今後の予定
帰りの列車、恭介はエレノアと一緒に一等席の中にいた。
エレノアは靴を脱いで長椅子の上に横たわっていた。
憂鬱な面持ちで天井を見上げ、青ざめた顔色を浮かべている。
明らかに二日酔いだった。
「うー」
と、エレノアは呻き声を上げる。
さっきから水を何杯も飲んで酔いを醒まそうとしていた。
朝起きた時からこんな調子だった。
恭介は身支度を整え、『オルコック』の受付前で待っていてもエレノアが降りてくる様子がなかった。
列車の時間が迫っていて、そろそろ『オルコック』を出発しなければならないと思ったとき、エレノアが二階から降りてきた。
いつもの生気溢れる姿は見る影もなく、背中を丸めて力ない足取りで階段を降り、受付前のまで行くと、長椅子に身を投げ出してしまった。
「ほらエレノア、行くぞ。列車に遅れちまう」
恭介はエレノアの肩を揺するが、呻き声を上げるだけで動こうとしない。
仕方なくエレノアを強引に起こし、荷物を持って腕を首に回してあげた。
「キョースケ、昨日何かした?」
「は?」
「朝起きたら、ブラウスのボタンが外れていたから、キョースケが変なことを――」
「するか。自分で外したんだそ」
プルネラがいなかったら手を出しそうだった、とはギロチンにかけられても言えそうになかった。
「うそぉ」
「噓じゃない。何ならプルネラに訊いてみろ」
「あ、プルネラ。なんの用だったの?」
「あとで話してやるから、ほらタクシーに乗るぞ」
普段の快活な性格はどこへ行ってしまったのか。
二日酔いがひどいとはいえ、あまりにも人目を気にしなさ過ぎた。
恭介は頭を抱えたい気持ちをこらえて、タクシーに乗り駅に向かったのだ。
エレノアは列車に乗ってからもだらしなく横たわっている。
「飲み過ぎだっつうの」
恭介はエレノアを見下して言う。
白い半袖シャツを着、ジーンズ調のズボンを穿いていて、色気が全く感じなかった。
昨日のように胸元がはだけたブラウスを着ていれば欲情をそそられるかもしれないが、今のエレノアがあまりにも苦しそうなので同情の方が勝ってしまう。
「うー、ハイペースで飛ばし過ぎたのかなぁ」
「エレノアってあまりパーティーとかに行かないのか。少しは酒の飲み方もわかっているだろ」
「現役のころはよく行ってたよ。でも未成年だったもん、お酒に慣れていないのよ」
「ああ、なるほど」
要は酒の飲み方を知らない大学生のようなものだな、と思った。
恭介も二十歳になったころ、酒の飲み方を知らずに酔いつぶれた経験があるので強く言えない気がしてくる。
そう考えると大目に見てやる気持ちも芽生えてきた。
馬主たちと交流を重ねていくうちに、酒の付き合い方もわかるだろう。
「次からは考えて飲めよ。美味い酒ってつい飲み過ぎてしまうからな」
「うー、気をつける。スローペースで、折り合って最後の直線で仕掛けるのね」
「……まだ酔っているな」
「ああ、仕掛ける必要はないわね。えへへ」
自分の上段が面白かったのか、笑顔を見せるエレノア。
すると、長椅子の縁に手をかけて起き上がろうとした。
「大丈夫か?」
「大丈夫よ。うー、気持ち悪い」
「すぐ前言撤回するな。まだ寝てろ」
「思い出したことがあってね」
「なにを?」
「キョースケの予定」
「今言わなくてもいいだろ」
「うー、こういうことは思い出したときに言わないと」
二日酔いに耐えながら、エレノアは今後の予定を告げた。
ひとまず恭介に休養を取ってもらう。
騎乗停止を食らったのもあるが、これはペガサスレーシングクラブの規則で、一年中乗ることができないと決められているからだ。
フォルアースでも一年三百六十五日あり、マルスク王国のペガサス競馬は年がら年中、どこかの競馬場で開催されている。
騎手に疲れが溜まり思いがけない落馬事故が起きないために休養を取らせているのと同時に、数多くの騎手に騎乗機会を与えるという側面もあるらしい。
一年でレースに騎乗できるのは最大二百日だが、大抵の騎手はそこまで乗らないらしく、トップジョッキーのガウン・ボウズでさえ百五十日から百七十日程度だという。
もちろん休養とはいえ、調教に乗ったりトレーニングはするのでレースに乗らない日はそのために当てられる。
とりあえず今日から七日間を休養に当て、それからは秋の一大イベント、ネアルコスフェスティバルに向けてスケジュールを組むという。
本来なら付添人やエージェントが騎手の意向を聞いて決めるのが一般的だが、新人の恭介にはまだ雇う余裕がない上、レース体系を把握しきっていないので、もうしばらくはエレノアがエージェントを兼任してくれる。
飛翔競走に騎乗する前に、最低でも一週間は練習場に行き、ペガサスで空を飛ぶ練習をする。
それから前に言われたように、しばらくの間飛翔競走では実力の足りない馬に乗せてもらい、経験を積む。
「で、うちの馬はいつ飛翔に出すんだ? 俺の都合ばかりに合わせてられないだろ」
「うー、アシタスをネアルコスフェスティバルの重賞に出すわ。もちろん飛翔競走ね。それまでに、うー、キョースケは飛翔競走で経験を積んでもらうわ。まずは、次のフレイモア競馬場の、うー、開催で飛翔競走デビューね。ほら、うー、キョースケが初めてペガサス競馬を見た競馬場よ。うー」
