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慣れない祝勝会

 リンウェルダウンズ競馬場を出発し、ダーシータウンという町に着いたころには空が真暗になっていた。

 分厚い雲が星月の明かりを遮り、今にも雨が降りそうだった。

 ダーシータウンは地方都市として栄えているようで、夜になっても人通りが多く、仕事終わりの人々で行き交っていた。

 これから真っ直ぐ家に帰る人や一杯ひっかけて帰る人もいるだろう。

 彼らの顔には仕事から解放された安堵が広がり、これから思い思いの時を過ごすに違いなかった。


 車窓に流れる町中の風景を見ていると、弧を描いた看板が目に入った。

 『ダーシータウンペガサス競馬場外投票所』と書かれている。

 しかもこの投票所の外観は目立ったものではなく、町の風景に溶け込んでいた。

 この国にありがちな石造りの建物なので、ぱっと見では場外馬券場だと気づきにくい。

 ペガサス競馬が人々の生活に浸透している結果なのかもしれなかった。


 タクシーは順調に目的地に向かっていた。

 やがてダーシータウンの郊外に差しかかり、やがて林道に入った。

 街灯が一切なく車のヘッドライトが進路を照らすだけである。

 車窓越しに木々に目を遣ると、その奥は全き闇に包まれていて、いきなり山奥に連れてこられたような感覚になった。

 一瞬、恭介はジュスタンたちが誘拐を企てたのかと勘違いをした。

 もちろんそんなことはなく、すぐに林道を抜け出て、煌々とライトアップされた建物に行きついた。


 ここがアーチャーズノートの祝勝会の会場である。

 『ゴールデンダン』と名付けられたこのホテルは外壁が茶色に染まっているものの豪奢な感じを与える不思議な建物だった。

 エントランスの前には何台か車が停まっている。

 どうやら祝勝会に参加する招待客のようだ。

 G3程度の祝勝会を催すには豪華すぎる場所のように思えたのだが、それを口にすると野暮ったく感じるので、恭介はあえて何も言わなかった。

 せっかくの厚意に授かったのだから余計なことは言わないようにしようと心掛けた。


 エントランスの前でタクシーから降りると、ドアボーイがこちらに気づき、にこやかな表情で入口のドアを開けてくれた。

 中に入ると、眩むほどの明るい照明が目に入り込んできた。

 恭介は一瞬怯んだように目を瞑り、ゆっくりと目を開けた。

 エントランスホールの真中には翼を広げたペガサスを模した石像があった。

 前脚を上げ、重量のかかった後脚には筋肉がくっきりと刻まれており、さらに翼が大きく広がって躍動感にあふれていた。

 どうやらこのホテルの名物になっているらしく、ペガサスの周りには何人かの客が囲んでいて多少の会話を交わしながら見物をしている。


 恭介はペガサスの石像に好奇心をそそられるも、エレノアが平然と先へ行くのでやむなくついて行った。エントランスの奥にある階段を上り、パーティー会場へと向かう。

 廊下を歩いてほどないところに受付があり、その担当者がエレノアと恭介の顔を知っていたらしく、招待状を見せることなくすぐに中に通してくれた。


 すでに多くの招待客がいた。

