第十二話 女子会
とある日の午前中。ニュクスは自宅のキッチンにいた。これから訪れる客をもてなす為、鼻歌交じりで食材を切っていく。
木製のカットボードの上には瑞々しい桃がくし切りになっている。2個分切ったそれをガラスの皿に放射状に並べると、その上に薄切りのハモンセラーノを花のように巻いて置いていく。更にちぎったモッツァレラチーズ、キッチンで育てているディルも切って上から散らす。最後にミルで岩塩とピンクペッパーをかけ、さらにオリーブオイルとホワイトビネガー、レモン汁を回しかけたら完成。桃のふくよかな香りとレモンのきりりたした香りが爽やかだ。
盛り付けた皿をダイニングテーブルに乗せると、そこはとても華やかな食卓になっていた。先ほどの桃のカプレーゼのほか、パプリカやズッキーニ、ナスの焼き浸し。サーモンとクリームチーズを包んだ生春巻き。にんじんとオレンジのハニーマリネ。水晶鶏ときゅうりの梅肉和え。茹でたとうもろこしと枝豆。そしてヴィシソワーズ。実に彩鮮やかな夏の食卓。
2人分用意された取り皿は大小どちらも夏らしい爽やかな青い色味で、艶のない釉薬がかかったもの。溶けかけた氷のようなガラスの箸置きに箸を載せ、準備は整った。
(あ、そうそう忘れちゃいけない!)
相手が来てから盛り付けようと思っていた、本日のメイン用のカトラリーも準備する。あとはグラスかな、などと思っていたところに呼び鈴が鳴った。
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「飲み物は何がいいかな?まずは冷たい煎茶で良いだろうか。」
「え、えぇ。」
テーブルに置いていたグラスへ、薄い翡翠色を注ぐ。目にも涼やかなそれはあっさりとした飲み口で、ほのかに香る食事を邪魔しないものだった。
「あの、その節は、本当に、息子がお世話になりました。」
「その話はもう十分だよ。さ、座っておくれ。」
本日訪れたのは、ユエの母であるイリス。手土産に持参したメロンをひと玉、玄関先で早々に詫びと共に差し出したのを宥め、部屋に招き入れた。
「一緒に食べようと思って用意したんだ。良ければ同席してくれると嬉しいのだけど。」
「恐れ入ります……では、お言葉に甘えてご相伴に預からせていただきます。」
普段は意志の強さを印象付けるような眉が下がっているイリスへ声をかけると、彼女は渋々と言った様子で椅子を引き、腰掛けた。それを見て自分も向かいに座る。座ったはいいものの、居心地悪そうに固くなっているのを見て思わず苦笑する。
「そんなに固く考えないで。珍しく男どもがいないんだ。気楽に話そうじゃないか。」
「そうは言いましても……」
手を膝に置き、まだ遠慮した様子である。しかしながら、視線は時折テーブルの上の料理に向けられていた。
「あのねぇイリス、私が"北"を継いだからといって何か偉くなったわけではないよ。私たちの関係性まで変化するものじゃないと思ってるんだけど……そう考えるのは難しいかな?」
「……どう話すべきか……どんな態度が今のあなたに相応しいかが、わからないのよ。あなたは息子の主人であり、私の友人であって、私の主の弟子。……どの立場で話すべきなのか、迷ってしまって。」
「どれかに絞ることはないよ。全部私たちの関係を示すものなんだ、全部持ってていい。でも、話すなら友人のつもりで、楽にしてくれ。」
「そう……じゃあ、今日はそのつもりで話すわね。」
少し砕けた話し方に変わると、イリスの纏う空気も幾分か和らいだようだった。
「ひとまず食事をしよう。空腹はどうにも思考を悪い方へと持っていきがちだからね。」
「それもそうね。では遠慮なく。……ふふっ、子供達と離れて私だけこんなご馳走!どれから手をつけるか、迷っちゃうほどみんな美味しそう!」
「サーモン好きだったろう?生春巻きにたくさん入れてあるよ。」
