査問委員会 2
「カワードさん。まだ話は終わっていません。騎手たちの乱闘騒ぎの処分、そしてトマト混入事件についてお聞きしたい」
アイヴァーが声を張って抗議した。
恭介は歩み出た足を止めて、アイヴァーに目を向ける。
彼がこくりと頷く。
「アイヴァー・コリンズ騎手、君の言いたいこともわかる。それにキョースケ・ハタヤマ騎手、君もいろいろと気になっているようだね」
デクスターは打って変わって穏やかな口調で言った。
「は、はあ。なんか、こう、有耶無耶っていうか、不公平っていうか、納得がいかないので。それに僕がベンを捕まえたので、ちょっと気になったものですから」
話を振られるとは思わなかったので、恭介はまとまらないまま言葉を紡いだ。
――あぶねえ、あぶねえ。
カワードが場を切り上げそうになって、怒りが頭をもたげてしまった。
せっかく軽い処分で済んだところ、感情に任せて迫ろうとした自分が情けなく感じた。
ふと、エレノアに顔を向けると、彼女は黙ったまま咎めるような眼差しを恭介に送っている。
もし恭介が手を出しそうになったら、止める気でいたに違いなかった。
恭介はバツが悪くなり、頭を掻いて誤魔化した。
席についてもエレノアが恭介を見つめている。
「もう、どうなるかと思ったわよ。処分が重くなったらどうするの」
小声で叱るエレノア。
「ごめん」
としか言いようのない恭介。
肩をすくめ、申し訳なさそうに横目でエレノアを見る。
「君たちの気持ちもわかるが、まだ調査が終わっていないのだ。オーリックが等閑な調査をしたせいでな。だが、カワード委員、差し障りのない範囲で聞かせてもいいだろう」
デクスターは皆の気持ちを汲んでそう言った。
「よろしいのですか?」
「これでは彼らも寝覚めが悪かろう。心配するな、私が責任を持つ」
「は、はい。では続けます」
カワードはそう言ったものの、戸惑いの色が滲み出ていた。
自分に与えられた権限の中で、どこまで話していいかわからないように見えた。
その様子を見たデクスターが彼の代わりに口を開く。
「まずトマト混入の件だが、オーリック主席一人で実行犯のベン、そして指示役のジャッドから聴取を行い、権限を用いて処分を下しそうだな、オーリック」
「は、はい」
一瞬デクスターに目を向けたオーリックは、彼の威圧感に耐えきれずにまた俯いた。
「単独で聴取したのもいただけないが、この男は、ベンとジャッド、それぞれ罰金千オーロで済まそうとした。査問委員としてはあるまじき行為だな」
「なぜですか? 二人がしたことは重大な不正のはずです。関係者たちが日夜懸命にペガサスを管理してきた努力を無駄にしたのですよ。その程度の処分で済むとお思いですか」
エレノアの語気が強くなる。
不当な処分を許す気はなく、恭介の怒りがエレノアに移ったように聞こえた。
その声が耳を打って恭介は思わず身体を横に傾けてしまう。
「それはなぜか。オーリック主席、話してもらおうか」
「はい」
オーリックは憮然とした返事をして立ち上がった。
すると、にわかにオーリックの顔つきが変わった。
以前のような傲岸な色を湛えつつあった。
「それはベンとジャッドが素直に白状したからです。二人とも事に及んだと認めました。ちなみに、このことはバジル・チャップル調教師のあずかり知らぬこと、二人が勝手にやったのです」
「ジュスタン・タドカスターさまは関与していないと」
エレノアが明瞭な口調で言った。
「もちろん、そのような事実はない」
「しかし――」
「スピレッタ調教師、落ち着きなさい」
デクスターが注意を与える。
「エレノア・スピレッタ調教師、憶測でものを言うのは良くない。貴方はタドカスター氏に含むものがあるようだが、事実を無視してはならないな」
オーリックはそう言い切ると、鼻を鳴らして笑った。
デクスターに制されたときの態度は鳴りを潜め、喋るうちに本来の気質が表に出てきたようだ。
――この余裕はなんだ?