 立食パーティーらしく、まばらに置かれたテーブルに椅子はなく、かわりに両横の壁際には椅子が並んでいる。

 奥の壁際には段が設けられており、そこで馬主がスピーチを行うようだった。

 人々は勝利騎手の到着に気づくことなく、仲間たちと話している。


 ところが肝心の馬主がいないらしくエレノアが辺りを見回す。 


 その中、恭介は居心地の悪さを感じていた。

 華やかなパーティーに慣れていないせいだろう。

 どう振舞ってよいかわからずに、ただ入口の近くで右往左往するばかりである。

 誰かの話をかけようかと思っても、招待客の中にはエレノアを除いて知り合いは一人もおらず、どう接すればいいかわからない。


 ここに来て、レース前とは違う嫌な緊張感が胸の内を浸してきた。

 慣れていない華やかな場にいて悪くなりそうだった。


 ここから立ち去りたいと思ったとき、二人の元に杖を突いた老人がこちらへ近づいてくるのが目に入った。

 毛量の多い白髪を後ろに縛り、目尻に皺が深く刻まれ、瞼が下がり気味である。

 老年のせいか猫背になっていて、かなりの年配だと見受けられたが、足取りが軽やかで澱みがない。

 一応手に杖は持っているものの、ファッションの一部らしかった。


「キョースケ・ハタヤマだね」


 柔和な笑顔を携えて老人は言った。


「は、はあ」


 恭介は戸惑いがちに返事をする。


「あ、ブルーネレスキ卿。お久しぶりです」


 エレノアがブルーネレスキ卿に気づいて慌てた様子で挨拶をした。


「おお、エレノアではないか。ご活躍のようだな」


「ええ、キョースケのおかげで勝つことができました」


「ほう、そうか」


 ブルーネレスキ卿はおもむろに首を回し恭介を見つめる。


 ――この人がアーチャーズノートの馬主さんか。


 この世界に来てから一癖ある馬主にしか出会ったことがないので、穏やかな老紳士然としたブルーネレスキ卿と話して新鮮な気持ちになった。


「アーチャーズノートを勝利に導いてくれて、ありがとう。久々に良い思いができたよ」


「い、いえ。こちらこそ良いペガサスに乗せていただき、ありがとうございます」


 心持ち声が上ずる恭介。

 こういう煌びやかな場で馬主から感謝されることはないので、形通りのお礼しか出てこなかった。


 ここで、会場にいた客たちが恭介を見ているのに気づいた。

 正確に言えば、パーティー主催者のブルーネレスキ卿に目を遣っているのだろう。

 勝利騎手を讃える姿を見て和やかな雰囲気が会場に流れた。


「キョースケ、この『ゴールデンダン』はブルーネレスキ卿のホテルなの。設計も卿自ら設計なさったのよ」


 とエレノアは言う。


「あ、だからこのホテルでパーティーか」


 なぜG3を勝ったぐらいで豪奢なホテルで祝勝会をするのか理解できた。


 卿というからには貴族と思われたが、貴族といってもいろんな職業に就くんだな、と思った。

 考えてみればエレノアも貴族令嬢である。

 エレノアは調教師で、ブルーネレスキ卿は建築家、デクスターは元警察官僚と貴族だからといって一様に政治家や役人になったり、領地経営をしているというわけではないようだった。