「嬉しい!クリームチーズも入ってる!」
先ほどとはうって変わって、少女のようにはしゃぎながらテーブルの上をみる目が輝く。その姿に目を細めると、客人が来てから盛り付けようと思っていた料理を思い出し、キッチンからまだ暖かいフライパンを持ってきた。
「今日のパスタは牡蠣の燻製のオイルパスタだよ。」
焦がし醤油と燻製を漬けていた油の香りが食欲をそそる。大粒の牡蠣がいくつも載ったパスタをトングでくるくると巻き、それぞれの皿に載せていく。漂うその芳ばしい香りに2人揃ってうっとりと目を細め、思わず感嘆の息を吐く。
「香りだけでもう美味しいわねぇ……」
「夫君の燻製は素晴らしいからね。あんな大瓶に大量に詰めて貰って、かえって申し訳ないくらいだよ。」
「あの人は美味しいと喜んで食べてくれたらそれが一番嬉しいんだから、いいのよ。」
「では、せっかくだからありがたくいただこう。」
いただきます、と声を揃え2人はお茶のグラスを合わせる。
チン、と鳴ったその音は女子会の始まりを告げた。
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「あの後、魔女協会から直接うちにまで謝罪の連絡が来たのよ。」
互いに取り留めなく世間話や近況報告などをしつつ、テーブルの上の料理が三分の一くらいに減った頃。イリスは最後の一つとなった生春巻きを片手に、先日の一件のその後を話し始めた。
「ほぅ。で、何と?」
「息子さんの発言を偽造してしまって申し訳ありませんでしたーって。」
「それは当然だね。」
フォークに刺した桃に生ハムを巻き付けながらニュクスも応じる。ハムの塩気と熟した桃の甘さの組み合わせに、頬が落ちるという例えはこのことかと実感する。
「ユエが言うには話した内容としては同じだけれど、自分が話したようには書いてくれていないって。別のオオカミが話しているみたいに書かれたのが嫌だったって。確かに普段のあの子の性格から考えたら、あれはちょっとおかしかったのよね。」
末っ子の初めての家出を思い出し、頬杖をつく。冷静に考えればわかる話なのに、自分があの時いかに舞い上がっていたのかと恥ずかしさ半分、息子への申し訳なさ半分と言った気持ちがないまぜになっている。それを落ち着かせるように、お茶のグラスを傾けた。
「上の子たちも、うちの子達はみんなよく育っていると思うの。でも、特にユエは生まれた時からみんなより一回り以上小さいし、何より皚と同じく銀色だし。私たち一族のオオカミとしては異例づくしなのよ。」
「だからつい、過保護になってしまった、と言うことかい?」
「そう。でも、子供達は親の知らぬ間に大きくなって、心も成長しているんだって改めて思わされたわ。……もう5回目なのに。毎回、気づいたら思ってたよりあの子達はずっと大きいの。」
「言いたいことはわかるさ。私もつい、ユエや金太郎は赤子の頃のつもりでいることがあって。」
「あら、あなたもそんなことが?」
「時折ね。」
ぬいぐるみのように愛らしかった、かつての白い狼を思い浮かべ、思わずふふふ、と互いに笑い声が漏れる。
「ねぇ、ニュクス。あなたにはとても感謝しているの。本当にありがとう。」
姿勢を正し、椅子に座り直すと改まってイリスが礼を述べた。背もたれに寄りかかっていたニュクスも背を伸ばして座り直す。
「あの時あなたの助けがなければ、私はユエに会えなかったかもしれない。あの人や、他の子供達とも二度と会えなくなっていたかもしれない。」
「いいや、そもそも皚が私を訪ねてこなければ、私は何も知らないまま、助けることさえできなかったよ。彼の判断が君たちを救ったんだ。良い夫を持ったね。」
