ジュスタンの計画 2 ※プルネラ視点
給仕が料理を運んできた。いきなりのメインディッシュである。
分厚いステーキにたっぷりとソースがかけられ、ガーリックパウダーがふんだんにまぶしてある。
とてもホテルのレストランで出すような料理に見えなかった。
ニンニクの臭いが鼻を打ち、プルネラは顔をしかめそうになった。
「さあ、食べるといい。騎手は体力勝負だ。精のつくものが良いと思ってな」
「ありがとうございます」
さっきまでの追求する姿勢はどこへやら、デインは嬉しそうに肉を切り分けた。
一方のプルネラは食べる気が起きなかった。
レースの後なので、こってり味の濃い食べ物を口にしたくなかった。
それに、ジュスタンの無神経さに腹が立ちそうになった。
仮にも女性に出す料理ではない。
騎手には精のある食べ物さえ与えておけばいいという短絡的な配慮も気に入らなかった。
「食べないのか?」
ジュスタンは怪訝そうに訊いてくる。
「いえ、いただきます」
「食べた方がいいぞ。身体を丈夫にしておくことに、越したことはない。なにしろ危険な仕事だ。怪我の防止にもつながる」
「そうですね。今日も落馬してしまいましたし……」
プルネラは空虚な言葉を口にし、仕方なく肉を切り分ける。
なるべく胃に負担をかけないように小分けにした。
「鐙革が切れてしまったんだな。もう少し馬具には注意を払った方がいい。だが、プルネラの責任だけではあるまい」
「………」
「スタッフの責任でもある。きっちり叱ってやらねば」
一瞬、ジュスタンの口調に笑いが混じった気がした。
プルネラはおもむろにジュスタン顔を向けた。
彼は口角を上げ、目に鈍い光を湛えていた。
「ジュスタンさま、もしかして……」
「なんだ?」
「いえ、なんでも」
ジュスタンの顔を直視できずに、顔をそむけてしまう。
――まさか……。
鐙革に細工をしたのはジュスタンなのか。
だったら何のために自分のお抱え騎手を危険な目に遭わせたのか理解できなかった。
「そうだ、プルネラ。一つ注意をしておこう」
「どうなされましたか?」
「お前がエレノアと仲良くするのは構わない。交友関係に文句を言うのは筋違いだからな。だがな、プルネラ」
ここでジュスタンはずいっと顔を近づけ、じっとりとプルネラを見据える。
「スタッフから聞いたぞ。エレノアとひそひそ話しているとな。わかっていると思うが、タドカスター調教場のメソッドを漏らすような真似はしないでくれ」
「………」
「なにしろ最新鋭の設備と調教技術を兼ね備えているんだ。外部に漏れたら私たちのアドバンテージが無くなる。レースを有利に運ぶには肝心のメソッドを秘匿しなければならない」
ジュスタンの言葉には裏の意味が隠されていると、プルネラは悟った。
一連の異変、間違いなくジュスタンが裏で糸を引いていたのだ。
そして、プルネラの鐙に細工したのはジュスタンの指示によるものだと確信した。
ではなぜ、落馬させようとしたのか。
――脅しのつもりね。
鐙の細工はジュスタンの警告だった。
度々エレノアやキョースケと話しているところを誰かが彼に密告したのだろう。
それが気に入らないジュスタンは余計な入れ知恵をしないよう鐙革に細工をし、なおかつこの場で念入りに脅してきたのだ。
脅しに屈するつもりはない。
元々男勝りの不良だったプルネラには負けん気の強さが心の奥底に根を張っている。
ただ、大人としての分別もあった。
ここでジュスタンを糾弾しても白を切るに違いない。
彼はまだ異変に関わっていたと明言していないのだ。
この場はぐっとこらえ、いつか確たる証拠を掴むしかこの男から逃れる術はないと悟った。
「ああ、それとデイン。お前も災難だったな」
ジュスタンは姿勢を戻して、デインに顔を向けた。
「なにがですか」
デインは慌ててステーキを飲み込む。
「最終レース、落馬しただろう」
「ああ、いや、大したことじゃないです」
「しかし、未熟な騎手を乗せるとは何を考えているのだろうな」
「…………」
