飛翔競走デビュー戦 2
各馬返し馬を終えて、スタート地点へ集まり出した。
何頭かの馬が輪乗りをしている中、恭介は空いているスペースにブラッククォーツを誘導して列に加わった。
スタートを待っている馬たちは普段通りのルーティンをこなしているように見え、騎手たちにも別段緊張は見られない。
この中で、恭介だけ初めての飛翔競走に挑む。
そのこと対して、むしろ安堵を覚えた。
経験の少ない騎手ばかりだとペガサスを操る技術が未熟だったり、レース運びが雑になってしまう恐れがある。
それに引き換え、経験者ばかりなら道中の駆け引きや仕掛けどころ、馬の操り方など間近で学べる機会に恵まれる。
幸か不幸か、ブラッククォーツに勝ち目はないと見られている。
まずは周りの様子を窺いながらレースをこなし、あわよくば上の着順を目指したかった。
パドックでエヴァンが気楽にと声をかけてもらったが、もしかしたら初めて飛翔に乗る恭介の心情を汲み取ってくれたのかもしれなかった。
もっとも彼の自信なさそうな素振りから察するに、本当に勝ち目はないと踏んでいる可能性もあるが。
ともあれ、スタート地点にすべての出走馬が集まり、ロープが渡されようとしていた。
それを見た各騎手が思い思いのポジションを取り始める。
スタート位置については特に指示を受けていなかったので、なるべく内側の位置を取ろうとした。
結果、内から五頭目のところを位置取りあとはスタートを待つだけとなった。
そして、ロープが跳ね上がり、スタートが切られた。
その直後、左隣のペガサスが寄れてしまい、馬体が接触してしまった。
恭介は隣のペガサスに跨っている騎手の顔をちらと見た。
彼の目が見開き口を歪めていた。
彼にとっても予期せぬアクシデントだったようだ。
なんとか体勢を立て直したところ、すでに数頭の馬が先団にとりついていた。
ブラッククォーツは接触があったせいでダッシュが利かず、後方からのスタートとなってしまった。
「くそっ」
指示とは真逆の競馬になってしまった。
無理をして先団に取りつこうとすると、スタミナを消耗してしまう。
ただ、距離は四八〇〇メートルもあり、飛翔の具合によっては道中でまくれるかもしれない。
万が一の勝機に賭けて後方のままレースを進めることにした。
先頭から十五馬身ほど離れてしまった。
スタンドからのまばらな歓声が耳を打つ。
どうやら人気馬は順調にレースを進めているようだ。
恭介は内埒沿いにブラッククォーツを誘導した。
緩やかなコーナーを曲がって少し走ったところに飛翔エリアがある。
先頭集団がコーナーを曲がり飛翔に備えていた。
恭介とブラッククォーツがコーナーを曲がったとき、先頭のペガサスが翼を広げた。
後ろから背中を打つような歓声が届く。
各馬、次々と生垣を超えて空へ翔けて行く中、恭介は練習通りに腰を落とし重心を前に移した。
一瞬、ブラッククォーツのスピードが落ちたが、すぐに元通りになる。
いよいよ飛翔エリアへと到達しかけたとき、恭介は手綱を強く振った。
ブラッククォーツの翼が出現し、急加速した。
「うおっ」
力が足りないとはいえ、そこは現役馬のレース。
練習や調教とは加速の具合が段違いだった。
思ったよりも強く後ろに引っ張られる感覚を味わった。
――焦るなっ!
胸の内で叫んだ。
両脚に力を入れ、鐙を後方に流してなんとか落馬を防ぐ。
すぐに体勢を立て直し、今度は手綱を持ち上げるようにして動かす。
ブラッククォーツは恭介の指示に応え、高度を上げ始める。
だが、生垣まで距離がない。
恭介はさらに手綱に力を入れて持ち上げる。
すると、ブラッククォーツは急激に高度を上げ始めた。
「くおっ」
変な呻きが喉から出た。
下から突き上げを食らったような感じになり、鞍に尻がついてしまった。
その間にブラッククォーツは生垣の上を越えて空のコースに進入した。
恭介はモンキー乗りに体勢を戻し、各馬の位置を確かめた。
「すげえ景色だな」
空を切り裂く音が耳を打っている中、空に散らばったペガサスたちの姿が目に入り、呆気に取られそうになった。
各馬前後左右、それに上下と思い思いの位置を取っているペガサスたちがレースをしている。
前方にいる何頭かのペガサスが高度を調節して高度を下げたり、馬体を併せたりして駆け引きを行っている。
「さて、どうするかな」
平地とは全く違うレースに、恭介はどうやってレースを進めようか考えた。
ポジションを上げて先団にとりつこうか、それともこのまま後方に待機するか。
間隙を突くのはそう難しくないはずだ。
だが、もし他のペガサスが急に進路を変更したら……。
――迷うな!
