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宴のあと

 エレノアに限界が来ていた。

 招待された馬主たちと会話し、その度にグラスを空けていたのだから無理もなかった。


 ほとんどの馬主がスピレッタ調教場が人手不足であること、まだ勝利数が少ないことを理由に難色を示したものの、これからの成績次第では来年以降ペガサスを預けてもいいと言ってくれた。

 それなりの手応えを感じて機嫌を良くしたのか、エレノアの酒が進んでしまったようだ。

 なんとか立っていて招待客やブルーネレスキ卿に別れの挨拶をするまでは平静でいられた。。


 二人は祝勝会が終わったあと、ロビーのソファに腰を下ろしていた。

 緊張感が解けたのか、エレノアは背もたれに大きく背中を預けている。

 時おり首をこくりと動かしていて、いつ寝落ちしてもおかしくなかった。


 とても貴族令嬢の振る舞いとは思えず、恭介はどうしようか迷っていた。

 強引にエレノアを立たせると、下手をすれば醜態を晒してしまうかもしれず、迂闊に動かせなかった。

 せめてプルネラがここに来るまで大人しく待っていることにしたのだ。


 しかし一方で、この姿をあまり人に見られるのもどうかと思っていた。

 遅い時間とはいえ、ぽつぽつと客の姿がある。

 広く顔を知られているエレノアがだらしない格好しているのを見た人たちが、変な噂を掻き立てるとも限らない。

 受付にタクシーを呼んでもらってさっさとこのホテルを出た方が良さそうだったさそうだった。


 恭介も少し酒が入っていて、早く宿に帰って疲れを取りたかった。

 レースや査問委員会の聴取、それに祝勝会といろんなことが立て続けに起き、そのせいで疲れがピークに達していた。

 祝勝会の緊張感が解けたこともあって時おり眠気が襲ってくる。

 プルネラの約束は反故してしまうが、エレノアがこの状態ではまともに話せそうもない。

 後日謝ればいいと考え、今日のところは帰ろうかと思った。


「キョースケ」


 と一人の女性が近づいてきて声をかけた。


「プルネラ。帰ったのかと思ったぞ」


 やっと来てくれてほっとした。


「ごめんなさい。ここのレストランでお酒を飲んでいたのよ。パーティー、おつかれさま」


「疲れたのは俺じゃなくてこっちだけどな」


 恭介はだらしなくソファに座っているエレノアを指さした。


「ふふ、エレノアったら」


 プルネラは手を口に当てて微笑む。


「笑い事じゃねえっつうの。こんなとこ見られたら変な評判が立っちまうよ。まったく調教師なんだからもうちょっとシャキッとしてもらわないと」


「人前でこんなことする子じゃないのに」


「預託馬が増えるかもしんないから、嬉しかったんだろ。酒の飲み過ぎだよ」


「へえ、お手柄ね」


「ブルーネレスキ卿から何頭か預かることになっただけでも良しとすればいいのに、欲をかくからなぁ」


「うまくいったから少しは大目に見たら? それにエレノアが嬉しかったのは何も営業が上手くいったからだけじゃないわね」


「じゃあなんだって言うんだよ」


「たぶん、キョースケと一緒にいたからよ」


「へ?」


 思いがけない答えに驚き、恭介はもう一度エレノアに顔を向ける。


「この子、親しい人と一緒にいると気がゆるむ癖があるのよ。お酒が進んだのもそのせいね」


「そうかなぁ」


 スピーチにダメ出しをする彼女からそうは見えなかった。

 招待客たちと話しているときも、恭介と特別なやり取りをしたわけではない。

 エレノアはあくまで主戦騎手として恭介を見ていると感じていた。


 ――ん?


