プルネラとの話 2
「ジュスタンさんが、どうしたって?」
「彼のこと、どう思う?」
「どう思うって言ってもな。エレノアの元婚約者でペガサス競馬の馬主って印象しかないな」
「本当にそう?」
「……」
「あまりいい印象はないんじゃないの?」
「プルネラもそうなのか」
彼女の決めつけた言い方に疑問を持った。
セカンドジョッキーという立場のわりには、はっきり言い過ぎている気がした。
恭介は上体を起こしてプルネラを見つめる。
「正直、ね」
プルネラは苦笑して、片目を瞑る。
「まあ、ちょっと思い込みが激しいなって感じはあるけど」
「そうなの?」
プルネラが眉を上げた。
恭介はタドカスター調教場で合同調教をしたときのことを話した。
記者を引き連れ大げさに持ち上げてもらったこと。
彼の所有馬ドリアードが打ち合わせを無視して、強引にまくってアシタスとの差を見せつけようとしたこと。
それらが素人の自己満足にしか見えなかったとプルネラに教えた。
「ほんと、素人の考えそうなことね」
「そういや、ジュスタンさんってコラムも書いていたんだよな」
「ええ。でも読む価値もないわ。わたしが覚えている限りだと、騎手は筋肉を増やしてパワーをつけないとペガサスを御せないって主張しているのよ」
「バカじゃねえのか」
口が滑ったと思いながらも、訂正する気はなかった。
もちろんある程度のパワーは必要だが、それには限界がある。
人間がいくらパワーをつけても馬の力には勝てない。
ましてや軽量の騎手である。
体重制限も厳しい中で体重を増やしてしまいかねないパワー系トレーニングは避けて通るのが無難だと恭介は認識している。
「ペガサスに乗ってことのない人の意見ね。でも、ジュスタンさまの意見を本気で支持している記者やファンもいるからタチが悪いわ」
「こっちのアラが少しでも見えてしまうと、なにかとケチをつけたがるからなぁ。何かと理由をつけて自分の考えが正しいって勘違いするもんだ」
「馬券外した恨みかしら」
「かもな」
恭介が苦笑すると、プルネラも笑顔を見せる。
記者やファンの前で言えない愚痴を吐いて少し打ち解けた空気ができた。
「それで、ジュスタンさん、どうしたんだ?」
「どうしたって?」
「別にジュスタンさんの悪口を言いに来たんじゃないだろ」
「悪口言ったのはキョースケでしょ」
「それもそうか。って、揚げ足取りはいいからさ。こんなことを話しに来たんじゃないんだろ」
「そうね」
プルネラはまた脚を組みなおして、肘を膝について顎を手に乗せ、わずかに視線を逸らした。
どうも落ち着きがないように見えた。
話すべきことがあるのに、口にするのは躊躇っている観がある。
「キョースケ、今回の開催どうだった?」
目を逸らしたまま訊いてきた。
「どうって……レースにも勝てたし、俺としちゃ調子よかったかな」
「はぐらかすわね」
プルネラは伺うような視線を投げかけてくる。
「そんなんじゃない。ただ、いろんなことがあり過ぎてさ。どう総括したらいいっていうか」
「例えば?」
「そうだなぁ。ジャッドって人のことかな」
「ジャッド?」
「ほら、チフニーさんが唆したってオーリックが言ってたけどさ、なんで直接ベンに頼まなかったんだろ?」
「ジャッドが遠征に同行しないからでしょ。だから彼がベンをだましてトマトを入れさせたんじゃないかしら」
「調教師や馬主から直接頼まれたんならわからなくもないけど、たかが同僚だろ。そんな素直に従うかな。永久追放のリスクを冒してまですることか」
「そうね。たしかにそうだわ」
「あと、うーん、プルネラに言っていいかわかんないけどさ」
「なに?」
プルネラは頬杖を外し、両手を重ねた。
頭を掻いて斜め下に顔を向ける恭介をしげしげと見つめている。
「都合が良すぎないか?」
「なにが?」
