5 真夜中の密会
夜眠る時、カーテンは閉めない主義だ。
ベッドに横たわり窓から溢れる月明かりを眺めながらジャックは思う。
今日も自分を選んでくれたらいいのに。
1番じゃなくても。誰かの代わりでも。
彼女にとって自分は特別じゃなくても、自分にとって彼女は特別だ。
今日は来ないだろうな。
でも、もし。
もし来てくれたらどんなに嬉しいだろう。
そんな諦めの悪い期待ばかりをして、毎晩毎晩毎晩、彼女のことばかりを考えて眠れぬ夜を過ごしている。
彼女と寝るのはせいぜい週に一度か二度。
いつも夜が更けた頃に前触れもなく彼女はコンコンと控えめに玄関のドアを叩く。
約束なんてしないし、してくれない。
彼女はいつも気まぐれで、自分の腕の中に閉じ込めたと思っても、するりとその身を躱し他の男の所へ行ってしまうのだ。
ーーー今日も別の男の所だろうか。
前に彼女が来たのは二日前。
まだ三日も経っていないのに、来るはずがない。
きっと、来るはずない。
なら待っていても意味はない。
この最悪な気分のまま寝てしまおう。
朝になったら元通り。この最悪な気分も消えるはずだ。
そう思って瞼を閉じ、睡眠を貪ろうとしたところで小さな音が響いた。
ジャックは飛び起き、玄関へ向かう。
扉を開けると、愛しい彼女が立っていた。
「やっぱり起きてた。」
アーモンドのような形のいい瞳を細めて彼女は微笑む。
月明かりに照らされた彼女の姿は、待ち焦がれたジャックにとって一層綺麗に見えた。
「…待ってた。」
震える声を絞り出す。
自分は一体どんな顔でこの言葉を溢しただろうか。
彼女を抱きしめ、確かめるようにその体温を堪能する。
彼女はくすりと笑い、自分の背に腕を回し抱きしめ返してくれた。
細い肩。少しひんやりとした体温。長い髪が風に揺れるたびいい香りがする。
堪らなくなって、その唇に口付ける。
唇が離れると、彼女はたしなめるように笑った。
「こら。まだ玄関でしょ。」
「…すんません。」
部屋へ招くと、彼女はいつも通りリビングを通り抜けて真っ直ぐに寝室へ向かう。
慣れた様子で先ほどまでジャックが横たわっていたベッドに腰掛けると、両手を広げた。
ジャックは誘われるまま彼女を抱きしめ、ベッドに押し倒す。
首筋に顔を埋めると、彼女の香りに包まれた。安心する香り。
重なった身体から彼女の心臓の音が伝わってくる心地よさ。
そのまま首筋を舐めると、彼女はくすぐったそうに吐息を溢す。
彼女が自分の目の前にいる。手に触れられる。
ああ、幸せだな。とジャックは思った。
けれど、モヤモヤした気持ちが消えないのも事実だった。
ジャックは自分の中で燻っていた疑問を口にした。
「…アダムと寝たんですか?」
「気になる?」
「いや、やっぱいい。聞きたくねぇです。」
自分から聞いておいて、質問を取り下げる。
我ながら、めんどくさい男だと思う。
でも、答えを聞く勇気がない。
もしイエスと言われたら、どうしていいかわからないからだ。
聞かなければ、まだ夢を見られる。
彼女はそんな心中を察したのか、その柔らかい手でジャックの頭を撫でた。
「ジャックは本当に可愛いわね。寝てないわよ。」
「…本当に?」
「ホントホント。あの子、効かないみたいだわ。たまにいるのよね。そういうめんどくさい人。『君と恋愛ごっこをするつもりはない』だって。さすが王様。傲慢ね。」
「…でもしようとしたんだ。」
「ごめんって。ジャックが面白くないのはわかってるから。」
彼女にとって自分は手のかかる子供のようなものなのだろう。
まるで子供をあやすように、滑らかな指がジャックの髪を梳く。
「別に…。こういうの…俺以外ともしてるのも知ってるし、今更どうこう言うつもりじゃねぇですけど…。」
これは比喩や皮肉ではなく真実だ。
