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スピレッタ調教場のスタッフ  ※ロディ視点

 ロディ・アルヌル、ラモン・メイスン、ミノル・ナカムロの三人はスピレッタ調教場の大仲でレース観戦をしていた。

 昨日今日と所属馬が勝ったのを見届けてもまだ興奮の余韻が部屋の中に残っている。


 そして、最終日のメインレース、バロンクラウスカップにはキョースケが有力馬に跨っている。

 レース直前のオッズは二番人気、勝ち目は充分にありそうだった。


「キョースケのやつ、もうひと仕事してくれるんじゃないんですかね」


 三人の中で一番興奮しているラモンの声が弾んでいる。


「どうだろうな。リジーズプライドの強さはこの中じゃ抜けている。相当上手くいかないと勝ち目はなさそうだが」


 ロディは務めて冷静でいようとした。

 内心嬉しいのだがはしゃぎすぎるのはどうかと思い、気持ちを抑えているのだった。


 地球という異世界に行った甲斐があったな、とロディは思う。


 自分の腹を刺し、地球に転移するとニホンという国に辿り着いた。

 ロディの外見はニホンでは外国人だと思われた上に、言葉もろくに通じなかった。

 フォルアースではキョースケと何の問題もなくコミュニケーションが取れるが、あちらの世界に行くと言語が通じなくなるようだった。

 なぜそのようなことが起こるのか皆目見当がつかなかった。


 着の身着のままの姿に『転移の緋剣』を二本忍ばせたバッグを手に持ちながらニホンの繁華街を徘徊していると、怪しげな店で働いている女が声をかけてきた。

 身振り手振りを交えて意思疎通を図ると、女が自分の働いている店に案内してくれた。

 女は、金がないならうちで働かないか、と言ってくれたようだった。

 そこは空気が淀んでいて、素性の知れない外国人が屯する飲み屋だった。

 騎手を探す手がかりがない以上、ロディはそこで情報を聞き出すしかなかった。


 やがてロディが折り目正しい人間と見てくれたのか、そこの店主がここで働かないかとジェスチャーを交えて伝えてくれた。

 ロディが幸運だったのは、店主が親切な人間あったことだろう。

 彼はニホンで結婚をして在住資格を得た外国人らしく、一つ一つのニホン語を根気強く丁寧の教えてくれた。

 その際に小さな子供が読むという本を教科書がわりに言葉を教えてくれ、なんとかロディのニホン語能力が上達していった。

 難解な文字と思ったのだが、文法に関してはマルスク王国の言葉と共通点があったらしい。


 ロディは店主の家に寄寓し、飲み屋で給仕をして日銭を稼いだ。

 働くうちに語彙力が増して、たどたどしいながらも簡単な言葉でコミュニケーションが取れるようになった。

 やがて同僚が競馬に興味があるといい、騎手の名前を教えてくれた。


 その中にキョースケがいたのである。


 彼が言うには、成績はぱっとしないが、一流騎手のサヤマがこれから伸びる若手だと雑誌のインタビューで発言したため、コアなファンからひそかに注目されているという。

 しかもキョースケはサヤマや、同い年の一流騎手タグチと一緒にこの界隈に飲みに行く機会があるという。

 そのことは競馬を扱うテレビ番組でタグチが言ったらしかった。


 この三人が飲みに来る日は大抵日曜日、レース終了後である。

 なので、ロディは毎週日曜日に休みをもらい、あてもなくこの界隈を歩き回った。

 三人に遭遇した時のことを考えて『転移の緋剣』を懐にしまっておいた。

 いつもバッグに入れっぱなしにしていたおかげで誰の目にも触れずに済んだ。


 陰気な寒さに耐えながら三人を探し続け、二月になってようやく三人に出会うことができた。

 キョースケに近づくと『転移の緋剣』が温かくなり、彼がフォルアースに転移できると告げていた。

 あのときのキョースケは必死でサヤマやタグチを守ろうとしていた。

 その姿を見てロディは決心が鈍りそうだった。


 ――すまない。


 と胸の内に呟き、キョースケの腹を刺した。

 手応えがまるでなく、するりとガラスの刀身が腹の中に入って行った。


 その後、もう一本あった『転移の緋剣』で自分の腹を刺し、フォルアースに帰った。

 キョースケに刺さったままの方は彼がこの世界に来たと同時に抜いた。


 転移をしたキョースケはスピレッタ調教場に近い馬道で気絶していた。

 怪我の恐れはないとはいえ、刺したときには激痛が走る。

 そのせいで気絶したのだ。

 アシタスをリラックスされるために馬道に連れてきたのもあって、ロディはアシタスの背中に恭介を腹ばいで乗せた。

 一人でも持てるほど、キョースケの体重は軽かった。

 そしてスピレッタ調教場に連れて行き、ベッドに寝かせたのである。

 そしてエレノアに『転移の緋剣』を使いキョースケを連れてきたことを告げた。


「お、キョースケのやつ、いい感じじゃないか」


 ラモンの熱を帯びた声でで我に返った。

 モニターに目を遣ると、アーチャーズノートがリジーズプライドと壮絶なたたき合いをしていた。