「お前を落としたペガサス、あの馬主は私の知り合いでな。今度会ったらきつく言っておくとしよう。なにしろお前のような正義感の強い男を失いたくないからな」
「正義感?」
プルネラが訊いた。
「そうだ。デイン、お前はハタヤマの処分に不服だったようだからな。まあ、騎手としては理不尽な裁定に疑問を持つのは当然だがな」
ジュスタンは酒を飲み干すと叩くようにしてグラスをテーブルに置いた。
薄笑いを浮かべ、デインを見据えた。
デインの手が止まり、首を固められたかのようにテーブルを凝視した。
おそらく彼はジュスタンの言葉の裏に隠された意味を読み取り、下手なことはできないと察知したのだ。
――この人……。
裏切りを許さない気だわ、とプルネラは睨んだ。
エレノアやキョースケたちに与するような真似をしたら、お抱え騎手でも平気で傷つける悪辣な性がこの男に根を張っていた。
さらに、ジュスタンは秘密を共有してくれる仲間が何人もいるに違いなかった。
査問委員のオーリックはもちろん、他の関係者の中にもジュスタンの悪巧みに協力する連中がいるのかもしれない。
「ジュ、ジュスタンさん」
デインは強張った声をあげる。
「まだ何かあるのか?」
「いや、今回の開催、俺たちの邪魔をしてくる連中が多かったんですけど、あれはなんでですかね?」
「さあな。やはり、査問委員会の裁定が不可解だったのを快く思わなかったのだろう。偶然にも私の陣営が有利になってしまったからな。騎手たちの間に不満が溜まっても仕方のないことだ。この件に関しては、馬主たちから抗議されても仕方ないだろう。ならば、私から査問委員会に意見書を提出して是正するよう求めるしかない。でないと、私にあらぬ疑いがかけられてしまう」
ジュスタンはしかめっ面を浮かべて首を横に振った。
あくまで自分と査問委員会の繋がりがないと言いたげだった。
しかし、プルネラには事実を糊塗する人間特有の大げさな素振りに映った。
間違いなくジュスタンとオーリックは繋がっていると見るべきである。
――焦ったら、ダメね。
開きかけた口をぎゅっと結んだ。
この男を問い詰める材料が少なすぎる。
迂闊なことは言えないと胸の内で呟き、この場はあえて疑問点を口にしないようにした。
いずれジュスタンが馬脚を現すまで待つしかないと堪えた。
「あと、二人に言っておくことがある」
ジュスタンは改まった口調で言った。
二人はジュスタンに目を向ける。
「私はエレノアを諦めたわけではないぞ」
「たしか婚約を破棄したはずでは」
プルネラは驚きを隠せずに訊いた。
「ああ。婚約の件はお預けだ。もう一度キプロン伯爵を説得する必要がある。まったくあの人も困ったものだな」
ジュスタンは以前の醜態を省みようとせずに文句を言った。
「ジュスタンさま、一つお聞きしてもよろしいですか?」
プルネラには気になることがあった。
「なんだ?」
「たしか、ジュスタンさまのお父上マカベウス子爵とキプロン伯爵は仲が悪かったとお聞きしておりますが」
「ふふ、そうだな。今やだれもが知っていることだ」
「なのに、なぜキプロン伯爵はジュスタンさまとエレノアの婚約をお許しになったのでしょうか?」
「わからんな。ただ私が粘り強く説得したから、それが奏功したのだろう」
「それだけですか?」
「ほう、私がなにか汚い手を使ったというのか、プルネラ」
「いえ。キプロン伯爵はいきなり心変わりをしたと伺ったものですから、何がきっかけだったのか気になっただけです」
「人間の心なんぞ、そんなものだ。ある日急に考えを改めることだってありうる。私も本業の方で何人もそういう人間を見てきた。昨日まで首を縦に振らなかった連中が、商談の内容を吟味し、今日になっていきなりゴーサインを出す。そんなことの連続だ。もっとも相手が腹で何を考えているか、その詳細までは知らんがな」
ジュスタンははぐらかしながらも、自信に満ちた口調で言い切った。
――間違いなく……。
裏がある、とプルネラは思った。
いきなり考えが変わるケースなんて何度もあることかしらと訝る。
説得の最中に、キプロン伯爵が婚約を許さざるをえないネタをジュスタンは突きつけたのかもしれない。
