第十三話 今朝の一般的なオオカミの家庭
ぱっと目が覚めた。
いつもなら母の「いい加減に起きなさい!」という声で目覚めるのに、今日は急に覚醒した。
体を起こして周りを見ると、すでに一つ上の兄のベッドはきれいに整えられ、もぬけの殻だった。他の兄達はまだ眠っているようで、寝息やいびきが聞こえている。
カーテンから透ける太陽の日差しを感じてしまったら、再び寝ようという気にはならなかった。だから静かに自分のベッドを整え、部屋を出た。
まだ静かな家の中。これから一日が始まる、ほんの少し前の時間。そういえば以前主人に、この星は球体だから自分のいる場所が朝なら、反対に必ず夜が訪れている場所があると聞いたことを思い出す。自分が起きたのと反対にこれから寝る誰かがいるんだろうか、そんなことを考える。
廊下は暗く静まり返っていたけれど、台所の方からは湯を沸かす音や、食材をリズムよく刻む音が聞こえてきた。
灯りの漏れるその部屋の入り口からちょこんと顔を覗かせると、母がいつものように台所を忙しなく動き回り、手際良く大量の朝ごはんの支度をしているところだった。一生懸命に動いていて、顔を覗かせた自分にはまだ気づいていないようだ。
包丁を手放したのを見て、声をかける。
「おはよー」
「ひゃっ!!!」
悲鳴とともに卵を混ぜていた菜箸を取り落とす。脅かすつもりはなかったが、本当に気づいていなかったのだろう。大袈裟なほど驚いている。
「ごめん、大丈夫?」
「あ〜びっくりしたわぁ!まだ心臓ドキドキしてる。」
「ごめんごめん。」
落とした菜箸を拾って渡すと、すぐに洗ってまた動きを再開する。
「今日は随分早起きね?珍しいじゃない。」
「なんか目が覚めたら二度寝する気にならなかったんだよねぇ。」
話しながら、混ぜた卵を温めたフライパンに手際良く流し入れ、周りが少し焼けてきたら器用に巻いていく。じゅわわと火の入る音が美味しそうだ。
「わ、オムレツ!なんか食べたいと思ってたんだぁ!中に火が通り切ってないのが美味しいよねぇ!」
「ユエはナイフを入れたらトロトロするくらいの火の入れ方が好きよね。……ほら、今なら一番おいしい状態で食べられるわよ。」
「やったぁ!」
「ふふ、早起きの特権ね。」
真っ白な皿の上に湯気をあげて輝く黄色。ユエはその皿を受け取ると、掲げながら小躍りする。踊りながら「おっむれっつ、おっむれっつ、ふっわふっわとっろとっろ〜」と、調子っぱずれにご機嫌な歌まで歌い始めた。
「あ、ケチャップ!」
「ハイ。後でみんなも使うから、そのままテーブルに置いておいてちょうだい。」
「はぁ〜い!」
一足先にダイニングテーブルの自席につくと、母に渡されたケチャップをオムレツの皿の上にひとまわしかける。ケチャップの甘さと酸味漂う香りが、さらに食欲をそそる。
「いただきまーすっ!」
そっと差し入れたスプーンが湯気で一瞬曇る。掬い上げたら、まだ火の通り切っていない卵がトロトロと崩れた。ふうふうと冷ましながら口に運んだそれに、思わず卵と同じようにとろけた顔になる。
「んん〜っ!おいしい!母さん!おいしいよっ!!」
「ハイハイ。良かったわねぇ〜。」
思わずガッツポーズをしてその味に喜ぶ息子の様子を見て、母も追加のオムレツを焼きながら思わず笑ってしまう。
「はぁ〜、おれって幸せだなぁ。オムレツ美味しいから、きっと今日はいいことあるよ!」
「オムレツ占いなの?」
「うん!あ、でもいっつも美味しいから、いい結果しかないねぇ。母さんのご飯はいつも美味しいし!今日は出来立てだから、もーっとおいしい!」
「もう、ユエってば……」
えへへーっと笑いながらまたスプーンを口に運ぶ息子の言葉に、なんとも言えない気持ちになる。思うよりも育っているとは言え、まだまだ純粋に素直な部分も多く持ち合わせている。
「ごちそうさまー!美味しかった!」
食べ終わると、スキップして皿とフォークを持って流しへ行く。そしてそのままさっと洗って洗いカゴにしまう。
「あと何するの?おれ、手伝うよ。」
「あら、ありがとう。じゃあサラダ用のレタスを洗って、水切りしてくれる?」
「はぁーい!まかせて!」
------------------
「……おはよう。今朝は早いんだな、ユエ。」
