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飛翔競走に向けて

 サイモン騎乗練習場で、恭介はペガサスを飛ばす練習を始めていた。


 まず初めにエレノアからきっちり罰を受けた。

 この間と同じで、二人乗りでペガサスに乗ってから飛翔し、頃合いを見計らってエレノアから落ちるように告げられる。

 遠征先の宿で恭介に胸元を凝視されたことを思いだしたのか、振り向いた彼女の横顔に影がさしていた。


「うわああぁぁぁーー!」


 エレノアからの無言の脅迫に耐えかね、恭介は自分から落下した。

 ただ以前よりは冷静になっており、空気の抵抗を感じる余裕がある。

 両目はゴーグルのおかげで守られたものの、唇がめくり上がりそうになり、頬の皮が波打ったのを感じた。

 結果、顔面から芝生の上に着地した。

 芝生にかけられた緩衝魔法のおかげで痛みも感じず、どこも怪我はなかった。


「エレノアのやつ……」


 恭介は芝生の上に胡坐をかいて空を見上げた。

 現役の騎手や候補生たちが飛翔騎乗の技術を磨くためにトレーニングをしており、空に浮かんだコースに沿ってペガサスを誘導する練習をしているようだ。

 エレノアは栗毛のペガサスを操り、ゆっくり旋回しながら恭介の近くに着地する。

 ペガサスは幻の翼を折りたたんだ。


「もう慣れたわね」


 エレノアは平然と言う。


「慣れてたまるか。落ちないようにレースしなきゃいけないのに」


「そうね。だったら次は一人で飛んでみる?」


「え?」


「わたしの動き見ていたわよね。ここのペガサスは同じようにやれば飛べるから」


「手綱を振ったあと、首の動きに合わせながら銜を持ち上げる、だろ」


「ええ。あと、高度を下げるときは鬣を掴んで首を押せばいいから」


「まあ、やってみるしかないか」


 恭介はのそっと立ち上がる。


 そこへ練習場の厩務員、フレッドが鹿毛のペガサスを連れてきた。

 あらかじめ恭介が使うモンキー乗り用の鞍を装着してある。

 恭介はフレッドの手を借りてペガサスに跨った。


「にいちゃん、本当にそれでやるのか?」


 フレッドは心配そう声をかける。


「まあ、やるだけやってみます」


 あまり強気なことは言えない恭介。

 なにしろペガサス競馬ではほぼ前例のないモンキー乗りでの飛翔をやろうとしているのだから無理もない。

 いくら平地で勝ち鞍を重ねたとはいえ、そのままのやり方がいきなり通用するとは思っていなかった。


 恭介はスタート地点へペガサスを誘導する。

 エレノアも後からついてきた。


「まずは併せて走るから」


「あれ? ペガサスって空飛んでいるときって、ポツンといるほうが好むんじゃなかったっけ?」


 たしかリンウェルダウンズ競馬場でアイヴァーにそう教えられた。


「離着陸のときはそうでもないのよ。空高く飛ぶと離れるけど」


「どんな習性なんだ?」


「理屈はどうでもいいから、とにかく併せ馬で離陸よ」


 エレノアは話を打ち切って進路方向へペガサスを向ける。

 とりあえずエレノアのやり方に倣ってみることにした。


 スタート練習ではないのでロープは張っていない。

 エレノアの合図でスタートを切ると打ち合わせをした。


「準備は良い?」


「いつでもいいぞ」


「じゃあ、行くよ!」


 その声を合図に二人はペガサスを走らせる。

 ぴったりと馬体を併せたまま二頭は芝を蹴り上げる。

 コーナーを曲がると離陸エリアの背の高い生垣が行く手を阻むように立ちはだかる。


 心臓の高鳴りを抑えられないままペガサスを走らせる恭介。

 手綱を通して馬の動きに細心の注意を払う。

 エレノアは易々と動きに合わせて手綱を操って高度を上げていたが、果たしてうまくいくかどうか。


 そろそろ離陸エリアを示す白線が近づいてきた。

 もう少しだと思ったとき、エレノアの声が耳を打った。


「白線に入る手前で、手綱を振って!」


「了解!」


 風を切る音に負けないよう二人は声を張り上げる。


 ペガサスが離陸エリアを示す白線に足を踏み入れようとしていた。


 恭介は手綱を強く振ってみた。


 すると、瞬く間に黄金の光を帯びた翼が出現した。

 そして、ペガサスの首の動きに合わせて手綱を持ち上げた。


「うおっ!」


 ペガサスの四肢が宙に浮いたのだろう。

 強烈に背中を引っ張られる感覚に襲われた。

 なんとか体勢を立て直そうとするも、勢いに負けて鞍が尻についてしまう。

 そして鐙からつま先が外れ、落馬してしまった。

 緩衝魔法のかけられたヘルメットやシャツ、ズボン、ブーツのおかげで痛みはなかった。


 転げ落ちた芝の上からエレノアがペガサスを操って天に舞い上がるのが見えた。

 鮮やかな手綱さばきに、恭介は思わず見惚れそうになった。

 美しく広げたペガサスの翼越しにエレノアの生気に満ちあふれた顔を見た気がした。


「大丈夫か、にいちゃん」


 練習を見ていたフレッドが駆け寄ってきた。


「大丈夫っす。あ、ペガサスは」