「飛翔競走でも俺に騎乗依頼が来ているのか?」
「もちろんよ。うー、結構依頼を取れたから、レースに慣れるんじゃないかしら。うー」
「よく依頼取ってくる時間があったな」
「キョースケがレースに乗っているときに、うー、お願いしてきたのよ」
「預託馬を集めるだけじゃなく?」
「そうよ。うー、力の足りないペガサスだから、キョースケに乗せてみようってなったのよ。うー」
「ダメもとの依頼ってやつか」
勝つまではいかないにしろ、最低でも人気以上、できれば五着以内に入るのが理想だった。
元から勝ち目のないペガサスに乗る分、気楽な立場だが、ここで一つでも上の着順を目指して調教師や馬主にキョースケ・ハタヤマは飛翔競走でもいい騎乗ができるとアピールする必要がある。
そしてスピレッタ調教場のペガサスで勝ち星を挙げ、エレノアたちに余裕を持たせたかった。
と、ここで恭介はあることが気になった。
「エレノア、スタッフを募集しないのか?」
「う?」
「預託馬がどんどん増えてくるんだから人手が足りなくなるだろ。俺たちだけじゃ手が回らないんじゃないか」
「うー、そうなんだけどね。未経験の人を一から教える余裕はないし、でも経験者は他の調教場や牧場に行っちゃうし。うー、どうしようか考えていたのよ、うー」
「もう少し実績をあげる必要があるか。って、さっきからそのうーってなんだ?」
「こうやって声に出すと楽なのよ。うー」
「余計に吐き気を催しそうだけどな」
「わたしは楽になるわ」
「へんな癖だな」
「うー、人それぞれでしょ」
と、エレノアはまた横になる。
恭介はため息をついて窓の外に目を向ける。
列車が徐行運転をしていて、辺りの風景がゆっくり流れて行く。
隙間なく生えている麦が畑を埋め尽くし、日の光を弾きながら揺れていた。
頭にタオルらしきものを巻いていた農夫が身を屈めて何かを確認していたが、流れゆく景色の中ではよくわからなかった。
やがて麦畑を抜け森の中に進入した。
枝と葉の間から射し込む木漏れ日が列車の中にも届き、ちらちらと明滅する光が恭介の目に映る。
ふと、エレノアに目を向けた。
また二日酔いが襲ってきたらしく、目を瞑って呻き声を上げる。
もう一度寝ようとしてもひどい胸やけが寝入りを妨げているようだった。
見かねた恭介は水を買いに出ようとした。
たしか食堂車で売ってたな、と思い出したとき、ドアを叩く音がした。
「失礼します。エレノア・スピレッタ様、お客さまです」
「はい。ちょっと待ってください」
代わりに恭介が応える。
長椅子に寝そべったエレノアの肩を揺すり、起こそうとした。
「エレノア、お客さんだって」
「うー、だれぇ」
呻きながら訊くエレノア。
とても客に応対する余裕はないので、お引き取りを願おうかと考えた。
「大丈夫か?」
「うー、大丈夫」
と言って、エレノアは気怠そうに立ち上がり、ドアに近づく。
「どちら様ですか?」
「グラントさま、リジャイナさまのお二方です」
「なんの用だろ?」
二人はエレノアとこれといった接点がないはずだった。
わざわざエレノアを訪ねてくるあたり込み入った事情があるのかもしれない。
そのことを察したのかエレノアは、ドアを開けて駅員から話を訊いた。
隙間から見える駅員が退くと代わりにグラントとリジャイナが部屋の中に入ってくる。
恭介は立ち上がり、席を譲った。
「お、キョースケも一緒か」
グラントは右手をあげて軽い調子で挨拶をする。
「男女二人っきりの旅路。いやあ、いいねえ」
リジャイナが言った。
「茶化すな。んで、エレノアになんの用っすか」
恭介はエレノアを窓際に座らせ、その隣に腰を下ろす。
グラントがエレノアの正面に座り、リジャイナはグラントの隣に腰を下ろす。
「ちょっと、グラントさん。女性を窓際に座らせるって発想はないの?」
「いいだろ、別に。男も女も関係あるか」
「へえ、そんなことだから、奥さんに逃げられるんだよ」
「やかましい」
グラントは不貞腐れて窓枠に肘をつけ頬を手に乗せた。
「奥さんがいたんですか」
「ああ、まあな。二十七歳になってもうだつが上がらない騎手だって。痛いところ突かれたよ」
「うー、リジャイナはどうしたの?」
「エレノアこそどうしたの? 顔色悪いよ」
「うー、馬主さんのとこに挨拶回り、うー、してて飲み過ぎたの」
「あはは、弱いねぇ」
リジャイナは背もたれに身体を預けて脚を組んだ。
「それで、二人ともどうしたんですか? 世間話ぐらいなら付き合いますよ」
「そうじゃなくて。ほら、えーっと」
「グラントさん、あたしから言うよ」
言い淀むグラントを情けないと思ったのか、リジャイナは苦笑する。
「ねえ、キョースケ、エレノア、あたしたちの成績ってわかる?」
「えーっと」
「グラントさんはデビュー十年目で通算五十勝ぐらいの二十七歳。うー、リジャイナはわたしと同い年で、うー、十五勝ぐらいね」
「だいたいあっているな」
グラントは憮然とした表情を浮かべて認める。
「それがなにか?」
と恭介は訊いた。
すると、リジャイナは微笑を漏らした。
「あたしたち騎手に見切りをつけようと思って」
リジャイナの声音と表情は明るかったもののどこか固く、無理しているような気がした。




