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飛翔の調教

 やはりというべきか、飛翔の調教は一風変わっていた。


 約一ヶ月後にアシタスを飛翔競走に出走させるので、恭介はエレノアの指示に従って軽めの調教をつけることになった。


 調教場でのトレーニングは埒を使わずに自由に飛ばすのだという。

 これはペガサスの習性によるものらしく、普段から飛翔コースで調教をするとペガサスにストレスがかかってしまい、空を飛ぶのを嫌がってしまうとのことだった。

 そのため、コースで練習するのはレースの一~二週間当たりから始めるのが理想だという。


 恭介はアシタスに跨ってスピレッタ調教場の奥にある草原へと向かった。

 そしてエレノアも青毛のペガサス、ビクトリーフラッグに騎乗し、一緒に飛翔の調教をつけるという。

 グラントとロディも調教の様子を見るらしく、彼らの首には双眼鏡がかかっていた。

 おそらく傍から飛翔の具合を確認するためだろう。


 この草原はスピレッタ調教場の敷地らしく、芝が短く刈られていた。

 馬場管理担当のミノルが魔法を使って手入れしたらしく、ペガサスの脚元に負担がかからないようクッションが利いていた。

 スタート地点の先にはそびえたつ生垣が行く手を塞ぐように設けられていた。


「練習のようにやっていいんだよな?」


 と恭介はエレノアに声をかけた。


「うん。でも、空を飛んでいるときはあまり走らせすぎないでね。平地でキャンターをやるイメージでおねがい。あとは飛んでいるときに指示を出すから」


「わかった」


 恭介はゴーグルをかけ、スタートに備えた。

 今回はスタート練習ではないので、ロディがスタートの合図を出すことになっていた。


 二頭が並んで進行方向に顔を向ける。


 調教とはいえ、迂闊なことはできない。

 普段の調教の積み重ねがレースで活きてくるんだと競馬学校の教官、及び師匠の小木兼人から何度も説かれた。

 恭介もデビューしたてのころは、今以上に騎乗技術が未熟だったので、調教で走らせすぎたり、上手く馬体を併せての調教ができずにさんざん怒られたものだった。


 だが、いつまでも新人だからと言って現役馬の調教に乗らないようでは、使い物にならない。

 調教というのは馬の状態や能力を向上させるほかに、乗り手の技術や意識を向上させる役割もある、と小木から教えられたものだった。


 だから初めての調教だからと言って、恭介は失敗する気はない。

 きちんとエレノアの指示に従い、アシタスの足を引っ張る真似だけはしたくなかった。


「準備はよろしいでしょうか」


 ロディがポケットに差してあった旗を手に持ち、二人に訊いた。


「いいわよ」

「いつでも」


 二人の声が合わさると互いに顔を見合わせる。

 きょとんとする恭介に対し、エレノアは照れ笑いを浮かべた。


「いいですよ」


 改めてロディに声をかけた。

 だが、彼はなぜか顔を横に振って不安そうな素振りを見せた。

 それから何ごともなかったかのように、旗をあげる。


 ――なんだろ?


