採用
「じゃあ、キョースケって別の世界の人なんだ」
リジャイナは驚きを隠さず言った。
「ええ、実はそうなの」
口が滑ったエレノアは気まずそうに苦笑する。
「どうりであんな乗り方してたわけだな」
グラントは得心が行ったような口調で言う。
引き運動が恭介の知恵だと聞いたグラントとリジャイナはすぐさま追及を始めた。
ロディとエレノアの発言に齟齬をきたした以上、嘘の言い訳は通用せず、やむなく恭介がこの世界に来た経緯を話さざるを得なかった。
「『転移の緋剣』ねえ。エレノアの家ってそんなもんがあるんだ」
「ええ、うちも苦しいから何とか、ね」
エレノアは肩をすくめて恭介を横目で見る。
一方の恭介は呆れたまま、テーブルに肘をついて頬杖をついた。
「納得がいったよ。あっちの世界のやり方を取り入れたってことだよな」
「ペガサスに通用する部分は限られていると思いますがね、俺は少し進言しただけっすよ」
「でも実際、引き運動の効果はあったわけだろ。ならキョースケの知識ってかなり役出すかもしれないぞ」
グラントは怪しむどころか興味が湧いてきたようだ。
リジャイナより彼の方が調教師としての資質があるかもしれない。
「うん。これは貴重な経験が積めそうね」
さっきまでの疑いの眼差しはどこへ行ったのか、リジャイナも乗り気になっている。
「だが、二人に頼みがある」
ロディは腕を組んで言った。
「キョースケの素性については他言無用だ。もしお前たちが誰かに言うようなことがあれば、即刻クビをはねるから覚悟しておけ」
ロディの口調には別の意味も含まれている気がした。
「わかっています」
「まあ、脈絡なしに話しても信じないよね」
二人は納得したようにお互いに顔を見合わせた。
「でも、口止め料ぐらいは欲しいな」
リジャイナが笑みを浮かべる。
「悪党じゃあるまいし。うちにはそんな金ないぞ」
恭介は呆れて言う。
「違う違う。あたしたちを採用してほしいってだけ」
「うーん……わかったわ」
エレノアは少し悩む素振りを見せてから言った。
「だが、うちで働くからには、ちゃんとお嬢さまの指示に従うんだそ」
ロディは厳しい口調で言いつけた。
「わかっています」
グラントはほっとして表情が緩む。
「了解」
リジャイナは軽い口調で答えた。
「じゃあ、明日から働いてもらうわ。今日のところは寮に私物を運ぶだけでいいから。ロディ、二人を部屋に案内してあげて」
「承知しました」
と言って、ロディは席を立ち、グラントとリジャイナに来るよう促す。
二人はロディに続いて大仲を出て行った。
恭介とエレノアだけになった大仲に沈黙が流れる。
エレノアはちらちらと横目で恭介を見ながら何を話していいかわからない素振りを見せる。
恭介の素性を外部に洩らしてしまった迂闊さを恥じているようだった。
「エレノア」
恭介は仕方なしに口を開いた。
「なに?」
「もうちょっと気をつけろよ」
としか言いようがなかった。
「ごめん。それにちょっとうれしいことがあったから」
「うれしいこと?」
と恭介はエレノアを見つめる。
「預託馬が増えそうなの。わたしたちが留守の間にジーナ・ヴェリティって馬主さんがいらっしゃって、オリアナが話を聞いてくれたみたい」
「へえ」
「建築会社の女性社長さんなんだけどね。忙しい人だから、わたしがいないってなるとすぐに帰ったみたい」
「うーん、そうか」
と、恭介は考え込む。
レースに出走しない日に、調教師が留守にしていいものだろうか。
もちろん、運営に関わる雑事や、馬主との会談する場合にはやむなく出かけることは問題ない。
調教場の生命線に関わる仕事だから当然である。
だが、騎手の練習に付き添うのはそろそろ限界な気がしてきた。
恭介の活躍もあってスピレッタ調教場は勝利数を増やしている。
それも十頭程度しかいない調教場なのだから順調に実績を伸ばしていると言って良い。
現にブルーネレスキ卿がスピレッタ調教場にペガサスを預けてくれる約束をしてくれた。
これからも様々な馬主がエレノアの手腕に期待してスピレッタ調教場に大切な愛馬を託してくれるかもしれない。
「どうしたの?」
「エレノア、俺の練習にいつまで付き添える?」
「え?」
エレノアは意外そうな顔つきで恭介の顔をのぞき込む。
「これから預託馬が増えるかもしれないだろ。一頭一頭管理しなきゃいけないし、馬主さんにも挨拶回りしなきゃいけないし」
「そうなのよね。でもキョースケの送迎もしないといけないし、うちの子もちゃんと見ないといけないし、うーん、馬主さんとも相談しないと」
エレノアなりに色々考えているようだった。
仕事が重なって優先順位がつけられなくなっている。
「グラントさんかリジャイナに俺の送迎してもらうようにすればいいんじゃないか?」
「うちのやり方に慣れてもらわなきゃ困るし、いきなりキョースケの送迎っていうのはね。キョースケが車の免許を取るのは賛成できないし」
「なんで?」
マルスク王国にも車の免許があるらしい。
「うちの大切な騎手だからよ。もし事故でも起こして怪我でもしたら、うちのペガサスに乗れる人がいなくなるでしょ」
「うーん。それもそうか」
一応、恭介も日本の車の免許を持っているが、競馬場に行くときは公共交通機関やタクシーを使っていた。
