第九話 対話
(お腹……すいたなぁ……)
ぼんやりとそんなことを考えた。昨晩は沢山具材が載ったミルクシーフードラーメンをお腹いっぱいになるまで食べ、金太郎と一緒に主人のベッドに入れてもらったところまでは覚えている。お腹が満たされたら急に眠くなって、気づいたら今空腹を感じている。
ぱちぱちと瞬きして身を起こせば、ベッドにいるのは自分だけだった。ふんふんと鼻を鳴らせば、リビングからご飯の炊ける香りがしてきている。
カーテンの隙間から漏れる光が、今日も暑くなりそうだと感じた。
「おはようございまぁ〜す。」
寝癖のついた頭のまま、ペタペタと裸足でリビングまで行く。ダイニングテーブルには色とりどりのおにぎり。枝豆チーズ、梅昆布、ごま鮭、和風ツナマヨなどの綺麗な三角形が皿の上に鎮座している。他の皿の上にはふわふわのだし巻き卵と大根おろし、ほうれん草の胡麻和え、フルーツとナッツにヨーグルト。
「おはようユエ。よく寝られたかい?もうすぐ豚汁もできるから、顔を洗っておいで。」
「はぁ〜い。」
小皿片手にキッチンから顔を覗かせた主人に返事をし、洗面所へ。「お、牛蒡が効いて良い味。」と言うので、味見をしていたようだ。彼女はそのままキッチンに戻り、取り皿を用意していた金太郎に声をかける。
「あぁ金太郎、ガスパチョを頼んでもいいかい?」
「はーい。」
小ぶりなガラス椀を三つテーブルに置くと、戸棚から取り出した塩をそれぞれにひとつまみずつ。そして今度は冷蔵庫からトマトジュースと牛乳を用意する。
「ユエには牛乳を多めにしておいておくれ。」
「おっけー。」
トマトジュースを器に注ぎ、牛乳を足す。一つだけ牛乳の方が多くなるように。そしてオリーブオイルをそれぞれにひと回しかけて完成。それぞれの席に置く。
「これはなぁに?トマトジュース?」
金太郎が配膳しているのをみて、顔を洗ってきたユエが聞く。
「"なんちゃって"ガスパチョだよ。主がいつも美容と健康にって夏だけ飲んでるやつ。トマトの青臭さがこれだと和らぐから飲みやすいんだって。」
「へぇ〜っ!そうなんだぁ!」
「さ、豚汁もできたよ!暖かいうちに食べようじゃないか。座って座って。」
椀を乗せたトレイを持って、主人が声をかけた。湯気が立つそれに、朝日が透ける。
「はぁ〜みんな美味しそうだぁ!」
「海苔が欲しい人はここにあるからね。」
「僕はこのまんまの方が好き。」
いただきます、と声を合わせる。まずは湯気のたつ豚汁を一口。
「はぁ〜おいしいぃ〜!ごぞうろっぷに染み渡るぅ。」
「お前、絶対今五臓六腑のことひらがなで言っただろ。」
「おいしいねぇ〜っ!」
「聞いてないし。」
豚汁を一口飲むごとに嬉しそうにおいしいと言うユエ。湯気が立っていてはまだ豚汁が飲めない金太郎は、ツナマヨおにぎりを齧ってしみじみとそれを噛み締める。そんな2人を見ながら主人は黄金色に焼けた、だし巻き卵を味わっていた。
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「ごちそうさまぁっ!全部おいしかったですっ!」
皿の上をすっかり綺麗にして、膨らんだお腹をさする。余ったものはお昼ご飯にするつもりで握ったおにぎり達は、一つも余すことなくユエのお腹におさまったのだった。
「はぁ〜、さすがにお腹いっぱいだよぉ。」
「そりゃそうだろうな。」
元々たくさん食べる方ではない金太郎は、食卓の上の品々が吸い込まれる様になくなっていくのを見て、最後の方はただただ唖然としていた。
「ジョージもこいつも、食べることに貪欲すぎる。」
「まぁ私が食には拘るからねぇ。自然とみんなそうなっていくのかもしれないね。金太郎だってジェラートには目がないだろう?」
「そうなんだけどさ。もういっそ、"食欲の魔女"とかに改名したら良いんじゃない?」
使い魔の提案に、それは随分と欲望に正直な名前の魔女だなと思っていたところで、呼び鈴が鳴った。
「ユエのお迎えかな?」
はぁ〜い、と聞こえるわけでもないのに返事をしながらインターフォンのモニターに向かうと、そこに映っていたのは昨晩送ってきたユエの兄ではなかった。
『いらっしゃい。珍しいね、君がお迎えなんて。』
『お久しぶりです、魔女様。息子がお世話になり、ありがとうございます。』
