タドカスター調教場のスタッフ
タドカスター調教場のスタッフたちが、恭介と離れたところのテーブル席に腰かけた。
六人という大所帯なので、『レストラン ヘルムスリー』の給仕がテーブルをくっつけて六人掛けの席を作った。
彼らは恭介がいることに気づいていなかった。
「飯でも食いに来たのか?」
恭介はあまりタドカスター調教場のスタッフたちと顔を合わせたくなかった。
ジュスタンがエレノアを目の敵にしている以上、火の粉が恭介自身に降りかかってくるとも限らない。
もし彼らに見つかるといらないトラブルが起こりそうだとつい身構えてしまう。
「じゃないの? この店ってペガサス競馬関係者が良く来るから」
ほら、と言ってリジャイナは反対側の壁を指さした。
店に入ったときには気づかなかったが、一枚の小さな絵画がかかっていた。
真白な馬体に大きく翼を広げた一頭のペガサスの絵だった。
「あのペガサス、ラッキーテラーっていうんだけど、十年前に最低人気でザ・バートレットに勝ったんだよ」
「へえ」
「でね、担当の厩務員が前日にこの店で食事をしたおかげで勝てたってエピソードがあるの。十戦一勝だったし、記念出走みたいな感じだったんだけど、あれよあれよの内に逃げ切っちゃってさ。で、厩務員がこの店で美味しい酒を飲んだから勝てたってジョークを言ったの。それから、幸運をもたらすレストランって感じで根強い人気があるのよ」
「幸運にあやかるってところか」
「そういうこと」
リジャイナはもう一度タドカスター調教場のスタッフたちに目を遣った。
恭介もつられて目を向けると、彼らは疲れた顔をしていた。
それでも口が止まる様子がない。
「まったく俺たちどうなるんだろうなぁ」
「さあね、リンウェルダウンズじゃそこそこ勝てたけど、その他はさっぱりだしな」
「けどさ、危機感はあるのはいいけど、ジュスタンさんとバジルさん、いきなりじゃない?」
「なにが?」
「あー、そうそう。これからはやり方を変えるってね。おかげでわたしたちもてんてこ舞いよ」
「変えるんじゃなくても戻すんじゃないのか? ほらスピレッタ調教場にいた時みたいに」
「あー、それなら納得。せっかく設備がいいのに、ジュスタンさんの言うことばっかり聞いてたら意味ないもんね」
「それにしてもスピレッタの連中、うぜえな。うちから二頭も引き抜きやがって」
「仕方ないでしょ。馬主の意向だもの」
「どうだか。エレノアがたぶらかしたんじゃないの」
「馬主もそこまでバカじゃないでしょ。高い預託金払わないといけないし」
「いやいや、馬主っても同じ人間だ。信じられないくらいバカなことをしでかすもんだ。キョースケ・ハタヤマみたいなケツ振って乗る騎手にペガサスを用意するのもいるしな」
「あいつ、この短い間に十勝だろ。目障りだよ、ったく。うちのデインもあれぐらい乗ってくれたら文句はないんだけどなぁ」
と、彼らの不満はあちこちに飛んでいる感がある。
「リジャイナ、スイーツ食ったらすぐに出た方がよさそうだな」
「う、うん。ってかキョースケ、いったい何やったの?」
「なんもしてねえって。俺はただレースに乗っただけだ」
ここで顔を合わせてしまうといらないトラブルに巻き込まれそうだった。
早く注文したものが届かないかとやきもきしていると、大柄な男のスタッフがこちらに顔を向けた。
「やばっ」
恭介は慌てて顔を背けて、窓の外を見た。
「あれ? ハタヤマじゃね」
男の低い声が聞こえたが、恭介はあえて無視した。
「マジで?」
「あ、ほんとだ。リジャイナもいる」
どうやらリジャイナの知り合いも混じっているらしい。
横目でリジャイナを見ると、彼女は苦笑いを浮かべて手を振っているのが目に入った。
恭介は観念して顔をスタッフたちへ向けた。
「久しぶりね、デート?」
と茶髪の女性が席を立ってこちらに近づいて来る。
「違うよ。キョースケの送迎。ほら、サイモン騎乗練習場で飛翔の練習してたの」
