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査問委員会 1

 査問室の前まで行くと、最終レースの審議中だと言って入口前で待たされた。

 アイヴァーは長椅子に座り、その隣にエレノアが腰かけ、恭介は落ち着きなく廊下をうろうろしていた。

 プルネラとデイン、加害者側の騎手たちが最終レースの事象について査問委員からの聞き取りに応じている最中である。


 廊下は不気味なほど静まり返っていた。

 恭介の歩く足音も艶やかな赤いカーペットに吸収され、ほぼ無音に近い。

 壁に点々とかかっている照明器具に淡い暖色の灯が灯っている。

 蝋燭かランプかと思ったが、これも魔力を使った代物らしい。


 誰も言葉を発しないまま時間だけが過ぎていく。

 待たされている三人に焦りの色が滲み出ている。


 恭介は早いところ査問委員会と決着をつけ、異常事態の続いた開催が終わってほしいと密かに願った。

 査問委員会の不可解な裁定、トマト混入事件、ジュスタン陣営とのトラブル、控室での乱闘、七日間の開催でこれだけのトラブルが起きた。

 恭介自身はオーリックに暴言を吐いた以外に問題行動を起こしたわけでもないのに、とんでもないことに巻き込まれてしまったなと今回の開催を振り返る。

 アイヴァーとの死闘を繰り広げた心地よさがあるものの、いざその興奮が冷めるとトラブルばかりが思い出される。

 余計なことに気を回さずに騎手生活を送りたかった。


 重苦しい雰囲気が漂う中、ようやく査問室のドアが開いた。

 蝶番の軋む音に皆が反応する。

 ドアから加害騎手が出てきて、アイヴァーに一瞥をくれてからとぼとぼと去って行く。

 加害騎手には厳しい処分が下されたようだった。

 連れて出てきたデインは何も言わずに平然とした様子で恭介の目の前を通り過ぎた。


「お待たせしました。お入りください」


 中から査問委員のカワードの声が聞こえた。


「待て、カワード。今日はここまでだ」


 ドアの奥からオーリックの声が飛んできた。


「いえ、オーリックさん。きちんと説明しなければなりません。さあ、みなさんお入りください」


 以前のカワードとは違い、毅然とした口調だった。

 オーリックの権限に逆らえずに戸惑うしかなかったときとは全く印象が違っている。


「どうしたのかしら。ずいぶん強気みたいだけど」


 エレノアも同じことを考えてらしい。


「さあな。もしかしたら期待できるかもな」


「騎乗停止、取り消されるといいわね」


「せめて短縮だな」


 若干の期待を込めて査問室へ入って行った。


「あれ?」


 列席している面子が一人入れ替わっていた。

 たしか女性がいたはずだが、代わりに初老の男が鎮座していた。

 ごま塩頭を短く整え、目尻に皺が刻まれている。

 片肘をテーブルにつきながら、油断のなく目を光らせ、恭介たちに目を向けていた。


「あっ」


 と恭介は声を上げた。

 彼は、昨日この競馬場でウィントンの調教をしたあとに会ったデクスター・ロランドという元役人だった。

 あの時の柔和な印象とは違い、査問委員会の一員として謹厳な雰囲気を纏っていた。


「どうしたの?」


 とエレノアが小声で訊いてくる。


「あの人に会ったことがあるんだよ」


「デクスターさまに?」


「知っているのか?」


「貴族出身の元警察官僚。退職後にクラブの顧問を務めていらっしゃるのよ」


「すげえ人なんだな」


「たぶん、査問委員会に不審を抱いて足を運んでくださったんだわ」


 エレノアの声が心持ち固く、緊張感が滲んでいた。

 貴族出身の元警察官僚という社会的地位に敬意を表せざるを得ないのかもしれない。


 恭介は改めて査問委員たちを見回した。

 その中でひときわ目立っていたのがオーリックである。

 腕を組んで背もたれに寄りかかり、憮然とした表情を浮かべている。

 自分より立場が上のデクスターがいて、権限を振るえないのが不満らしかった。


 隣にいるエレノアはもちろん、アイヴァーとプルネラも力むほど背筋を伸ばしていた。

 プルネラは怒りをどこかへ押しやったようで、緊張した面持ちで前を見ていた。

 やはりこの場の空気を支配いるのはデクスターのようだ。


「どうぞ、お座りください」


 カワードが促す。

 この場の主導権は彼が握るようだ。

 おそらくデクスターの後押しがあるに違ない。

 以前とは打って変わってどこか自信が滲み出ている。


「アイヴァー・コリンズ騎手組合会長、ご足労いただき、感謝します」


 カワードが丁寧な口調で言った。


「こちらこそ、意見を申し上げる場を設けていただき、ありがとうございます」


 アイヴァーの口調も格式ばったものになる。


「さて、今回の開催、様々なトラブルがありましたが、まずはどれから説明いたしましょうか?」


「そうだな、決定事項から説明するのが良かろう」


 デクスターがカワードに視線を向ける。


 それに対しオーリックは不満げに顔を歪ませてカワードを見つめている。

 口を挟みたいがデクスターの存在がそれを許さないらしい。


