚を際立たせるストレートのブラックデニム。濃紺に鮮やかな青の大柄の花模様が入ったシャツとマットな黒い生地のベストに、その瞳と同じような金色のニットタイが胸元に揺れている。どこぞの雑誌の表紙でも飾れそうだ。
「ねぇねぇ金太郎、ここのボタンぴかぴかしてるね!あ、ネクタイおれの目とおんなじ色だねぇ。あるじ似合うねって言ってくれるかな?かっこいいって褒めてくれるかなぁ?」
「お前は!黙って立ってろって言った!」
「えー、なんで金太郎また怒るの〜?」
オオカミの止まらないおしゃべりにうんざりして一喝するも響いている様子はない。
「怒られる事をする方が悪い!」
「私もここまでする必要はありますか?いつも通りで良いと思うのですが…」
横ではカラスも戸惑った様子を見せる。彼は一見すると地味な装いだ。けれど光が当たるたび、黒いシャツに織り込まれた細い縞が浮かび上がる。ジャケットの裾が揺れる度に上質な生地が静かに艶めき、きっちりと折られたセンターラインは性格そのものみたいだった。よく見ればわかるその質の良さが、ある程度の経験を経た大人の色気を醸し出す。
「ジョージ!流石似合うね。僕の見立てはやっぱり完璧だ。」
「少しめかし込みすぎのような気もしますが…」
「わかってないなぁ。」
カラスは戸惑いに目元の皺を深めるが、黒猫は両腕を組み、カラスとオオカミに向かって胸を張る。
「いいかい?僕達は主のお供なんだ。一緒にいる僕達が適当だった時、主人がどう思われるか考えてみなよ。僕達のせいで主が侮られるようなことがあってはいけないよ。」
黒猫は言い切るとフフンと顎を上げた。
「それは、確かにそうなのですが。」
「どういうこと〜?あるじに関係あるの?」
「私たちの格好がいい加減だと、主が恥をかくということですよ。」
「なるほど。じゃあおれ、ちゃんとする!」
狼は誇らしげな様子で胸を張り、背筋を伸ばした。
「お前の場合、ちゃんとするというより、黙っていればもうそれでいいよ。」
「お口チャックだね!」
口を横一文字に結び、チャックを閉める動きをした。
「これでかっこいい?」
「あー!もう!そういうところだよっ!」
「まぁまぁ、そろそろ話はここまでにして。」
「私の可愛い使い魔達。準備は整ったかな?」
またひと騒ぎはじまりそうなところに、主人が顔を覗かせた。
「あるじ!みて!みてくださいっ!おれ、かっこいいでしょ!」
「うんうん、素敵にしてもらったね。」
「えへー、かっこいいって〜。」
「言われてないから。あと、顔だらしない。」
「主、今夜の装いも素敵です。見立ては金太郎が?」
主人の装いは透け感のある濃紺のボウタイブラウス。タイは緩く結んで垂らしている。同じく濃紺のセンタープレスパンツはややワイドシルエット。上には黒いマント型ジャケットを羽織って。シルク地のそれは飜ると濡れたような光沢を見せる様がドラマチックだ。手元は先ほどのサファイアのリングをつけて。胸元には大小のクリスタルビーズを連ねて重ねたネックレスが照明を受けて星のように煌めく。額を出すようにヘアセットし、口元にははっきりとしたノワールレッドのルージュが引かれて印象的である。
「あぁ。センスがいい。」
「えぇとても。」
「当然。でももっと褒めていいんだよ?」
主人はその艶のある頭に手を伸ばし、猫の頭を撫でるのと同じように撫でてやる。
「金太郎も、とても可愛いね。」
黒猫の装いは、鮮やかな青に漆黒のリバーレースを重ねた膝丈ワンピース。腰からふんわりと広がるシルエットが貴婦人の日傘のよう。キャンディスリーブの袖口はボリュームのあるレースが甲まで覆うほど。首周りは立ち襟。主人の指輪のような鮮やかな青い石のペンダントが輝いていた。
「でも、髪にも何かつけると良いね。」
主人は小物を置いていた棚から、小さなピンとバレッタを取り出し、猫の耳上の髪を少し取って編み込む。そしてそこにパチンと音を立てて青い薔薇模様が細工されたバレッタを留めた。
「ありがとう、主。」
「うん、可愛い可愛い。」
使い魔達を順にそれぞれ上から下まで眺め、満足そうに主人は腕を組んで頷いた。
「さ、ではみんなで夕飯をいただこう。」
「サンドイッチを用意しましたよ。あとは主のピクルスやスモークサーモンのマリネなど。」
「なんか、色々着替えたらお腹空いてきちゃいましたぁ。」
「さっきパンケーキ四つも食べてたくせに!?」
「いえ、正しくは六つですね。」
「胃がブラックホールなの?!」
4人で賑やかにクローゼットルームを後にする。
散らかした洋服達の片付けは帰宅後、部屋の惨状を改めて目にしてから行われるのだった。