そうでないと、キプロン伯爵が急に考えを改めるとは思えなかった。
「話を戻そう。今回の開催でエレノアの才能が改めてわかった。彼女は間違いなくペガサス競馬の天才だ。騎手としてだけではなく、調教師としても確かな腕を持っている」
ジュスタンは言葉を区切って酒を口につける。
「悔しいが、私の知恵だけではいずれスピレッタ調教場に追いつかれてしまうだろう。だから、少し方針を変えることにした」
「どうするんですか?」
「しばらく、バジルに調教を任せてみようと思う。その間、私も勉強し直してタドカスター調教場を発展させる術を身につけておく必要がある」
「そうですか」
バジルに調教を任せるなら、レースに支障はないプルネラは思った。
タドカスター調教場には素質馬が多い。
ジュスタンの横槍がなければ、いずれ大きなレースを勝てる見込みが出てきたと考えても良さそうだった。
「ジュスタンさん、ちょっと話を戻すんですが」
デインはいつの間にか心を落ち着けたらしく、肉を切りながら訊いた。
「どうした?」
「エレノアを敵視するとかえって逆効果じゃないですか。彼女に嫌われたら元も子もない気がするんですけどね」
デインは上目遣いで訊いた。
「いや、まずは完膚なきまで叩きのめす必要がある」
「なぜですか? お互いの調教場で交流を深め、技術を底上げする方法もあるはずです」
プルネラは心持ち声を高くした。
「ふふ、普通ならそうするだろうな。だが、スピレッタ調教場が評判を落とし、廃業に追い込まれるとなったら、エレノアはどうするだろうな」
「どうするって……」
プルネラの胸に再び嫌悪感が襲ってきた。
この男はまた卑劣な企てを講じる気だと思った。
プルネラは酒を呷るように飲み、気分を紛らわせようとした。
しかし効果がなく、却ってジュスタンに対する憎悪が増した気がした。
「ペガサス競馬に携わりたいのなら、私を頼るしかないだろう。むろんそのときは快く迎えてやる。自慢ではないが、私は多数の素質馬を所有する馬主でもある」
「待ってください、ジュスタンさん。だったら俺たちはどうなるんですか? 俺たちと契約を交わしておいてエレノアに良いペガサスを乗っけるなんてひどすぎますよ」
デインは声を荒げた。
「心配するな。お前たちにも分け隔てなく、乗せてやる。むしろお前たちの方に良いペガサスを回すといった方がいいか」
「と言いますと?」
「ふふふ、前代未聞の計画だよ。今は明かせないがいずれお前たちにも教えてやる」
ジュスタンはもったいぶった言い方をしてからグラスの酒を飲みほすと、ボトルを持って酒を注いだ。
個室なので給仕を呼ぶ手間を省きたかったらしい。
「エレノアを使って何かするということですか」
プルネラは溢れた猜疑心を隠せずにそう訊いた。
「そんなところだ。私はペガサス競馬でトップオーナーを目指している。馬主ならそう考えて当たり前だろうが、私の計画はさらに上を行く」
「上、ですか」
「マルスク王国のペガサス競馬界に一大帝国を築き上げるのが最終目標だ。かつてのキプロン伯爵や父上など足下に及ばないくらいのな。おっと、陳腐な言い方だったかな。くっく」
ジュスタンは気取ったふりをして目を瞑り、肩を上げて笑い声をあげた。
――また変なことを考えているわね。
プルネラは彼が腹に一物を抱えていると確信した。
リンウェルダウンズ競馬場の一連の異変から察するに、真っ向勝負で成り上がる気概が感じられなかった。
また新たな不正の手段を講じ、エレノアたちを貶めるに違いなかった。
いつしか食欲が失せたのに気づいた。
プルネラは、早くこの場を切り上げたかった。
その代わり、純粋にペガサス競馬に打ち込むエレノアとキョースケに会って穢れた心を注ぎたかった。
二人に会ってペガサス競馬のことを話せば、少しの間だけジュスタンの奸計から逃れられるような気がした。
会食が終わったあと、プルネラは二人に悟られないよう『ラタン』から離れた道に行き、タクシーを拾って『ゴールデンダン』へ向かった。




