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他愛のない話

 四苦八苦しながら宙に浮かんだモニターに手を触れていた。

 このビデオにはあらゆるレースが収録されているので、自分が乗ったレースを探すのも一苦労だ。

 何とかバロンクラウスカップの映像までたどり着くと、恭介は椅子に座って映像を見た。


 まず確認したのはリジーズプライドの位置である。

 鞍上のアイヴァーはスタート直後から外埒沿いに位置取ってレースを進めていた。

 マークが厳しく、前と横に囲まれる形となり窮屈そうに見えた。

 ところがアイヴァーは至って冷静で、仕掛けどころに差し掛かるまえ、横にいた馬が外にヨレた隙に、馬群を縫ってコースの真中にリジーズプライドを誘導した。


 それに対して恭介とアーチャーズノートはリジーズプライドと馬体を併せようとするも、後方から一頭の馬が早仕掛けで進出を開始したせいで、合わせることができなかった。

 レースの間、恭介はその動きに気づかなかった。

 もしきちんと他の馬の動きに注意を払っていたら、こんなミスは犯さなかっただろう。


 結局横の馬がタレたおかげでリジーズプライドと併せることができたが、結果的に上手くいっただけだった。


「反省点があるなぁ」


 モンキー乗りで大幅なアドバンテージがあるゆえに油断したかもしれない。

 レース中の位置取りや他の馬の動きに注意を払わないと、勝てるレースも落としてしまう気がした。


 恭介はもう一度ビデオを操作し、今度は負けたレースを見るようにした。

 力の足りない馬が多かったとはいえ、もっと上の着順を目指せたはずだとあえて思い込み、自分の欠点を洗い出したかった。


「あ、まだいたの?」


 レース映像を見ていると、エレノアが調教師室から出てきた。


「ああ。ちゃんと反省しないといけないしな」


「そう」


 と言って、エレノアは冷蔵庫からピッチャーを取り出し、麦茶を二杯注いだ。


「いるでしょ?」


「ありがと」


 恭介はコップを手に取ると、一口飲んだ。


「反省点は見つかった?」


「ちょいちょいな。やっぱ、他の馬の動きとか癖もつかんでおく必要があるなぁ」


 今までレースを見たところ、自分の騎乗技術自体には問題はない気がした。

 それよりも他のペガサスが前走と違ったレース運びをしたり、馬具に工夫を凝らして欠点を補うケースも散見された。


 恭介は乗り馬のことを把握するのに手一杯で、他の馬に注意を払うことが少なかった。

 他の陣営が前走とは違う作戦に打って出る可能性を念頭にレースに臨むべきだと考えた。


「とりあえず、それでいいじゃないかしら。まずはペガサスの力を引き出せるようにしないと」


「けど、もっと上を目指すには他の馬がどう出てくるかも考えないといけないし」


「そうね」

 

 エレノアは自分の説に固執することはなかった。


 すると、エレノアは恭介の向かいの席に座ると、テーブルの上に突っ伏してしまった。


「大丈夫か」


 恭介が声をかけると、エレノアは


「あーあ、疲れたぁ」


 と、いきなり寛いだ声を上げた。


 彼女は顔を上げると、両手をテーブルの上に置いて、その上に顎を乗せて恭介を見つめる。


「だらしないなぁ」


 やはりエレノアは恭介に対して遠慮が無くなっているようだ。


「楽なんだもん。いいじゃない」


 エレノアは口をとがらせて文句を言う。


「それに転厩の手続きとか、出走登録とか、書類仕事が一杯なんだから。あとうちのペガサスのスケジュールも調整したりしなきゃならないし。あ、そうだ転厩してくるペガサスのこともあるしさ」


「ブルーネレスキ卿のペガサスだっけ?」


「それと、パラダイスブライト。ようやく転厩してくるんだから」


「そういや、ずいぶん時間がかかったな」


 前々回のグレイラム競馬場開催終了後、ニック・クレモントから勝つまで預託料無料という前代未聞の提案を飲んでくれたのを思い出した。


「ジュスタンがごねたって話なのよ。なんだかんだ理屈をつけて、転厩を許さないって感じで。それでニックさんが怒ってペガサスレーシングクラブに訴えるって言ってやっと転厩できたのよ」


「まあ、その手のトラブルはつきものだよな」


 日本にいたころ、恭介の所属厩舎では転厩の話はなかったが、他の厩舎からの話によると、方針が合わなかったり、成績が振るわない理由を調教師や厩務員に押し付けて転厩させる馬主が何人かいたらしかった。

