第32話: それぞれの思い
――うーん……。
翌朝、いつもの朝練の時間。
ピアノの前に座ったまま、私は唸っていた。
(美空ちゃんと、今度はどうやって話せばいいんだろう……?)
陽葵ちゃんは桜ちゃんが橋渡しをしてくれたから何とかなったけれど、
美空ちゃんとは普段そこまで話す機会もない。
やっぱり自分から話しかけに行くしかないけれど、急に行ったら絶対に警戒される。
ぐるぐると悶々と考え込んでしまい、ピアノを弾く手が止まっていた。
「……何かあった?」
「うわあっ!?」
顔を覗き込んできた小林君に、思わず大声を上げてしまった。
「いや、ちょっと部活でトラブルがありまして……」
小さく縮こまった声で答える。
その時、ガチャッと防音室のドアが開いた。
「おい橙真! お前、小型クーラーどこやった!? すっげー暑いんだけど! お
前やっぱここに置いてたんか、盗むなよ!」
土屋君が飛び込んできた。
「いいじゃん少しぐらい。朝だけだし」
小林君が少しだけ反抗する。
(あ……そういえば土屋君って、アケビ中学出身って言ってたよね?
確か美空ちゃんと同じ……)
なんとなく美空ちゃんを知っていそうな雰囲気を察していた私は、
言い合いをしているふたりの間に飛び込んだ。
「あの……土屋君! 美空ちゃんのこと知ってるんだよね? 合唱部の」
「あー……知ってるよ?」
「美空ちゃんって、どんな子? あんまり話したことなくてさ。中学、一緒だったんだよね?」
「……何かあったの?」
土屋君の表情が、急に少し真面目なトーンに変わった。
「いや、そんな大きなことじゃないんだけど……ちょっと部員同士でいざこざがあって。
大きい喧嘩とかじゃないんだけどね」
大げさにならないよう言葉を選んで伝えると、土屋君は真剣な表情のまま窓際に腰をかけた。
「俺、美空とは小学校の頃から知り合いで、中学も一緒だったんだよね。
あいつ小学校の頃吹奏楽やっててさ。俺の家の楽器屋によく通ってたから、小学校は違ったけど知ってたんだ」
「お前の家の楽器屋に、そんな通ってる女の子いたっけ?」
小林君が不思議そうに訊ねる。
「いたけど、お前は全くそういうの見ねえからな」
土屋君が呆れたように返し、私に視線を戻した。
「俺と橙真は小学校が一緒だけど、学区の違いで中学校で一旦分かれたの。
美空は小学校が違うけど中学が一緒。ちょっとややこしいけど、吹奏楽の楽器の調整とか修理でうちに通ってたって感じ。」
少し間を置いてから、土屋君は話始めた。
「俺も詳しくは知らないんだけどさ……あいつ、中学は合唱部だったんだよ。
1年、2年の時は特に何もなかったんだけど、3年で学生指揮者になって…。でも……3年生の最後の大会前、1年生の多数が退部したんだよ」
「退部!?」
私は大きな声で返してしまった。
「そう。辞めた1年生は、吹奏楽経験がない初心者中心のやつら。
で……辞めた生徒たちが言うには『学生指揮者が厳しすぎて辛い、辞めたい』って理由だったらしい」
「……学生指揮者の指導だけで退部なんてするか?
