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開催最後のトラブル

≪各馬、一斉にスタート。横一列、きれいに揃いました。まずなにが――え、あ、あーっと、一頭落馬。九番タフマインド、落馬です。どうしたんでしょうか。プルネラ・ハートレー騎手、いきなりバランスを崩したように見えます。

 まず七番マインゴーシュが先頭に立つところ、外から促して五番ロングトリルがハナを叩き、え、あ、もう一頭落馬です。十二番オールドマジックも落馬、これは大変なことになりました。鞍上のデイン・レギュラス騎手、大丈夫でしょうか。さあ――≫


 控室で観戦していた三人は示し合わせたかのように押し黙った。

 恭介は言葉を発しようと思っても喉が上手く動かない。

 プルネラとデイン、ジュスタンのペガサスに跨る二人が落馬したのは偶然なのだろうかと思ってしまう。


 デインの方はまだ言い訳が通じる。

 今回のケースではオールドマジックが十番の尻を顔に当てられて走法を乱し、つんのめって転倒した。

 結果デインは馬場に投げ出され、芝の上を転がった。

 騎手の不注意が生んだ落馬事故だが、ありえないケースではない。


 不可解なのはプルネラの落馬である。

 恭介が見た限り、鐙革が切れて落ちたように見えたのだ。


 ありえない事故である。


 馬具の点検は念入りに行うのが当たり前だ。

 調教やレース中に馬具が切れてしまう事態に陥ると、落馬する確率が跳ね上がり、後続の馬が巻き込まれる恐れもある。

 もちろん騎手が大怪我してしまう危険性もはらんでいる。


 現にプルネラは、スタート直後にガクッと体勢が下がり、落馬してしまった。

 スタート直後のスピードに乗る前に落馬したのが不幸中の幸いだった。


 モニターの画面はレースの成り行きを映している。

 二人がどうなったのか気になるものの、救護係が適切に対処してくれると思い、レース観戦に専念した。

 飛翔する際の手綱捌きに注目する。


 恭介は無意識の内に似た動きをしていた。

 モンキー乗りで飛翔競走をこなすことを見据えながら、両手を動かす。


 飛翔エリアに進入し、手綱を強く振って離陸準備に入る。

 ペガサスは四肢を地面から完全に離した瞬間、急加速をする。

 その動きに合わせて両方の鐙を後ろに流し、腰を落として前傾姿勢を取る。

 生垣の上を通過するため、手綱を持ち上げるように動かしながら持ち上げる。


 おおよそのイメージを掴み、もう一度モニターに目を遣った。

 各馬空を駈けながらレースを進める。

 凄まじい風の抵抗を感じながら走っているに違いない。

 特に騎手の負担はかなりのものだろう。

 上体を起こす天神乗りではなおさらである。

 勝負服を激しくなびかせ緑と黄の埒で区切られたコースを駆けてゆく。


 コーナーを曲がる際、遠心力に負けないように、騎手たちは内側に大きく身体を傾けた。

 レースが進み、各馬着陸態勢に入る。

 ここでのポイントは急激に高度を下げないよう気をつけることだ。

 ペガサスの落下スピードに任せすぎると、激しい空気抵抗に身体が耐えきれず、鐙から脚が離れてしまい、悲惨な落馬になる。

 いくら緩衝魔法があるとはいえ、怪我をしない保証はどこにもない。

 スピードを保ちつつ徐々に高度を下げなければならない。 


 レースの途中で落馬をしたペガサスを除いて、各馬順調に着陸を行う。

 土の塊がいくつも飛び、、後続のペガサスに当たる。

 それでも怯むことなく騎手を乗せたペガサスはゴールへ向けて芝の上を駆けだす。


 着陸の瞬間も危ないな、と恭介は思い出す。

 地面に脚がつくと、離陸時とは逆に急減速を行うので、前方に投げ出されないよう後ろに体重をかけて落馬を防ぐ。

 それから平地競走と同じくゴールまで芝の上を駆け抜ける。


