アイヴァーの疑問
インタビューと写真撮影が終わり、ルテリエやパウルたちと挨拶を交わしたあと、控室に戻った。
まだ最終の第九レースが残っているが、これは飛翔競走である。
リンウェルダウンズ競馬場七日間の開催、恭介の騎乗はもう終わっている。
最終レースともなると帰路についた騎手がほとんどなので、控室の中は静かだった。
ただ一人、アイヴァーが椅子に腰かけていいる。
騎手組合の会長として何かしらの残務があるのかもしれない。
すでに着替えを終えてスーツ姿で椅子に腰かけ、『ベイヤードスポーツ』に目を通していた。
「おつかれさまです」
恭介は後ろから声をかけた。
「お疲れさん。お前にはやられたよ」
アイヴァーは笑みを浮かべる。
負けたとはいえ、全力を尽くして後悔はないようだ。
それにG1への前哨戦だと割り切っている節がある。
「運が良かったんすよ。アーチャーズノートがちゃんと首を伸ばしてくれたから勝てたようなもんですから」
「そうとも言い切れんぞ。あの差し返し、お前の手綱さばきがあってこそじゃないか」
「次もうまく行くとは限りませんよ。それに、次走は乗り替わりかもしれませんし」
「そうか。元々ヨーマンのお手馬だから、乗り替わりもやむなしか」
「素行不良で俺に手が回って来たって聞きましたけど」
「ああ、酒のトラブルでな。ベイヤードのバーで仲間と飲んでいたら、イカサマだって絡んできたタチの悪いファンと喧嘩したらしくてな。騎手組合も擁護のしようがなかったし、妥当な処分だ」
「ベイヤードって、なんすか?」
と、恭介が訊く。
すると、アイヴァーが胡乱げな目つきで恭介を眺めまわした。
このとき、恭介は自分が迂闊だったと気づいた。
引っかかりを覚えても、曖昧に返事をするだけでよかったのだ。
アイヴァーの目に浮かぶ疑いの色がさらに濃くなる。
「キョースケ、お前はいったい何者だ?」
「はい?」
ついに訊かれたかと思い、恭介の身体が強張った。
「ベイヤードはマルスク王国の首都だ。この国に住んでいて知らないのは不自然じゃないか?」
「…………」
「それにお前の乗り方、あれはどう見ても我流で習得したものじゃないだろ。馬上で立ち乗りしながら、全くバランスを崩していない。それにペガサスを追う姿も様になっている。オリジナルの騎乗方法にしてはあまりにも型に嵌まり過ぎている」
「俺の素性が怪しかったら、会長の権限を使って騎手免許の取り消しを申請しますか?」
「そうじゃない。ペガサス競馬では広く門戸を開いている。外国人も例外ではない。騎手になりたいなら調教師が推薦してくれればいいし、厩務員として働きたかったら、募集広告を見るなりして応募すればいい。よほどの極悪人じゃない限り、誰でもペガサス競馬に従事できる。別にお前を咎める気はない」
「ホントっすね?」
「まさか前科者じゃないだろうな」
「違いますよ」
「なら、教えてくれないか? ガウンさんとかほとんどの騎手はお前の素性を気にも留めていなかったが、俺は組合の会長としての責務がある。疑問点を置き去りにしたままにはできないからな」
アイヴァーが至って真面目な顔つきで恭介を凝視する。
下手な言い訳を許す気のない、厳しい視線が突き刺さる。
恭介は彼の圧力に耐えられず、顔をそむけた。
ここで話していいものなのだろうかと恭介は逡巡する。
『転移の緋剣』の存在はキプロン伯爵家に伝わる秘事である。
エレノアたちの許可なく部外者に話すわけにはいかなかった。
それに地球の日本からやってきたと話してもアイヴァーが信じるとは思えなかった。
いくら魔法が存在するフォルアースだからといっても眉唾物の話のはずである。
エレノアですら恭介がこの世界に来るまで『転移の緋剣』の伝承を信じていなかったのだ。
窮地に立たされた思いがして、言葉に詰まった。
この場を凌ぐ手段を考えるも一向に思いつかない。
「キョースケー」
とエレノアが控室に入ってきた。
内心ほっとして恭介は彼女に顔を向ける。
「エレノア」
アイヴァーが背を向け、エレノアに立ちはだかる。
「どうしたのですか? アイヴァーさん」
「キョースケのことだ」
「え?」
不意を突かれたエレノアの顔に困惑が広がる。
「おかしい点がいくつかあるからな。エレノアがキョースケの推薦人だったな」
「え、ええ」
「キョースケをどこから連れてきた?」
「…………」
