飛翔へのヒント
リジャイナの運転する車で、今日もサイモン騎乗練習場へ足を運んだ。
恭介は月毛のペガサスに跨り、飛翔の練習に励む。
少しずつコツを掴んできたつもりだが、まだ上手くいかなかった。
どうしても急加速する時のタイミングがつかめず、落馬までの時間が延びただけになってしまう。
それでも恭介は何度も飛翔に挑戦した。
緩衝魔法のかかった服やヘルメットのおかげで身体に痛みはなく、飛翔に対する心理的抵抗がなくなったおかげもある。
それに飛翔競走のデビューはすぐそこまで迫っている。
ペガサスを飛ばせないから飛翔競走に乗れないという言い訳は通用しない。
すでにエレノアが騎乗依頼を取ってきていた。
上手くいかない焦りのせいで、少し頭が熱くなっているのを自覚したので、恭介は練習場の食堂で休憩することにした。
今日は時間を多めに取ってあるし、二頭のペガサスを予約してある。
まだ練習時間に余裕があった。
恭介は窓際の席に腰を下ろし、リジャイナから金を借りて冷たいお茶を注文した。
「ふう」
何度も乗ったせいで、疲れがあった。
椅子の背もたれに大きく背中を預けて、首を後ろに倒して天井を見上げた。
「しっかしキョースケも無茶するね」
と向かい側に座っているリジャイナが呆れと感心が混ざったような声音で言った。
「モンキー乗りができたら、かなり有利だからな」
「エレノアはなんて言ってたの?」
「なにって?」
「モンキー乗りで飛翔競走に騎乗するってこと。あんなの無茶だよ。ただでさえ、バランスを崩しやすいのに」
「馬に負担のかけない乗り方って考えると、モンキー乗りしかないからな。エレノアもそう勧めてくれたし」
「うわあ、エレノアもムチャぶりするねえ」
リジャイナはグラスを手に取った。
恭介は首を起こしてリジャイナに顔を向ける。
「人間の事情に馬を付き合わせちゃダメだからなぁ。エレノアもそのことがわかっているんだろ」
「人間の事情かぁ……」
リジャイナは宙に目を遣った。
「考えごと?」
「うん。ねえキョースケ、あたしがいた調教場ってどんなとこだかわかる?」
「さあな。他んとこだと、タドカスター調教場と、あとルテリエ先生のことは少し知っているぐらいだな」
「そっか」
「で、リジャイナのいたとこって?」
「あたしんとこは、キョースケのように考えている人がいなかったなぁ。先生もそうだし、スタッフも。あと馬主さんもね。とにかく使えるレースには使って少しでも賞金を稼ぐってとこだったの」
「それも選択肢の一つだろうけどな。怪我する寸前までレースに使えるだけ使うって関係者がいてもおかしくないだろうし」
「あたしはそれが嫌だったの」
リジャイナは飲み物を一口飲んでグラスをテーブルに置いた。
「少しはペガサスのことも考えたいと思っていて、先生に進言したら怒られちゃってさ。半人前がいっぱしの口を聞くなって」
「で、喧嘩別れしてエレノアのところに来たってわけか」
リンウェルダウンズ競馬場でのリジャイナの振る舞いを見て、調教師に突っかかってもおかしくない性格だな、と思った。
リジャイナのことだ、余計なことを言って怒らせたのかもしれない。
「そう。まあ、あたしは下手くそな騎手だし、どっか牧場や調教場で下積みをした方がいいかなって」
「じゃあなんでうちに来たんだ? 他にもいいところあるだろ」
「そうだけどさぁ。なんか面白そうだなって」
「面白そう?」
「今はさ、ペガサスも全然いないし、エレノアだってそこまで勝っているわけじゃないでしょ」
「ん? どうだったかな。俺が来てから三戦三勝だけど」
「それじゃ底辺もいいところ。トップ調教師はエレノアの何十倍も勝っているわ」
「だろうな。それに預託馬が圧倒的に少ないから出走回数も増えないし」
「けどさ、預託馬ってどんどん増えているんでしょ?」
「まあ、何人か気に入ってくれた馬主はいるけどな。エレノアももう少し頑張って挨拶回りするみたいだし」
「だからよ。あたしがスピレッタ調教場に来たのは。伸びしろ充分じゃない。これから成功するためのメソッドを盗みに来たの」
「はっきり言うなぁ」
恭介は苦笑いを浮かべる。
リジャイナは思いのほか向上心が強いらしい。
エレノアの下で窮状に晒された調教場をどうやって立て直すのか見届けたいようだ。
リジャイナは、おそらく強力なコネがあるわけではない。
調教のメソッドや運営を詳細に学び、一から調教場を盛り立てる方法を確立したい思いがあるらしかった。
