ジュスタンの計画 1 ※プルネラ視点
『ラタン』最上階のレストランに着き、案内係に名前と用件を伝えると、中へ通してくれた。
ホテルのレストランにしては一風変わった造りで、いくつか個室がある。
廊下の奥にある個室の前まで通されると、案内係がドアをノックした。
「どうぞ」
と、中からジュスタンの声が聞こえた。
案内係がドアドア越しにプルネラとデインが来たことを告げる。
ジュスタンは二人に入ってくるよう促した。
中に入ってジュスタンの姿を認めるとプルネラは顔をしかめそうになった。
相変わらず趣味の悪い服を着ていて、それが洒落ていると勘違いしているようだ。
とても子爵の次男とは思えず、どこぞの成金が虚勢を張っているようにしか見えなかった。
そんなことを考えているプルネラをよそに、ジュスタンは気取ったふりをして背もたれに身体を預けていた。
思慮深く見える表情もどこか作った感じがして気に入らなかった。
「二人とも、よくやってくれた。中継でレースを観ていたぞ」
ジュスタンは口角を上げて笑みを浮かべる。
プルネラは直視できないほどの嫌悪感を覚えたが、ここで変な素振りを見せるとジュスタンがどう出るかわからないので、必死にこらえて平然を装った。
「おつかれさまです。ジュスタンさま」
プルネラは取り澄ました口調で言った。
「さあ、座りなさい。プルネラは私の隣だ」
さも当然のように言うジュスタン。
ちらとデインの方へ目を向けると、彼の顔が少し歪んで見えた。
「では、失礼して」
プルネラは席についた。
デインもジュスタンの向かいの席に腰を下ろす。
「ここの蜜柑酒は絶品だ。ぜひ飲んでみるといい」
「では、少々」
「俺もお願いします」
二人は厚意に甘える。
ジュスタンが呼び鈴を鳴らすと、給仕が二本のボトルと三脚のグラスを持って来た。
三人分の酒を注いでもらってから給仕を下がらせる。
ジュスタンはグラスの脚をつまむようにして持った。
「ご苦労だった」
乾杯の合図だった。
それを察した二人はグラスを持ってジュスタンのグラスに軽く当てた。
響きのない高い音が一瞬だけ耳に届いてから、プルネラは蜜柑酒に口をつけた。
「どうだ、かなりのものだろう」
ジュスタンは満足げに言った。
蜜柑の酸味と甘みが鼻腔を浸し、何杯でも飲めそうなくらい口当たりがよかった。
だが、プルネラは度数の高い蒸留酒が好みだった。
喉や胃が焼けるような強い刺激を感じないと酒を飲んだ気がしない。
不良だったころに背伸びをして安酒を悪友と飲んできた影響かもしれなかった。
甘い果実酒は幼く感じる。
「うまいですねぇ、この酒」
デインの舌には合ったらしく、すでに半分飲んでいた。
「そうだろう。プルネラはどうだ?」
「ええ、おいしゅうございます」
プルネラはお世辞を言った。
「ふふ、ずいぶんかしこまるじゃないか」
「そうでしょうか?」
「グレていた昔とは決別したわけか」
「…………」
「おっと、気分を害したならすまない。誰だって消したい過去はあるだろうからな」
うすら笑いを浮かべるジュスタン。
上っ面を撫でただけの謝罪にしか聞こえなかった。
「いえ。とんでもありません。わたくしも昔のことは反省しております」
「のわりには、短気だけどな」
デインがくっくと笑って茶化す。
プルネラは眉根をひそめる思いをしたが、懸命にこらえる。
この男、気を遣えるのか無神経なのかわからない時がある。
彼なりに親しく接しているつもりなのだろうが、人の機微に疎いところがあった。
「そうだな。プルネラ、お前はもう不良じゃないんだ。短気を起こして手を出すのは良くない。もっともそれぐらい激しくなければ女だてらに騎手なんか務まらんか」
「ジュスタンさま、一つ伺いたいことがあります」
彼の皮肉を無視して、プルネラは訊いた。
「なんだ?」
「わたくしの騎乗停止処分がリジャイナよりも短かったのは、なぜでしょうか?」
「なぜ私に訊く?」
「ジュスタンさまならそのあたりの事情をご存じなのかと」
プルネラは確信を持って投げかけた。
査問委員、特にオーリックがジュスタンの関係者に甘い処分を下しているあたり、何らかの便宜があるのではないかと考えている。
「さあな。私はなにも知らんよ。ただ、どうも不公平な処分だ。疑問に思うのも当然か」
「なにか心当たりでも?」
デインは残りの酒を飲み干してから言った。
「心当たりと言えば、心当たりか……」
ふむ、と声を洩らし、ジュスタンは顔を俯ける。
「どうかしましたか?」
とプルネラが訊く。
「いや。査問委員会は時おり、不可解な裁定を下す。委員の心証次第では処分の多寡に差が出ることあってもおかしくない。もっとも、好みで処分を決めている節もあるがな」
ジュスタンは煙に巻こうとしている。
冗談っぽく見せるためか、くっくと笑ってからまたグラスに口をつけた。
「でも、ジュスタンさんもきわどいことしますね。あ、もう一杯貰いますね」
デインが断りを入れ、自分の手でグラスに蜜柑酒を注いだ。
「何か言いたいことがあるのか? デイン」
ジュスタンの声音がわずかに荒い。
デインが言外に匂わせたのを気にしたらしかった。
グラスをテーブルに置くと、肘をついて両手を組み、口の高さまで手を上げる。
デインの心中を探るかのように目元が険しくなる。
「ベンを助けたことですよ。あのガキに何の価値があるんですか?」
「助けた? 私がか?」
ジュスタンは意外そうな目つきでデインを見つめた。