「わかりました。それではまず、開催初日に下されたハタヤマ騎手の処分について報告いたします」


「…………」


「映像を確認したところ、キョースケ・ハタヤマ騎手に軽度の過失があったことを認めます」


「ちょ」


「待ってください!」


 エレノアが恭介を遮って声を張り上げた。

 むしろ彼女の方が憤っている感がある。


「ハタヤマ騎手の騎乗はルールの範疇に収まるはずです。たしかに馬体は接触しましたが、落馬とは関係ありません。ヴォート騎手が故意にレースを放棄し、落馬したのです」


「スピレッタ調教師、言葉を慎みたまえ」


 デクスターが悠然とした口調で注意した。

 元警察官僚にふさわしく威厳も兼ね備えた低い声音である。


「ですが――」


「最後までカワード委員の言うことを聞きなさい」


 反抗期の子どもをいなすかのようにデクスターは宥める。

 彼はカワードに目配せをした。

 カワードはそれに応じて頷き、こちらに顔を向ける。


「ハタヤマ騎手は進路取りを誤り、馬体に接触しました。しかしその事象と落馬との因果関係を認めることはできないと判断し、処分の見直しを検討致しました」


「騎乗停止処分は取り消しということでしょうか?」


 恭介は弾む気持ちを抑えて訊いた。


「ですが、オーリック主席に対し、声を荒げたことにつきましてはペガサスレーシングクラブに所属する騎手としてふさわしくない行為だと判断いたしました」


「…………」


「よって、キョースケ・ハタヤマ騎手に明日、明後日の二日間、騎乗停止処分を申し付けます」


「二日間ですか?」


「なにか異議でもおありでしょうか?」


「いえ、思ったよりも軽いなと思って……」


「いやいや。たしかにハタヤマ騎手は暴言を吐いたが、それはこちらに非があってのことだ。本来なら下されるはずのない処分を下したのだからハタヤマ騎手が怒るのも無理はないという判断だ。いわば情状酌量の余地ありと見なし、軽い処分で済まそうというわけだ」


 デクスターが穏やかな口調で付け加える。


「寛大な処置、ありがとうございます」


 恭介はおもむろに席を立ち、頭を下げた。

 気づかぬうちに右手を強く握っていた。

 小躍りしたい気持ちを抑えて丁寧に振舞うよう心掛けた。


「キョースケ」


 再び席につくと、エレノアが小声で話しかけてきた。


「よかったわね」


 横目で見ると、エレノアがほっとして微笑んでいた。


「ああ、なんとかな。騎乗予定の方は大丈夫か?」


「二日間なら問題ないわ」


「そうか」


 言葉少なに喜ぶ恭介とエレノア。


「次に、先ほどのハートレー騎手の落馬についてですが、これはあなたたち全員に証言していただきます」


 カワードが粛々と場を進める。

 恭介、アイヴァー、エレノアの三人が異口同音に鐙革のちぎれ方が不自然だったと証言する。

 プルネラも自分が鐙革をチェックしたときは、何の異常もなかったと告げた。


「それは誰かが故意に切れ目を入れたということですね?」


「その可能性があります。鐙革の劣化だけではあのように切れるとは思いません。おそらく装鞍後にやったと思われるのですが、はっきりしたことはわかりません」


 アイヴァーが淡々と述べる。


「承知しました。その件については詳しい調査が必要ですね」


「やらなくていいのでは?」


 とここでやっとオーリックが口をはさんできた。


「なぜですか? オーリック主席」


「装鞍してから馬具に細工するには人目が多すぎてできないだろう。だから――」


「貴様は黙っていろ」


 突然、デクスターがドスの利いた声を鳴り響かせた。

 眼光がより一層鋭くなり、刺すような目つきで主席を睨みつける。


 それを見た主席は肩をすくめた。

 以前のような傲岸な態度は鳴りを潜め、情けないほどに項垂れた。


 ――すげえ迫力……。


 さすが元警察官僚と言ったところだ。

 目を合わせていない恭介でさえ胸を衝かれたのだ。

 ちらと横を見るとエレノアたちも顔を俯けている。

 あの気性の激しいプルネラでさえ身体をすくめている。

 たった一言で場を凍りつかせるあたり、デクスターが警察官僚としてどんな仕事をしてきたのかが察せられるようだった。


「話が逸れてしまいましたね。では、馬具に細工した人物がいたのか、調査する方向で検討します」


 カワードの声も心持ち震えていた。査問委員として怯えた様子を見せないように気張っていて、身体に余分な力が入っているようだ。


「以上です。ご足労いただきありがとうございました」


 カワードは出し抜けに言うと、恭介は絶句した。

 他にもトマト混入事件、騎手たちの乱闘騒ぎがあったはずである。


 それにジュスタンが不正に絡んでいる疑惑はなったのか。

 査問委員会はあの男を放置して無罪放免にして、庇う気なのか。


 有耶無耶にしたまま幕引きを図るのを許せなくなり、恭介は無意識の内に席を立ち、前へ進み出た。


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