 キョースケはおそらくこの形に持ち込み、ゴール手前で差し切る作戦を立てていたのだろう。


「行け、差せ」


「もうすこし」


 ラモンの声に刺激を受け、寡黙なミノルも声を出す。

 二人とも椅子から立ち上がり前のめりになってレースを見ている。


「二頭並んだまま、ゴール! ……凄まじい叩き合いでした。果たして勝利を掴んだのはどっちでしょうか」


 実況のポリー・サラバンドも興奮したらしく、一瞬言葉が途切れた。

 モニターで見る限りだとどちらが勝ったがわからない。

 もう一度ゴール前の映像が流れる。

 今度はスロー映像だった。

 二頭が鼻面を揃えているが、わずかにアーチャーズノートが先着しているようだった。


「よっしゃー! よくやったキョースケ」


 レースが確定すると、ラモンは早合点して両手を天に突き上げて喜びをあらわにする。

 ミノルは気が抜けたように椅子に腰を下ろした。

 そしてロディはふうっとため息を吐いて安堵した。


 ――キョースケを連れてきて……。


 正解だったな、とロディは思った。


 一方で不穏な予感もよぎる。

 モニターに映ったエレノアがキョースケに抱きついて祝福するのを見て一層不安が心根に広がった。


 夜が更けても、ロディとラモンは大仲に待機していた。

 壮年のミノルは馬場の管理を一人でして疲れたため、早くに引き上げて行った。


 ビデオを回し、ミスクララとウィントンの勝ったレースを見返していたとき、ようやく外から馬運車の音が聞こえてきた。

 オリアナがミスクララとウィントンを連れて帰ってきたのだ。

 二人は外へ出て行く。


 真暗な夜空の下、大仲から漏れる灯に照らされた馬運車がエンジンをかけたまま止まっていた。

 助手席からオリアナが飛び降りて二人に顔を向けた。


「姐さん、お疲れ」


 とラモンが右手をあげて労いの言葉をかける。


「おつかれさま。いやー、うまくいったよ」


 オリアナは喜びを露わにして挨拶をする。

 遠征の成果を早く伝えたがっているようだった。

 目の下に隈があり、若干やつれていた。

 それでも、ミスクララとウィントンが勝ち、さらにキョースケの快進撃もあってか疲れている素振りを見せない。


「これ以上ない結果だ。よくやったオリアナ」


「ありがとう、ロディさん。さ、早くミスクララとウィントンを降ろそう」


 運転手がスロープを降ろすとオリアナとラモンが馬運車に乗り込み、二頭を降ろした。


 馬運車がスピレッタ調教場を出て行ったあと、三人はミスクララとウィントンに異常がないかを確かめた。

 ラモンが四肢や背中、腰、尻、首などを触る。

 ラモンはおおらかな男だが、綿密に馬の状態を見極める手を持っていていた。

 わずかな異常を察知し重大な故障を防ぐ技術に長けているのだ。


「大丈夫そうだ。すぐに馬房に入れて休ませてもいいですよ」


 とラモンが言ったので、二頭を厩舎の中へ入れた。

 すでに馬房で休んでいるペガサスたちは静かに時を過ごしている。

 どこかで寝藁を擦る音が聞こえるだけだった。

 二頭を無事に馬房へ入れると、三人は外へ出る。


「オリアナ、疲れただろう。飯は食ったか?」


 歩きながらロディは訊いた。


「ああ、そうね。なにか余り物でもあります?」


「今日ぐらい我慢したらどうですか? 姐さん」


 ラモンがいらない口を叩く。


「どういう意味?」


「あれだけ毎日引き運動しているのに、夜食ったら意味ないでしょ」


「ほう。もうちょっと詳しく訊こうか」


 オリアナがラモンのシャツを掴み、上目遣いで睨む。


「ほら、中に入るぞ」


 いつものことと思いながら、ロディは微笑する。



 大仲の台所でお湯を沸かしてパスタを茹でてやった。

 あらかじめ作ってあったトマトソースをフライパンで温め、程よく茹で上がったパスタと絡める。


「ありがとう、ロディさん。……でもトマトですか」


 なぜかオリアナから苦笑が漏れてくる。


「どうしたんだ? いつも食べているだろう」


「実は……」


 オリアナはリンウェルダウンズ競馬場で起こったことを話し始めた。


「その話は聞いている。新聞に載っていたからな」


「でも、真相は闇の中、査問委員会もどこまであてになるのかしらね」


「キョースケのやつ、ずいぶんご活躍だったんだな」


 ラモンは別のところに興味が湧いたようだ。


「いやあ、鮮やかだったよ。ベンのやつを投げ飛ばしたんだから。あの子、喧嘩も強いんだね」


「だろうな。あんな小さいくせに異様に力があるんだもんな」


 ラモンは恭介と初めて会った日に腕をねじられた記憶がよみがえったらしく、右手をさすった。


「騎手というのはそういうものだろう。それにキョースケはニホンの競馬学校とやらで――たしかジュードーという体術を学んだらしい。もっとも怪我防止のために受け身の練習が主だったようだが、キョースケはセンスに恵まれていたようだな」