「オーリックって査問委員が言ってましたよ。ジュスタンさんが告発したおかげで、ベンの処分が軽くなりそうだから」
「とんでもない誤解だな。一介の馬主である私が、査問委員会に影響を及ぼすことなど有り得んよ。その人が勝手に判断を下したまでだ」
ジュスタンの口調に焦りが感じられなかった。
ただ、意外そうな目つきは消えていなかった。
――たぶん、オーリックの独断ね。
プルネラはそう思った。
二人の繋がりがあるにしても、綿密に打ち合わせをしたわけではなさそうだった。
オーリックは配慮したつもりだが、ジュスタンにとっては余計な真似をされたとしか思っていないのかもしれない。
「あと、ちょっと気になることがありまして」
「なんだ? なんでも訊くといい」
ジュスタンはうすら笑いを浮かべて言った。
「ジャッドなんて厩務員、タドカスター調教場にいましたっけ?」
「え?」
プルネラは思わず声が漏れてしまった。
査問委員会はジャッドがベンに指示を出してトマトを混入させた事実を突き止めたはずではないか。
「俺もタドカスター調教場に出入りするようになってからいろんなスタッフと顔を合わせましたけど、ジャッドって名前、聞いた覚えがないんですよ」
デインは一口酒を飲み、わざとらしく悠然とグラスを置くと、じっとりとジュスタンを見据えた。
悪事を働いた確たる証拠を掴んだと思って得意げになっている。
だが、ジュスタンの表情に変化はない。
顔色一つ変えず、デインを眺めている。
そして、淀みなく言った。
「調教場には何十人ものスタッフがいる。なにしろ二百頭以上預かっているからな。必然、スタッフの数が多くなる。私でも一人ひとりの顔を把握していない。お前が知らなくても当然だ」
二百頭以上、というのを言ったあたり、ジュスタンのプライドが窺えた。
様々な馬主から信頼を得ていると自慢しているのだ。
ジュスタンの表情が緩んだ。
出来の悪い警察官の取り調べを受ける犯人のように、デインの追求を躱す自信があるに違いなかった。
「でも、オーリックっておっさん、ジュスタンさまがジャッドをスカウトしたって言ってましたよ。知らないって言うのは無理があるんじゃあ……」
「ああ、そのことか。まったく顔が広いのも考えものだな」
「と、言いますと?」
プルネラが訊いた。
「たしかにジャッドをスカウトしたと申告したが、実のところ知り合いに頼まれたから奴を雇ったに過ぎん。ペガサス競馬関係の仕事に就きたいから伝手を頼って最終的に私のところに来ただだけだ。そういう人間が調教場にはたくさんいる。全員の顔と名前などいちいち覚えておらんよ。とはいえ、雇った私の責任でもあるから、査問委員会に申し出たがな」
「じゃあ、チフニーさんが直接ジャッドに依頼したっつうんですか」
「だろうな。デニスが私と契約をする前、チフニー氏は調教場によく足を運んでくださった。その際にジャッドと知り合って話を持ちかけたというところだろう。今回の開催、バロンクラウスカップを除いて注目度が高くなかった。不正を仕掛けても露見しにくいと考えたのではないか」
ジュスタンの口調は澱みが一切なかった。
グラスに口をつけ、蜜柑酒を一口飲む。
「わかりましたよ。ジュスタンさんがそう言うなら、事実でしょ」
デインはバツの悪い顔色を浮かべ、目を背けた。
どうやら追及を諦めたようだ。
――詰めが甘いわね。バカじゃないの。
と、プルネラは胸の内で毒づいた。
おそらくデインは、ジュスタンがリンウェルダウンズ競馬場の開催で続いた異変に一枚噛んでいると踏み、ジュスタンを脅しにかかったのだ。
オーリックによる恣意的裁定、トマト混入事件。どれもジュスタンの影がちらついて見えた。
デインは弱味を握ったつもりになり、ジュスタンを強請ろうとしていたのだろう。
例えば、知り合いの大馬主を紹介してもらい、良いペガサスに乗れる条件を突きつける気でいたのかもしれない。
だが、ジュスタンの方が悪党だった。
余裕をもって追求を躱しているところを見ると、かなり手の込んだ計画を企てたのだろう。
どんな切り口から責められても逃げ切れる手段を講じていたに違いない。
――それにしても……。
エレノアに張り倒されたときのジュスタンとは違う気がした。
プルネラは伝え聞いただけだが、あの時のジュスタンは稚気を丸出しにし、醜態を晒したと聞いている。
今のジュスタンにはそう言った素振りが一切見られない。
「あ、でも、ちょっと気になることが……」
と、デインは懲りずに付け加える。
「どうした?」
「いえ、今日の査問委員会にですね。デクスター・ロランドっていう爺さんがいたんですよ」
「ほう、元警察官僚だな」
「ご存じでしたか」
と聞いたのはプルネラである。
「貴族社会というのも狭いものでな。デクスターほどの大物なら誰だって知っている。ふむ、そうか。あの御仁が出張ってきたか」
ジュスタンは意に介していないようだ。
むしろ、挑むような笑みを浮かべている。
――この余裕はなに?
様々な疑惑がかけられているのにもかかわらず、ジュスタンは狼狽する様子を見せない。
いずれ心ある関係者から詰問されるだけの状況証拠は充分に揃っている。
デクスター・ロランドが出張ってきたともなれば、警察関係者にも捜査の依頼をしていてもおかしくない。
そのことは彼自身も理解しているはずである。
プルネラはジュスタンの腹積もりが読めずに平静を装いながら酒に口をつけた。