 もっとも恭介は、地球の貴族制度すらろくに理解していなので比較するのは難しかった。


「ところでキョースケ君、スピーチは初めてかね」


「はい?」


 恭介は素っ頓狂な声を上げてしまった。


「そんなに驚かなくてもいい」


 ブルーネレスキ卿はかっかと笑う。

 煌びやかな場に慣れていない若者を面白がっているようだった。


「スピーチといっても簡単な挨拶だ。気を揉む必要はない」


「は、はあ」


 ――さて、どうすっかな。


 平静を装うも、内心不安でしかなかった。

 勝利ジョッキーインタビューなら多少たどたどしくてもなんとかなりそうだが、パーティーでのスピーチは勝手が違う。

 頭の中で原稿を練ってもいい言葉が思いつきそうになかった。


「エレノア、なにを言えば――」


 と横を向いて声をかけたが、いつの間にかエレノアがいなくなっていた。

 恭介が考えている最中に場を離れたらしく、招待客に挨拶をして回っていた。

 彼らはブルーネレスキ卿と付き合いのある馬主らしい。

 貴族令嬢、そして元人気騎手らしく場慣れした観があり、時おり笑顔を浮かべている。

 彼女もスピレッタ調教場にペガサスを入厩させるべく、営業活動を行っているのだ。


「どうしたのかね?」


 とブルーネレスキ卿が訊いてくる。


「いやぁ、何を話していいかちょっと思いつかなくて……」


 つい砕けた口調になってしまった。

 ブルーネレスキ卿はそれを咎めることもせず、またかっかと笑う。


「これも訓練の内だよ」


「訓練、ですか?」


「そうだ。有名になっていくにつれてこういう場で話す機会も増えるだろう。時にはメディア関係者も列席するかもしれんぞ」


「は、はあ」


「今回はクローズドの場だ。多少しくじったところで気にすることはない。ま、お下劣なネタは勘弁してほしいがな」


 と、ブルーネレスキ卿は冗談を言う。

 見た目とは裏腹に磊落な人柄のようだ。


「それとな。キョースケ君、アーチャーズノートについてだが」


「は、はい」


「次のレースも君に乗ってもらいたい」


「本当ですか?」


 もしかしたら、という思いもうっすらあったが、馬主から言われると弾んだ気持ちが抑えられなくなりそうだった。

 デビューして間もない新人に乗せてくれる度量の広さに感謝したかった。


「だが、どうかな」


「やっぱり、ルテリエ先生が反対しますか?」


「そうじゃない。実はヨーマンとの契約が残っていてな。こちらから破棄すると違約金を払わなければならないのでな。はて、どうしたものか」


 とブルーネレスキ卿は首を傾げる。


 恭介は彼のリップサービスだと感じた。

 勝利に導いた代役を称賛するのに継続騎乗の意思を匂わせたらしかった。

 とはいえ、恭介自身も次のレースに乗れるとは思っていなかったので、さほど気落ちはしなかった。

 気持ちを切り替えるだけの余裕はある。


「代わりと言ってはなんだが」


 とブルーネレスキ卿は思いついたように言葉を続ける。


「君はキプロン伯爵の専属騎手だったな」


「正確にはスピレッタ調教場の主戦ですが、それがなにか?」


「普段の調教も手伝っておるのだな?」


「はい。ですが、ペガサスによっては騎手が乗らない方がいい場合もあるので全部のペガサスに調教をつけるわけではないんですけど」


 以前、ニック・クレモントという馬主に言ったことを繰り返した。

 そう言えば、ニックの所有馬、パラダイスプライドはいつ入厩するのだろうかと思ったが、この場で口にすることではないので、胸の内に押し留めた。


「ふむ、そうか。実は一歳馬(イヤリング)のペガサスを所有していてな。そこそこ良い血統で期待もしている。丁度入厩先を探していたので、スピレッタ調教場に預けるのも悪くない」

「本当ですか? ちょっとエレノア、こっちへ」

 と恭介はエレノアを手招きして呼び寄せた。

 エレノアは不思議そうな顔つきをしてこちらに戻ってくる。


「どうしたの、キョースケ」


「ブルーネレスキ卿がペガサスを預託したいって」


「本当ですか?」


 エレノアの顔がぱっと明るくなる。


「ああ。たしかスピレッタ調教場のペガサスが二頭勝っただろう。エレノアの手腕が確かなものだと感じたのでな。それにキョースケ君が乗ってくれるなら心強いだろう」


「いえ、わたくしだけの力ではありません」


 エレノアは両手を前に揃え、背筋を伸ばしてブルーネレスキ卿をまっすぐ見据えた。

 その仕草に凛とした佇まいが感じられた。


「キョースケはもちろん、ロディ、ラモン、オリアナ、ミノル。スタッフみんなが懸命に努力を重ねた結果です。わたくしだけではとてもレースに勝つことはできません。現に遠征について来てくれたオリアナはパーティーに参加することなく、レースに出走したペガサスを調教場に連れて帰りました。ペガサスのことを想い、最善の行動を優先するスタッフたちを誇りに思いますわ」