 これはロディが日本にいたころ仕入れた情報である。


「はー、どうりで投げ技が決まったわけね」


「そういや、お嬢さまだって女のわりには力があるしな。騎手ってすげえ人種なんすよね」


「ほんと不思議よね。あんな身体が小さいのにすごいパワーを秘めているんだから」


「で、ちょっと気になったんですけど」


 ラモンはなぜか声を低くして言った。


「お嬢さまとキョースケ、二人にして大丈夫なんですか?」


「なぜだ?」


 ロディの声が無自覚に険しくなる。

 その声を聞いたラモンが一瞬たじろぐが言葉を続けた。


「だってロディさん、キョースケだって健康的な男子ですよ。お嬢さまみたいな美女と二人きりにしたら何らかの間違いが――」


「ああ、平気平気。キョースケは手を出さないよ」


 オリアナはパスタを一口食べてから言った。


「オリアナ姐さん、そりゃ楽観的過ぎやしませんか」


「あの子、けっこう奥手だからね。そりゃあ若い男の子だもの、異性に興味はあるっぽいけどね。でも、ちょいちょいお嬢さまの反応を窺ってはどぎまぎするもんだから可愛いもんよ」


 オリアナは肘をテーブルについてフォークをぶらぶらと弄びながら言った。


「まあ、元警官の姐さんが言うならそうかもしれないけど」


 と、ラモンが口籠る。


「お嬢さまが心配なのか?」


「そうじゃないっすけどね、お嬢さまがキョースケのことどう思っているのかって」


「うーん、どうだろうね。騎手として見ているか、男として見ているか、か」


 同性のオリアナでも判断がつかないらしい。


 ロディ内心穏やかではなかった。

 自分が連れてきた騎手にエレノアが惹かれるようなことがあって良いのだろうか、と思ってしまう。

 今はペガサス競馬に熱中しており、父親のキプロン伯爵も黙認している状態である。

 しかし、いずれ貴族令嬢として他家に嫁ぐ身分なのだ。

 異世界から連れてきた騎手と婚姻を結ぶようなことがあれば、自分が責任を取らなくてはならないかもしれない。


「お嬢さまによく言っておかないとな」


 思わず考え事が口から漏れてしまったロディ。


「お嬢さまの入れ込みようったら、かなりのもんじゃないですか。競馬場への送迎に、付添人、んで馬主との交渉にも連れて行ったし、ちょっと考えられないですよ」


「たしかにね。あ、そういや、ちょっと気になることがあったわ」


「なにかあったのか?」


 ロディは平然を装って訊いた。


「ミスクララが勝ったとき、あたしったら嬉しくて思わずキョースケに抱きついちゃったのよ。そしたらお嬢さまちょっと怒っちゃってさ」


「はしたない真似をするからだろう。人前で抱きつくにはいただけないな」


 とロディは年長者らしくやんわりと注意をする。


「ううん。ロディさん、それぐらいのことでお嬢さまは怒ったりはしないわよ。だってお嬢さまだってキョースケに抱きついたんだから」


「む、そうか」


 たしかに、自分で同じことしておいてスタッフに怒るのは筋が通らない。


 と、ここでなぜかラモンがニヤニヤしながらオリアナを見ていた。


「ラモン、なによ?」


 オリアナがラモンの視線に気づいて言った。


「いやなに。姐さん、身近な男を狙ったのかなってさ」


「あん?」


「考えてみれば、キョースケって童顔だし、年上から好かれそうだもんな。よく女が言う可愛い系ってやつ? おまけの女性経験が少ないとくれば、モテない姐さんでも落とすにゃ苦労しない――」


「ラモン」


 オリアナが異様に冷たい声音でラモンの言葉を遮った。

 食事を中断してゆらりと立ち上がる。


「あ、あは、あはは、冗談だって姐さん。俺は姐さんのこと、心配しているんだよ。だってけっこう焦ってるんだろ。ほら、その、婚期って言うかさ。そろそろ三十だし、奥手のキョースケをたらし込んで既成事実を作ったあと、めでたくゴールインってな感じでさ」


 あは、あは、とラモンは乾いた笑い声を発する。


「で、言いたいことはそれだけ?」


 オリアナの目が鈍く光る。


「じゃあ、姐さん、お休み!」


 ラモンはオリアナの殺気に気づき、そそくさと外へ出て行った。


「待てコラ! その減らず口、矯正してやる!」


 怒りに身を任せたオリアナはすさまじい勢いで駆け出し、ラモンを追いかけた。


「……ガキか、あいつら」


 いつもの光景だと思いながらも、いい年した大人のすることではないと思ったロディであった。


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