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忠告

「上出来だよ」


 検量室へ引き返すと、エヴァンが労ってくれた。

 心なしか顔が上気しているように見える。

 大きく離されたとはいえ四着、今後に目処が立ったと感じたらしかった。


「ありがとうございます」


 鞍を外して、恭介は簡素に礼を言う。


「でも、もうちょっと上手くやりたかったんですけどね」


 謙遜しながらも、初めてにしては上出来だと思った。

 

「次だよ、次。気持ちを切り替えてね」


 まるで愛弟子のように励ましてくれるエヴァン。


 査問委員が早く検量を済ませるよう促しに来たので、恭介は足早に検量を済ませた。


 付添人のリジャイナに鞍と鞭を預け、一緒に控室に戻る。

 そして勝負服を脱いでリジャイナに渡し、代わりに次のレースで着用する勝負服を受け取り、素早く着替えた。

 その間にリジャイナはヘルメットのカバーをつけかえてくれた。


 リジャイナは騎手を経験しているだけあって、一連の作業には淀みがなかった。

 エレノアが付添人をしてくれたときは調教師を兼任していたため、ある程度は自分でやらなければならなかったが、専任の付添人がいるだけで大分楽になった。


「ありがとな」


 恭介は控室の椅子に腰を下ろすとリジャイナをねぎらった。


「これぐらい平気だって。仕事だもん」


 そう言うと、リジャイナはポケットから手帳を出した。


「一レース空けてまた飛翔の条件戦ね。今度は六四〇〇メートル」


「了解。ところで、俺のレース、どうだった?」


 恭介なりに課題点は見つかったが、客観的な視点が欲しいので意見を求めた。


「よかったんじゃない。着陸前のアクシデントがなかったら、もうちょっとよかったかも」


「そうか。で、あのインターフェアって審議の対象にならないのか?」


「うーん、どうかなぁ……よくあることだしね。ちょっと微妙だと思う」


「なら、もうちょい気をつけないとな」


 今の恭介が申し立てしてもあまり効果はないかもしれない。

 もっと飛翔競走の経験を積まないとどこがおかしいのか理解できなさそうだった。


「よ、おつかれ」


 誰かが声をかけてきた。


 声のした方へ向くと、ケニーが右手をあげて近寄ってきた。


「お疲れさんっす。ケニーさんおめでとうございます」


 と恭介が言ったのは、さっきのレース、一着はケニーだったからである。


「ありがと。今日はあと一レースしか乗らないし、何とか勝ててよかった」


 とケニーは照れ笑いを浮かべ、頭をかく。


「ケニーさんって結構うまいのね」


 リジャイナは遠慮のない口調で言った。


「まあな。これでもなんとか騎手一本で食っていけているし。つってもまだG1は勝てていないけどな」


「あたしもケニーさんぐらい上手かったらまだ騎手を続けていたかも」


「なんだ、未練があるのか」


 と恭介が訊く。


「ないよ。いまは厩務員兼付添人で満足。いつかは調教師になってビッグレースに勝つんだから」


 恭介の杞憂とは裏腹にリジャイナの表情には曇りがなかった。


「リジャイナって調教師志望なんだ」


「うん。いつかは独立してG1を勝ちたいの」


「そうか。なら厩務員に転向したのは正解かもな。普段からペガサスの世話をしながら観察しているし、その点騎手よりは有利だしな」


「あとは、経営戦略も大事ね。もしかしたら、ケニーさんに乗ってもらうかも」


「そのときはよろしくな。ちゃんといいペガサスに乗せてくれよ」


「りょーかい」


 リジャイナは朗らかに言った。


「ところで、キョースケ。この間、リンウェルダウンズに行ってたんだろ」


「急に訊いてきますね。それがなにか?」


「なにかってことはないだろ。こっちでも結構な騒ぎになっていたんだぞ。トマト混入事件とか、騎手が控室で喧嘩したって」


 その喧嘩騒ぎの張本人がここにいるのをケニーは知らないようだった。


「俺は止めた方ですけどね。何人かの騎手は騎乗停止処分を食らったみたいっすけど」


 恭介はリジャイナをちらと見た。

 彼女は無視を決め込んだようで、顔を背けている。


「災難だったよなぁ。ま、この業界、いろんな奴がいるから気をつけた方がいいぞ。喧嘩ならまだましな方だ」


「他になんかあるんですか?」


「ん、まあ、色々とな」


 自分から話を切り出したのに、なぜかケニーは言い淀んだ。


 すると、ケニーは周りを見回してから耳を貸すよう手招きをした。