 ロディの顔色が気になった。

 自分が何かしでかしてしまったのかと思い返してみるものの、心当たりがなかった。


 改めて恭介は進路方向に身体を向け、横目でロディが旗を下ろす瞬間を捉えようとする。


「スタート!」


 ロディが掛け声とともに旗を下ろした。


 恭介はアシタスを促しスタートを切らせた。


 二頭は併せ馬の形を取って飛翔エリアへと向かって行く。


「お手並み拝見ね」


 エレノアが横から声をかけてきた。


 視線を彼女に向けると、恭介は一瞬はっとなった。

 エレノアに挑むような笑顔が表れていたからだ。まるでライバル騎手と競う喜びに満ちあふれているかのようだ。

 今のエレノアは調教師ではなく、一人の騎手として恭介の技術を盗み、そして超えたい願望を抱えているようにも見えた。


 若干の戸惑いを覚えながらも、気を取り直して進路方向に顔を向けた。

 そろそろ飛翔エリアに到達しようとしていた。


 頃合いを見計らって腰を落とし、重心を前へ傾けた。

 飛翔エリアへ脚を踏み入れようとしたとき、恭介は手綱を強く振った。

 アシタスが急加速し出した。

 やはり練習場のペガサスとは加速の具合がまるで違う。

 後ろに引っ張られる感覚が桁違いだった。


 それでも恭介は持ちこたえて体勢を維持しながら、アシタスの首の動きに合わせて手綱を持ち上げる。

 アシタスは生垣の上辺あたりまで高度を上げながら凄まじいスピードで宙を駈けて行く。


「もっと、高度を上げて!」


 風を切り裂く音に混じってエレノアの声が届いてきた。

 恭介はすぐに反応し手綱を持ち上げて高度を上げた。


「それから、馬なりで飛ばさせて」


 聞き慣れない言葉が聞こえる。

 手綱を操作しなくてもアシタスは気分良さそうに空を飛んでいた。


 恭介は腰を浮かせてモンキー乗りの体勢へ戻る。

 空気抵抗を全身で受けても体勢は崩れそうにない。

 とりあえず現役馬の調教でもモンキー乗りは通用することがわかった。


「キョースケ、キョースケ!」


 エレノアの声が聞こえてきた。


 恭介は辺りを見回したが、アシタスが翼をはためかせているだけで、鰯雲のかかった空しか見えなかった。


「上! 後ろ!」


 と聞こえ、恭介は首を回して、後方上空に目を遣った。


 エレノアとビクトリーフラッグが右後方上空からついてきている。


「どうした?」 


 恭介は大声を張り上げた。


「アシタスの走りはどう?」


「問題ない!」


 実際にアシタスは芝の上を走っているときと同じ感覚で走っている気がした。

 宙を飛んでいるせいでスピードは出ているが、アシタスに力んでいる様子はなかった。


 すると、エレノアが高度を下げつつスピードを上げて恭介の横についた。

 二頭の翼が身体をすり抜ける。


 はためく翼に見え隠れするエレノアに喜色が浮かんでいた。


「ほんとにできたのね」


 明るい声だった。


 恭介の胸が高鳴った。

 初めて平地調教をしたときのエレノアの活気のある笑顔と同じだった。

 近ごろは恭介の前で砕けた態度をとることが良くあったが、やはりエレノアはペガサスに跨っているときに、一番の喜びを感じるのだろう。

 可愛いらしい容姿の裏にある情熱が恭介の心を捉えたのかもしれないと思った。


「まだまだ。着陸もちゃんとやらないと」


 見惚れている暇はない。

 アシタスの調教を無事に終わらせるのが先決だ。


 しばらくアシタスの行くままに空を飛ばせる。

 練習の時とは違い、心に余裕が生まれたおかげで、恭介はアシタスの走法を確かめられた。


 まず、地上を走っているときと同じく上下運動が生まれている。

 手綱からキャンターで走らせている感覚が伝わってくるが、地上を走っているときと桁違いのスピードで、上下運動の波が激しかった。

 足首と膝で衝撃を緩和し、腰の位置を保つよう心掛ける。

 それでも腰がわずかに上下してしまう。

 このままではアシタスにいらない負担を強いることになる。

 恭介は意識を下半身に向けて、いつも通りのフォームを維持しようと努めた。


「大丈夫?」


 エレノアの声が聞こえてきた。

 ビクトリーフラッグの気分を損ねないように少し距離を空けている。


「少しカッコ悪いかな」


 なんとか返事をする恭介。


「アシタス、すごく気持ちよさそうよ。キョースケ、その体勢を維持してね」


「言われなくとも」


 気勢を示して応えるも、やはり腰がガクガクしてしまう。


 ――やっぱ練習用の馬と違うな。


 練習用のペガサスではこうはならなかった。


 飛翔でモンキー乗りをこなすにはまだ課題が残っていると感じた。

 下半身の柔軟性はもとより、走りの衝撃に耐えられる強靭さが必要である。

 それを会得するには調教やレースをこなし、練習場に足しげく通いながら下半身のトレーニングも不可欠だ。


 課題が見つかったものの、恭介は前を向く気持ちが芽生えてきた。

 それが自覚できて、少しばかり驚いた。

 

 以前の恭介なら落ち込んで自信を無くしかけてもおかしくなかった。

 今はむしろ課題を克服したいという願望が胸の内から湧き上がり、思わず笑みが零れそうになった。


「楽しそうね」


 エレノアの明るい声が、恭介の思案を打ち切った。


「ああ、アシタスの状態は良さそうだ」


「それだけじゃなくて」


「え」


「キョースケ、すごく楽しそう」


 その声が恭介の胸を打った。

 エレノアへ目を向けると、彼女に活発な笑顔が浮かんでいた。


「ああ、面白いな」


 スピレッタ調教場に来た当初、エレノアは空を飛ぶのは気持ちいいと言っていた記憶がある。

 彼女は今、恭介と楽しみを共有できた嬉しさがあるのかもしれない。

 恭介はあくまで課題を克服する喜びに目覚めたので、彼女が考えているのとは違う気持ちである。


 それでも恭介は否定する気が起きなかった。

 エレノアの純粋な喜びと自分の課題を克服する喜びが心の根元でつながっている気がしたのだ。


「そろそろ、終わりにするわ」


 エレノアが指示を飛ばす。


「同じところに降りるのか?」


「いいえ、放牧地よ」


「放牧地に?」


「あそこ、着陸エリアでもあるの」


「ああ、そういうことか」


 外厩なのになぜ大きな放牧地があるのか、ようやくわかった。

 厩舎や洗い場までの距離が近く、余裕のあるスペースに着陸させる目的があるようだ。

 たしか初めてペガサスを見たとき、ロディがゆっくり宙を旋回させながら降りてきたはずだ。


「ゆっくり降りるんだよな」


「そうよ。わたしに続いて」


 エレノアが高度を下げ始めた。

 スピレッタ調教場の上空を旋回しソフトランディングを試みるようだ。

 恭介もそれに倣って高度を下げる。

 アシタスのたてがみを手綱ごと掴み、優しく首を押す。

 すると、アシタスは身体を前に傾けた。

 降下準備を開始したようだ。

 練習のときとは違い、急激に高度を下げる必要はないが、走法の重心が前に傾くせいで乗りにくさを感じる。

 恭介は腰の位置を前にずらしながら重心の位置を探り、なんとかアシタスの走法を乱すことなく降下できた。


 エレノアとビクトリーフラッグが放牧地に着陸した。

 それを見て恭介はアシタスをビクトリーフラッグの横に着陸させる。


「どうだった?」


 エレノアが感想を訊いてくる。


「思ったよりも難しいな」


「初めての調教だから仕方ないわ。少しずつ慣れれば大丈夫よ。それにアシタスも問題なさそうね」


 どうやら及第点はもらったらしい。

 エレノアから不満げな様子はうかがえなかった。


 その後、アシタスとビクトリーフラッグを引き運動に連れて行き、二頭の手入れを済ませてから大仲へ行った。


 そこで、エレノアから飛翔競走へ臨むためのレクチャーを受け、レースに臨むこととなった。


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