ユエがまだ産まれる前。しばらく連絡も取っていなかった皚が、1人で尋ねてきた日のことを思い出す。突然やってきた彼は、妻とその腹の子供を助けて欲しいと深々と頭を下げた。その後何だかんだとあり、結果的にニュクスは2人を助ける代わりにユエを使い魔として受け入れることとなったのだった。
「確かに、そうね。……あなたとは長いことうまく話すことができなかったから。私はあなたの前でどんな顔をしたら良いか、気持ちの整理がつかなくて長く会いに行けなかった。」
そう言うと、お茶を飲み干した。そして、2人が疎遠となるきっかけについて、思いを馳せる。
「本当はもっと早く、あなたと会って話すべきだってずっと思ってた。でも……会ったら思ってもいない、酷いことを言ってしまいそうで、もう少し落ち着いたらっていつもそう思って。」
「いや、私こそ、会いにいくべきだったんだ。でも何をどう伝えたら良いのか、言葉が見つけられなかった。何を話しても、イリスを傷つけることにしかならないと思ったから。」
黙り込んだ2人の間に、カラン、と氷が動く音が響く。それを合図にするように、ゆっくりとイリスが口を開く。
「……私、ずっと主には私だけ置いていかれたって思っていたの。」
そう言うと、ぎゅっと目を閉じた。最初に受けた痛みを思い出しているかのように、胸の前で合わせて握りしめた手は、わずかに震えている。
「私が……他の使い魔たちのように連れて行ってもらえなかったのは、自分が不出来だからだって。だから、使い魔として立派でなければ、置いていかれてしまう。子供たちには私のように悲しい思いをしなくて済むように、私のようにならなければ幸せになれるはずって思ってた。」
「イリス、それは、違う。」
「だって、直前までみんな主と一緒に、あなたやジョージもゲオルグもいて、みんなで笑ってたのに。……私だけ!」
震える掠れた声で吐き出される想いは、イリスが長く抱えてきたもの。しかしニュクスははっきりとした、よく通る声でそれを否定する。
「……君は置いていかれたんじゃない。逆だ。」
「逆?」
「君は、生きることを命じられたんだよ……あのとき、すでに、君のお腹にはハティがいたはずだ。」
「うそ、私、主にその話をしたことはないわ!だって、妊娠がわかったのはあの後だったもの!」
イリスの胎内に一番最初の子供がいるとわかったのは、主人や仲間の使い魔たちと別れてすぐ。だからこそ、主人にはその報告はできていなかった。なのに、何故。
「……魔女の契約印は、1人に対して一つなんだ。契約している君の胎内にもう1人いたとする。その場合、契約のないものが存在するわけだから、制約に影響が出るんだよ。」
「え、じゃあ、主は……」
「きっとわかっていたから、供にしなかったんだよ。」
「でも、なんで、そんなこと一言も……!」
「あぁ、言えば君が絶対に離れないこともわかっていたんだろうね。だからこそあの前日に、突然里帰りの用事を言いつけたんだ。」
主人と永遠に離れることとなる日の前夜、突然言いつけられた用事を思い出す。それを遂行するためには主人の元を離れて狼の里に行かなければならない。急ぎで必要な用事とも思えなかったけれど、翌日には向かうようにと主人は自分に命じた。だから違和感を感じながらも、言われるままに里へと向かったのだった。それが今生の別になるなんて思うこともなく。
「……それは、私を、実家に帰らせるために?」
「おそらく。」
「でも、私はずっと、置いていかれたっておもっていて、」
「うん。」
「みんなほど賢くなくて、不出来な使い魔だったから、立派な使い魔じゃなかったから!」
「そうじゃないよ。」
「じゃあ、何で________ 」
「君は、生きて、命を繋ぐことを託されたんだよ。……主人が消えれば使い魔も道連れだ。契約を破棄しない限り、それは変わらない。」
未来を託された、その一言に、言葉を失う。
「……違うの?……置いていかれたんじゃなかったの?私には……生きろと言っていたの?」