どん底にあえぐスピレッタ調教場が一流にまで上り詰めるところを肌で感じ、将来調教師になったときの礎として役立てるつもりらしい。
「でも、エレノアのやり方だけじゃ無理ね」
「どういうことだ?」
「キョースケのモンキー乗りも教えてもらいたいの」
「へ?」
「平地ならキョースケの乗り方がいいかもって思っている騎手もいるからさ」
「そうなんだ」
「だから、あたしにもモンキー乗りのやり方を教えてほしいんだけど」
リジャイナは両肘をテーブルについて覗き込むように恭介を見つめた。
「騎手を辞めたのに教わってどうするんだ? 別に調教師になるなら馬に乗らなくてもできるっちゃできるだろ」
「普段の調教よ。あたしが見たところキョースケの乗り方って馬に負担かけなさそうじゃん」
「よく見てるなぁ」
と恭介は感心する。
リジャイナはお世辞にもうまい騎手だったとは言えない。
それは数字にも表れており、リンウェルダウンズ競馬場での騎乗ぶりを見ていても、特筆すべき技術、それに伸びしろもないと感じた。
その代わり、観察眼が鋭いのかもしれない。
面接のときは、持論を曲げたがらない頑迷さを持ち合わせている気がしたが、認めたことに対しては素直に受け止め、自分のものにしたいと思っているらしかった。
「でさ、コツみたいなのってあんの?」
リジャイナは前のめりになる。
「そうだなぁ……。まずは鐙につま先を引っかけて立てるかってところか」
「それはわかるよ。あたしが訊きたいのはその先。まさか一子相伝の奥義ってわけじゃないっしょ」
「はは、そんな大げさなもんじゃないって。馬の重心を意識することだよ」
「重心?」
「そ。馬が走るとき、どこに重心があるかわかるか?」
「ええと、鞍の下でしょ」
「正確には前脚の上の斜め上当たりだな」
「そうなんだ。あまり気にしたことなかった」
「マジか……めちゃめちゃ重要なところだぞ」
「ペガサス競馬の騎手でそこまで意識している人っていないよ。なんていうか、昔からのやり方で鞍の付ける位置を決めていたから」
「こりゃ、まとまった時間を取らないと詳しく説明できなさそうだな」
恭介は背凭れに大きく寄りかかって片手で頭を掻いた。
「一応、聞かせてくれるかな?」
リジャイナが興味ありげに見つめてくる。
「しょうがないなぁ。まず――」
と恭介は馬が走るときの重心、そして騎乗フォームの重心について説明した。
基本的にはサラブレッドへのアプローチの仕方だが、ペガサス競馬の調教やレースに乗って行くうちに応用が利きそうだと感じていたので、競馬学校や先輩騎手のアドバイスを元にリジャイナに話し始めた。
馬の重心は前の肩辺りにあり、そのちょうど真上に騎手の重心が縦一列になるように騎乗する。
実践では馬は前後左右上下と重心が一定せずに走るので、騎乗フォームの重心も馬の動きに合わせるように心掛ける。
見落としがちなのは上下の動きである。
馬は地を駆けるとき、上下に身体が動く。
騎手もそれに合わせて上下に動いてしまうと、馬の背中に衝撃を与えてしまい、走法を乱す恐れがある。
そのため、モンキー乗りを駆使する騎手は下半身を柔らかくしてなるべく衝撃を緩和させる必要がある。
馬の上下運動に合わせて膝や足首で衝撃を吸収し、腰を一定の位置に保ちつつレースを進めるのだ。
腰がガクガク動いてしまうと、馬が地を蹴るたびに脚や背中に負担をかけてしまう。
「で、あとは追う時の姿勢な。特に勝てそうだって感じたときに前のめりになって重心を崩しがちになるんだ。俺もデビューのころに指摘されて以来気をつけてんだよ」
「うう、難しそう。あたしにできるかな」
リジャイナは苦い顔になって肩をすくめる。
「でもさ、飛翔で上手くいくとは思えないけどなぁ」
「それを何とかしようって試行錯誤しているんだろ。特に飛ぶときに急加速するから重心がいきなり前に――」
不意に頭の中が澄み渡るような感覚になった。
恭介は言葉を切ると、リジャイナに尋ねた。
「なあ、リジャイナ。ペガサス競馬の騎手ってあまり重心を気にしないんだったよな」
「え? う、うん。トップ騎手はどうなのかわからないけど、ほとんどの騎手は気にしたことないはずだよ。だって離着陸の時に落馬しちゃ半人前だって言われるからね」
「なら、試してみるか」
恭介は席を立ち、食堂を出ようとした。
「ちょ、ちょっと。なにさいきなり」
リジャイナが慌てた様子で言うのを気にせず、恭介は馬場へ向かって行った。
――ヒントが……。
見つかったかもしれないと思い、早いところ試してみたくなった。