彼女が夜を共にする相手は自分一人ではない。
それを理解していてなお、自分は彼女と関係を結んでいる。
彼女は何も言わず、ただ形のいいアーモンドの瞳をゆるりと細める。
「…無言なのがムカつく。」
ジャックは言葉を吐き捨てる。
今自分はどんな顔でこの言葉を放ったのだろう。
きっと情けない男の顔をしているのだと思う。
彼女はジャックの耳に唇を寄せ、ねぇ、と囁く。
「機嫌直してよ。」
そう言って触れるだけのキスをする。
耳。頬。顔を上げさせて唇に。
唇と唇をくっつけて離して、またくっつけて。
ジャックは黙ってそれを受け入れる。
何度か繰り返し唇が離れるとジャックは大きな溜息をついた。
「…ほんと、そういうとこ。アンタ、最高にズルい女だ。」
「それを知ってて手放せないのはジャックでしょ?」
彼女は顔色を変えることなくしたたかに答える。
ジャックは図星を突かれて思わずムッとした。
純粋無垢な天使と形容される彼女だが、実のところ結構いい性格をしている。
それを知っているのは、極僅かな人間だけだが。
「あーもう、そうだよ。俺はアンタが好きですよ。アンタが好きだから…アンタの前じゃどうしようもないくらい馬鹿な男になっちまうんですよ!」
我ながらダサいと思う。
縋るように彼女に執着し続けるみっともない自分も、他の男の所へ行くなとも言えない情けない自分も、キスの1つで簡単に絆されてしまう単純な自分も、なにもかも。
全てを見透かすように彼女はクスクスと笑う。
そして伸ばし続けた長い濡羽色の髪を指先でクルクルと遊ばせた。
「髪、伸びたわね。」
「…誰のせいで。」
「ふふっ。ジャックは可愛いわね。」
「別に可愛くもなんともねーですよ。」
ふいに、彼女はチョーカーに指をかけ、その指ごとチョーカーを引く。
弾みで首を引かれ、彼女を見下ろすような体勢になる。
いたずらっ子のような彼女の顔に、自分の髪がかかる。
長い髪はカーテンのように外の世界を遮断した。
世界から隔絶された彼女と2人きりの空間。
「この髪も、首輪も。ぜーんぶ私のせいなのよね?」
満足そうに彼女は微笑む。
そう、この長い髪は願掛け。
いつか彼女が自分だけを選んでくれるようにと、願いを込めて、祈りを込めて、伸ばし続けている。
想い叶わず早十数年。随分な長さにまで伸びてしまった。
「本当、…可哀想で、可愛い子。」
「…俺はアンタの犬ですよ。」
チョーカーと言う名の首輪をもてあそぶ彼女の手に自分の手を重ねる。
これは別に彼女が付けたものではない。自分が好きでつけているだけ。
彼女への忠誠を目に見える形に表したかったからチョーカーを選んだ。
「待てだってできるし、アンタの言うことならなんでもきいてやれる利口な犬。アンタがどこでなにしようが…ムカつくけど文句は言わねぇですし、アンタが俺のとこ来てくれたらどんなに機嫌悪くても尻尾振って喜ぶ馬鹿な犬です。」
最愛の男になれないなら、せめて最愛の犬でいい。
報われなくても、都合のいい存在でもいい。
なんでもいいから彼女の一番になりたかった。
「ね、俺のことちゃんと飼い慣らしてくださいね?」
「もちろん。私、ペットは可愛がる主義なのよ。」
「じゃあ、ちゃんと俺のこと可愛がってください。」
そう言ってジャックは彼女に噛みつくようなキスをした。
情事を終え、裸のままベッドで横たわる。
まだ足りない。名残惜しい。帰したくない。
そんな気持ちを言葉にできず、彼女の白く細いうなじにキスの雨を降らす。
唇で確かめるように触れ、舐めて、強く吸う。
白い肌に赤い内出血がよく映える。
いっそ、噛み付いてやりたいとさえ思う。
「…痕は付けないでって言ってるでしょ?」
「…アンタが他の男のとこいけないようにマーキングですよ。」
「そういうことは…ちゃんと私を殺せるようになってから言うことね。」
