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スピーチ

 地に足がつかないとはこのことだろうか。

 ブルーネレスキ卿が普段の仕事とペガサス競馬を重ね合わせたスピーチをしているようだがあまり頭に入ってこない。

 恭介の両脚が棒のように固くなり、血の気が引いている。

 神経が遮断されたかのような感覚だった。


 時おり、招待客の笑い声が聞こえる。

 ブルーネレスキ卿が冗談を言ったらしい。


「では、ここでキョースケ・ハタヤマ騎手に挨拶をしていただきましょう」


 と言うと、ブルーネレスキ卿がこちらを振り向き、拍手をしながら後に下がる。


 恭介はなんとか足を動かして壇上の真中へ行く。

 ブルーネレスキ卿からマイクを渡れたとき、彼はにこやかに笑い招待客の方へ手を差し伸べた。


 恭介は招待客たちに視線を向けた。

 煌びやかに着飾った人々が興味津々に笑顔を浮かべて恭介を見ている。

 デビューして間もない若手が何を話すのか心待ちにしていた。


 前の方にいるエレノアに目を移した。

 彼女は細長いグラスを片手に、恭介の晴れ姿を嬉しそうに見つめていた。

 簡素なスーツ姿だが、華やかなパーティーでは一層際立っている。


 その姿を見て、恭介は少し気分が落ち着いた。

 一人でも知り合いがいると気が楽になるようだった。

 覚悟を決めて前を見据える。


「皆さま、お初にお目にかかります。先ほどご紹介に預かりました、えー、キョースケ・ハタヤマです。この度はブルーネレスキ卿にアーチャーズノートという素晴らしいペガサスに乗せていただき、えー、バロンクラウスカップに勝つことができました。ブルーネレスキ卿、ありがとうございます」


 恭介はブルーネレスキ卿に顔を向けて会釈をする。

 彼はにこやかに手を振る。

 それに合わせたのか、招待客たちからまばらな拍手が起きた。


 ――さて、ここから問題だな。


 ひとまず感謝の言葉を述べたが、それから先のプランは一切なかった。

 どんなことを話せばいいのか、と思ったとき、エレノアが口を動かしているのに気づいた。


 ――お、ち、つ、い、て?


 エレノアがそう口を動かしたように見えた。


 それを見てから、恭介は宙に目を遣って言葉を紡いだ。


「僕は普段、あのー、スピレッタ調教場でペガサスたちの調教やお世話をしています。人手が少なく、えー、ペガサスの頭数も少ないのですが、粒ぞろいのスタッフとペガサスが集まっていると感じています。あのー、特にエレノア・スピレッタ調教師はペガサスの扱いを教えてくれたり、僕の騎乗依頼を取ってきてくれたり、えーっと、それにレース本番の日には付添人をしてくれたり、彼女のおかげで、あのー、僕がレースに集中して臨めると、感じています。えー」


 エレノアのことに話が移ってしまったなと思ったが、ここで軌道修正できるほど器用ではない。

 仕方なくスピレッタ調教場のことについて話そうと決めた。


「皆さまご存じの通り、あのー、エレノア・スピレッタ調教師は騎手として、頑張っていました。調教師になってからはあまり振るいませんでしたが、それにもめげず、努力を積み重ね、あのー、ここ一ヶ月の間に三勝を挙げることができました。僕がむかし聞いた言葉に、『名騎手、名調教師にあらず』という格言があります。でも、あのー、スピレッタ調教師はその格言をいい意味で裏切って、えー、いるんじゃないかと思っています。えー、その、なんて言えばいいんでしょうか、ペガサスの扱いだけではなく、スタッフへの心遣いも忘れず、慈しみ? といえばいいのでしょうか。そんな優しい気持ちがあるからこそ、えー、スタッフもペガサスも彼女のために頑張ってやるっていう気持ちになるんじゃないでしょうか」


 たどたどしくなってしまった。

 途中であらぬ方向に目を向けたり、指で頬を掻いたりした。

 招待客たちの視線は恭介に定まったままで、感情が読みれない。


「ですが、あのー、スピレッタ調教場にはペガサスの数も少なければ、スタッフの数も足りません。もし皆さま方の知り合いでペガサス競馬に携わってみたいと考えている方がいましたら、えーと、スピレッタ調教場で働いてみるのも悪くないと思います。それに馬房に空きがあるのでペガサスを預けてみたいと思ったら、ぜひ、えー、スピレッタ調教場までご一報くだされば幸いです」


