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飛翔競走への第一歩

 休憩を切り上げ、フレッドの用意してくれたペガサスに騎乗した。


 恭介は早いところ思いついたやり方を試したくなり、気が急いている。


 リジャイナとの雑談で重心のことを話したが、ヒントが自分の培った騎乗論の外にあったので気づかないのも無理はなかった。

 モンキー乗りでペガサス競馬の飛翔競走をこなすには平地の概念にとらわれていては出来ないのだと思い至ったのだ。


「キョースケー、待ってよ」


 置き去りにされた形となったリジャイナが追いかけてきた。


「リジャイナ、ちょっと見ててくれ」


 恭介はそれだけ言うと、スタート地点へ向かった。


 幸い、昼飯時のせいか他に練習している騎手があまりいない。

 何頭かが飛翔して宙を翔けているだけで邪魔するものはいない。


 そよ風が頬を撫で、芳醇な芝の香りが鼻を打つ。

 マルスク王国産の芝生は一本一本の草にたくましい生命力が宿っているらしかった。

 コースの芝生は荒れていても見渡す限りの草原の香りが風に乗って人々に届けてくれるように感じた。


 恭介は、はやる気持ちを抑えて深呼吸をする。


「よし!」


 と声を上げ、スタートを切った。


 まずはいつも通りのモンキー乗りである。

 先に見える離陸エリアまでまだ距離がある。

 レースならポジション取りを意識して手綱を操るするが、今はその必要がない。

 とにかく頭の中で描いた騎乗フォームを実践できてからレースのことは考えればいい。


 コーナーに進入し、内埒沿いぴったりにコーナリングをこなすと、巨大な生垣が見えてきた。


 恭介は飛翔エリアを示す白線を視界にとらえると、腰を落とした。

 とは言っても仕掛けるわけではない。

 ペガサスの丈夫な馬体を考慮し、走っているときの上下運動を抑えつけるかのように、重心を下に押しやるイメージで腰の位置を下げたのだ。


 そしてもうすぐ飛翔エリアに進入しようとしたとき、あえて重心を前のめりにする。

 それも上下に動くペガサスの首にぶつかるほど顔を近づけ、鐙に乗せた両脚を後ろに流したのだ。


 平地競走では絶対にありえない騎乗フォームである。

 しかし恭介は今まで知ったペガサスの特徴を考慮しあえてこうしたのだ。


 今までの練習で、恭介はきれいに乗り過ぎようとしていたと気づいた。

 飛翔時のタイミングを掴もうとするあまり、急加速時の速度変化に対応できず、何度も落馬を繰り返してしまった。


 普段の恭介は下半身を巧みに使って衝撃を緩和し、馬の邪魔をしないように重心を一定に保つ意識を持ちながら調教やレースに臨んでいた。


 そのことがペガサスで空を飛ぶときの妨げになってしまったのだろう。

 発想を逆転させ、飛翔時には騎乗フォームを崩してでも落馬しない方が先決だと気づいた。


 飛翔エリアに到達しかけたとき、恭介は手綱を振って飛翔の合図を出した。


 いつものようにペガサスが急加速を始め、後ろに引っ張られる感覚が襲ってきた。

 前のめりの姿勢のまま急加速の衝撃に耐える恭介。

 やがて騎乗フォームが安定してくると、その体勢のまま手綱を持ち上げるようにして動かし、上昇を試みた。

 すると、ペガサスは恭介の手綱に応えてくれて、上昇を開始した。


「うおっ!」


 ペガサスの頭越しに生垣の上辺が視界に入ってきた。


 ぶつかる、と思ったとき、ペガサスは急激に高度を上げ、前脚を生垣に掠めた。

 枯葉の乾いた音が一瞬で過ぎ去ったかと思うと、視界が一気に開けた。

 光で彩られた埒の間を飛び、天空へと向かって行く。


 スピードに慣れた恭介は腰を上げ、騎乗フォームを通常のモンキー乗りに戻した。


「くそ。やっぱ、はええな」


 エレノアと一緒に乗ったときも感じたが、やはりペガサスは地上を走っているときよりも、空を飛んでいるときの方が段違いに速い。

 周りの風景を気にする余裕はなかった。


 それでも収穫はあった。

 モンキー乗りでも空を翔けるスピードに耐えられる。

 サラブレッドの最高速度は七十キロと言われているが、練習用のペガサスでさえ、空を飛ぶと、それと同じくらいのスピードが出ている感覚がある。

 かなりの空気抵抗を感じるが、そもそもモンキー乗り自体、空気抵抗を軽減する騎乗フォームでもある。

 むしろ上体を起こしてレースをこなすペガサス競馬の騎手の方が空気抵抗の観点から見ても、不利を受けそうな印象がある。

 エレノアが見立てたとおり、飛翔競走でもモンキー乗りは有効だと恭介は確信した。


 光の埒を頼りに空のコースを翔けて行く。

 気持ちにゆとりができると、恭介は首を回してペガサスのはためく翼越しに周りの風景へ目を向けた。


 エレノアと一緒に飛んだときは高度を上げてコースから外れたので絶景が拝めたが、内側は緑色の埒、外側は黄色の埒とで風景が良く見えない。


