番外編:洋菓子エトワールにて
地下鉄を降りて改札を抜け、長い階段を上って3番出口から地上に出たところ。そこから程なく歩くと見えてくる「洋菓子 エトワール」の看板。昔ながらといった雰囲気の店は、道路に面した側は全てがガラス張り。外から見えるショーウィンドウに並ぶ宝石のようなケーキ達は、今日のお客様を待っている様子が見えた。そんなお店が私のバイト先。小さな子供から、お店の開店からずっと来てくれている年配の方まで、まさに老若男女に愛されている老舗だ。子供頃からよく利用していたこの店でアルバイトを決めたのは、お店の中が常にバターや生クリームといった、甘い幸せな香りで満たされているから。お客さんのオーダー通りにカットケーキを詰めたり、贈答品の焼き菓子なんかを包装するのがメインの仕事。たまにティールームで給仕をすることも。学業優先な親の意向もあり、土日や長期休みの時限定のアルバイトだけど、お会計後に包まれた箱を受け取るときのお客さんがとっても嬉しそうな顔を見ると、こちらまで嬉しくなって、やりがいを感じている。そんなバイトを始めて数週間、その日私は初めてあのお客様と出会った。
あの方と初めて出会ったのは、確か日曜のお昼頃。開店直後から混み始めて、午前中のピークが落ち着いた頃だった。
「いらっしゃいませ。」
自動ドアの開く音に、反射的に入り口を見てするようになった挨拶で迎え入れたお客様は、それまで接客したどのお客さんとも違った。
「こんにちは。ふふ、今日もお店は良い香りですね。」
入店するや、そう言ってカウンター内にいた私達に声をかけられたお客様。
(せ、セレブ様だぁ〜!!!!)
長年勤めているというパートさん達から聞いていた存在。はじめてその本物に出くわして、私は驚きのあまりぽかんとしてしまった。
「いらっしゃいませ。本日は気温も高いですから、香りも立ちやすいですね。」
この時間帯の勤務ではリーダー的存在のパートの島田さんが、お客様にさっとお声がけする。
「そう、歩いてきたら暑いものだから今日はコーヒーゼリーのつもりで来たんですけれど、こうも良い香りが漂っているとやっぱりケーキにしようかな。」
「冷たい喉越しが気持ちの良い季節ですものね。今日はすごく出ていますよ。先ほどからゼリー類をお求めのお客様は多いですね。」
「やっぱりそうなんですね。えぇでも……他も美味しそうで悩むなぁ。」
「うふふ、どうぞごゆっくり。お決まりになりましたらお声がけくださいませ。」
島田さんが離れてからも熱心にショーケースを見つめるお客様。グレーのストレートデニムに黒いエナメルのバレエシューズ、白と紺のボーダーTシャツというとてもシンプルな格好なのに、なんというか華があって視線を引き寄せられる。話し方や仕草が丁寧で、品があるってこういうこと、という手本を見せられている感じ。ストレートのショートボブヘアは黒く艶々としていて、グレーがかったレンズのサングラスは細いシルバーフレームで知性的。はっきりとした赤いリップが嫌味なく似合っていて、全体のコーディネートを格上げしているように見えた。
(はぁ〜!なんて素敵〜!!)
どう見ても只者ではないその人のことは、バイトの休憩時間に噂として聞いてはいた。ポイントカードなんかがないうちのお店では、名前を伺うタイミングもないので島田さん達は「セレブ様」と密かに呼んでいたらしい。確かに華というかオーラ溢れるあの様子は、セレブリティに違いないという島田さん達の主張が納得できた。
「あの、注文良いかな?」
「あ、は、ハイ!お伺いします!」
ついつい見惚れていたところ、件のセレブ様からお声がかかる。ショーケースを覗いていたから、顔を上げたときにきらりと光ったダイヤらしき一粒ピアスさえ品がある。
「えっと、全部持ち帰りで。ひとまず苺ショートと」
「はい、苺ショートですね。」
「そう。それからザッハトルテとその横のオペラを。」
「ザッハトルテと、オペラですね。」
「うん。それからモンブランとコーヒーゼリーと」
セレブ様は次々とショーケースの中を指す。それをひとつひとつ箱に入れると、結局計8点のケーキとゼリーを選ばれていた。
「いらっしゃいませ。」
その間にまた新たなお客様がやってきた。
「あぁ!この店はいつも良い香りですね!」
セレブ様と同じことを言いながら入ってきたのは、これまたとんでもないイケおじ。洋画でしか見たことないような背の高い、肩幅の広い体格。腰の位置が多分私の肩くらいありそう。股下何キロあるんだろう?というくらい脚が長い。そして若い頃はヤンチャだったんだろうという雰囲気を残したまま、良い具合に脂の抜けた甘いマスク。極め付けはうっかり気を抜いていたら魂が抜けそうなほど、深く響く良い声。
(ぎゃー!!!とんでもない!とんでもない人が現れたー!!!!)