 どうも話しにくいことらしかった。


「ちょいちょい、不祥事が起きるからな」


「不祥事って?」


「八百長だよ」


「マジっすか?」


 恭介はケニーに顔を向けて声を張り上げてしまった。


「しっ、声がでかい」


 ケニーは窘めてから、もう一度恭介に耳を貸すよう促す。


「だから、気をつけろよ。お前はただでさえ注目の的なんだからな。変な馬主や調教師がそれとなく持ちかけてくるから気をつけろよ」


「強い馬をわざと負けさせるってことか」


 競馬に関する八百長と言えばそれしか思い浮かばなかった。

 弱い馬を勝たせるのはまず不可能であるが、強い馬を勝たせないだけなら容易なことである。


「とにかく、ペガサス競馬じゃあの手この手を使って不正を企む奴らがいるからな。お前も関わらないように気をつけるんだぞ」


「わかっています。エレノアたちに訊けば、誰が怪しいかわかるだろうし」


「だといいけどな」


 ケニーは訝しげな声音を上げる。


「エレノアが怪しいって言うんですか?」


 思わず声が高くなる恭介。


「ちがうっつーの。いくらエレノアでも馬主全員の素性がわかっているわけじゃない。やましい前歴のない奴が不正に手を染めることだって珍しくないんだ」


「人は誰でも悪に染まるときがあるってか。フィクションみたいっすね」


 恭介は日本にいたころに観ていた、大人気刑事ドラマを思い出した。

 たしかそんな科白があった気がする。


「現実だよ。とにかく少しでも怪しい馬主や調教師には近づかない方がいいぞ。下手したら永久追放だからな。さっきも言ったけど、おまえみたいに急に目立った騎手ってのは悪い奴らの格好の餌食だ。気をつけろよ」


 ケニーは恭介の顔を指さして念を押す。


「そうだね。キョースケって人気のないペガサスでもいい勝負しているし、付き合いは考えた方がいいかも」


 リジャイナも顔を寄せて忠告する。


「たしかにな。今のおまえだと、どんな馬でも勝負圏内に持っていけるって見られているし、下手したらもうじき怪しい話が舞い込んでくるかもな」


「あたしたちも気をつけないとね。もしかしたら知らないうちに巻き込まれているかも」


「ああ、調教師に話を持ち込むケースだってありうる。スピレッタ調教場も最近調子がいいからな」


「エレノアなら大丈夫な気がしますけどね」


「気をつけるに越したことはないって話だ。とにかく、人付き合いを考える時期に来てるんだよ、お前らは」


 ケニーはさらに念を押した。


 と、ここで恭介はなぜケニーがここまでしつこく忠告するのかが気になった。

 心配してくれるのはありがたいが、ここまでするのかという思いもある。


「ケニーさんの知り合いに、八百長に関わった人っているんすか?」


 不意を突くように恭介は訊いた。


「いや、ま、そんなところだ」


 ケニーは視線を落とし、一瞬力のない顔つきになった。

 どうやらあまり触れてほしくないところらしく、恭介はこれ以上訊く気が起きなかった。


「とにかく、つき合う人は選べよ」


 じゃあな、と言ってケニーはすっくと立ちあがると、どこかへ行ってしまった。


 呼び止めようとしたが、いつの間にか周りには騎手や付添人たちの数が増えてきたので、これ以上話をするのは無理そうだった。


「ケニーさん、なにがあったんだろ」


 今までの素振りから察するに、ケニーの周りでなんらかの不祥事があったのかもしれない。

 レースに乗れているあたり、ケニーには関りがなかったようだが、なにか思うところがある気がした。


「キョースケ」


 リジャイナの声がした。

 ちょっとの間、考え事をしていて周りの音が耳に入らなくなっていた。


 恭介ははっとしてリジャイナに目を遣った。


「どうした?」


「どうした、じゃなく。レースの準備しなさいよ。ほら、もうパドックにペガサスが入ってきてるよ」


 そう言われて控室の窓越しに見えるパドックに目を向けた。

 先頭のペガサスがパドックを周回していた。


「ああ、そうだな」


 よし、と一声出して立ち上がった。


 リジャイナから鞭とヘルメットを受け取り、パドックへ向かった。


 ――余計なことを考えている場合じゃないな。


 八百長や不正があると聞いて驚いた恭介だったが、今は雑音を振り払って目の前のレースに集中するしかない。


 恭介は本日二度目の飛翔競走へと挑んだ。


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