 どういう仕組みかわからないが、外側から見ているのとは違い、コース内に入ると、埒が縦に広がって見えた。

 そびえたつ壁の傍を飛んでいるような錯覚に陥りそうだった。

 おそらくコースアウトしたかどうかの判断をするためのものであると思われたが、あとでエレノアかリジャイナに詳しく訊いてみる必要がある。


 それにこの埒が壁ではなく光でこしらえたものなのは間違いない。

 その証拠に、太陽の光が埒を通り抜け恭介とペガサスに降り注いでいる。

 魔法の埒と聞いたが、不可思議な技術を目の当たりにして戸惑いを覚えそうだった。


「違和感しかねえな」


 と言いつつも、初めての一人で飛んだわりには落ち着いていた。

 思ったよりもモンキー乗りをこなせて安心したのもあるかもしれない。


 風の抵抗をもろに受けながらコースを翔けて行く。

 思ったよりも飛行距離が長く、まだ埒が続いていた。


 騎乗フォームを確かめながら進んで行くと、埒が下に向けて伸びている地点に到達した。


 着陸は初めてだが、エレノアから言われた通り、鬣を掴んで首を押すようにして高度を下げようとした。


「おっ」


 上手くいって声が出た。


 ペガサスは恭介の指示に応えて高度を下げ始める。


「おわ!」


 いきなりペガサスの馬体が前に傾いた。


 恭介は前のめりになり馬上から投げ出されそうになった。


 そのとき、ここが空中であることを思いだした。


「落ち着け」 


 恭介は声を張って自らを鼓舞する。

 仮に落馬しても緩衝魔法が作用し、怪我する恐れはない。

 エレノアに落とされた経験がここで活きたらしく、すぐに落ち着きを取り戻した。


 いったん膝を曲げてバランスを保ちつつ、騎乗フォームを修正する。


 なんとか体勢を立て直したとき、今度は着陸エリアを示す生垣が見えた。

 恭介が促すまでもなく、ペガサスは自分の意志で高度を下げて行く。


「さて今度は逆だな」


 恭介は着陸の体勢に入った。


 離陸とは逆に着陸時は急ブレーキがかかるはずである。


 ペガサスの四肢が生垣の上辺を掠める音がすると、恭介は膝を曲げ腰を後ろに引くようにして重心を移した。

 そしてペガサスの前脚が芝生の上に着いた。


「なっ!」


 着陸時の衝撃が予想を超えていた。

 凄まじい蹄音とともに抉れた芝生が宙に舞い上がる。


 落馬を防ごうとして恭介の膝がさらに曲がり、鞍に強く尻をぶつけてしまった。

 おまけに急減速のせいもあって、前に投げ出されそうになった。


 なんとか落馬は防いだものの、鐙からつま先が外れ、ペガサスの首にしがみつく格好となってしまった。


 芝の上を少し走ると、耐えきれなくなり、ずるずると腕がずり下がる。

 結局、恭介は落馬してしまった。


「おーい、兄ちゃん。よくやったな」


 コースの上で芝生の感触を味わっていると、フレッドの驚いたような声が耳を打った。


 起き上がって芝の上に胡坐をかくと、顔に冷たい感触があった。

 飛び散った土が顔に付着したらしく、腕で顔を拭う。


「キョースケー、やったじゃん」


 リジャイナが駆けつける。


「ああ、もう少しだな」


 恭介の声が弾んだ。


 飛翔競走への目処が立ち、次の開催で恥をさらすことはなさそうだった。


「さて、もういっちょ練習するか」


 恭介はすっくと立ちあがり、空馬になったペガサスを探した。

 フレッドがいつの間にか捕まえて来たらしく、ペガサスの手綱を引いてこちらに近づいて来る。


 その後、恭介は何度も練習を繰り返した。

 同じペガサスを使っているおかげもあり、飛翔時に落馬することはなくなった。


 そして着陸は二回失敗したものの、三回目からコツを掴みだしてペガサスの脚が地面に着く前に腰の位置を下げて、重心を後ろに傾けることによって落馬しなくなった。


 今日の練習で恭介は充分な手ごたえを感じた。


 普段の調教でも飛翔の練習を積めばどうにかレースで使い物になるはずだ。


 ただしあくまで落馬しなくなったというだけでもある。


 まだまだ改良の余地があるはずだと感じながら、恭介はさらに練習を積み重ねた。


 ――あとは……。


 調教やレースで経験を積む必要がある、と思った。


 練習用と現役競走馬では速度や乗り心地にかなりの差があってもおかしくない。


 現役馬に乗って場数を踏むことでしか得られない技術があるに違いなかった。


 とはいえ、練習をおろそかにするわけにはいかない。

 確実に落馬しなくなるまで練習を重ねてから、調教やレースに臨みたかった。


 ところが、乗っていたペガサスに疲れが見られた。

 他のペガサスを予約していなかったので仕方なく練習を切り上げ、帰路についた。


 ――どんな反応するかな?


 今日感じた手応えをエレノアは喜んでくれるだろうかと思いながら、助手席のシートに身を預けた。


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