「チフニーって馬主のことだよ。外国で事業するってオーリックが言っていたよな」
「ええ」
「で、今回のトマト混入事件だろ。なんか警察に捕まるまえに外国に逃げた犯人みたいな感じがするな」
「実際そうじゃない。ペガサス保護法違反でもあるから警察も捜査する可能性はあるわ」
「本当にチフニーさんの指示なのか?」
「なにが言いたいの?」
「ん、まあ……」
ジュスタン・タドカスターが間違いなく首謀者だと考えているが、決め手がない。
レースで恭介をマークするよう指示し、確実に勝つためにトマトを混入させた。
現にトマトを食べさせられたペガサスは出走取り消したり、状態を崩したりして負けた。
そのほとんどのレースでタドカスター調教場のペガサスが勝利を収めている。
チフニーを生贄に差し出してジュスタンは逃れた、と恭介は見ている。
チフニーはタドカスター調教場にペガサスを預託していたらしいので、所有馬の様子を見に馬主が顔を出しても不思議ではない気がする。
その折に、ジャッドと知り合い不正を企んだ、という筋書きを思いついてもおかしくないだろうか。
「キョースケは、ジュスタンさまが怪しいって思っているの?」
考えあぐねている恭介の心中を推し量ったかのように訊くプルネラ。
「正直、な」
不意に図星を突かれてつい言ってしまった。
プルネラからジュスタンにこのことが伝われば、さらなる妨害を企てもおかしくはなさそうだ。
反射的に言ってしまい後悔する恭介。
顔を俯けたとき、プルネラの笑い声が聞こえた。
「そうね。誰が見てもジュスタンさまが怪しいって思うわよね」
「プルネラも、そう思うのか?」
「憶測よ。証拠が何もないもの」
「そうか」
これ以上プルネラに訊いても無意味だった。
おそらくジュスタンはプルネラの知らないところで良からぬ企てを実行に移しているに違いない。
レースに対して真摯に臨む彼女がジュスタンと組んでいるとは思えなかった。
そして、恭介にはレースに乗ることしかできない。
たとえジュスタンが不正を行っても、それを掻い潜って勝利を掴むしかないのだ。
不正の追求は他の人に任せてレースに専念すべきだと思った。
「話は変わるけど」
プルネラが言うと、彼女は組んだ脚を解いて、靴の裏を床につけた。
両手を重ねて背筋を伸ばす。
元ヤンキーとしての雰囲気はなかった。
一人の騎手が大切なことを伝えようとしているふうに見える。
「わたし、もっといいペガサスに乗れるかもしれないわ」
「へえ」
「あまり驚かないのね」
「プルネラぐらいの腕があれば当たり前じゃないか?」
「褒めてくれるのね。ありがとう。でも、今すぐG1に勝つようなペガサスに乗れるわけじゃないし、いずれはってところかしらね」
「ってことは、まだデビューしていない素質馬をジュスタンさんがもっていて、そいつをプルネラに乗せるってことか?」
「そんなところね。それにジュスタンさんも調教方針を変えるって言ってたから、タドカスター調教場も少しは良くなるんじゃないかしら」
プルネラは少し首を傾げ、口に手を当てて目を細めた。
その仕草に、恭介は胸が轟いた。
元ヤンキーの過去を覆うように普段は取り澄ました風情を見せる彼女の、努めて隠していた本音が現れているように見えたのだ。
初めて恭介に心を開いてくれたのかもしれなった。
「やだ、キョースケったら、なにか疑っているの?」
「え、なんで?」
「顔が固くなっているわよ」
「そうか? 気づかなかったなぁ。で、話は戻るけど、プルネラがザ・バートレットに勝つのも時間の問題じゃないか?」
「そうだといいわね。でもね、わたしって意外と目先のことしか考えられないのよ」
プルネラはおもむろに椅子から離れると、立ちはだかるようにして恭介の前に立った。
そして上体を曲げ、恭介の瞳の奥を覗くようにして見つめてきた。
彼女の煌めく瞳に気圧されてのけ反りそうになる。