ほとんどは顧問が指導するもんじゃないの? 先生が怖くて辞めるなら分かるけど……」
小林君が言う。
「一人ふたりなら分かるけど、多数って……」
私も呟く。
「アケビ中学は基本『生徒に考えさせる』って雰囲気の学校だったんだ。
特に合唱部はそうだったらしい。昔から美空たちのこと知ってるけど、そんなことするとは思えないんだよな……その後、美空たちへの風当たりはかなり強くなってさ。結局3年の最後の大会はトラブル続きで全国に行けず引退になったんだけど、あからさまに周りのやつらが美空たちを避けてたんだ」
土屋君は静かに溜め息をついた。
「俺は何も知らないフリをして話しかけたりしてたけど……あの一件があってから、美空の性格は変わった気がする。昔はもう少し笑ったり、普通に話したりするやつだったんだけど」
話が終わると同時に、朝の予鈴が鳴った。
そろそろ授業が始まってしまう。バタバタと片付けをして教室内へ向かおうと防音室のドアを開けた。
「美空たちって言ってたけど…美空ちゃん以外にも学指揮がいたってことだよね?」
私は気になっていたことを尋ねた。
「もしかして聞いてない?美空は――。」
音楽室の前を通りかかった、その時
――ガチャッとドアが開き、美空ちゃんがゆっくりと出てきた。
「あっ……」
私、土屋君、小林君の3人はその場でフリーズした。
「み……美空ちゃん! おはよう! どうしたの……?」
慌てて声をかける。
「……文化祭に使おうと思ってた楽譜を、取りに来てたの」
美空ちゃんはそう言い、私と土屋君を交互に見つめた。
「なんだか、不思議な組み合わせだね」
「そう……! たまに話すんだよね〜」
土屋君が引きつった笑顔で返すと、
美空ちゃんはハッとした顔になり、土屋君につめ寄った。
「あんた……もしかして何か言った? 五十嵐さんに」
「い、いや! 何も言ってねえよ!」
動揺して声を荒げる土屋君を見て、このままじゃ彼が責められてしまうと思った私は、咄嗟に叫んでいた。
「違うの! 私がちょっと美空ちゃんと仲良くなりたくて……美空ちゃんってどんな子なのかなって、土屋君に聞いてて!」
静まり返る廊下。少しの沈黙の後、美空ちゃんが低く呟いた。
「……中学のことも、聞いたの?」
嘘はつけない。
「う……うん。少しだけ」
「……はぁ、最悪」
美空ちゃんが俯く。
最初はすごく怒らせてしまったのだと思った。
だけど……ギュッと握られた彼女の手を見た時、それが細かく震えていることに気づいた。
(震えてる…)
これまでの美空ちゃんの態度と、この前の練習風景が脳裏で重なった。
初心者である私や萌に対して、指導を避けるような素振りを見せていたこと。
それは……中学の時、初心者の後輩たちが退部してしまったトラウマがあったからじゃないだろうか。
『また自分のせいで、誰かが部活を辞めてしまったらどうしよう』という恐怖と戦っていたんじゃないだろうか。
震える美空ちゃんを見て、私は思わずその手をギュッと握りしめていた。
「美空ちゃん!」
「え……?」
「私ね、中学の頃に陸上をやってたんだけど、怪我をして走れなくなっちゃって……
大会も2年生の途中で全部投げ出しちゃったの。でも! 高校では全部やりきりたいって決めてる!」
美空ちゃんがゆっくりと顔を上げる。
「合唱は経験ないけど、みんなで大会に出て、せっかく出るなら全国大会まで行って優勝したい!
それに、文化祭みたいな楽しいイベントもみんなで楽しみたい! できなかった青春、全部やりたいの! だから……少なくとも私は、滅多なことじゃ絶対に辞めないから!!」
静かな校舎の廊下に、私の叫びが響き渡った。
美空ちゃんはフリーズし、抱え込んだ楽譜をギュッと抱きしめながら、ぽつりと零した。
「……この前の練習、避けてしまってごめんなさい。加藤さんと五十嵐さんに、謝ろうと思ってたの。
西野さんの言った通り……二人への指導を避けていたのは事実だから」
「美空ちゃん……」
「大我から聞いたかもしれないけど……初心者への指導が、どうしていいか分からなくなってて……」
「私だけじゃないと思う! きっと萌も分かってくれるよ。昨日陽葵ちゃんとも話したんだけどね、陽葵ちゃんも部活の将来のことを考えて文化祭の提案をしてくれてたの。
今日の部活で、みんなで話し合おう? 多分ね、みんな目指すところは一緒だと思う。せっかくだから、このメンバーで最後までやり遂げたい!」
私の言葉に、美空ちゃんはゆっくりと、頷いてくれた。
「……青春だなあ。置いてきぼりにされた気分」
横でポツリと呟く土屋君。
小林君はその一言がツボに入ったのか、フッと吹き出して口元を押さえている。
私は一気に顔が真っ赤になった。
美空ちゃんも耳まで真っ赤に染めながら、「うるさい!」と土屋君を叩いた。
――本鈴が校舎に鳴り響く。ホームルームが始まってしまう!
「やばい、走ろ!」
私たちは慌てて、それぞれの教室に向かって駆け出していった。




