番外編:思い出のかけら 魔女との出会い
寝る時はいつも布団の中に潜り込むようになったのは、いつから癖になったのか。周りの音ができる限り聞こえないように厚い布団と毛布、タオルを重ねて繭のようにそこに篭もる。どんなにその中が暑くても、隣の部屋から毎晩聴こえる争う声で、不安に心臓がずっと痛いほど鼓動し続けるよりはよっぽど良い。よく眠れた、清々しい朝を迎えた、物心ついて以降そんな日が来た記憶はないけれど、朝が訪れると昨日を乗り越えられたことでようやく少し気が休まるのだった。
よくある一般的な中流家庭に生まれ、普通に育ってきたつもりだった。周りの言う普通、とは少しだけずれたところもあったかもしれないが、周りを観察してそれらしい振る舞いを覚え、社会に溶け込んで生きてきたはずだった。
しかしそれは社会生活における話であり、家庭内でも同じようにはいかなかった。支配的な父親と、精神的に幼い母親は、事あるごとに衝突していた。なぜそんな正反対の2人が一緒になったのか、子供心に疑問だったが正反対だったからこそ若い頃はそれが魅力に映ったのかもしれない。そんな衝突の多い家庭で先に消耗してしまった兄弟は家に寄り付かなくなり、唯一そこにいる自分だけが両親それぞれの思いの捌け口となっていた。自分にとっては両親であるのに、その片割れからもう片方に対しての愚痴を際限なく聞かされ続ける。いつか落ち着く日が来ると漠然と思っていたが、ある日突然終わりが見えない状況に思春期の心は折れてしまった。なんと言うことはない、「おまえは良い子」という親にしてみれば褒めたつもりの一言がきっかけだった。それは、都合がいいと言うことなのか。そう思ってしまったら、もう家にはいられなかった。
衝動的に家を出て、ふらふらとあてもなく歩いた。行き先などない。観察して身についた「普通」を纏っていた自分には、こんな時にどこを頼ればいいのか、どうすることが正解なのか、その答えを持っていなかった。
すでに陽は落ち、ぽつぽつとみえる街灯の灯りで自分が住宅街の中を歩いているらしいことはわかった。何も考えず歩いてきたからここがどこなのか全く見当もつかない。夏も終わりを迎える気温なのにこんな時間、Tシャツ程度の薄着でうろついていたら不審に思われるかもしれない。あるいは、不審者に襲われるかもしれない。でも、そんなことどうでもいいかと思い直す。強制的にこの世と別れることになるなら、今の状況を変えることができるなら、それもいいんじゃないかと言う思いを抱く。投げやりだな、と自分で自分を笑う気になったけれど、口角は上がらなかった。
そのまま歩き続けると、水の流れる音が聞こえてきた。音の聞こえる方へ足を動かすと、そこにあったのは川だ。それほど大きくはないけれど、見る限り深くもなさそうだから落ちたところで濡れるだけだな、などと随分と冷静に考える。確実に変えるためには、この程度では足りない。夏の虫や蛙がのどかに鳴いているこの景色で、水死体にはなれそうもないなと思った。橋の上でぼーっと川を眺める。街灯の橙の灯りが周りを染めている。今日は月がない。新月だろうか。そう言えば何も食べずにずっと歩いていたから、お腹がすいた。普段だって大したものは食べていないけれど、今は特に栄養が足りない気がした。その場にしゃがみ込むと、鳩尾のあたりがきゅっと痛むので両手で守るようにお腹を抑えた。ストレスのせいか、うら若い乙女だと言うのに骨と皮ばかりの腕が貧相に感じる。乾燥した肌はいつも実年齢よりも上の印象を与えた。唇はいつも乾燥していて、今日もクラスメイトからリップクリームを勧められていたことを思い出す。
水死じゃなくてこのご時世に餓死というのも……と思いながら月のない空を見上げると、流れ星が見えた。こんな住宅街で?栄養失調で視界がチカチカしている?貧血起こしてるだけ?そう考えていたら、なにやら流れ星が迫ってくる。