本当は絶叫してしまいたいくらいの衝撃だったけど、心の中になんとか留めた。その場にいた女性陣全員の視線を惹きつけてしまったその方は、私の前にいたセレブ様の横で自分も中腰になってショーケースを覗き込む。
「なんというか君は、本当にこの店が好きだなぁ。」
「それは当然です。甘味を愛するものとして、私はこの店のすべての菓子達を愛しているんです。」
「あぁそうだねぇ……」
呆れた顔でイケおじと会話されるセレブ様は、店内の女性陣の視線を集めていることに気づいている様子だった。そして気持ちを取り直すように、こちらに声をかけた。
「あぁ、じゃあそれでお会計を。」
「か、畏まりました。ただいまお包みしますのでお待ちください。」
「今日は何にされたんですか?」
「ヒッ」
しまった……一瞬だから、みんな気のせいだと思ったよね!包むために奥へ持って行こうとした箱を、イケオジがカウンターの向こうから覗き込んで来た。
(ひゃー!近い!イケおじが!!近いぃ!!!)
麗しい御尊顔が急に近づいてきたので、顔に出さないよう歯を食いしばって耐える。
「これはこれは。みんな私の好きなものばかりですね。」
「君は何を選んだってそう言うじゃないか。……ごめんね、店員さん。」
「い、イイエ、あの、お持ち歩きの時間は30分以上になりますか?」
どうにか普段の接客へ軌道修正して必要事項を伺う。セレブ様には私の動揺が気づかれてしまったようで、申し訳ない。
「いや、30分くらいだよ。」
「承知いたしました。では、保冷剤は小さめのものをお付けしますね。」
少々お待ちください、と言って今度こそ後ろの作業台へケーキの箱を持って行く。
「ちょっと、綾音ちゃん、セレブ様ご夫妻初めてだった?」
箱を組み立てながら保冷剤と、ケーキがずれないように隙間に入れる緩衝材を用意していたところ、横からヒソヒソと別のパートの成田さんに声をかけられだ。
「そうなんです、噂には聞いてたんですけど、びっくりしました。」
「そうよね、なかなか衝撃というか。」
ひっそりと言われたけれど、その場にいらっしゃるお客様のことをその場で噂するのは気が引けたので、適当に返事をして急いで準備し戻る。
「お客様、お待たせしました。こちらでお会計をお願いいたします。」
代金をいただき、保冷剤をつけて袋に入れたケーキ達をお渡しする。セレブ様が受け取ろうとしたのを、横からひょいとイケおじが当然とばかりに受け取る。そして自然と自動ドアへ先に近づいて、セレブ様をエスコートして退店された。
「はぁ……」
2人が居なくなった店内は、他のお客様も一緒になってなんというか「良いものを見た」という雰囲気で、思わず恍惚のため息が漏れた。
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衝撃の初対面からしばらくして、今度は土曜の15時頃。
セレブ様と2度目の対面を果たした。今度はイケおじじゃなくて、お人形みたいな銀色のふわふわした髪のとんでもなく綺麗な男の子。多分私より少し年下くらい。店内に足を踏み入れる前から嬉しそうに体を揺らしている様がガラスの向こうに見え、自動ドアを越えると大きな金色の目をキラキラとさせた。
「いらっしゃいませ。」
「うわぁ!とっても良い匂い!全部美味しそう〜!」
「こら、入り口で止まっては他の方の迷惑になるだろう。」
(なんか、耳と尻尾が見える気がする!すごく可愛い!大型犬みたい!)
