報告
帰りの車中、恭介はジュスタンの意図が何なのかを考えていた。
ベンがジュスタンの会社に転職したのはおそらく、口止めだろう。
トマト混入事件の際、恭介とオリアナは間違いなくジュスタンが一枚噛んでいると睨んでいた。
それを査問委員会がフレデリック・チフニーという馬主に責任をなすりつけて、強引に事件の収束を図った。
間違いなく、査問委員会のオーリックとジュスタンは繋がりがあると見て間違いなかった。
そこで下手にベンのクビを切って外部に洩れることがないよう転職という形を取ってジュスタンの手元に置いておくことにしたのだろう。
さらに、カルロとネリッサの証言によると、ジャッドというスタッフはいないという。
わざわざ架空の人物をでっち上げるあたり、妙に手の込んだ手法を使うな、と思った。
海外に移住したチフニーと架空のジャッド、この二人が罪を背負うことでジュスタンは無傷で済み、査問委員会にも顔が利くとなれば、恭介たちが訴えたところでこれ以上の進展は見込めそうもなかった。
これから先はカワードやデクスターのような善良な職員の仕事に期待するしかなさそうだ。
それよりも、騎手として気になる点がある。
バジル・チャップルが本腰を入れたということはスピレッタ調教場にとって脅威になるだろう。
それに彼だけではなく、引き抜いたスタッフたちも優秀なはずだ。
今までのタドカスター調教場とは違うはずだ。
それに恭介が飛翔競走に乗る日にぶつけてくるとカルロは言っていた。
短期間で立て直せるとは思えないが、腕利きの名トレーナーだった事実を鑑みると一種の不気味さが漂ってくる気がする。
色々と考えているうちに、車はスピレッタ調教場の門を潜った。
リジャイナは独身寮の裏にあるスタッフ専用の駐車場に停めた。
車を降りていったん荷物を自分の部屋に運んでから大仲に向かった。
まだ誰かいるらしく窓から灯が洩れていた。
なんとなく嫌な予感がして、ドアを開けるのを躊躇った。
こっそり窓から中の様子を窺うが、すりガラスのせいで人影があることしかわからない。
だが、影の輪郭から誰だか察しがついた。
恭介はおそるおそるノブを回して、慎重にドアを開けた。
「やっぱり……」
恭介は呟く。
エレノアが椅子に座り、テーブルの上に資料を広げていた。
書き物もしていたらしく、ペンも置かれてあった。
「ごめん、エレノア。遅くなった」
恭介の口調が淀んだ。
というのもエレノアにはうっすら影が刷かれた笑顔が浮かべ、ゆっくり首を回して恭介に目を向けたからだ。
この表情はエレノアが怒っているときだと理解している。
「おかえり」
エレノアは素っ気なく言った。
あまりにも冷淡な対応に恭介はどう言葉を返していいかわからなくなった。
「たっだいまー」
重い空気を打ち破るかのような、リジャイナの軽い挨拶が後ろから聞こえた。
彼女は部屋に入っても空気を読まず、エレノアの向かい側に座る。
「リジャイナ、話があるんだけど」
エレノアの影が薄れる様子がない。
「えーっと、何かなぁ」
さすがにリジャイナも気づいたらしい。
急に戸惑ったような苦笑いを浮かべた。
「キョースケも、座って」
「は、はい」
逆らうのは得策ではないと、素直に従う恭介。
しばし沈黙が流れる。
エレノアは相変わらず影のある微笑を浮かべているし、恭介とリジャイナは二人そろって肩をすくめている。
頭に圧し掛かるほどの重苦しい空気が大仲に充満していた。
「さあ、説明してもらおうかしら」
エレノアが口を開く。
「な、なにを?」
跳ねっ返りのリジャイナでさえ口が重くなったようだ。
プルネラに喧嘩を売ったときの勢いが感じられなかった。
リジャイナにとってプルネラよりもエレノアの方に恐怖を感じているのかもしれない。
「どこへ行ってたの?」
「その、お買い物を。キョースケの日用品を買いに……」
「で、その帰りにレストランでケーキを」
「へえ」
エレノアは二人を見据えたまま相槌を打つ。
「エ、エレノアぁ。いいじゃない、練習帰りに寄り道するぐらいさ」
「リジャイナ、キョースケはうちの主戦騎手なの。なにかあったら責任とれるの?」
「過保護過ぎだって。キョースケだって普通の人間よ。生活用品を買うぐらい問題ないでしょ」
リジャイナは正論を言ったと思ったらしく、語調が強くなった。
すると、エレノアは机の上にあった新聞を手に取って、二人の前に差し出した。
「あ、キョースケだ」
とリジャイナが新聞を指さした。
そこには恭介がアーチャーズノートでバロンクラウスカップを勝ったときの写真が掲載されていた。
「なんて書いてあるんだ?」
恭介は記事をしげしげと見ながら言った。
「大絶賛の記事よ。キョースケ・ハタヤマの好騎乗により、リジーズプライドを破ったって。しかもこの短期間で力の足りない馬を勝たせる騎乗技術には目を見張るものがある。一見すると、奇妙な乗り方だけど、これだけの実績を重ねたら文句のつけようがない、か」
リジャイナは記事の内容を要約して言った。
「そう。キョースケはただの新人騎手じゃなくなったの。バロンクラウスカップを勝って注目を浴びているの。下手に街中を歩けばトラブルになるわ」