 なんとなくイメージはつかめたが、まだわからないことがある。

 やはり練習場で飛翔に慣れ、何度もレースをこなして感覚を掴むのが得策だ。


「真面目だな」


 とアイヴァーの声が耳に入った。


「え、あ、いやぁ」


 恭介は照れ笑いを浮かべる。

 イメージトレーニングのつもりが両手だけではなく、身体まで動いてしまったようだ。

 椅子から腰を浮かし、モンキー乗りの姿勢になっていた。


「飛翔競走でもモンキー乗りをするのか?」


「はい。今さらスタイルを変えることなんてできないっすから」


「ペガサス競馬に革新をもたらす、か。あながち妄言とも言えんかもな。ん? エレノアは?」


 とアイヴァーが聞いてきたので、エレノアの席に目を遣った。

 レースに集中するあまり、控室から出て行ったのに気づかなかった。


「落馬があったからですかね」


「かもしれんな。どれ、様子でも見に行くか。キョースケ、お前もついてこい」


「俺も?」


「嫌な予感がするとは思わんか?」


「鐙が切れるなんて普通じゃないっすからね」


「ああ」


 アイヴァーはすっくと席を立ち、足早に控室を出て行こうとする。


 恭介もそれに続いた。

 さすがに心配し過ぎではないかと思う一方、鐙革が切れたことといい、デインが悪質な妨害に遭って落馬したこともあってもう一悶着起きてもおかしくない気がしてきた。


 レースはすでに終了しており、あとは到達順位の確定を待つだけになった。

 バロンクラウスカップを終えて少し観客の数が減ったが、それでも最後の一勝負を楽しもうと多くの観客が残っていた。

 馬券の当たり外れに一喜一憂する人、落馬した二人を心配する声、オケラ街道を歩くのようにとぼとぼ競馬場を後にする人等々。


 アイヴァーは脇目も振らずコースに入って行った。

 ほとんどのペガサスが引き上げたあとだったので入っても問題ないようだ。

 恭介もそれに倣って埒の下をくぐり、馬場に入る。


 プルネラとデインが落馬してから時間が経っていたが、二人は内馬場に退避し、なぜかそこで待機している。

 よく見ると救護班が診察をしているようだが、もう一つおかしなことがあった。


 エレノアがプルネラの乗っていたペガサスを確認していたのだ。

 馬は痛がる素振りを見せず、重大な故障をしたわけではなさそうだ。

 周りにいる職員たちが止めようとするがエレノアは退く気配がない。


「エレノア」


 恭介は異変を察知し、足を速めた。

 近くまで来ると、彼女が職員の身体越しにペガサスを見ているのが目に入った。


「スピレッタ調教師、あとは我々が」


「いえ、これは見過ごせないわ」


 エレノアは職員の言葉に耳を貸さない。

 真剣な眼差しでペガサスを見ながら近づこうとする。


 その傍らで、アイヴァーがデインの元に行き、声をかけた。

 プルネラも芝の上に腰を下ろして職員と話をしている。

 落馬した二人は大丈夫そうだ。


 観客のざわめきが大きくなった。

 アイヴァーと恭介に気づいた観客たちからどよめきが起きる。

 特に騎手組合会長のアイヴァーがスーツ姿で現れたものだから、緊急のトラブルが起きたのかと不安になったらしい。


 その声をよそに、恭介は言い合いをしているエレノアと職員の隙を突いてペガサスの横に近づいて、鐙を確認した。


「ん?」


 鐙革の切れ方に、違和感を覚えた。

 切れ端の右側から半分がきれいに切れているのに対し、残り半分の切れ目が毛羽立ったように見えた。

 切れていない部分もひび割れが一切しておらず、むしろ新品に近い質感がある。


「この鐙……」


 嫌な予感を通り越して確信した。

 せっかくペガサスレーシングクラブの職員がいるのだ。

 エレノアや彼らと一緒に見てもらい、悪辣な輩がいることを認めさせたかった。


「こら、君。勝手なことするんじゃない」


