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飛翔競走デビュー戦 1

 飛翔競走へ臨むため、スピレッタ調教場と練習場を行き来しながら技術に磨きをかけた。

 空いた時間はストレッチや軽度のスクワット、それにランニングといった一般的なトレーニングを重ねた。

 トレーナーもおらず、器具もないので専門的なトレーニングを積むのは無理だったが、できるだけのことはしたつもりだ。


 そのおかげか、わずかながらも効果を実感できた。

 飛翔中でも比較的腰の位置を保てるようになり、離着陸時の衝撃を緩和できつつあった。


 そうした中、いよいよ飛翔競走に騎乗する。


 フレイモア競馬場へはリジャイナの運転で向かった。

 今回、エレノアは同伴しない。

 スピレッタ調教場のペガサスが出走しない上に、パラダイスブライトなどの転厩馬を迎え入れる準備をしなければならなかったためである。


 恭介としてはエレノアに近くで見てもらって客観的な視点から問題点を洗い出してもらいたかったが、こればかりは仕方なかった。

 エレノアは調教師としての仕事を優先させるべきだと自分に言い聞かせた。


 考えてみれば、エレノアのいない開催は初めてだった。

 付添人として身の回りの世話をしながら時には鼓舞してくれる。

 考えてみると、エレノアの存在が大きかった気がした。


 今開催からリジャイナが付添人を務めてくれる。

 それはそれで感謝したいが、どこか物足りない気がした。

 一流騎手でもあったエレノアの言葉と騎手に見切りをつけたリジャイナではレースに対する心構えがちがうかもしれない。


 だが、それはわがままだとも思う。

 エレノアが調教師として忙しくなるなら、むしろ自分も喜ぶべきだ。

 いつまでもエレノアに頼っていてはペガサス競馬の騎手として自立できない。

 そう腹を括って今日からレースに臨むしかないのだ。


 フレイモア競馬場に着き、リジャイナが先導する形で控室に向かった。

 すでに到着した騎手が何人かいて、中には恭介の見知った顔もある。


「ケニーさん、おはようございます」


 壁際の椅子に座っていたケニーに挨拶をした。


「おお、キョースケ、今日はよろしくな」


 ケニーが右手を差し出したので、握手で応えた。


「あれ? エレノアは来ていないのか?」


「はい。うちの馬が出走するわけじゃないっすから」


「そうか。で、この人が付添人ってわけか」


 ケニーは恭介の肩越しに目を向けた。

 後ろを振り向くとリジャイナが荷物を持ちながら戸惑いがちに二人を見ている。


「二人は知り合いじゃないんすね」


「ん? 騎手なのか」


「まあ、元騎手っすね。ついこの間うちで働き始めたんです。リジャイナ、ケニーさんだ」


 ペガサス競馬の騎手は六百人ほどいると聞いたことがあったので、顔の知らない騎手がいてもおかしくなさそうだ。


「あ、ごめんごめん。えーっと、リジャイナです」


「ケニーだ。元騎手のわりには若いな」


「エレノアと同い年です」


「まだ辞めなくてもよかったんじゃないか?」


 ケニーの口調には慮る気持ちが籠っていた。

 彼はそれなりにキャリアを積んでいるので、夢半ばで諦めた騎手たちを何人も見てきたはずである。

 彼らの気持ちと同期させるかのようにリジャイナを気遣ったらしかった。


「いや、全然。元々調教師を目指していたから、あまり騎手にこだわりはなかったのよ」


 明るくざっくばらんな口調なので心底未練がないように感じる。


「へえ。じゃあなんでスピレッタに? 他にも有名な調教場だってあるし、スタッフの募集もかかっていただろ」


「スピレッタの方が面白そうだから。これから伸びる調教場だもの、腕をあげるにはいい環境よ」


 リジャイナは面接の時と同じことを言った。


「そうか。ペガサスが少ないわりには勝率がいいからな。案外、理に適っているのかもな」


「でしょ。それにキョースケもいるし、色々と参考になるわ」


「ん? なんでキョースケが」


「あ、いや、その、キョースケって意外と的確な意見を言うっていうか、参考にできる部分があるし」


 リジャイナは目があちこちに泳いでしまい、しどろもどろに言い訳をする。

 恭介が異世界の人間であることはスピレッタ調教場の秘事だと思い出したらしく、どう言い繕うか考えながらしゃべっているらしかった。


「なにキョどっているんだ?」


 なにかおかしなことを訊いたかと言いたげに、ケニーは怪訝な顔色を浮かべる。


「いや、リジャイナも付添人の仕事は初めてなんでちょっと戸惑っているんすよ」


 恭介は苦しい言い訳を繰り出した。


「ああ、前まで騎手だったもんな。なら仕方ない」


 ケニーは納得したらしい。


「じゃあ、俺はこれからスタッフたちに挨拶しに行くんで」