オーリックも身内に疑いをかけられていることに気づいているはずだ。
でなければ、わざわざデクスター・ロランドのような大物がこの場に来るはずがない。
証拠が見つかっていないのか、隠滅したのか、それとも逃げ切る自信があるのか……。
「だがスピレッタ調教師、貴方のペガサスも被害に遭いそうになった。少しぐらい真実を教えてもいいだろう」
傲然な態度を崩さないオーリック。
もしかしたら誰かに追及されると予測して、あらかじめ科白を練っていたのかもしれない、と恭介は思い始めた。
「真実、ですか?」
とアイヴァーが訝しげな声音で訊いた。
「そうだ。ジャッドの後ろには黒幕がいたのだ」
妙に芝居っ気のある口調で言うオーリック。
もはやデクスターの圧力をものともしていなかった。
デクスターの眼光は鋭さを潜めつつ、成り行きを見守っていた。
「フレデリック・チフニ―。皆も知っているだろう。かつてはG1も勝ったことのある馬主だ。彼がジャッドを唆し、トマトを混入するよう仕向けたのだ」
「え」
知らない名前を聞き、恭介は思わず声が洩れた。
「待ってください。チフニー氏はなぜそのようなことを? 今回の開催で、所有馬を出走させていないはずですが」
アイヴァーが疑問を挟む。
「そう思うのも当然だな。だが、チフニー氏にはある計画があったのだ」
「…………」
「簡単な話だ。着順を操作しようと企てたのだ」
「操作?」
プルネラが訊いた。
恭介は、プルネラを見遣る。
彼女の顔には驚きの色が浮かんでいた。
よく見ると、プルネラは右手でズボンを強く握りしめていた。
自分が不正のおかげで勝てたのだと思い込んで悔しいのかもしれない。
彼女としては正々堂々とレースに騎乗し勝利を挙げたかったに違いなかった。
身内が犯した不正のせいで、汚された勝利を手にしてしまった自分が許せないと考えても不思議ではない気がした。
この場にいる一同に怪訝の色が浮かぶと、オーリックは嘲弄交じりに言葉を継ぎ足した。
「察しがつくだろう。着順を操作してやることといえばただ一つだ」
恭介たちを学の足りない底辺層と見なしているかのように聞こえた。
「馬券か」
と言ったのは、アイヴァーである。
「そうだ。チフニー氏は各レースの有力馬の体調を崩し、オッズの高いペガサスが勝つように仕向けたのだ。そのペガサスの馬券を買って大儲けをしようと企てた」
「いや、どうなんすかね」
恭介が口をはさむ。
「なに?」
「不確定要素が多すぎますよ。意図的に負かすことは可能でも、狙った馬を勝たせるってのは難しいですから。力の足りない馬がいきなり走る気を出したり、展開がハマって馬券に絡むなんてザラにあるし。出走馬のほとんどにトマトを与えない限り無理なんじゃないですか」
「ふふ、なるほど。思ったよりも賢いな」
オーリックは不敵な笑みを浮かべる。
突っ込まれるのがわかっていたようだ。
「賢くなくたってわかりますよ。で、実際のところどうなんですか?」
「ハタヤマ騎手が言った通り、この計画はあまりにも雑だな。当然、失敗したようだ。結果、ベン・クロード、ジャッド・クレイ、将来有望な二人の若者を犠牲にしただけになってしまった。まったく、かわいそうなことをしたものだ」
オーリックの口調に澱みがない。
調査に自信があるともとれるし、用意された筋書き通りに話している気もする。
「では、チフニー氏に聴取すべきではないですか? なぜそこまでわかって彼を放置しておくのかわたくしにはわかりません。彼をペガサス競馬から追放すべきです。このような不正、断じて許すべきではありません」
エレノアは強く主張した。
「スピレッタ調教師、貴方が怒るのも仕方ない。だが、チフニー氏はすでにマルスク王国にはいない」
「…………」