ずっと自分を責め続けていた事実が、誤解だとわかっても簡単には受け入れられない。目の前の食卓が、途端に色を失って見えた。
里へ向かう自分を見送ってくれた主人の表情が思い出せない。それが最後に見た顔だったのに。いつものような笑顔だったか、あるいは少し影のある笑みだったのか。最後に聞いた「気をつけて」は、いつもの見送りの言葉ではなく、少し違う意味だったのだろうか。
「……じゃあ、主は?……あの時、何を考えていたの?」
いつものように振る舞いながら、自分を生かすため送り出した主人は、その時点で自分の終わりを決めていたのではないか。
そう思い至る。
「あの日、なにかをきっかけに師匠は決めたんだろう……自らの進退をかけることを。」
背を伸ばしたまま、ニュクスがそれまで詰めていたものを吐き出すような息をする。
「そのきっかけがなんだったのか、私には見当もつかないんだけどね。」
そしてそう言うと、力無く笑った。
「……主人はあなたに目をかけていた。でもきっと、脅威とも感じていたんでしょうね……あなたを褒めた後、たまにひどく傷ついたように見える時があったの。」
「師匠はいつまでも見習だと思っていた私が、ある日突然そうじゃないと気づいたんだ、多分。……そして、壊れてしまった。」
突然、ずっと子供だと思っていた相手が実はそうではなかったと気づいた。いつまでも弟子より自分が上であると思い込んでいた。見誤っていたことに気づいた時には、もう遅かった。
「あの時は私も必死で、誰1人失いたくはなかったよ。それでも私にできたことは……あれしかなかった。無力な自分をどれだけ悔いたか。力があっても使い方がわからなければ無力と同じだ。……でもそんなこと、主を失った君には言い訳にしかならないと思ったんだよ。」
「あなただって無事だったわけではないでしょう?それにゲオルグが……」
「あぁ、君は主人を失い、私は使い魔を失った。あの時の正解がなんだったのか、まだわからない。今も時折夢に見る。」
目の前に倒れている、かつて自分に教えを説いたひと。そして己を庇い、腕の中で急速に体温を失って行った、かつての使い魔。
どうすれば誰も傷付かない道を選べたのか。どんなに持て囃されようと、自分が無知で、何より人の機微に無関心だったから起きた事件。それは学びとしては、あまりに過ぎたもので、ずっと戒めとして心に置いている。
「私の推測に過ぎないけれど、あの人は……師匠は、私の無関心さに傷つき、そしてそれが限界を越えてしまったんだと思っている。……知識を得ることに夢中になるあまり、使い道を考えないままに力を求めた。すべては周りを顧みず、安易に求めて軽く扱った、私の罪だよ。」
「私は、あのひとがあなたを気にかける一方で、脅威と感じていたことに気づいていながら、何もできなかった。あなたがその力と才能を開花させていく一方で、代わられることに怯えていたのに。きっと、自分の時代の終焉を感じていた。」
次の世代の台頭を感じるとともに、自らの終わりを突きつけられていると感じていたのではないか。
「あなたは脅かすつもりなんて、無かったのにね。遠くない未来に怯えて、追い詰められて、爆発してしまった。」
「言ってくれればよかったんだ。周りが見えていないことや、やりすぎたことをたしなめれば良かった。それとも、私が話を聞かなかったのか。……もっと話ができていたら、何か違ったのだろうか。」
「そうね。話しているつもり、理解しているつもりになっていた。そして察してくれるとどこかで思ってたのよ。……気づけた今、せめて私たちは、意識的に話を重ねていきましょう。」
「……あぁ、残された物同士、たまにはこうやって女子会でもしようじゃないか。」
湿気を含んだ風が、静かに見守っていた植物たちの葉を揺らした。