「前に記事を読んだ。キョースケ・ハタヤマはペガサス競馬に革新をもたらす騎手だと。あのとき、キョースケが新しい騎乗方法を編み出したぐらいにしか思っていなかった。しかし、あの乗り方は間違いなく誰かから教わったものだ。そうだな」
アイヴァーがもう一度恭介を見遣る。
厳しい視線は変わらなかった。
「エレノア……」
言い逃れはできないと悟った。
たとえこの場を誤魔化してもアイヴァーは追及を止めないだろう。
会長として騎手を束ねなければならない立場なので、素性の知れない騎手がいては何らかのトラブルを起こしかねないと感じているのかもしれない。
いっそのこと本当のことを話した方が良い気がした。
わだかまりを残したままペガサス競馬の騎手として生活を送るのも息苦しい気がする。
今回だけではなく、恭介が日本に帰るまで何度も同じ競馬場で騎乗する機会が訪れるはずだ。
そのたびに疑いの視線を向けられてレースに臨むのは、精神衛生上よろしくない。
そんなことを考えていたとき、エレノアが大きくため息を吐いた。
「わかりました。アイヴァーさんの前では隠し事はできません。でも一つだけお願いがあります」
「どうした?」
エレノアが話してくれる気になったおかげか、アイヴァーの口調が柔らかくなった。
「キョースケの秘密は口外無用でお願い致します。これからお話しすることは事実ですが、信じるかは信じないかはあなた次第です」
――都市伝説?
と重い雰囲気にふさわしくないツッコミが頭を過った。
もっともこの世界では恭介の存在が都市伝説じみているが。
「わかった。約束する」
こうしてエレノアは、恭介がこの世界に来た経緯をアイヴァーに告げた。
「信じられんな」
アイヴァーは呆気にとられた。
無理もないな、と恭介は思う。
被害者の恭介でさえ信じられない思いを抱いていたのだからアイヴァーが疑わしく思うのも当然である。
「ですが、今お話ししたことが事実です。あのモンキー乗りをアイヴァーさんもご覧になられたでしょう。マルスク王国のみならずこの世界でキョースケのみが行う騎乗方法です」
「たしかに、外国でもあの乗り方をする騎手は一人もいないか」
この世界に存在しない騎乗技術を目の当たりにしたせいもあり、渋々ながらも納得してくれたようだ。
「エレノア。推薦状にはどう書いたんだ?」
「スピレッタ調教場で働くスタッフとしか書いていません。経歴を事細かく書く必要などありませんから」
「ううむ」
アイヴァーは腕を組んで唸った。
異世界の異邦人だと書いても信じてもらえないので、それもやむなしと思っているのかもしれない。
「アイヴァーさん、王国では国籍のいかんを問わず、国内で働き、王国に寄与するすべての人々がつつがなく暮らす権利を有しています。キョースケがペガサス競馬に参加してもいいはずです」
「しかしなあ、異世界から無理やり連れて来たのはいささか問題がありそうだが、ううむ」
前例のないことなので、アイヴァーもどう対応していいかわからないようだ。
「アイヴァーさん、俺が言うのもなんですけど」
「なんだ」
「エレノアに、なにか処分があるんすか?」
「わからん。それにこの話を信じてくれる人間なんていないだろうしな。俺からは何も言えんよ。しかしキョースケ、お前よく平気でいられるな」
「今さら文句を言ったってしょうがないっすからね。地球に帰れない以上、レースに乗ったり、厩舎作業や調教を手伝って稼いでいくしかないんすから。それに一味違った競馬を楽しむのも悪くないんじゃないかって思っているんすよ」
「ほう、その口ぶりだと迷惑はしていないようだな」
「まあ、エレノアには大切なことを教えてもらいましたから、それに感謝しているって感じですかね」
恭介はアイヴァーの横からエレノアを見つめた。
少しは喜んでくれるかなと思っていたのだが、なぜか彼女は首を傾げて不思議そうな顔つきになっている。
――忘れてんなぁ。
以前、車の中でエレノアが恭介の弱点を指摘したことがあった。
それは恭介自身が自覚しておらず、言われなければ一生気づかなかったことかもしれない。
自信が、ないのよ。
あの時言われた言葉が心の中に蘇った。
日本にいたころの恭介は冴えない見習騎手に過ぎず、同期の田口大也に大きく水をあけられ、数字の上でも証明されたはずだった。
それと同時に、巧みな手綱さばきを見せる大也を見てとてもかなわないと認めていた。
しかしその原因が恭介自身の心の弱さ、自信の無さにあるとしたら克服できるのではないかと感じたのだ。