「オリアナさんも来る予定だったのか」


「そう。今日ぐらい参加したらって誘ったら、早く帰らせてケアをしたいって言ったのよ。今ごろ列車の中だわ」


「それで、エレノアはここにいると?」


 ブルーネレスキ卿の目つきに光が帯びた。

 厩務員に任せっきりにした思われたらしく、エレノアが祝勝会に来ているのを怪訝に思っているようだ。


 しかし、エレノアは動じることなくブルーネレスキ卿を見据える。

 冴えた眼差しが美しく、力強かった。


「スピレッタ調教場はペガサスの数が足りません。ですから預託していただける馬主さまを探しているのです。このパーティーにも何人かいらっしゃるでしょう」


「ふむ、なるほどな」


 誤解が解けたらしく、ブルーネレスキ卿は顎に手を添えて思案顔を浮かべた。

 するとエレノアの姿をまじまじと見つめる。

 傍から見ると、下心丸出しの老人が若い美女の姿をなめ回している観がある。

 実際エレノアは一歩後ずさりして困惑気な表情を浮かべている。


 ――そういや、エレノアって……。


 スカートを穿いているのを見たことがないな、と不意に思った。

 祝勝会なのにいつも通りのビジネススーツを着ている。

 仕事とはいえ、あまりにも素っ気ない格好に見えた。

 せっかくの祝勝会なのだからドレスで着飾って美しさを際立たせてもいい気がした。


「調教師として、やるべきことはやっているわけか。わかった、もう一つ頼もうか」


「どうかされたのですか?」


「一歳馬のペガサスだけにしようと思ったのだが、気が変わった。現役馬を転厩させよう」


「ちょっと待ってください。いきなりそんなことを決めて大丈夫なのですか?」


 突然舞い降りた幸運に、恭介はエレノアに顔を向けた。

 彼女も目を見開いている。

 二人とも喜びよりも驚きが勝っている。


「タドカスター調教場に預けていたのだが、どうも上手くいかないようでな」


 ――ああ、なるほど。


 と恭介は思ったが、さすがに礼を失すると思ったので口にしなかった。

 それにしてもタドカスター調教場は色々な馬主から預託されているんだな、と恭介は改めて感じる。

 肝心の調教と管理はともかく、顔の広さを生かしてペガサスを集める手腕は秀でたものがあるらしかった。


「せっかくの期待馬を預けたのだが、今のところ未勝利でな。それに加え先日、スタッフに暴行しておっただろう。あの時からルテリエのところに転厩させたかったのだが、馬房の空きがなくて困っていたところだ」


「ルテリエ先生って少数精鋭ですものね」


「そうだ。こんなことなら初めからルテリエに預けておけばよかった。だが、エレノアに預けてもタドカスター調教場よりはマシだろう」


「マシ、ですか」


 どうやら消去法的な評価らしく、喜んでいいのかわからなくなった。

 だがエレノアはそう感じなかったらしく、目を輝かせていた。


「本当に、わたくしたちに任せていただけるのですか?」


「ああ、早速手続きに入るとしよう。さて、そろそろパーティーを始めようとするか」


 ニコッと笑ってから背を向けると、ブルーネレスキ卿は壇上に向かった。


「やったなエレノア」


「うん。キョースケのおかげよ」


「俺の?」


「なに言ってるのよ。キョースケがミスクララとウィントンで勝ってくれたからでしょ」


「エレノアたちが頑張ってくれたからだよ。競馬なんてレース前の準備でほぼ決まるようなもんだろ。いくら騎手が上手くても、調教がまずけりゃ勝てるもんも勝てない。エレノアたちが的確な調教をしてくれたから俺が勝てるんだ。そうだろ」


「キョースケ……」


 エレノアの目が潤んだように見えた。

 調教師としての手腕を認めてくれて嬉しさがこみ上げてきたようだ。

 その感情を隠し切れないかのように、頬が少し赤くなっている。

 エレノアは照れ隠しをするように目元を拭う。


「ううん。やっぱりキョースケのおかげよ。いい騎手がいなきゃ勝てないもの」


「そういうもんか」


「そういうもの」


 エレノアに微笑が浮かぶ。


「さ、パーティーを楽しみましょう。キョースケ、スピーチ、楽しみにしているわ」


「あ、ヤベ。全然思い浮かばねえや」


 恭介が頭を掻くと、エレノアがころころと笑う。


「大丈夫よ。招待客への挨拶、ブルーネレスキ卿への感謝の言葉を言えばなんとかなるわ」


「それに優秀な調教師兼付添人(バレット)のおかげってか」


「もう」


 エレノアはからかわれたと思ったのか、頬を膨らませる。

 でも彼女は目を細めていてどこかおかしげに見えた。


 ブルーネレスキ卿が壇上に上がるのが見え、招待客たちの視線が彼に集まる。


 とりあえず今はパーティーを楽しもうと思った。

 嫌な緊張感が拭えたわけではないが、敬語を交えて自然体で招待客の相手をすればいいと軽く考える。

 それぐらいの方が上手くいきそうだと根拠もなく思った。


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