「え、何?」
迫り来るそれに思わず出した声は掠れていた。流れ星と思った物体が、こちらに目掛けて急スピードで飛んでくるように見える。
『あ!あ!まってぇ〜!そこのひと、逃げてくださぁ〜いっ!!』
飛んでくる物体から逃げろと言う声も聞こえてくる。
眉間に皺を寄せながら観察していたそれは、なかなかの勢いで飛んでくる女の子だった。
『きゃーっ!私ノーコンなのぉ〜っ!逃げてええええ!!!!』
箒に乗った彼女との衝撃的な出会いから、全ては始まったのだった。
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「あーっ!ごめんなさぁい!怪我してない?大丈夫??」
地面に顔面から着地したように見えた女の子は、勢いよく起き上がると驚きに固まったままだったこちらの心配をしていた。
「あ、うん。ぶつかってないから、こっちは大丈夫なんだけど……大丈夫?」
鼻の頭を擦りむいている様子の向こうのほうがよっぽど大丈夫ではないなと思いながら、答える。ぶつかった衝撃で箒は折れてしまっている。
「全然、これはいつものことだから!あぁでもまた箒折っちゃったなぁ……あぁ師匠に怒られちゃう……」
綺麗に前後で真っ二つになったそれを両手にそれぞれ持って、「うわぁ、しょんぼりぃ」と元気よく落ち込んでいる様子。空から箒に乗った女の子が落ちてくる、などというありえない状況に、それまで抱えていた絶望感が吹き飛んでしまいそうだ。
ものすごいスピードで落ちてきた衝撃で、思わず尻餅をついてしまっていたが、立ちあがろうと橋の欄干に手をかける。空腹と疲労で震えた手で掴み、体を起こそうとした。
「えぇっ?!ちょっと大丈夫じゃないでしょ!ほんとにごめんなさいっ!」
それをみた女の子が自分の落下のせいと勘違いし、平謝り。もちろん彼女のせいではないから、もういいと言うけれど取り合ってくれる様子がない。
「あぁほんっとーに申し訳ないですっ!これは流石に私が悪いので、ケガの賠償はさせてくださいっ!」
「いや、あなたのせいではないので…全然、大丈夫です。本当に気にしないでもらって、構わないので。」
「いやいやいやいや!そんな震えちゃってるじゃないですかっ!普通の人にはあんな速さで飛んできたら、やっぱり怖いものですよね?!乗ってた私も怖かったので!」
怖いのか!思わず突っ込みそうになるが、深く関わらないほうがいいと頭の中で警鐘が鳴っていることを重視し、その場を離れようとする。
「いや、うん、まぁちょっと早いなーとは思ったんだけど。でも、全然、大丈夫なんで。ね?気にしないでもらって、大丈夫なので。」
「ダメですよぉ〜!運転事故の場合、特に一般の方相手だと免停なんです!苦手なんで全然乗れなくなってもいいんですけど、保証は受けてもらわなきゃいけなくって!」
「いや、その、大丈夫なんで」
「いやいやいや!師匠にもそのまんま帰しちゃったって知れたら絶対絶対怒られるやつなので!補償と治療と、受けましょう!ね?!」
可愛らしい見た目とは想像もつかないほどがっしりとした力で両腕を掴まれてしまい、動くに動けなくなる。よく見たら淡いピンク色のパーカーに同じような色味のプリーツのミニスカートと可愛らしい服装なのに、握力だけが異常に強い。見た目だけならアイドルみたいなのに。貧相な自分の腕では振り払えそうもなく、抜け出せそうもない。今までと違う状況は望んでいたが、これは本意ではないなと考えていたところで、また空に複数の流れ星もとい、多分魔女の集団がこちらに向かってくる。その数は5人。
「チハル!無事?!」
先ほどとは違い、滑るように滑らかに箒を下降させると、箒から飛び降りた女の子が声をかける。先ほどの子より少し年上に見える。
「せんぱぁ〜い!落ちた時にこの子巻き込んじゃいましたぁっ!」