「現在、外国に移住し、新たなビジネスに取り組んでいるというのだ。ジュスタン・タドカスター氏からの証言だ。彼も気落ちしていたな。なにしろチフニー氏はタドカスター調教場にペガサスを預け、彼とは普段から昵懇の付き合いがあった。むろん、フレデリック・チフニー氏の馬主資格は剥奪する方向で調整している」
わざわざジュスタンの名前を出したあたり、関係性の無さを強調したようだ。
オーリックはわざとらしい困り顔を浮かべ、首を振った。
「それで、なぜジャッドはチフニーの口車に乗ったんですか? ベンの動機は聞きましたけど」
と、恭介は鼻白む思いを隠しながら訊いた。
「借金だよ。年老いた祖母の治療費が必要だったらしい。その弱みに付け込み、チフニー氏は話を持ちかけたということだ」
オーリックは顔を歪め、疎ましがるように言った。
胴でもいいことを聞くな、といった表情に見える。
「それと、先日の乱闘騒ぎについては変更ない。リジャイナ・ヴォルテール騎手は一ヶ月、プルネラ・ハートレー騎手は二週間の騎乗停止処分だ」
「しかし、不公平な処分かと思われます。処分を下すなら、プルネラとリジャイナ、二人とも同じにすべきでは」
アイヴァーがすかさず反論をする。
「たしかに前例ではそうだな。しかし、リジャイナ・ヴォルテール騎手の侮辱がなければ、プルネラ・ハートレー騎手は手を出すこともなく、ましてや控室を巻き込んだ乱闘に発展しなかったと判断し、ヴォルテール騎手の処分を重くしたのだ。ハートレー騎手、反省するんだな」
「……はい」
プルネラは不機嫌そうな声音で言った。
エレノアは友人ということもあるせいか何か言いたげだが、ぐっとこらえて俯いて我慢した。
アイヴァーも反論の余地がないというふうに首を振る。
「オーリック主席」
と黙って聞いていたデクスターが低い声で言った。
「クラブの規定に照らし合わせれば、ジャッドとベンの処分が軽いようだが、その点を再考する気はないのか?」
公爵の目つきが再びきつくなる。
「はい、これ以上彼らを厳しく咎めても意味がありません。これからは心を入れ替えて真面目にペガサス競馬に従事してくれるでしょうから」
「なら、ジュスタン・タドカスターをどうするつもりだ?」
「仰っている意味がわかりかねます。たしかにタドカスター氏の所有する調教場のスタッフが起こした事件ではありますが、直截的な責任があるわけではありません」
「貴様自身が今後どうなるかわかって言っているのだろうな」
デクスターは目を厳しく光らせ、挑むような口調で言った。
「さ、さあ。私は適切な裁定を下したつもりですが……」
オーリックはたじろいだ。
傲然な態度を保とうとして、身体に無理が出たかのように見えた。
「わかった。真実が詳らかになったとき、貴様がどのような顔をするか楽しみだな。カワード、今日はもう終わりにするとしよう」
とだけ、デクスターは言った。
「以上で査問を終えます。お忙しい中、ありがとうございました。調査の方は引き続き行います」
カワードが聴取の終わりを告げた。
淡々とした口調でありながら、一瞬厳しい顔つきになった気がした。
恭介たちは席を立ち辞去の挨拶を述べてから退出した。
――まだ、何かあるのかもな。
デクスターの言った通り、すべてを恭介たちに教えるというわけではなかった。
それに一連のトラブルにはジュスタンの影がちらついている。
あの男の調査をしている最中なのかもしれない。
とはいえ、恭介やエレノアがこれ以上首を突っ込んでも何もできないとわかっていた。
ジュスタンを追求するなら、言い逃れの出来ない決定的な証拠を掴むしかない。
その調査は、一介の騎手と調教師にできるはずもなかった。
あとは、デクスターやカワードのような心ある査問委員に任せるしかなかった。