意気地なし、と彼女は呟く。
わかってる。彼女の言う通り自分は意気地なしだ。
自分に彼女は殺せない。例え彼女がそれを望んだとして、それだけはできない。
痕をつけたところで彼女は何も変わらない。
このまま平気で他の男に抱かれに行くだろう。
現に、彼女の背中には無数のキスマークが残っていた。
自分ではない、誰かの執着の痕だ。
愛おしい女性をなんの躊躇いもなく殺せる男がいるならそれは異常だ。狂っている。
けれど、そんなことができてしまう男をジャックは一人知っている。
彼には痕をつけることを許しているのか。
あんな奴のどこがいいのか。
絶対に自分の方が彼女を愛しているのに。
ーーーホント、ムカつく。
ジャックは心の中で悪態をつく。
自分が付けた内出血を指でなぞってみる。
これが誰かへの牽制になればいいのに。
彼女は自分のものだって人前で言えたらどんなにいいだろう。
けれど、それはできない。この関係は2人だけの秘密。
自分が彼女と話し、触れられるのは彼女がここに来た時だけ。
外では何の関係もない他人を演じる。
それが彼女から提示された条件の1つだった。
彼女に愛想を尽かされるのが怖い自分は、律儀にそれを守っている。
それに、この関係を世間に知られてしまったら、彼女の秘密が暴かれるかもしれない。
それはダメだ。彼女の秘密は自分が大事に大事に守っていくと心に決めている。
誰にも知られてはならない。知られれば、この彼女とのそれなりに幸せな日常が終わってしまう。
そういえば、とジャックは昨日のことを思い出す。
「最近、アンタのこと嗅ぎ回ってる奴がいますよ。」
「アダム君でしょ。手籠めにできなかったからちょっと面倒ね。」
「いや動いてるのはノエル。バックはアダムで間違いないですけど。昨日俺のとこにアンタのことを聞きに来ました。あの様子じゃ他の奴のところにも行ってるでしょうね。」
「ふーん。」
「適当に躱しておいたけど。どうするつもりです?」
「明日は雨がいいわね。」
窓の外の月明かりを見上げて彼女が言う。
この言葉の意味を、自分はよく知っている。
自分にとって最悪の言葉だ。
「…俺は絶対嫌ですよ。」
絞り出すような言葉を無視して彼女は再度言う。
「明日は雨がいいわね。それも、とびっきり土砂降りの、雨。」
天使のような顔をして、彼女は悪魔のような台詞を言う。
「…はぁ。クソ喰らえ。」
吐き捨てた言葉を聞かないフリをして彼女は微笑む。
「ねぇ、ジャック。愛してる。…愛してるわよ。」
とろけるような猫なで声で彼女の細い腕が自分に絡みつく。
頬を撫でられそのまま柔らかい指が顎下を擽る。
そのまま彼女の顔が近付いてきて、柔らかい感触が唇に触れる。
唇が離れると彼女は妖艶に笑った。
「…ごほーび、くれるんでしょうね?」
「もちろん。」
本当に嫌になる。
人の気も知らないで好きなように振る舞う彼女も。
キスの一つで彼女の都合のいい男になってしまう自分にも。
彼女の囁く愛は羽のように軽い。それこそ、吹けば飛んで消えてしまうような軽さ。
それでも自分はその愛が手放せなくて、縋ってしまう。
鉛のように重い執着は、羽のように軽い愛に逆らえない。
彼女の望みならなんでも叶えてやる。それが彼女への忠誠。
そして自分がその望みを叶えれば、きっと彼女は明日違う男に抱かれる。
やってられない。どうして自分が愛しい彼女を他の男に差し出さなければならないんだ。
けれど、彼女からの信頼を失う方がジャックにとっては怖かった。
「ねぇ、アンジェラ。本当に…俺のこと捨てないでくださいよ。」
ーーー呟いた言葉は夜の闇に吸い込まれて溶けた。
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