「えぇっ!大丈夫ですか?!」
「全然、ホント、大丈夫なんで、離してもらって……」
地味にギチギチと音がしそうなほど掴まれている腕が痛い。貧相なこの腕ならあと少しでポキっと行くのではないかとさえ思われる。
「チハル、待ってその人離してあげて!腕が折れちゃうよ!」
降り立った他の魔女から声がかかる。状況に気づいてくれたようで何よりだ。
「馬鹿力なんだから気をつけて!接触事故プラス暴力になっちゃう!」
周りに降り立った女の子たちが皆で止めてくれる。というか、彼女たちは素性を隠さなくて良いのだろうか。箒に乗って空を飛んでいる一般人はいないと思うので、十中八九魔女というものだと思われる。本当に魔女って箒に乗るんだなぁと呑気に考えつつも外された腕をがヒリヒリする。そこをさすっていると取り囲まれた。
「あー!本当にごめんなさいっ!腕痛いですよね?この子ちょーっと力強めで、ごめんなさい。」
「折れてない?ヒビとかいってない?」
「さっきこの子のせいで転びましたよね?腕以外に何処か痛いところ、無い?」
「もぉおおチハルは外で飛ぶのまだ早かったんだよっ!私は反対したのにっ!」
「ごめんなさぁぁあいっ」
「事故と暴力と、師匠に報告しなきゃだねぇ。」
賑やかだ。姦しいという字は女が三人と書くけど、倍の六人いると姦姦しいと書くのか?というかはっきり言うと煩い。自分は状況に絶望して世の中についてどうでも良いと思っていたはずなんだが、この状況は一体なんだ。
箒の折れたピンクの魔女のほか、多少年齢は上と思われる他の五人も色とりどりの出立ち。箒に乗って飛んでいたと言う事実がなければ、普通の10代女子の集団にも見える。むしろ、枯れ枝のような体に艶のない髪で、黒いTシャツとデニムという自分の方が魔女っぽいとさえ思えた。
「あの、申し訳ないんですが、私たちの世界では関わってしまった一般の方には、色々とお願いしなきゃいけないことがあるんです。」
騒ぐ魔女たちを眺めていると、まとめ役と思われた魔女が話し出す。彼女は濃いオレンジというか、茶色系のコーディネートでまとめていた。長い髪を高い位置でひとまとめにしているのが似合っている。
「お願い?」
「そうなんです、一応これでもあんまり目立たないように生活してるので、あんまり、こう……もちろん、怪我をさせた人の治療はします!」
目立つようなことはしないように、という言葉に思わず「目立つって意味知ってますか?」と取り囲む魔女たちを見回して投げかけたくなる。若い女の子たちが集団で箒片手に騒いで目立たないもなにも。思わずじとりと見てしまったことに気づいたのか、他の魔女たちがハッとした様子で一斉に口をつぐむ。
「それで、その、お願い事には契約書にサインをもらう必要があるんですけど、私達じゃ用意できなくって。うちの師匠の承認が必要なので、これから一緒についてきてもらうことってできますか?」
「……ついていく?」
「私たちはまだ見習いを抜けたばかりで、いろんな補償とか賠償とかそういうのが1人でやっちゃいけないことになってます。ちょっとこの山の裾に師匠の家があって、私たちもそこに住んでるんです。そんなに遠くないんで、良かったらこの後時間をもらえるとありがたいんですけど。」
彼女が見た先は山の方へと続く住宅街。街灯の橙の灯りがぽつりぽつりと灯る一番上のあたり。すぐそこに魔女たちの棲家があるという。しかも、連れて行ってくれる。いつもならそんな怪しい話、と取り合うこともなかったろう。しかしこの先を何も考えていなかった身としては、とても面白そうに感じた。
ほんの少し考えて、またすこし痛む鳩尾をさすった。
「わかりました。それは良いんですけど、ひとつこちらもお願いが。……なんか食べさせてもらうことって可能?」
長く続く空腹に我慢しきれなくなり、交渉にたったひとつ条件を出した。