朝刊を持ってダイニングにやってきた皚。そこでユエがテーブルに料理やカトラリーを並べているのに気づく。
「父さんおはよう!なんか今朝は早く目が覚めちゃったから、お手伝いしてたんだぁ。」
胸を張って言う末っ子に、思わず目を細める。
「そうか、偉いな。」
「えっへへー。父さん何飲む?牛乳?コーヒー?」
「コーヒーを淹れられるのか?」
「まだ勉強中なんだけど、それでも良いかなぁ?」
「あぁ、じゃあ頼む。」
はぁーい、と元気よく返事をすると、棚からコーヒー豆と手挽きのミルを取り出す。コーヒースプーンにすくった豆を真剣な顔でミルに入れていく。こぼさず全ての豆を入れると、ハンドルを回して挽き始めた。
「おはよう。早くからユエが手伝ってくれているから、今日は助かってるわ。」
「そうか、コーヒーの淹れ方は、君が?」
「いいえ。最近春の魔女様のところで教えていただいたんですって。」
「ほう。」
喫茶店を営む春の魔女直伝なら、きっとおいしいコーヒーが淹れられるに違いない。真面目な顔をして一生懸命にハンドルを回す息子を微笑ましく思いながら、朝刊を広げる。だんだんと出来上がってくる料理と芳しいコーヒーの香りが漂うリビングには、これから強くなりそうな日差しが差し込んでいる。
「ただいまぁ。」
「おかえり、グルグ。あら、そろそろみんな起こしてこなきゃ。」
「あれ、ユエ早いな。」
「うん。目が覚めちゃったから……よし!」
グルグも日課の朝のロードワークから帰ってきてユエに声をかけたが、挽いた豆を真剣にフィルターへセットしている最中のユエの視線はドリッパーに集中したままだ。
「コーヒー淹れてんの?」
「うん!教えてもらったから、やってみてるんだぁ!」
「おぉ、ガンバレ!」
「ちょうどお湯も沸いたわよ〜。」
「あ!母さん!測り!測りある?」
「そこの引き出しに入ってない?」
「あった!」
食器棚の引き出しの一つをあけて、電子スケールを取り出すと、サーバーとドリッパー、フィルターをそこに乗せた。
「あ!先に粉入れちゃった!えーっと、えーっと、こういう時はフィルターごと後から載せて……」
ぶつぶつと何かを呟きながら、スケールのスイッチを数回押す。先に豆の重量を測るつもりが、全部一緒に載せてしまったらしい。
「グルグ、手を洗ったらお兄ちゃん達起こしてきてちょうだい。」
「了解。多分ハティ兄さんスサノ兄さんは起きてると思うけど、問題はヴィルカス兄さんかなぁ。」
「あまりダラダラするようなら放っておいて良いわ。」
「ほーい。了解だよ。」
「……で、できたっ!」
瞬きもせずに湯を注いでいたユエが、そっと息をついてコーヒーケトルを下ろす。そして淹れたばかりのコーヒーをマグカップに移す。
どきどき、そんな音が聞こえそうなくらい緊張した様子で、そっと父の前に差し出した。
「父さん、どうぞ。」
「あぁ、ありがとう。頂こう。」
カップを持ち上げて口に運ぶのを、じぃっと食い入るように見つめる。その様子を見て深煎りの豆で淹れられた香りが鼻をくすぐると、思わず笑みがこぼれた。
「良い香りだな。」
深いコクと、わずかに香るフルーティーさ。喉元を通るそれは味わい深い。
「ど、どうかな?」
「あぁ……美味しいよ。ありがとう。」
父の言葉に、ぱぁっと音が聞こえるくらいに明るい笑顔になる。見ているものまで思わず口角の上がってしまう表情だ。
「よかったぁ!」
「じゃあ、今度から朝のコーヒーはユエに淹れてもらおうかしらね。」
大皿に盛ったフルーツをテーブルに置きながらイリスが言った。同意するように皚も頷いて、またコーヒーを口にする。
「おれ、コーヒー係?」
「そうそう、我が家のコーヒー大臣に任命するわ。よろしく。」
「えぇっ?!大臣?!カッコイイ!おれ、コーヒー大臣!やったぁっ!」
ユエが飛び跳ねて喜んでいると、起きてきた兄弟達が何事かとやってくる。
「おはよう〜。ユエは朝から元気だな。」
「うんっ!おれ、コーヒー大臣なんだぁっ!」
「ほら、みんなそろそろ食べ始めないと間に合わなくなるわよ。……ヴィルカスは?」
「まだ寝てる〜。」
「……いっつも!あの子はっ!」
寝室に向かう母が大きな声で兄の名を呼ぶ。
それを気にせず、他の家族は皆先に席へとついてそれぞれ朝食を摂り始める。
オオカミ一家の朝の光景は、今日もこのような様子だった。