「そうか。ハタヤマは飛翔に乗れるんだったな」
大柄の男も近づいてきた。
「ええ、まあ」
恭介は口籠る。エレノアたちに不満を抱いている連中と何を話していいかわからなかった。
「ネリッサは晩御飯?」
とリジャイナが茶髪の女性に訊く。
「買い物のついでにね。やっと町に来れたわ」
「忙しそうだね」
「リンウェルダウンズの開催中から急に忙しくなったの。チャップル先生、妙に張り切っちゃってさ」
ネリッサはため息を吐く。
「でも、あのバジル・チャップルがやる気を出してくれたんだ。お前らのところなんかひと捻りだ」
わはは、と大柄な男が笑う。
「やめなよ、カルロさん。エレノアたちが油断できないってみんな言ってるのに」
「どうだかな。スピレッタ調教場はハタヤマがいるから勝てているようなもんだろ」
カルロはエレノアたちの手腕を認めていないらしい。
「騎手だけじゃ勝てないってあんたもわかっているでしょ。ごめんなさいね、この人、口が悪くて」
「気にしなくていいよ。うちだってまだまだだし、タドカスター調教場に比べたら全然だもの」
なぜかスピレッタ調教場の代表者っぽく振舞うリジャイナ。
彼らの話を聞いている限り、不満はあるが敵意を向けるほどではないといった感じだった。
と、ここで恭介は気になることが頭を過ったのでついでに訊いてみることにした。
「ベンって人、どうなりました?」
「ああ、あのバカか」
カルロは腕を組んで顔をしかめた。
「やめちゃったよ。責任を取るからって」
「けど、ちょっとおかしいんだよな」
「なにが?」
と訊いたのはリジャイナである。
「うちのオーナーの会社で働いているって噂だ」
「へえ」
恭介は自分で訊いておきながら気のない返事をする。
「驚かないのね」
ネリッサが訊いた。
「まあ、ジュスタンさんも庇ったって言ってたから不思議じゃないなって思っただけだよ」
「たしか、そんなこと言ってたな。まあ、うちで働くよりはいいんじゃないか。あんなことやって再就職できたんだ。ツイてるよ、あいつは」
カルロも別段興味はなさそうだった。
「あと、ジャッドって人はどうなりました? なんでもその人がベンに吹き込んだって話ですけど」
「ジャッド?」
ここでカルロとネリッサがお互いに見合い、怪訝な顔色を浮かべる。
「どうしたんすか?」
「うちにジャッドなんて奴、いないぞ」
「え?」
恭介は心臓と一突きされたような衝撃を覚えた。
「たしか査問委員会の人、言ってたよなぁ」
自分の記憶違いだと一瞬思ったが、どう思い返してもジャッドが唆したという記憶しかない。
「お待たせしましたー」
ここで、女性の給仕が恭介たちが注文したものを持ってきてくれた。
「じゃあ、また今度な。ハタヤマ、次はいつ乗るんだ?」
「四日後のフレイモア競馬場で。平地と飛翔、両方とも」
「そうか。うちの管理馬も出走するからな。お前には負けないぞ」
カルロがニヤっと笑う。
彼なりに勝算があるようだった。
二人が席を離れると、恭介とリジャイナは早速スイーツを食べ始めた。
一口食べてみると、濃厚な甘みの中に仄かな苦みがある。
大衆レストランで出すとは思えないほど上品な味わいだった。
「キョースケ。色々気にならない?」
「まあな。ベンがジュスタンさんの会社に転職したり、ジャッドって人がいなかったり、それにチャップル先生がやる気を出した、か。あの人ら、口が軽いな」
「あそこってスタッフの数が多いからね。緘口令敷くのも限界なんじゃないの」
「とりあえず、帰ったらみんなに言っておくか」
恭介はコーヒーを一口飲む。
――特に……。
バジルが本気を出した、という点に注意が必要だった。
かつてスピレッタ調教場に数々の栄誉をもたらした彼が存分に手腕を発揮するとなれば、タドカスター調教場の状況が上向いてもおかしくない。
充実した施設とスタッフが揃ったタドカスター調教場を舐めてはいけないな、と思った。