 と、ここで恭介は列車での彼女の振る舞いを思い出した。

 恭介と二人きりになると、寛いだ様子を見せていた。

 もしかしたら祝勝会でも恭介と一緒にいるうちに気が緩んで素の性格がひょっこり顔を出したのかもしれなかった。


「とにかく、エレノアを連れて行かないとな。プルネラ、悪いけどエレノアがこんな調子だからまた今度にしてくれないか」


「あら、別にあなただけでもいいのよ」


「俺?」


「そう。むしろあなただけの方がいいかしら」


「どういうこと?」


 意味がわからなかった。

 エレノアを呼び出しておいて実は恭介の方に興味があるというのか。


 ――もしかして。


 久々に下心が湧いてきた。

 プルネラの気性の激しさを内に秘めているとはいえ、エレノアとは違ったタイプの美女である。

 むしろ少々持て余すぐらいの女性も悪くないと、好色なオヤジのような気持ちが芽生えてきた。

 プルネラとの距離をここで縮めておく良い機会だと思った。


「わかった。でも、エレノアをこのままにしておけないから、俺たちの宿で話すか」


「そうね。じゃあ、タクシーに乗せましょう。まだ何台かと待っているはずだわ」


 プルネラはそう言って出口に向かった。


 恭介はエレノアの右腕を持ち、自分の首に回そうとした。


「ふえ? キョースケェ、なぁにするのぉ」


 エレノアの目が半開きになり、だらしなく間延びした口調で言った。


「ほら、帰るぞ」


 恭介は身体に力を入れて、強引にエレノアを立たせた。

 が、思いのほかエレノアが軽く、勢い余ってバランスを崩しかけた。

 そのとき、エレノアが両腕を恭介の首に回し、襟首を掴むとじっと恭介を見つめてきた。

 火照った顔色が妙に艶やかに映り、恭介は心臓を打たれた。


「もおぉ、しっかりしてよぉ」


 えへへ、とエレノアは幼げな笑い声をあげる。


「ほ、ほら。しっかりしろエレノア。すぐ宿に帰るからな」


「えー、プルネラはぁ?」


「プルネラも宿に来てくれるから。ほら、タクシー乗るぞ」


 恭介は引きずるようにしてエレノアを外へ連れていく。

 エレノアは両腕で恭介の首に強く抱きつきながらも見つめてくる。

 覚束ない足取りで出口に向かう途中、エレノアは顔を恭介の胸元にぴったりつけてきた。


「ありがと、キョースケ」


 突然、エレノアが言った。

 恭介は足を止めて彼女を見下ろした。

 エレノアははっきり目を開いて、まっすぐな視線を恭介に送ると、微笑を浮かべた。

 時が止まったかのような甘美な錯覚に陥ると、エレノアが視線を外し、恭介の胸元に顔を埋めるようにして寄せ付けた。


「エレノア?」


 と声をかけても返事がない。

 あまりにも無防備に抱きつくエレノアに戸惑うばかりの恭介。


「行くわよ」


 とプルネラが言ってきた。

 はっと前へ顔を上げると、すでに角張った車体のタクシーが停まっていた。

 プルネラが後ろのドアを開けると、恭介はエレノアを後部座席に乗せようとした。


「ほら、乗れ」 


 と声をかけ、エレノアの手首を取り、腕を解こうとするが上手くいかない。

 見かねたらしいプルネラも一緒になってエレノアを押し込めようとするが、思いのほか力が強くなかなか離れなかった。

 騎手を辞めたとはいえ、普段の調教や厩舎作業で身体を使っている分普通の女性よりは力が強い。


 ようやくエレノアが腕を離すと、今度は後部座席に寝転がる始末である。


「ほらほら、エレノア。さっさと奥に詰めて」


 プルネラは強引に後部座席に乗り込みエレノアの身体を起こして肩を抱き、尻で突き動かして奥に押しやった。

 女同士のせいか、遠慮がなかった。


 それを見てから恭介は助手席に乗り込んだ。

 中年の運転手がこちら見て、にやにや笑っていた。

 酔っぱらった女性の扱いに困る若者を見て面白がっていたらしかった。


「お客さん、どちらまで」


「『オルコック』って宿、わかります?」


「ええ」


「じゃあお願いします」


 恭介はシートに深く背をもたせて一息ついた。

 ふと後ろを振り向くと、エレノアが頭を窓につけ、艶な笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

 ブラウスの胸元がはだけ、谷間が見えそうだった。

 よく見ると、いつの間にかボタンをもう一つ外していたのに気づき、恭介はさっと前を向いて顔をそむけた。


 ――こんなにも……。


 酒って人を変えるもんなんだな、と思った。

 もしかしたら恭介が思ったよりもエレノアが気を許しているのかもしれない。

 もう一度振り向いてエレノアを見る。

 ところが目の端に映るプルネラが顔をしかめて睨んでいるのに気づいた。


 ――やばっ!


 自分の心を悟られたと思った。

 さっきまでプルネラが良いと思いながら、結局エレノアのことが気になる。

 女性は勘が鋭いから気をつけろ、と誰かから聞いた覚えがある。

 プルネラは恭介に好意を抱いていると考えるのは、十中八九勘違いだとわかっている。

 それでも、プルネラはエレノアと自分が比べられていると疑ったのだと、恭介は思ってしまう。


 バツの悪い思いをごまかそうと横を見ると、運転手がニヤけた面を浮かべたまま『オルコック』へ車を進めていた。


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