胸の内で活を入れる。
今日に備えて何度もレース映像を見て、エレノアからレクチャーを受けた。
それにモンキー乗りという武器がある。
自信を持て、と自分に言い聞かせた。
腹を括った恭介はそのままの位置でレースを進めた。
そして飛翔して初めてのコーナーに進入しようとしていた。
ここで、前方のペガサスたちの様子を窺う。
平地と同じでなるべく内埒沿いを走るのがセオリーだ。
ところが何頭かのペガサスが大きく外へと膨れた。
コーナーが緩いとはいえ、ペガサスの飛行速度では強烈な遠心力が働き、内埒ぴったりにつくようなコーナリングは難しそうだった。
恭介はそれらのペガサスの様子を見てチャンスだと思った。
ブラッククォーツをコーナーに進入させると、左側に体重をかけ、同じく左に手綱を引く。
上手く内埒に張り付くようなコーナリングができた。
ブラッククォーツの後脚が外に流れようとしていた。
恭介は落ち着いていた。
ブラッククォーツの顔がコーナーの先に向こうとしたとき、今度は右に手綱を引いた。
ブラッククォーツの後脚が流れなくなり、そのまま真正面に馬体を向けてバックストレッチへ進入した。
これは日本にいたころ、佐山順平に教わったやり方である。
彼は車好きで、このコーナリングをドリフト走行のカウンターステアと同じようなものだと言っていた。
恭介も日本にいたころもやっていた技術である。
飛翔競走でも有効な技術だと実感した。
それでも、恭介と同じこと何人かやっていた。
さすがに経験を積んだ騎手だ。
ほとんどのペガサスが外に流れたが、先団を走っていた何頭かのペガサスがあまり外に膨れることなく、内埒の近くを飛翔していた。
「あの勝負服は、ケニーさんだな」
前方上空のところを飛んでいるペガサスに目が行った。
空を切り裂く音に混じって、はるか遠くで遠雷が鳴るような蹄音が聞こえてくる。
しかし、ペガサスのスピードが凄まじく、空を切り裂く音が混じっているので耳を澄まさないと蹄音が聞こえてこない。
神経を研ぎ澄ませて他馬の動きにも注意を払う必要がありそうだ。
初めての飛翔競走で得られるものが多いと感じたとき、残り二〇〇〇メートルあたりまでレースが進んでいた。
前には五頭いて結果的にエヴァンの指示通りのレース運びとなったようだ。
恭介は後ろを振り向いて後続馬の様子を窺う。
何頭かのペガサスが脱落したようですでに手綱が動き鞭を振るう騎手もいた。
その中、一頭のペガサスがポジションを上げ始めた。
このレースの一番人気でロングスパートを武器に勝利をあげたペガサスである。
事前の研究で、この展開はすでに織り込み済みである。
恭介は慌てることなくブラッククォーツの手応えを確かめていた。
力が足りないと言われていたものの、まだ余力は十分にあった。
前を走るペガサスの手応えを考慮すると、一着は難しいが何とか五着あたりまで持ってこられるかもしれない。
第三コーナーを曲がり、いよいよ着陸の準備に入った。
前のペガサスたちが高度を下げ始める。
恭介も彼らに倣ってブラッククォーツの首を押し下げた。
すると徐々に高度が下がり、着陸の体勢が整いつつあった。
ところが、恭介は心臓を突かれたような衝撃を味わった。
突如前を走っていたペガサスが急に失速し、ブラッククォーツの目の前に接近したからである。
高度を下げるのに失敗したのか、騎手が上体を曲げて懸命に首を押しているが思うようにいかないようだ。
「あぶね!」
恭介は左手でブラッククォーツの首を押しながら右手で右下に手綱を引いた。
するとブラッククォーツは右下に高度を下げたものの、走法を乱し、首を振って暴れ出した。
恭介の体勢が急激に右に傾く。
「大丈夫だ! 落ちつけ!」
その声はブラッククォーツにかけるのと同時に、自分にも言い聞かせるためでもあった。
恭介は右脚で踏ん張って持ちこたえる。
上体を左に曲げ体勢を立て直そうと試みる。
一頭のペガサスが追い越したとき、恭介はなんとか元の体勢に戻った。
安堵している暇はない。
着陸エリアを示す生垣がすぐそこまで迫っていた。
なんとか蹄を掠める程度で済むかと思われたとき、ブラッククォーツは再び高度を上げ始めた。
「くそっ! このバカ野郎が!」
上手くいかないレースに思い切り呪詛を吐く恭介。
ブラッククォーツが生垣を超えると、再び高度を下げ始めた。
これは恭介の指示ではなく、ブラッククォーツの意思で下げたのだ。
何度も飛翔競走をこなしているおかげで、下げるタイミングをわかっているようだった。
頭の中が混乱しながらも、恭介は重心を後ろに傾け、着陸に備えた。
地面に四肢がついたかと感じると、凄まじい衝撃が身体に伝わった。
投げ出されそうになったものの、恭介の体勢がわずかに前に傾いただけで無事に着陸し、平地コースへ進入した。
ほっとしたのもつかの間、恭介はすぐにレースへと意識を向ける。
五馬身ほど先を七頭のペガサスが走っていた。
その中に一番人気のペガサスとケニーの跨るペガサスがいる。
――直線に入っての、勝負だな。
ブラッククォーツの平地での走りがどんなものかわからないが、手応えは充分にある。
コーナーを上手く使って差を詰めたいところだった。
先頭のペガサスがコーナーで膨れながら最後の直線に入る。
そして恭介は内埒ぴったりに張り付いてコーナーを曲がった。
最後の直線、内側がぽっかり空いた形となり、恭介は迷わずそこへ進出しようとした。
ところが、手綱をしごいて鞭を振るってもブラッククォーツはじわじわと伸びるだけで、先頭を捉える勢いに欠けていた。
やはり力が足りないということだろう。
結局、二頭を抜き去っただけで先頭からは大きく離されてしまった。
初めての飛翔競走、恭介は四着に敗れた。