「でもペガサス競馬関係者とかコアなファンならともかく、一般人にまで知られているとは思えないけどな」
恭介は至極当たり前のことを言った。
たとえペガサス競馬がマルスク王国でメジャーなスポーツとは言え、重賞を一つ勝った程度の騎手が町中で一般人に声をかけられるとは到底思えなかった。
現にヴィルモランタウンではタドカスター調教場のスタッフ以外、誰一人恭介に声をかけてくる人がいなかった。
「甘いわ、キョースケ」
とエレノアが言う。
笑みを消して真剣な眼差しで恭介を見つめる。
「キョースケは新進気鋭の騎手として注目されつつあるのよ。街中を歩くときは気をつけなきゃ」
「今から?」
「そうよ。一流騎手になれば、町中で声をかけられることだってありえるし、怪しい人が近づいて来ることもあるわ。キョースケには今からちゃんと警戒心を持って行動してほしいのよ」
「そんなもんかぁ」
エレノアの説には納得しかねることがある。
「でもさ、そんなに怒ることないじゃない。キョースケだって必要なものを買う権利ぐらいあるでしょ」
「え? わたし怒っているように見えた?」
「……自覚なかったのか」
恭介は呆れると同時にほっとした気持ちになる。
「だったらなんでこんな時間まで大仲にいたんだ?」
「キョースケがどれだけ練習が進んだか訊きたかったのよ」
「それだけ?」
「それだけ」
だったら寄り道を咎めたのはなんだったのか、と言いたくなったが、ややこしくなりそうなので黙っていることにした。
離着陸は一通りできるようになったことを教えた。
エレノアはさらに訊いてきたので、重心を移動するタイミングについても言った。
「そっかぁ。あらかじめ重心を移動させるのね」
エレノアの顔から影が無くなった。
普段通りの明るさが戻っている。
「平地ならタブーだけどな。離着陸だったら問題ないんじゃないか」
「飛翔中はどうなの? 風の抵抗って強いからモンキー乗りだと不安定だったりしない」
「モンキー乗り自体、空気抵抗を減らす騎乗フォームでもあるんだよ。その点は心配ないさ。あとは飛翔中にどうやってペースを調整するかだな」
今日の練習ではペースのことを考慮していなかった。
まずは落馬せずにスタートからゴールまで乗りこなせるかを確かめただけなので、これから色々な問題が出て来るはずだった。
「なるほどね。すごい発見だわ」
エレノアは右手を顎に添えて考え込む仕草をする。
「あたしもびっくりしたなぁ。だって、立って乗るなんて発想なかったもん。キョースケったら練習するたびに慣れて行く感じがあってさ」
「なんとか形にはなったな。あとは調教やレースに乗ってどうかってとこだ」
「とにかくレースには間に合いそうね」
エレノアは微笑をもらした。
「あと、ちょっと気になったんだけど」
「どうしたの?」
「いや、帰りにレストランに寄ったときに――」
恭介は言葉を切った。
エレノアの顔に再び影の帯びた微笑みが現れたからだ。
「エレノア、落ち着いて訊けよ」
「落ち着いているわよ。で、何があったか洗いざらい話してもらおうかしら」
「警察みたいな言い方すんなよ」
恭介はタドカスター調教場のスタッフと出くわしたときのことを話した。
するとエレノアの顔から影が消え、代わりに目元に真剣な眼差しが宿った。
「バジルが本気を出す、ね」
エレノアは再び右手を顎に添えて考える素振りを見せる。
ベンやジャッドのことよりもバジルの動向が重大事項のようだった。
「今すぐよくなるとは思えないけど、たぶん、うちのペガサスが出走するころには立て直しているんじゃないか」
「ありえるわね。元々タドカスター調教場には素質馬が揃っているからね。油断できないわ」
エレノアは至って真剣だった。
「キョースケ、今日はもう休んで。明日、改めてみんなを集めてミーティングをしましょう」
そう言うと、エレノアはテーブルの資料を片付けて、調教師室へ行ってしまった。
――やっぱり……。
エレノアはバジルに対して思うところがたくさんあるんだな、とうっすら思った。
「エレノア、ちょっとおかしかったね」
リジャイナが明るい声で言った。
「ああ、バジルさんを警戒しているみたいだし」
「違うよ。そっちじゃなく」
「はい?」
「気づかないかなぁ」
リジャイナは含みのある笑顔になる。
「エレノア、やきもち妬いているかも」
「なんで?」
「だ、か、らぁ。あたしと一緒に寄り道したのを怒っているんでしょ」
「エレノアが? まさか」
と言いつつも、恭介は淡い期待が胸に宿るのがわかった。
「やだ、本気にしないでよ。言ってみただけ」
「……からかうなよ」
「ごめんごめん。じゃあ、あたしは先に帰っているね」
と言って、リジャイナはそそくさと外へ出て行った。
恭介も戻ろうかと思ったが、部屋に帰ってもやることがなかったので、リンウェルダウンズ競馬場で自分が乗ったレースの映像を見て復習することにした。
――もう少し……。
エレノアの気持ちを確かめてみたい、と思い、恭介は映像を見ながら彼女が出て来るのを待った。