 スピレッタ調教場のアピールになってしまった。

 とはいえ、口にしてしまった以上、止めるわけにはいかなかった。


「なので、皆さま、えー、これからも撲、キョースケ・ハタヤマ、そしてスピレッタ調教場の応援よろしくお願いします。あのー、最後にブルーネレスキ卿、アーチャーズノートというすばらしいペガサスに乗せていただいたことに、えー、改めて感謝の意を示したいと思います。アーチャーズノートはいずれ、そのー、G1の一つや二つ、勝っても不思議ではありません。本日は誠にありがとうございました」


 纏まりなくスピーチを打ち切る恭介。

 それでもこの場の儀礼なのか、招待客たちから拍手が沸き起こった。

 恭介は後に引きさがると、ブルーネレスキ卿の顔が見えた。

 未熟な若者を見守るような笑顔で一瞥すると、前を向いた。


「それではみなさん、グラスを持ってください」


 ここで乾杯をするようだ。

 恭介はいつの間にか近くに来た従業員からグラスを受け取る。

 橙色の飲み物が八分目まで注いであった。

 蜜柑の酒かな、と思った。


「本日はありがとうございました。乾杯」


 とブルーネレスキ卿はグラスを掲げた。

 恭介も戸惑いがちにグラスを上げる。

 会場のあちこちからグラスを合わせる音が聞こえてくる。

 マルスク王国でも乾杯の習慣があるようだった。


「さあ、キョースケ君」


 とブルーネレスキ卿がグラスを差し出す。


「おめでとうございます。次はG1ですね」


「ああ、君が勝ってくれたおかげでチャンスが見えた。ありがとう」


 と言い、グラスを合わせた。

 ブルーネレスキ卿がグラスに口をつけたので、恭介もそれに倣ってひと口飲んだ。

 甘い香りが鼻腔をくすぐった。

 やはり蜜柑の酒で口当たりがよく、飲みやすいように造られていた。


「では、今日は楽しんで行ってくれたまえ」


「はい。ありがとうございます」


 恭介が礼を言うと、ブルーネレスキ卿は壇を降りて行った。


 恭介も遅れて壇を下ると、眼前にエレノアの姿があった。

 手にグラスを持っているがすでに蜜柑酒を飲み干していた。


「おつかれさま」


「疲れたよ、ほんと」


 見知った顔があるのにほっとして、つい肩をすぼめる。

 その仕草がおかしかったのかエレノアは微笑を浮かべる。


「なんか、うちの宣伝みたいだったわね」


「やっぱり?」


「もう、自覚してるなら途中で軌道修正しないと。もっと技術をアピールして乗せてくださいって言うぐらいでちょうどいいのよ」


「うーん、そんなもんか」


「そんなものよ。堂々としていないと風格が出ないわ」


「風格ねえ」


「そう、風格。これからどんどん勝っていくんだから、謙虚なだけじゃダメよ。却って馬主さんや調教師の先生方が不安になっちゃうわ」


「それもそうか」


「わかればいいわ。それよりも皆さんキョースケに興味があるみたいだから、一緒に挨拶回りするわよ。あと、えーとかあのーとか多すぎるから気をつけてね」


「はいはい」


 祝勝会を楽しむどころではなかった。

 重賞を勝つ騎手ともなれば、それなりに偉い人とも言葉を交わさなくちゃならないのかと思うと、気が重くなる。

 上手く相手に合わせてトークができるか不安だった。


「ほら、行くわよ」


 むしろエレノアの方が張り切っていた。

 恭介のスピーチにダメ出しをしたものの、良い宣伝になったと感じたらしく、ここで恭介を伴ってアピールするようだ。


 ――一流になるって……。


 大変なんだな、と思った。


「あの、エレノア・スピレッタ様」


 とここでホテルの従業員が声をかけてきた。


「なにかしら?」


「プルネラ・ハートレーさまがロビーにお越しです」


「プルネラが?」


 恭介はエレノアと顔を見合わせた。

 彼女もプルネラの来訪が意外に思ったらしく、首を傾げている。


「なんの用かしら?」


「お急ぎの用ではないとのことです。パーティーが終わるまでお待ちになるようです」


「わかったわ。ありがとう」


 とエレノアが言うと、従業員が下がって行った。


「なんだろうな?」


「さあ、ジュスタンのことかしら」


「なんかまずいことでもあったんじゃないだろうなぁ」


「うーん、とりあえず今は皆さんに挨拶しておかないと。それに途中で退出したらブルーネレスキ卿に失礼だわ」


「それもそうだな」


「まずは、パーティーを楽しみましょう」


 エレノアは空いたグラスに酒を注いでもらい、客たちと歓談するたびにグラスを空けていた。


 恭介よりもエレノアの方が祝勝会を楽しんでいるようだった。

 仕事絡みとはいえ、久々に晴れやかな場に招待されて浮ついている感がある。


 恭介は招待客たちとの会話で緊張してしまい、何を話しているのかわからないまま時間が過ぎて行った。


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