特にタクシーを使うのは稼ぎの少ない恭介にとって痛手だったが、レース前に余計な神経を使わない方がいいと、先輩の佐山順平からアドバイスを受けてそうしたのだった。
もちろん、車を使っている騎手もいるが、恭介の場合、順平のアドバイスに素直に従うことにしたのである。
マルスク王国の地理を把握していないうちに、自動車を運転するのは危険な気がした。
万が一、事故に巻き込まれでもしたらエレノアたちに迷惑が掛かってしまう。
「そうね……。キョースケの送迎に、馬主さんへの営業、増える預託馬の管理とスタッフの増員。悩みが尽きないわね」
エレノアが右手を顎に添えて悩む素振りを見せる。
「あっ」
と、ここで恭介は思いついた。
「エレノア、俺の賞金ってどうなってる?」
「賞金?」
とエレノアは鈍く反応する。
「そろそろ付添人を雇えるぐらいの賞金はあるだろ」
「うーん、もうちょっと余裕があった方がいいんじゃないかしら。飛翔競走で勝てるようになってからでも遅くないし、しばらくはうちのスタッフにやってもらうことにして――」
エレノアが話している途中に、ドアの開く音がした。
二人はドアに目を遣るとリジャイナが入ってきた。
「どうしたんだ?」
「グラントさんが財布を落としたみたいなの」
リジャイナはさっきまでグラントが座っていた椅子のあたりを探し始めた。
恭介もテーブルの下をのぞき込むと、細長いバッグのようなものが落ちていた。
「あー、あったあった。グラントさん、大慌てでさ。こっちが焦っちゃったよ」
リジャイナは財布を手に取り、腰を上げた。
「で、二人は何を話しているの?」
「俺の付添人のこと。いつまでもエレノアにやってもらうわけにはいかないからな」
「じゃあ、あたしがやってあげようか?」
「リジャイナ、あなたにはうちのやり方に慣れてもらう必要があるのよ。それに調教師になりたいんだったら、少しでもペガサスに触れていなきゃ」
「でも、エレノアだって忙しいでしょ。だったらあたしがやった方がいいわよ」
「うーん……」
エレノアはこめかみに指を当てる。
「やることはちゃんとやるからさ。毎日の調教に、ペガサスの手入れ、レース当日のキョースケの世話。大変だけど誰かがやらないといけないよ」
リジャイナは熱っぽく説得をする。
「リジャイナに頼むか」
恭介が言った。
「キョースケ?」
エレノアは目を瞠って恭介を見つめる。
「このままじゃエレノアが忙しすぎて潰れてしまうからな」
「そうだけど」
エレノアは声を落として言った。
なぜか元気が無くなっていく。
「にひ」
とリジャイナは変な笑い声をあげる。
その声音には何か含んだものがありそうだった。
「どうした?」
「別にぃ。大丈夫だって、変なことしないから。それに普段の仕事もちゃんとやるからさ。ね、お願い」
リジャイナは両手を合わせてエレノアを拝んだ。
「仏教?」
と恭介は言った。
「なにそれ?」
エレノアが訊く。
「こっちの世界の宗教の一つ。俺の実家も仏教だけど」
「マルスク王国だと、両手を合わせるのは人に頼みごとをするときのジェスチャーなの」
「ああ、日本でもそうする奴がいるな」
「そうなのね。ってそんなことはどうでもいいわ」
中身のない雑談をしてから、エレノアはリジャイナに目を向ける。
すると、エレノアは深いため息を吐いた。
「仕方ないわね」
「え? いいの?」
リジャイナの顔に喜色が浮かぶ。
「その代わり、普段の仕事は文句を言わずにやること」
「わっかりましたぁ」
リジャイナが明るい声で言うと、グラントの財布を持って外へ出て行った。
また、沈黙が流れる。
なぜかエレノアは顔を俯けて元気がなさそうだった。
「なにかあったのか?」
「ううん。なんでもないわ」
声にも張りがなかった。
――どうしたんだろ?
このまま部屋を出て行く勇気が湧かなかった。
一連のやり取りでエレノアがしょげる理由がわからなかった。
自分の言動に不快感を持たせてしまったのか思い返しても、心当たりがなかった。
恭介自身が気づかないところでエレノアを傷つけてしまったのかもしれないと思うと、彼女を放っておくわけにはいかなかった。
――もしかして……。
練習場に行けなくなるのが嫌なのかな、と思った。
ペガサスに跨っているときのエレノアは誰よりも喜びに満ちあふれていた。
調教師の仕事もきちんとこなしているが、もしかしたら自由に馬に触れる瞬間がエレノアとって一番息抜きができる瞬間なのかもしれない。
しかし、そのことを口にするにはデリカシーに欠ける気がした。
エレノア自身も調教師としてやっていく以上、自分の趣味を優先させてはいけないとわかっているはずだ。
「あ、ごめん。ちょっと考え事しちゃった」
「大丈夫か?」
としか声がかけられなかった。
本当はもっと気の利いた言葉をかけてやりたかったが、恭介にはなにも思いつかなかった。
「ちょっと書類を整理しないと、出走登録や馬運車の手配、それに飼料や寝藁が足りているかも確認しないと」
エレノアは苦笑いを浮かべると、腰を上げて調教師室の中に入って行った。
一人取り残された恭介は、彼女の後姿を見つめることしかできなかった。