 馬主の中には適性や能力を無視して、クラシックだとか重賞レースに出走させたがるだとかで、口論になった挙句、転厩するケースもままあるという。

 たまに馬主の意見がハマって激走する馬もいるがそれはレアケースである。

 少し傲慢な考え方だが、素人の意見が専門家である調教師よりも優れているということはまずないと言っていい。


「でも、転厩した以上は必ずパラダイスブライトを勝たせないといけないわ。平地に出すし、キョースケが乗ればチャンスがあるわよ」


「上手くいけばいいけどな」


「むっ」


 エレノアは頬を膨らませた。

 どこか子供っぽい仕草で、普段とは違った可愛らしさがある気がした。


「怒るなよ」


「怒ってないわよ。だいたいキョースケが預託料を無料にしろって言ったんじゃない。それで勝てないんなら責任とってもらうわよ」


「責任ってなんだよ?」


 いきなり調教師らしい文言を吐いたので、恭介は驚いた。


 すると、エレノアは両手に顎を乗せて笑顔になる。


「えへへ、冗談よ。けどキョースケ、また悪いところが出ているわよ」


「悪いところ?」


「すぐネガティブに考えるでしょ」


「客観的に物事を捉えているって言ってほしいな」


「物は言いようね」


「なんだよ」


 と恭介は文句を言うと、


「別にぃ。ただレースでネガティブなことを考えたら承知しないって言いたいだけ」


 エレノアは笑みを浮かべて冗談ぽく言った。


「レースはレースだよ。こっちは乗った馬全部勝たせるって気で乗っているんだからよ」


「そうそう、その調子よ。おー」


 エレノアはいきなり右手を天に突き上げた。

 顔をテーブルにつけているせいかいまいち決まらないポーズである。


「それよりもさ。キョースケには早いところ飛翔競走に慣れてもらわないと困るわね。うちの子だって出走させなきゃいけないし――」


 とここでドアの開く音がして、誰かが入ってきた。


「……お嬢さま」


 オリアナだった。

 エレノアがだらしなくテーブルに突っ伏しているのを見て呆れているようだった。


 バツが悪くなったエレノアは、ひょいと上体を起こして、えへへと苦笑いを浮かべる。


「おつかれさまっす」


 この場をごまかす感じで挨拶をする恭介。


「お疲れ、キョースケ。けど、お嬢さま。もうちょっと嗜みというものを」


「わかりました」


 エレノアは面倒くさそうに返事をする。


「オリアナさん、エレノアも少し疲れているみたいっすから、少し大目に見てやってください」


「ま、いいですけどね」


 オリアナは深い息を吐くと、仕方ないといった感じに笑みを浮かべる。


「あ、そうだ。オリアナさんにも言っておかないと」


「どしたの?」


 オリアナがエレノアの隣に座ったところで、タドカスター調教場のスタッフが話したことを伝えた。


「あくどいねぇ」


 オリアナは背もたれに身体を寄せて言った。


「あんなことが露見したら、ジュスタンさんもただじゃすまないんじゃないっすか?」


「ペガサスレーシングクラブがどう出るかだね。どっちにしろベンはペガサス保護法に反しているし」


「でも、逮捕まではないわね。罰金払ってそれでおしまいってところかしら」


 エレノアがオリアナに目を向けて言う。


「どっちにしろ、あたしたちができることはなさそうね。証拠がない以上、捜査はできないし」


「うーん、なんかもやもやするなぁ。あ、ジャッドって人はどうなんすか? タドカスター調教場にいないってわかったらジュスタンさんが嘘をついたってことになりますし」


「それもどうだろ? タドカスター調教場は何十人ものスタッフがいるしペガサス競馬の厩務員って離職率高いからねぇ。知らない間に誰かが辞めるなんてよくあることだし、言い逃れできる余地はあるね」


「結局、何もするできることはないってわけか」


 大仲に沈黙が流れ始めた。


 恭介が乗ったアーチャーズノ―トが被害に遭い、ミスクララとウィントンも危うくトマトを食べそうになった。

 幸いアーチャーズノートはレースに影響がなかったし、ミスクララとウィントンに関してはオリアナがトマトを取り除いたおかげで被害に遭わずに済んだ。


 ベンのやったことは許せることではなかった。

 レースに出す以上、スタッフは少しでも上の着順を目指して馬を仕上げるのだ。

 普段から神経をすり減らす思いをして注意深く馬の状態をチェックし、丹精込めて世話をする。

 言葉にすると簡単なことでも、実際にやってみるといかに大変なことかが良くわかる。

 不正はスタッフたちの努力を踏みにじる愚行である。


 恭介は重い空気に耐えられなくなり、背もたれに大きく寄りかかり、天井を見上げた。


「わたしたちがやることは」


 とエレノアが静かに口を開いた。


「レースに向けてペガサスを仕上げることしかできないわ。そしてあとはキョースケに託す。それだけよ」


「そうだな。事件のことをどうこう考えたって俺たちにできることはないしな」


「あとは、任せるべき人に任せましょう。ところでお嬢さま、ビクトリーフラッグのことなんですけど」


 オリアナが話の流れを変える。

 どうやら管理馬のことをエレノアに伝えに来たついでに恭介の話を聞いたようだ。


「なにかあったの?」


「いえ、至って順調です。ただちょっと馬体重が増えたみたいなので、飼葉の量をどうしようかと」


「そういや、馬用の体重計ってないんすか?」


 今さら気づいたのだが、ペガサス競馬では馬体重を図る習慣がないようだ。

 思い返してみると、レースのときもオッズの発表はあっても馬体重の発表がない。


「ないよ。キョースケの世界だとあるみたいだね」


 オリアナが興味ありげに訊いた。


「毎日馬体重をはかって状態を確認するんですよ」


「ふーん、そうか。体重計ね」


 エレノアも関心を示したようだ。


「でも、ないものはないからあたしたち厩務員の目利きが問われるわね」


 オリアナが誇らしい笑みを浮かべる。


「大変だなぁ。で、どうするんだ?」


「ちょっと見てみようかしら。キョースケ、今日はもう休んだ方がいいわよ」


 エレノアは席を立ち、オリアナを連れて外へ出て行った。


 ――話しそびれたな。


 エレノアが自分のことをどう考えているのか訊きたかったが、馬の状態が気になる以上、恭介の疑問は些細なことに過ぎない。


 結局、レースに向けて万全な準備をし、勝つことでエレノアを喜ばせるのが一番だな、とわかったような気持ちになった恭介であった。



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