セレブ様と一緒にやってきた綺麗な男の子は、ショーケースに齧り付くようにじっと見つめながら長く悩んでいた。
「え〜、おれ選べなぁい……全部美味しそうだし、どれも食べたいです……」
セレブ様を見上げて言う姿は、クゥンと犬の鳴き声が聞こえるようだった。なんだこれは、すごく可愛い。尊いってこう言うことかもしれない。このお店でバイトできて良かった!
「今全部にせず、次の楽しみも残しておくのもいいんじゃないか?」
「確かに……あぁそれでもおれは選べないです!あぁどうしよう!」
「じゃ、私が選ぼう。注文良いかな?そこのサバランと……」
「あー!ひどい!おれも選びたい!」
結局彼はその日悩みに悩んでフランボワーズタルトとベイクドチーズケーキを選んだ。他のケーキには今生の別れかのように未練がましさと涙を滲ませ、セレブ様に引き摺られるように帰って行った。
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「セレブ様ってなんのお仕事をされている方なんでしょうね?」
休憩時間が重なったパートさん達と、セレブ様の話になった。その後も彼の方は定期的に訪れており、お一人の時もあればイケおじ、ワンコ系美少年が同伴の時もあった。その後さらに真っ黒い髪の、ワンコ君よりさらに年若い男の子を伴って訪れたこともある。最初とんでもない美少女がこの世にいたものだと思ったけれど、話し声が少年で、しばらく混乱したものだった。この子はどちらかと言えば猫っぽい?多分年上の大人に甘える事が上手な小悪魔っぽさを感じた。退店するときにチラリと振り返って、ニコッと笑って消えたのをみた時は、あまりのファンサに死ぬかと思った。
「旦那さん、あんな感じだし、多分銀髪の子は実子じゃなさそうよね?黒髪の子は血縁なのかしら?」
「結構頻繁に買っていかれるし、何よりいつも身につけているものの質がいいのよ。わかりやすいブランド品じゃなさそうなところ、きっとすごいお金もちだわ!」
島田さんと成田さんは口々に予想を述べる。
「セレブ様は多分私たちとそんなに歳は変わらなさそうだけど、肌が綺麗なのよねぇ。」
「そう!年齢なりのシワはあるんだけれど、シミがないのよ!変に若作りしてる様子もないし、きっと生活に余裕あるんだわぁ。」
「いつもシンプルなのに綺麗にされてますもんね。お店でもいつも感じがいいし、本当に何されてる方なんだろう?」
賄いとして出勤の日は好きなケーキを一つ食べていいことになっている。これはここにバイト先を選んだ要因の一つ。私は今日はシンプルな苺ショートにした。
「私最初に接客した時、後から旦那さんがいらして、さりげなくケーキを受け取ってドアを開けてエスコートしていくのがあんまりにも自然だったんですよ。」
「あれはきっと純日本人じゃないわよ。」
「育ちが他の国とか?やっぱりレディファーストだからヨーロッパなのかしら。」
『なんにしても、素敵よねぇ〜』
2人は声を揃えて言った後、一緒に乙女みたいなため息をついた。私はセレブ様が気になるんだけど、2人はその旦那さんが気になるらしい。
「いろんな人が来るけど、あんなハンサムそうそうみたことないわ。」
「たまにテレビとか来るけど、レポーターとか俳優とかよりよっぽど素敵。」
「あぁ、お二人は彼の方が推しってことですね?」
「推し?」
「アイドルみたいな、憧れというか。」
『確かに!』
恋愛的にどう、と言うつもりはないけど直接的な見返りを求めない「精神的な支え」に近い感じなのかな。
「そうね、彼の方のブロマイドなら欲しいところよ。」
「いいわね!私もあのお顔を毎日眺めたいわ!うちの旦那の禿げた頭じゃなくて!」
「うちもそうよぉ!旦那のビール腹より、あの方のお顔の方がみていたいもの!」
2人はひとしきり盛り上がり、休憩室には甲高い笑い声が響き渡った。
それにしても、本当にあのお方は一体何者なんだろうなぁ。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
第一章はこちらのお話で締めとなります。
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明日からは第二章がスタートします。
一日一話、19時更新にて8月中は更新予定です。
よろしくお願いします。