 正気に戻ると、振り落としたペガサスの行方が気になった。


「心配ない。お嬢ちゃんが捕まえてくれる」


 フレッドは空を見上げる。


 恭介もつられて天に顔を向けると、空馬になったペガサスが緩やかに宙を舞っていた。


 ペガサスに跨ったエレノアが空馬に追いつくと、上体を横に曲げて手綱を手に取った。

 姿勢を崩しながらも片手で御して空馬のスピードを緩める。

 そして上手く手綱を操りながら宙を旋回しながら地上に降りてきた。


「うまくやるもんだな」


 恭介は降りてくるエレノアと二頭を見つめながら言った。


 エレノアたちが着陸すると、恭介はそこへ駆け寄った。


「悪い。上手くいかなかった」


「始めのうちは誰でもそうよ」


 エレノアは馬上から言った。


「二人で乗るのとはえらい違うな。すげえ加速力だ」


「軽いから当然よ。それにキョースケはモンキー乗りなんだし無理もないわ」


「けど、レースには間に合わせないとな。落馬するから乗れませんってんじゃ、干されちまう」


 恭介はもう一度ペガサスに跨ろうとした。


「おい、兄ちゃん。まだやる気か?」


 フレッドは驚きを交えて心配そうに訊いた。


「やんなきゃ、レースにならないっすから。フレッドさん、お願いします」


 と言って、恭介はペガサスの背中に両手をかける。

 フレッドの手を借りて跨ると、もう一度スタート地点へ向かった。


 落馬したときの状況を頭の中で考えた。

 あれだけ急加速するなら、立ちっぱなしで乗るのはほぼ不可能に近い。

 すさまじい勢いで後ろに引っ張られるのだから、両足でペガサスの馬体を挟むだけではバランスを保つのはまず無理だ。

 それに練習場のペガサスは現役ではない。

 現役のペガサスを乗りこなすには何らかの工夫を凝らす必要がある。


 だがその工夫が思い浮かばず、恭介は何度も落馬を重ねてしまった。


 結局わかったのは立ち乗りしたままでは、急加速に耐えられないということだけである。


「くそっ!」


 あまりの不甲斐なさに恭介は呪詛を吐いた。

 練習初日とはいえ、もっとうまくやれるはずだと勘違いしていた自分にも腹が立つ。


「キョースケー」


 とエレノアが声をかけてくる。

 乗っていたペガサスに疲労がたまったらしく、すでに馬から降りていた。


 恭介はどう反応していいかわからず、顔をそむけてしまった。


「大丈夫?」


「大丈夫だ。けど、全然上手くいかねえや」


「まだ初日だもの、仕方ないわ」


「もうちょい上手くやれると思ったんだけどなぁ。どうも加速のタイミングがわからなくてさ」


 バツが悪くなり後ろ首を掻く恭介。


「そこは慣れしかないわね。加速した瞬間を捉えてすぐに上半身を曲げて前傾姿勢を取るのが普通だけど……」


「モンキー乗りだと体勢を崩しやすい、か」


「うん。しかも、わたしたちは鐙を土踏まずに乗せているけど、キョースケはつま先よね。難易度が高すぎるわ」


「けど、今さら他の乗り方を試す気はないさ。なんとかモンキー乗りを応用してレースに臨まないと」


 恭介はおもむろに立ち上がると、またペガサスの元へ近づこうとした。


「にいちゃん、これまでだ」


 と、フレッドが制する。


「もう少しやらせてください」


「やる気は認めてやるが、ペガサスが疲れてしまう」


 とフレッドが言う。


 ――話が違うぞ。


 ペガサスはかなりタフで長時間飛行にも耐えられると聞いたことがある。

 今回恭介が練習した程度で疲れるとは思えなかった。


 それが気になり、恭介はエレノアに顔を向けて真偽を確かめる。


「そうね。もう十回以上やったかしら。ペガサスは離着陸のとき大きく魔力を消費するから、これ以上は無理ね」


 とエレノアはフレッドの言い分が正しいことを裏付ける。


「他のペガサスはいないんすか?」


「残念だが、今日は空きがない。また明日以降にしてくれ」


「わかりました」


 ペガサスに多大な負担を強いるわけにはいかず、引き下がるしかなかった。


「じゃあ、今日はこれまでね」


 エレノアは右脚をペガサスの首の上に回してから下馬すると、手際よく鞍を外した。


 二人はペガサスを練習場のスタッフに預け、礼を言ってから帰路についた。


 ――さて、どうすっかなぁ。


 帰りの車中、恭介は窓の外を眺めながら、ずっと飛翔の乗り方を考えていた。


 いっそのことブーツや鐙に滑り止めを施せないか相談してみるのも手だが、それだけでは、根本的な解決にならない気がする。

 鐙から滑り落ちる危険性というより、身体ごと後ろに引っ張られる感覚に襲われるので、騎乗姿勢をどうにか保たなければならなかった。

 いくらブーツや鐙に工夫を凝らしてもあまり意味はない。


 ――乗り方に改良の余地はあるな。


 うっすらそう思うだけで、まだ具体策が思い浮かばない。

 

 結局、何度も練習を重ねて試行錯誤を繰り返していくしかなかった。


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