「ああ、レースじゃ手加減しないからな」


 ケニーはにかっと笑って恭介を送り出す。


 心持ち落ち着かない様子のリジャイナに案内を頼み装鞍所へ向かった。


 この日、恭介は平地四レース、飛翔二レースの計六レースに騎乗する。

 平地に関しては重賞勝ちの実績が認められてこの日の平地レースすべてに騎乗する上に、どれも勝ち目がありそうなペガサスである。


 対して、飛翔の方はエレノアが立てたプラン通り、実力の足りないペガサスに騎乗する。

 飛翔競走が初めてで、しかもモンキー乗りでレースに臨むのだから、乗せてくれるだけでもありがたいと思わねばなるまい。

 少しでも上の着順に入線し、騎乗技術を示すだけでもアピールの材料になるはずだ。


 装鞍所で平地に乗るペガサスの関係者に挨拶をし、持って来た鞍を装着する。

 飛翔競走のペガサスはまだ装鞍所には来ていない。

 レースの合間を縫って出直すことにした。

 

 第一レース、未勝利戦、恭介の騎乗するペガサスは圧倒的一番人気に推された。

 前走までの戦績では他の馬と差はなく、ここまで抜けた人気になるとは思わなかった。


「たぶん、キョースケが乗るからね」


 と控室でリジャイナが言った。


「そんな理由で?」


「この間重賞勝ったでしょ。キョースケなら勝たせてくれるって思っているのよ、きっと」


「なら、人気に応えたいところだな」


 バロンクラウスカップでリジーズプライドに勝ったのは思ったよりも反響があったらしかった。

 まだデビューして間もないが、少なくとも平地競走ならキョースケ・ハタヤマから買っておけばいいと考えているかもしれない。


 その期待に応えて第一レースであっさり先行馬を捉えて勝った。

 続く第二レースも平地の未勝利戦で、ここは流石に力の抜けたペガサスがいたせいもあり、三着に敗れた。

 ただ、力の足りない馬だったので上々の成績である。


 そのあとの第三レースでも騎乗したが、最後の直線で他のペガサスから進路をカットされる妨害を受けて七着に沈んだ。


 そしていよいよ恭介は飛翔競走に挑む。


 フレイモア競馬場第五レース、飛翔の条件戦、距離四八〇〇メートル。初めて見た時と同じ距離とコースである。


 恭介の乗るブラッククォーツは近走全く振るわず、二桁着順が続いている。

 エレノアの仲介や恭介の平地での成績を評価してくれたおかげで乗せてもらうことができた。


 調教師のエヴァン・キーリィーは恭介の技術に賭けているようだった。

 開業して間もないエヴァンには質のいいペガサスがおらず、早いところ実績をあげて調教場の経営を軌道に乗せたい思惑がある。

 もし恭介が飛翔競走でも良績をあげるようだったら、今後も依頼するかもしれないと言ってくれた。


 パドックでペガサスが周回しているときに、エヴァンは道中はなるべく前につけて、着陸後に仕掛けろと指示を出した。


「初めての飛翔なんでしょ?」


 とエヴァンは頼りなげな声音で訊いた。


「ええ。なるべく上の着順を目指します」


 恭介は当たり障りのない言葉を口にする。

 さすがに力が足りないと思っているので、勝てるとは言えなかった。


 エヴァンは水色のシャツに赤のネクタイを締め、黒いスーツを纏っている地味な身なりをしていた。

 目じりが垂れ下がり、顎に丸みを帯びた優しそうな風貌である。

 海千山千の馬主と渡り合うには頼りない印象を受けた。


 将来的にはたくさんのペガサスを管理したいらしいのだが、この調子ではうまくいかないのでは、と恭介は内心余計な気をまわした。


「気楽に乗ってきていいよ」


 という有様である。

 本来この言葉は騎手の緊張を和らげる目的があるのだが、エヴァンが口にするとやる気がないように感じられた。


 パドックを周回するブラッククォーツは調教師の気持ちを反映するかのようにのそのそと歩いていた。

 引き綱を引く厩務員もやや引っ張り加減で前向きさに乏しい気がした。


 ――最初はこんなもんだろうなぁ。


 例え条件戦とはいえ、いきなり有力馬に乗せてもらえるとは思っていない。

 むしろ初めての飛翔なので力の足りないペガサスで気楽にレースに臨めるぐらいでちょうどよかった。

 周回が終わり、ブラッククォーツに跨ると、木々に囲まれた馬道を抜けて、本馬場に入場した。


 厩務員が引き綱を外すと、恭介は返し馬を行う。

 たしかにブラッククォーツはアシタスなどの強い馬に比べると、あまり走法が良く感じられなかった。

 背中が固く、脚捌きも鈍い上に、ごつごつした乗り心地だった。


 事前にエレノアが教えてくれた通りに、ブラッククォーツを離陸エリアの生垣に近づける。


「こいつを飛び越えるんだぞ」


 と恭介は優しく声をかけてから、スタート地点へ向かった。


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