すると、プルネラは恭介の襟を軽く握った。
「まずはあなたを倒すことから始めるわ」
「つっても俺はまだ飛翔競走に乗ったことがないんだぞ。一方的にライバル視されてもなぁ」
「謙遜はいいわ。あなたならすぐに飛翔競走のG1に乗って勝つ。私はそう確信しているの」
プルネラの瞳に鋭さが現れる。
恭介を一人の異性ではなく、超えるべき騎手として狙いを定めているのだ。
――プルネラは……。
このことが言いたかったのか、と恭介はちらと思った。
ジュスタンの不正や謎はどうでもよかったのだ。
エレノアというライバルを失い、新たな標的として恭介に目をつけたに違いない。
真っ向から宣戦布告をしてくるプルネラに、恭介は好感を持った。
「なにがおかしいの?」
「そう来なくっちゃな。まどろっこしい陰謀とかはどうでもいいさ。俺は純粋にいい馬、いい騎手とレースがしたいんだよ」
不意に笑いがこみ上げてきた。
一人の騎手として認められ、超えるべき壁として存在する喜びが溢れてくる。
ガウンもアイヴァーも認めてくれたが、プルネラほどのライバル心を彼らから感じたことがない。
彼女のまっすぐな思いに恭介は応えたくなった。
「プルネラ、約束するよ。俺は飛翔競走に乗って、トップを取ってやる。プルネラの何倍も勝ってやるさ」
「言ったわね」
プルネラはさらに顔を近づけた。
すると、彼女の頬が膨らみ、不意にぶっと吐き出した。
「あはは、なんかおかしいわね」
襟から手を離し、勢いよく椅子に腰かけた。
あまりの変わりように恭介は呆気にとられた。
「失礼だな。俺なりにプルネラの想いに応えてやりたかっただけだぞ」
「ごめんごめん。でもね、大きいレースを勝ちたいのは本音よ」
「だから、ジュスタンさんのセカンドジョッキーになったんだな」
「ええ。わたしだっていいペガサスに乗りたいの。不正のことは抜きにして、使えるチャンスを使ったまでよ」
「そういうもんだよな。勝てる馬に乗せてくれるチャンス、活かさない手はないよな」
と恭介が言うと、プルネラは一瞬目を見張って意外そうな顔つきになった。
「どうした?」
「キョースケって意外とドライなのね」
「なんで?」
「ジュスタンさまたちがエレノアたちを追い詰めたって聞いてないのかしら」
「そりゃ知っているけどさ、だからと言ってプルネラが乗っちゃいけない決まりもないだろ。プルネラにとっちゃこれ以上ないチャンスなんだし。俺がどうこう言う資格なんてあるわけがない」
「……」
「たしかにジュスタンさんのせいでエレノアたちが大変なことになっているのはわかっている。けど走っている馬には何の関係もないし、騎手もそうさ。正々堂々、レースで勝ち負けを競う、それだけだろ、俺たち騎手がすることって。」
「そうね」
「もしかして、プルネラの方がエレノアに気を遣っているんじゃないか?」
「まさか。キョースケが言ったとおり、いいペガサスに乗りたいだけよ」
「なら、いつかはG1で勝ち負けを競うかもな」
「そうなるといいわね。あ、もうこんな時間ね」
プルネラは部屋の壁に掛けてあった時計に目を向けた。
時計の針はもう十時を回っている。
「入口まで送っていくよ」
と言って、ベッドから腰を上げる。
ふとプルネラに目を遣ると、目を細めていて、どこか寂しげな微笑に見えた。
――もしかしたら俺じゃなく……。
エレノアと競い合う未来を思い描いていたんじゃないか、と思った。
プルネラ自身の出世とエレノアとの約束に折り合いをつけてジュスタンのペガサスに乗ることを考えたのかもしれない。
友人を窮状に追い詰めた男のペガサスに乗ってでも、エレノアの願い――ザ・バートレットとグランドキングダムを叶えたいのかもしれなかった。
プルネラを入口まで送る途中、恭介は彼女の顔を一度も見ることができなかった。