 職員の咎める声が聞こえ、肩を掴まれた。

 だが恭介は、切れた鐙革から目を離さない。


「ちょっといいですか。見てください」


 恭介は後ろを振り向いて職員に声をかけた。

 職員は不機嫌そうにため息を吐き、鐙に顔を近づける。

 そして鐙革をチェックすると、一瞬で表情が固まった。


「まさか……」


 言葉の出ない職員。

 彼も悪質な不正に気付いたようだ。


「キョースケ、来てたの?」


 と、エレノアの声がした。

 振り向くと、職員たちと一緒にこちらに近づいて来る。

 ペガサスの横には何人もの人だかりができた。


「ウソでしょ……」


「たぶん、そうだよな」


「悪質だわ」


 エレノアと恭介の考えが一致したようだ。


「すぐに査問委員会に報告だ」


 と、誰かが口を開く。


「だから、あの鐙は細工されていたのよ!」


 いきなりプルネラの怒声が聞こえた。

 その方向へ目を遣ると、救護班が宥めようとしてもプルネラはそれを制し、立ち上がるところだった。


「なにかあったのか?」


 と、アイヴァーが駆け寄ってくる。

 デインも近づいてきた。


 その場にいた関係者がペガサスの左横に集まった。

 恭介は鐙革を手に取ると、切れ目を指さしてこう言った。


「これはプルネラを落馬させるために、誰かが細工したんです」


 恭介の断定口調に、皆がざわめく。


「見せてみろ」


 アイヴァーが近づき、切れた鐙革をつぶさに見つめる。


「キョースケの言う通りのようだな」


 アイヴァーの顔に深刻な色が浮かぶ。


 職員たちが次々と鐙革を確認し始める中、恭介はエレノアと一緒にその場を離れた。


「誰がやったのかしら?」


「細工できる奴は限られているからな。犯人はすぐに捕まるだろ」


 恭介がそう言い切ったのは、鐙革に触る機会があるのは騎手、調教師、厩務員、装蹄師ぐらいだと思ったからである。

 装蹄をし、装鞍所で鞍をつけ、パドックを周回し、本馬場に入場する。

 これらの間に切れ目が入れられたのだと簡単に推察できる。

 プルネラに自傷願望がない限り、彼女が自ら細工したとは考えにくいので騎手は除外して良さそうだ。


 だが、ここで一つの疑問が浮かぶ。


「身内がやったのか?」


 そう、鐙革に細工を仕掛けられるのは被害に遭ったペガサスの関係者のみだと思われた。


「でもなんのために? プルネラに危害を加える理由なんてないはずだわ」


「わからないな」


 そこで二人は口を噤んでしまった。


「エレノア、キョースケ」


 と、アイヴァーが深刻な口調が耳に入った。


「査問委員会のところへ行くぞ」


「俺らもですか?」


「証人が必要だ。なるべく多い方がいい。もちろんプルネラも一緒にな」


 とアイヴァーは後ろを振り返りプルネラを見た。

 彼女は怒りのあまり押し黙ってしまったようだ。

 腕を組み、眉根をひそめて職員たちが鐙をチェックするのを見ている。


「それに、お前の騎乗停止の件もあるしな。意見書の回答がまだ届いていないから、ついでに訊きに行こうか」


「そういや、まだ何も聞かされていないな」


「回答があまりにも遅すぎる。いい機会だ。この開催、査問委員会は疑惑が多すぎるし、いろいろ問い質してみるとするか」


 アイヴァーは会長としての責務を果たす気でいる。

 おそらく彼が全レース終了まで残ったのは、査問委員会と直接話し合う場を設け、様々な疑惑を追及するために違いなかった。


「査問委員会はどう判断するかしら」


 エレノアの口調に不信感が滲み出ている。


「さあな。とりあえず、オーリックの奴を問い詰めてみるのも悪くないんじゃないか」


 恭介は査問委員会と対峙する心構えができていた。


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