そこに居たのは、ユエと同じ銀色の髪をした美丈夫だった。
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「昨晩はありがとうございました。こちらはささやかですが、礼の品になります。お納めください。」
リビングに通されたユエの父は、勧められたソファに腰掛けると抱えていた紙袋を差し出した。
「気にしなくて良いのに……あぁっ!これはっ!」
遠慮しつつも受け取った袋の中を見た瞬間、珍しく目を見開いて声を上げた。
「……以前、差し上げた際に、随分と気に入っていただけたようだとユエから聞きましたので。」
ユエの父はそれだけ静か言うと、そのまま口を閉じ、口角を上げた。ニュクスは目を輝かせて紙袋から瓶詰めを慎重に取り出す。
「主〜?それなぁに?」
瓶を掲げるように慎重に持つ主人に、横から金太郎が問うた。
「父さん特製の、牡蠣の燻製のオイル漬け!あるじ、これ大好きだよねぇ〜っ!」
「へぇ〜。」
「はーっ!この輝き!香り!重み!」
父の横に座っていたユエが代わりにニコニコと答える向かいで、ニュクスは頬擦りする勢いで瓶を抱きしめる。横にいる金太郎は猫の姿のまま「やっぱ食欲の魔女じゃん。」と、溢す。
「たまらないねぇっ!皚、君の作るこれはまさに垂涎の一品!あぁ、私は一つ噛み締めるたびに幸せに身震いする勢いだ!」
「なんと栄誉あるお言葉。お褒めいただき、有り難い限りです。」
「父さんのねっ、作る燻製はなんでも美味しいんだっ!おれは、チーズを燻したやつが、特に好きっ!」
「あぁっ!それも良いねぇ!」
「……あのさぁ」
瓶を持って段々とテンション高まる主人を、思わず黒猫がじとーっと横目で見る。
「それが美味しいのはわかったから、良い加減本題に入れば?そのまんまだと一生それの話してるじゃん。」
普段は可愛い使い魔に、顰めっ面でそう言われてはさすがに落ち着くよりなかった。ひょいと膝の上に乗られ、ぱしりと尻尾でひと叩きされた。
コホン、と一つ咳をする。
「取り乱してすまない。」
「いえ。……昨晩、妻とも話し合いました。いつまでも子供だと思っていましたが、皆親が思うより自立している。親の整えた道だけを歩く弱さはもう、無いのだと。」
膝の上で組んだ両手を握り、皚は話し始めた。
「妻は子供達が傷つかぬよう、転ばなくても済むような道を整え、将来辛い思いをせずとも済むよう導いてやりたかったのです……」
「そうかい。イリスは愛情深いからね。子供達が失敗するような可能性は取り除いてやりたかったのだろうよ。」
「えぇ。だからこそ、子供達は理想的な姿で成長していると思いたかったのでしょう。」
「……そうか。新聞に載ったユエの言葉は、イリスの描く理想的な子供だったんだね。」
広がる道の障害になるものを取り除き、"正しい"方向へ導く。そうすれば傷付かず、将来的に要らぬ苦労もする事なく、辛い思いをすることもない。そしていずれ立派な大人に、幸せになれるはず。そんな行きすぎた思いが目の前の子を見る目を曇らせた。
「私たち大人は、いつまでもこの子達は子供だと思ってしまうね。一度腕に抱いたら、一生そのままでいるような気がしてしまう。」
初めて出会った日のことを思い出して、自然と目が細くなる。
「妻も似たような話をしていました。しかし、子供達はいつまでも何もわからないままではありません。経験から学ぶことを、奪ってはならないのです。」
「……そうだね。知識と経験は別物だ。」
ふわりと風をはらんでカーテンが膨らむ。
「知識を使う場は、経験が必要です。それは失敗という経験も同様。子供達が失敗する権利は、私たちが奪って良いものではありませんから。」
「転ばない方法を知っていて回避できても、実際に転んでみないと本当に起き上がる方法は得られない。」
「転んで初めて見える世界もあるでしょう。もしかしたら、それはとても良いものかもしれない。ですが、それは見てみないことには、誰にもわからないのです。」
「愛情という言い訳で、未来を限定してはいけない。そういうことだね。……私も肝に銘じよう。」
深く息を吐くと、初めて目があった時に満月のようだと思った瞳が、こちらを見つめていた。
次回9月4日19時更新予定です。