そして恭介は今日のバロンクラウスカップでの自分の騎乗ぶりを振り返る。
ミスを犯したのは反省点だが、結果としてレースの流れを見極め、離れたところを走っていたリジーズプライドの動きを目で捉え、併せ馬に持ち込んで勝利を収めた。
モンキー乗りをしているアドバンテージがあるにせよ、重賞というプレッシャーのかかる中で、ちゃんと周りを見ていたのは自分にとっても大きな収穫である。
エレノアが、自信をもってとアドバイスをくれたおかげでタフな精神を培い、冷静に状況を見極められるようになったと感じた。
そこには確かな成長の跡がある。
だからこそ、彼女への感謝の気持ちもあって、拉致まがいにこの世界に連れてこられた恨みが消え去ったのだ。
ーーそれに……。
エレノアのような美女と一緒にいる嬉しさもあったが、もちろん口に出す気はない。
「わかった。じゃあこの件は俺の胸にとどめておこう」
「見逃すってことですか?」
「そうせざるを得ないな。俺から報告することはない」
「お心遣い、感謝いたします」
エレノアは貴族令嬢らしい口調で言うと、右手を胸に当てて軽く頭を下げた。
「大したことじゃない。ペガサスレーシングクラブもどう対処していいかわからないだろうし、言ったところでどうにもなるまい」
アイヴァーはエレノアの苦心を察したのか優しい口調で言い聞かせた。
と、ここで恭介はあることを思いだした。
もしかしたら騎手組合会長のアイヴァーならそのあたりの事情を知っているのではと思った。
「アイヴァーさん、ついでにもう一ついいですか?」
「どうした? 犯罪に関わっているとかじゃないよな」
「……違いますよ。なんでペガサス競馬の騎手ってエレノアのところの馬に乗らないんすかね?」
「キョースケ?」
エレノアが目を見開いた。不意の質問に彼女の方が面食らったようだ。
「だっておかしいじゃないですか。誰も乗ってくれないって。ガウンさんやアイヴァーさんのような選べる立場の人ならともかく、食いっぱぐれそうな騎手にまで断られるなんて、信じられないっすよ」
「そうだな……」
アイヴァーは腕を組んで顔を俯ける。
話すべきか迷っているようだ。
「なにかまずいことでも?」
「いや、俺も噂話程度のことしか耳に入っていないから話していいものかどうか」
「うわさ?」
「ああ。ただ、ここで言うのはまずいか……エレノア、後日手紙に認めるからそれでいいか?」
「わたしは構いませんわ。度重なる心遣い、感謝いたします」
エレノアはもう一度頭を下げた。
「あくまで噂だ。本気にされると厄介なことになりかねんから話半分で受け取ってくれ。さ、固い話は終わりにしてレースでも見るか」
アイヴァーは話を切り上げ、椅子に腰かけた。
これ以上突っ込んだ話をしても無意味だと思ったらしく、モニターに目を向けた。
「あ、キョースケ。これに着替えて」
と、エレノアは二個の紙袋を渡した。
一つには黒いスーツ、もう一つには艶のある革靴が入っていた。
「また馬主さんとの会合か?」
「いいえ、パーティーよ」
「パーティー?」
「そう。バロンクラウスカップの祝勝会。ブルーネレスキ卿、大喜びだったわ」
「ああ、そういうことか」
「そういうこと」
日本にいたころは重賞に縁がなかったので、祝勝会のことはまるで頭になかった。
先輩の佐山順平がG1を勝ったときのおこぼれで出席させてもらった記憶があるが、場違いな雰囲気に飲まれてなにをしたのか全く記憶になかった。
「なんか緊張してきたなぁ」
「もう、なに言ってるのよ。大切な馬主さんとの交流なのよ。ほら、堂々として」
エレノアは励ますように肩を叩いてきた。
更衣室でスーツに着替えて荷物をまとめてから控室に戻ると、ポリーの声が耳を打った。
≪さあ、リンウェルダウンズ競馬場、初夏の開催も最終レースとなりました。次の開催は秋になります。そのときにはG1も開催され、一層の盛り上がりを見せます。さあ各馬ロープの前に整列しました――≫
ポリーの実況は相変わらず熱っぽかった。
全レースの実況を担当し、しかも重賞の勝利ジョッキーインタビューまでこなすのだから心身にかなりの負担がかかっているはずだった。
疲れを感じさせない声にはプロ根性というべきものがある気がした。
「さて、最後ぐらいはきれいに終わってほしいものだな」
アイヴァーの呟きには切なる願いが込められている気がした。
異変の続いた開催なので、そう思うのも当然である。
恭介も同じ想いを抱えながらモニターに目を向けた。




